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第四章 アスランの縁談

19 結婚するときの条件

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 もうすぐ正午だ。

 自室に引きこもっていたエリーゼは、突っ伏していた机から顔をあげて、大きく深呼吸をした。

 食事は家族と会話の訓練をしながらすることに決められている。

 ハインツは近衛府に出かけているから、ゲルトルートと二人の昼食になるだろう。今まで散々引きこもりで甘やかしてもらっていたのだ。ゲルトルートを困らせるのはよくない。

 自分の方から、ゲルトルートと気分よくランチタイムを過ごせるように歩み寄らなくては……。



 そう考えたエリーゼは、自分から折れて出る方法を脳内で色々シミュレーションしようとした。そういうことが自然体に出来ない時点で、彼女の前世から負ってきた心の傷やら引きこもり歴やら色々あるのだが……。



(お養母さまと庭のお話、もう一回しなきゃいけないわよね。今の庭の状態ってどんなだっけ……)

 昼食の話題は、ハインツに言われた庭の事になるだろうと思い、エリーゼは机から身を乗り出して、窓を開けてそこから見える庭の様子を観察しようとした。そのへん、与えられた仕事に忠実で真面目な性質ではある。



 窓を開けた途端、そこに、鳩が突っ込んでくる事がわかった。

 伝書鳩。……ただしそれは、エリーゼの知っている地球の鳥ではない。



「鳩! お義父さま……!?」

 白くて可愛い鳩は人なつっこく、エリーゼの差し出された手にとまり、くるっくーと鳴いた。



 伝書鳩に見えるその鳥の正体は、生命体ではない。現代日本で言うなら単四電池よりもよほど小さい小型ジェムに、魔力を打ち込み、命令を与えて飛ばしたものである。ジェムは鳩などのわかりやすい鳥に変身して高速で空を飛び、命じられた人間の方へメモや情報を飛ばす。インターネットのないこの世界における、多少タイムラグのあるメールのようなものである。



 エリーゼは、ハインツから教わっていた呪文を唱えて鳩に手をかざした。要するに、メールを開くためのパスワードだ。

 白い鳩はたちまち光のように溶け、遺されたのはハインツの筆跡によるメモ用紙だった。書いてある内容は、単純な忘れ物を取ってきて欲しいという用事であった。どうやら、書斎に準備しておいた封筒を一つ、持って行くのを忘れたらしい。

(なるほど……それなら私が……)

 本来なら使用人がする仕事なのだろうが、エリーゼは、自分が行こうと思い立った。



 義理の両親が今一番気にしているのはどう考えても自分の陰気な性質と引きこもりだ。それなら、親の用事をテキパキこなせる程度に、元気であることをアピールしておくに損はないと思えた。

 エリーゼはメモ用紙を持って、早速、部屋から出て、ゲルトルートの部屋へ急いだ。自分が、ハインツのところへ届け物をすると言うためである。



 ゲルトルートは突如、やる気を出した養女にびっくりしたが、彼女が、自分から動いて親の用事を果たすという行動については異論はなかった。家の外に出るというのもとてもよいことに思えた。それで、ゲルトルートは使用人にハインツの書類を部屋から取ってこさせ、エリーゼに持たせて、さらに、エリーゼ用に既に準備しておいた機動パンダの首輪を出してくれた。



 機動パンダ……。それは、エリーゼを養女として引き取った時に浮かれて舞い上がったゲルトルートが、ハインツにねだって購入しておいたものである。

 神聖バハムート帝国では、機動馬や機動軍馬も幅をきかせているが、様々な動物や昆虫を模した乗り物がある。冗談のような発想の乗り物さえある。エリーゼは、普通の、女の子用のポニーなどでいいと思うのだが、ゲルトルートは、白とピンクの可愛らしいパンダの乗り物を選んで、エリーゼに与えたのだ。

 これらの機動の乗り物は総称して、機動ヴィークル……略してヴィークルと呼ばれていた。



 乗り物を機動させるには、一般には、所有者専用の首輪が必要で、首輪をかけて魔力を通す事が、自動車で言うなら鍵をつけてエンジンをかける事に当たる。

 その首輪さえも、ゲルトルートが選んだのはがっしりしたものではなく、ひらひらしたローズピンクのリボン形態をしていた。

「エリーゼ、機動パンダの乗り方はわかるわね?」

「はい、お義母さま」

 ハルデンブルグ侯爵領にいた頃は、機動ポニーを乗り回していた事がある。要領は同じなので、出来ない事はないだろう。

 ちなみに……白とピンクのパンダに乗って出回るのは、やはりちょっと気恥ずかしい。いくらなんでも少女趣味すぎやしないだろうかと、エリーゼは自意識過剰気味であった。養母がまるっきり善意の事は、わかるけど。



「それでは気をつけてね。交通規則は、守るのよ」

 機動ヴィークルを乗りこなすためには安全を守るための様々なルールが法定されている。エリーゼは、子どもの頃にカメラ機能ですべてそれを暗記していたので問題はない。こっくりと、ゲルトルートに頷くと、ハインツの書類と、ひらひらピンクのリボンを彼女から受けとって、屋敷の外にある厩舎に回り、機動パンダに乗り込むことにした。



 通常のパンダの黒い部分がピンク色の機動パンダは、エリーゼの身長に合わせたサイズで、恐らく実物のパンダよりもかなり可愛らしいデザインになっている。そのパンダに使用人が鞍をつけ、エリーゼが乗り込むと、機動パンダにリボンの首輪をつけて魔力を通した。



「いってらっしゃいませ、お嬢様」

 厩舎の使用人に声をかけられ、エリーゼはありがとう、と頷くと、久々にパンダの運転を開始した。



 ところで、この惑星セターレフにも中華風の文化はあるらしい。その証拠に、この機動パンダのシリーズは”美芳メイファン”と言い、製造している会社の名前は神聖バハムート帝国でも大手のトゥーマン社である。テラ大陸は大体において、西洋風だが、シャン大陸の方には中華風、東洋風の文化文明が栄えていると、教科書には載っていた。詳細は知らないが、トゥーマン社がシャン大陸のヴィークルを製造している会社と提携して開発したシリーズで、白とピンクの可愛い機動パンダは”桃花水モモカミ”と呼ばれていた。もちろん、そんな中国語はないのだろうが、神聖バハムート帝国の人間に、現地の言葉は発音しづらかったらしい。エリーゼは略してモモカと呼んでいる。



 モモカに乗るのは本当に久しぶりで、エリーゼは身長にリボンの先を引っ張って手綱がわりにし、魔力を注入しながら屋敷の門から出て行った。

旧市街アルトスタットの昼前の通りは、閑散としていて、貴族の紋章をつけた馬車や、機動馬の姿がぽつぽつと見えるだけだった。エリーゼは自分の乗るモモカが可愛すぎて目立つんじゃないかと気にしていたが、人がそれほどいないので安心し、少しずつスピードを出しながら前に進んでいった。



 モモカの後頭部のあたりをなでながら呪文を唱えると、パンダの頭上に自動的に魔法の地図が投影された。現代で言うならば、カーナビの役割を果たす魔法である。

「モモカ、近衛府までの地図を出してちょうだい」

 エリーゼが運転しながらそう小声で言うと、地図はきらめきながら範囲を広げ、屋敷の前から近衛府までの案内のマップを出してくれた。エリーゼは微笑んで、モモカの白い頭をなでると、リボンをうまく使って操縦し始めた。



 安全運転を心がけながら、エリーゼは大きな通りへ出て行き、次第に白の真南の”南大門通りズューデングローストーア”の方に出て行った。ちょっとした公園以上の広さを誇る南大門通りは、帝都シュルナウのシンボルとも言える巨大なストリートである。そこには、各国の大使館や一流の商家や貿易商の店舗などが輝かしい建築を見せつけている。当然ながら、人通りはとても多く、様々な形のヴィークルが交通ルールに則って行き来していた。一番多いのは一人乗りの機動馬の様々なシリーズだが、たまに、二人で乗っている大きめの機動馬もある。そのほか、犬や狼、虎やチータのような猫の猛獣、熊、ロバなども人気であり、カブトムシやクワガタなども目立った。色とりどりのそうしたヴィークルが右往左往している中を、ひときわ巨大なヴィークルが……それは、エリーゼも知っている恐竜、トリケラトプスである……が悠々と通っていく。大きさとして9メートル程度、その巨大な背中に鞍をつけて大勢の人が座っており、前の方に制服を着た男性が、首輪につけた手綱をしっかり握っている。現代日本でいうならば、バスの役割をしているヴィークルだ。実際に、定期的に決まった箇所を巡回し、都民の交通の便を助けている。



 エリーゼのパンダのようにあからさまに女の子専用のヴィークルは、珍しいようだが、それでも全然ないわけではない。令嬢らしくめかしこんだ少女が紫色のポニーに乗ってメイドと一緒に移動していたり、普段着の庶民の女の子がオレンジ色の巨大なウサギのヴィークルを乗りこなしているところも見かけた。

 自分ばかり目立つんじゃないかと気にしていたエリーゼはそれらの姿に気がついて、自意識過剰はやめることにして、だだっ広い南大門通りズューデングローストーアを時間をかけて真横に横切っていった。とにかく他のヴィークルにぶつからないように気をつけた。



 その後、狼の寝床ヴォルフスベッドの手前の十字路を左に曲がってまっすぐに出た所の小さい門をくぐり抜けたら、近衛府である。移動時間は三十分弱だろうか。混雑している通りを無事に通り抜けてしまえば、後はスピードを出しても大丈夫で、エリーゼはモモカの時速をあげて近衛府に急いだ。



 近衛府に入っていくと、入り口で係員に呼び止められた。エリーゼは、アンハルト侯爵である父の使いであることを話し、持ってきた書類にアンハルト侯爵の家門の印章が記されているところをみせた。係員は一礼し、エリーゼを、近衛大将であるベンの執務室に案内した。ハインツが出てきて、エリーゼが忘れ物を届けてくれた事に驚いた。エリーゼは、ボソボソとした返事にならないように懸命に口を大きく開けて話をした。ハインツは、喜んで娘に礼を言い、機動ヴィークルの運転に気をつけるように念を入れて、ベンの執務室に戻っていった。何やら軍関係の話し合いがあるんだろうとエリーゼは察した。



(よかった。お義父さま、喜んでくれたわ)

 礼を言われたことと、ハインツの喜色満面の様子で、エリーゼはかなり自信がついた。やはり行動を起こすというのはいいことらしい。

 心なしか軽い足取りでエリーゼは、近衛府の玄関の方に戻っていった。

 ちょうど昼時で、昼食の休憩を取る貴族出身達の軍人が多かった。その中で、ゲルトルートの選んだ最近流行のムーングレーのたおやかなドレスを着こなしているエリーゼは、それこそ目立ったが、どうしようもない。とにかく用事は終わったのだからすぐに近衛府を出て、まっすぐ家に帰ろうとした。



「……エリーゼ?」

 建物の玄関を出ようとしたところで、エリーゼは忘れられない声が聞こえたのでびっくりして驚いた。

 エリーゼのそばに滑り込んできたのは、なんとアスランと、その同僚らしい若い軍人だった。

 銀髪に輝く青い瞳、それにエリート貴族の着る近衛府の軍服。エリーゼは驚愕して声も出ない。たちまち顔が赤くなるのが自分でもわかる。先ほどまではハキハキ話せたのに、もう何を言ったらいいのかわからなくなる。

 考えてみたらアスランは近衛府の軍人なのだから、会える可能性はあったのだ。だが、まさか本当に会えるとは思っていなかった。



「やっぱり、エリーゼだ。どうして、ここにいるんだ?」

 アスランの方も、侯爵令嬢がここにいる理由がわからなくて声をかけたらしい。彼は普通に勤めに出てきただけだろうが……。



「ち、養父上が、今、こちらに……それで、届け物を……」

 引きつった声でなんとかそう告げるのが精一杯である。本当に不意打ちとはこのことであった。

「届け物? なんだ。エリーゼはやっぱり、孝行娘なんだな」

 アスランはさらりとそんなことを言った。誉められたらしい。そのことに数秒遅れて気がついて、エリーゼは心臓が止まりそうになる。それでも黙っている訳にはいかないので、声を絞り出す。

「あ、ありがとうございます……ただのお使いです……」

 アスランは何か考え込むような様子をしている。エリーゼに聞きたい事が何かあるようだ、と気がついたが、それが何かはわからなかった。



「なんだ、アスラン。お前のファンの一人か?」

 すると、アスランの隣から若い軍人が声をかけてきた。見上げると、アスランよりわずかに背が高い黒髪の男で、貴族らしい華やかで凜とした面立ちをしている。目は常緑樹を思わせる緑色だった。年はアスランと同じく、二十代半ばに見える。



「そういうわけじゃない」

 アスランは、少しむっとしたようだった。珍しく気が立っているのかもしれないと、エリーゼは気がついた。

「アンハルト侯爵の一人娘のエリザベート姫だ。俺の命の恩人だ。前に話しただろう」

「え、そんな……」

 素早く言ったアスランに、エリーゼは驚いた。彼は自分の事をそんなふうに、仲間に話しているのだろうか。

 慌てて大仰な言い方をやめてくれという信号を出そうとするエリーゼに、若い軍人は大きく目を瞬いて、尊敬の表情をその顔に浮かべた。

「あの、私……」

「エリーゼ、俺の同僚で中将のフォンゼル。フォンゼル・キアラン・フォン・クレーベルフだ。まあ、同期で腐れ縁ってやつだな」

 アスランが紹介してくれたので、エリーゼはほっとして、フォンゼルの方に貴族の令嬢の挨拶の礼をした。フォンゼルも丁寧に令息らしい礼を返した。

「腐れ縁は余計だ。だけど、アスランには同じ中将としてよく助けてもらっていますよ」

 フォンゼルは何やらからかうような視線をアスランに投げている。アスランはすると、妙に焦ったような顔になるが、それをエリーゼの前だと思って打ち消しているようだった。



「私こそ、アスランさまには助けてもらって……アスランさま、何か用事があるんじゃないですか?」

 エリーゼは、いつも余裕ある大人の態度のアスランが、妙に緊張しているように見えて、そう促した。近衛府の仕事の事はよくわからないが、まだ勤務中なのかもしれないと思ったのだ。

「いや、俺は今、昼休憩中だ」

 アスランは正直にそう答えたが、フォンゼルがそこに面白そうにつけたした。

「昼休憩に、鎮火中だよな?」

「余計な事を言うな」

 アスランは必死にフォンゼルに目配せするが、フォンゼルはそれに気がつかないようだった。

 意味がわからずキョトンとしているエリーゼに、フォンゼルはあっさりと言ってしまった。エリーゼがここにいることで、エリーゼがアスランの様子を探りに来ているんじゃないかと思ったらしい。

「アスランとイヴ姫の縁談のことだ。皇帝陛下からのありがたい思し召しなのに、こいつはイヴ姫の気持ちが大事だって言うんだよな。全くいい話なのに、何考えているんだか……」

「だから、フォンゼル。言った通りだろう。イヴ姫の方から俺には何も話がないんだ!」



 エリーゼは一瞬、何を言われているのかわからなかった。

 フォンゼルはゆったりした口調ではっきりと言ったので、その意味はわかる。だが、内容の方がわからない。というよりも、わかりたくない。

 それでも頭の中でじっくりと、フォンゼルの台詞を反芻してみると、皇帝アハメド二世が、アスランをイヴ姫の婿に迎えようとしたと言ったように聞こえる。否、それ以外の内容が聞き取れないようだった。



 真っ赤になっていたエリーゼは、みるみるうちに青ざめて、蒼白になり、ただ黙ってアスランの美しい顔を見上げていた。

 アスランがイヴを好きなんじゃないのかと色々想像は巡らしていたが、まさか、皇帝の方からそんな話が出るほど、二人の仲が深かったなんて考えた事もなかった。だが、ありうるだろう。皇帝陛下の方からの政治的打算も、エリーゼだって15歳とはいえ貴族の令嬢だ。そういうこともわかってしまう。



 フォンゼルは真っ青になって棒立ちになったエリーゼを見て、さすがにまずいと思ったのか、慌てて彼女の前で両手を振った。

「あ、でも、まだ決まった事じゃないから……」

 フォンゼルは、エリーゼがてっきり、この話を知っていて、近衛府まで話題の収集に来たのだと思い込んでいたのである。そこでこの反応では、自分が不意打ちを入れたということぐらい、理解出来た。



「……もう決まった事じゃないんですか?」

 エリーゼは重々しい声でそう尋ねた。

「俺は何も知らない。俺の知らないところで始まったんだ」

 エリーゼは、どうしてそうなるのかわからず、黙って首をかしげた。自然とそういう動作になった。

 すると、責任を感じたのか、フォンゼルが、夕べの皇女宮の騒ぎの概略を簡単に教えてくれた。エリーゼは噴き出す事もせず、黙ってそれを聞いていた。聞いてはいたが動揺が激しく、話は半分ぐらいしか理解出来なかった。とにかく、皇帝陛下が命令で、アスランとイヴを結婚させようとして、抵抗しようとするイヴ姫を、尼にしてやると怒鳴ったということだけがわかった。

 ということは、アスランが抵抗したら……彼はどうなってしまうのだろう……。相手は皇帝陛下だ。15歳の世間知らずの頭では、到底かなわない相手に思えた。



「そう……ですか。教えていただいて……ありがとうございます」

 エリーゼは至極機械的にそう答え、機械的にお辞儀をし、ほとんどロボットじみた動きできびすを返して早足に、近衛府の玄関口から出て行った。今にも泣き出したい気持ちだったが、それを抑えていると、どうしても、動きの鈍いロボットのような仕草になってしまう。



 そのまま近衛府の門の手前に停めさせてもらったモモカのところへ、凄い速度で歩いて行った。

 機動パンダにリボンの首輪を巻き付けようとしたところで、手間取った。集中力が乱れているので、いつものように慣れた仕草で巻き付けられないのだ。焦ってバタバタしていると、そこにアスランが追いついてきた。



「エリーゼ!」

 エリーゼは返事は出来なかったが、アスランの事を振り返った。

 沈黙したまま、アスランを見上げた。



「勘違いしている。エリーゼ。俺は、イヴ姫と結婚するつもりはない。そのことを、皆に知ってもらわなければいけないんだ」

 アスランは、どうもその意思表示が、周りにうまく伝わらなくて、困っているようだった。まだ15歳のエリーゼにも、必死の面持ちで繰り返した。

「この縁談は、皇帝陛下が、俺の知らないところでまとめようとされた話であって、俺の意志じゃない。肝心のイヴ姫から、俺はそういう話をお受けしたことが一度もないんだ。イヴ姫のお気持ちを確かめてからでなければ……」

 一心にそういうアスランの言い分にも道理はある。

 なぜなら、アスランは、前からイヴ姫がリュウを好きな事を知っていて、二人の仲をまとめようと色々心を砕いていたのだ。茶話会では、リュウを嫉妬させようと一芝居打ったぐらいだ。アスランから見ると、健気なイヴ姫の気持ちはとても嬉しい事で、庶民とはいえ英雄で自分の親友のリュウは鉄板の実力者で善人、二人が恋人同士になったらさぞかしお似合いだろうと、そう思い込んでいたのである。そりゃ、親友が、大人気の憧れの姫と結婚出来たら、嬉しくない訳がない。それなのに、その「一芝居」がよりにもよって変なツボに入ってしまって、大混乱しているのはイヴだけじゃなくアスランもなのだった。



 だが、まさか、イヴ姫の本命がリュウであると、知り合ったばかりのエリーゼに言う訳にもいかず、というよりも、人の恋心をべらべらとあちこちに話すような性格でもなく、ただ単純に、「俺は知らない」とか「イヴ姫のお気持ちを聞いた事がない」と繰り返すしかないのであった。彼は彼で、しょうもないことに、親友の恋人を作ってやろうとしただけで、こんな場合を想定していなかったのである。



「でも……皇帝陛下が、決めた事なんでしょう? アスランさまは、イヴ姫と結婚しなければ……どうなされるんですか?」



 言外に、エリーゼは、皇帝陛下の意志に逆らう事は出来ないのだと告げた。

 養女とはいえ可愛がっているイヴ姫を、尼にしてやると怒鳴ったほどなのだ。大貴族で英雄とはいえ、家臣であるアスランが逆らったとなったら、今度はどんな命令が降りるかわからない。エリーゼはそこに縛られていた。



「確かに、皇帝陛下のご意志は大切だ。だが、イヴ姫のお気持ちだってある!」

 アスランは、怒鳴り出しそうな自分を抑えながらそう言い切った。



「フォンゼルから聞いただろう。イヴ姫は、ゴーレムを呼んでまで、皇帝陛下の進めた縁談を断られたんだ。イヴ姫にはイヴ姫のお考えもあれば、好きな相手もいるかもしれないだろう。それなのに、皇帝陛下のご意見だけ聞いていては、この縁談は不幸な事になるぞ」

 エリーゼはびっくりした。

 そこでようやく気がついた。アハメド二世が尼にしてやると怒鳴ったのは、イヴが、ゴーレムを召喚して養父を自分の部屋からつまみ出すという無礼千万な振る舞いをしたからである。そうしてまで、イヴ姫はアスランと結婚したくないのだ。

 だが、先日の茶話会では、イヴ姫とアスランはごく親しい様子であったし、まさかアスランを嫌っているようにも見えない。



「?」

 エリーゼは、アスランを嫌っているようにも見えないし、アスランのスペックの事だってよく知っている、第二皇女と同じ身分のイヴ姫が、そこまで皇帝に逆らう理由を考えた。



「だから……」

 アスランはじれったいようだった。もどかしい。自分が、イヴ姫の想いをかなえてやって、親友に美しい姫の恋人を作ってやろうとしたのに、それをぶち壊すような真似になってしまったからである。その上、自分も、イヴの事はいい仲間だと思っているが、恋愛感情があるわけではないのに、結婚しろと命令されたも同然なのだ。この苛立ちをどう伝えればいいのだろう。



 エリーゼはアスランの言っている事をよく脳内でかみ砕き、状況を整理して、やっと気がついた。

(イヴ姫は、アスランさま以外に、好きな男性がいるのかもしれない。きっとそうだわ。アスランさまを嫌いじゃなくても、好きな殿方が他にいたのなら、到底、結婚なんてできない……わよね)

 皇女という公的な身分を考えれば、そんなことは言ってられないはずだが、現代日本の中学生の感覚も持っているエリーゼは、そういうふうに判断した。



「でも、アスランさまは……」

 自然と、エリーゼはそうつぶやくように発言してしまった。

 先ほどまでショックで頭がくらくらしていた上に、茫然自失していたが、反動で口が軽くなったようなのだ。

「アスランさまは……イヴさまが、お好きなのでは……?」



 発言してから自分が非常に無礼なような気がして、瞬間的にかっとなるが、口から出てしまった言葉は取り消せない。

 だが、アスラン方は平然としていた。午前中いっぱいで、散々聞かれた質問だったからである。皇帝陛下の誤解と思い込みがどこから出たのか、確定は出来ないが、恐らく、茶話会で、自分がリュウに焼き餅を焼かせようとして、イヴ姫を持ち上げたからなのだろう。その場で嘘をついたわけではないが、大仰な言い方をしたのは本当だ。

 そして、その茶話会に、エリーゼも来ていたのだから、素直な勘違いをしてしまうのは当然と思えた。だが、これはなかなか頭が痛い問題だった。

 エリーゼのここまでの態度で、アスランは、彼女が小さくても女性だという事に気がついていた。



 小さくても、女は女。

 そして、彼女の射程範囲内に自分は入り込んでいる。



 ふんわりと、エリーゼは、アスランを挟んでイヴに嫉妬すら感じている。それは恐らく無意識的なもので、自分がイヴに嫉妬を感じているから非常な衝撃を受けているんだということさえも、わかっていないだろう。エリーゼはそもそも、まだ子どもだ。10歳も年下の子どもに、自分たちの事情に巻き込んだ事に対して、アスランは責任を感じた。



「イヴ様は敬愛する皇女でいらっしゃる。神聖バハムート帝国の誇る美しい姫であることには間違いない。だが、皇帝陛下のご命令で、俺は妻を選ぶつもりはない」



 アスランは自分の価値観と立場を簡潔に伝えた。エリーゼは大きく目を瞬いた。

 皇帝に忠実な騎士で実力者であるアスラン。大貴族、北方の雄、ジグマリンゲン一族出身の英雄。そういう事を考えれば、皇家の姫と結婚するのは自然の流れのはずだ。だが、アスランは、それよりも、大事にしたいものがあり、それを理解出来る女性と、結ばれたいのだろう。彼の大切にしていることを守れる女性なら、生涯かけて守りたいと思うのかもしれない。

 15歳なりに、エリーゼはそういうことを考え、それが凄くアスランらしいと思って、嬉しかった。



 ほのかに笑ったエリーゼを見て、アスランは自分も安堵の笑みをみせ、それから、気になっていた事を尋ねることにした。

 エリーゼが、ナチュラルに、皇帝陛下には逆らえないと思い込んだ発言をした事が、彼は非常に気になった。

 エリーゼは、養女だ。イヴ姫と同じく。



「エリーゼは、自分だったら、誰かに言われたからと言う理由で、結婚をするのか?」

 アスランから見ると、エリーゼは、養父母の前に恩義を果たそうとするイイコのように見えた。

 養父母に養育してもらった恩返しをするために、好きでもない男と結婚してしまうかもしれない。それはアスランにとっては信じられないことであった。



「いえ、そんなことはありません!」

 現代人の感覚で、エリーゼは慌てて叫んだ。

 そして、叫んでしまった自分に気がついて、慌てて声のトーンを落とし、ゆっくりと静かに言った。

「私も、好きな人とだけ、結婚したいです……」

「それが正しい。その意気だ」



 アスランは闊達な笑顔になって、エリーゼを誉めた。エリーゼはますます嬉しくなって、思い切り活発な笑顔をその顔に浮かべ、大きく頷いた。今となっては珍しい、エリーゼの大輪の花のような笑顔。

「ありがとうございます、アスランさま。私と、話して下さって。私、今日のこと、人に話したりしません。だから、安心して、アスランさまの思うとおりに行動してください」

 エリーゼは昔のような明るさでそう言うと、アスランにしっかりと頭を下げて、機動パンダに乗り込んだ。

「可愛いヴィークルだな」

 アスランはやはり機械の乗り物に興味を示したが、時間がないので深追いはしなかった。二人は挨拶をして笑って別れた。



 アスランは、自分を振り返って手を振ってくるエリーゼを見送りながら、内心、驚いていた。エリーゼがあんなに鮮やかに楽しげに笑うと思っていなかったのだ。彼女が笑うと、周囲がぱっと輝くような明るさがともる。なんでいつも、笑っていないのだろう。事情は知っているが。



(エリーゼ、将来、いい女になりそうだな……)



 芯が強くて明るくて笑顔の綺麗な女。既にその萌芽は見える。自分の思った通りか、それ以上の成長を見せて欲しいと、そう願った。

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