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第3話 琢朗
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しおりを挟む「琢朗くん」
ふたり部屋の仕切られたカーテンの影から、琢朗たちの来訪を悟ったか、ひとりの女性が出てきた。
そして、琢朗の隣にいる女の子の存在に目を留めて、ふふっと微笑む。
「…彼女? 珍しいわね」
したり顔のその態度が、琢朗の気に障った。もっとも、琢朗は彼女が何をしても気に入らないのだが。
「…違うよ。強いて言えば、芙美さんと同じ立場の人だ」
え?と夕希と芙美は互いに互いを見やった。それでも琢朗の発言の意図を理解しかねてか、ふたりとも反応に困った顔してる。
「…親父、どう?」
「今寝てる。さっき夕飯に食べたもの吐いちゃって。もう固形のものは、ダメね。ちょっとでも固かったり、皮があったりすると、飲み下せないみたい」
「でも、流動食は本人が嫌がってるんだろ?」
「そうなのよ。食べた気がしない、って言って」
「迷惑するのは周りなのにな」
と言って、自分も滅多にここには寄り付かないのだが。
今は眠ってしまっている父の姿を琢朗は見下ろした。また、痩せた。胃に悪性の腫瘍が見つかったのは、1年近く前だ。手術で取りきれなかった癌細胞が父をみるみる蝕んでいく。
「いいのよ。好きなようにさせてあげたいわ。恐らく…」
そう言って、芙美は言葉を切った。『恐らく長くはない』彼女が憚った言葉の続きは、琢朗にも容易に想像出来た。
看護師だった分、自分よりも彼女の方が数段見立ても確かだろう。
「じゃあ、俺帰る」
5分と病室にいないのに、琢朗は言って、踵を返す。芙美も引きとめようとしない。
「起きたら、琢朗くんが来たこと伝えておくわね」
「いーよ、別に。今更、孝行息子演じてもしょうがないし」
また夕希の手を掴んで、病室を出た。言いたいことや聞きたいことが沢山あったはずなのに、夕希は琢朗と芙美の会話には一度も入ってこなかった。…ということは察しているのかもしれない。芙美と琢朗の関係を。
半分照明の消されたフロアの談話室の前で、琢朗は足を止める。
「コーヒー飲む? 糸井さん。自販機のだけど」
「え、でも…」
談話室も使用時間は残り僅かだ。張り紙を素早くチェックしてたらしい夕希は、戸惑った顔になる。
「平気。ここ、親父の勤めてた病院だから、俺は見逃して貰える」
「…そうなんだ」
じゃ、と夕希は自販機に目を向ける。
「コーヒーじゃなくて、ミルクティーがいいな」
「あ、そっか。コーヒーは良くないか」
夕希にミルクティーを、自分はミルクと砂糖のたっぷり入ったコーヒーを手に、椅子に腰掛けた。
「あの人、井上芙美って言うんだけど」
「うん」
「親父の愛人なんだ」
ぶちまけた事実を、夕希は静かに受け止めて、ミルクティーに口をつけた。ひとくち飲んでから、「うん、そうなのかな…って思った」静かに言う。
前に、琢朗の父親が不倫していたことを暴露していたから、想像はついたのだろう。
「今はあんなかいがいしくしてっけど。お袋が入院してた時も、平気で親父と遊んでた女だから」
夕希のことと、琢朗の家の事情は別の問題だ。だから、なるべく冷静に話そうと思うのに、それが出来ない。母が病床の時は、琢朗が今日の芙美の立場で、父親が琢朗のようだった。
学校帰りに病院に直行して、母親の傍につきっきりだった琢朗に対して、父親は面会時間お終わりごろに、ちらっと顔を見せるだけ。
無論、それだけなら父には仕事もあるのだから…と自分を納得させることも出来た。けれど、いつだったか病院の帰り道、あの女の運転する車の助手席に座ってる父の姿を見たら、もう何もかもが許せなくなった。
髪を染め、ピアスを開けたのもその頃だ。我ながら短絡的なレジスタンスに笑ってしまうが、これが効果的だったのも否めない。学校から呼び出され、校長室で父は自分を高圧的に張り飛ばして怒ったが、一方で「俺のせいかもしれない…」なんてため息をついていたと、あとから母に聞いた。
もっと、苦しめばいい。もっと、傷つけばいい。芙美の車に勝手に乗って、傷をつけたこともあった。もちろん芙美も父も自分を怒れない。
「お袋が3年前に死んで、喪が明けたころから、親父とあの女は堂々とし始めた。週の半分はあの女の家にいる。いわゆる内縁関係ってやつだよね。ま、2年もしないで、親父が今度は癌になるんだけど。自業自得?」
「…お父さんなのに、そんな言い方…」
琢朗の皮肉を夕希は咎める。自分だけが正義とか道徳心とか倫理観に縛られてる。夕希さえも遠く感じた。
結局、彼女も。芙美と同じ種類の女なのだろうか。
「親父もあの女も、ずっと結婚を望んでるけど、俺は絶対認めない。親父の妻として、戸籍に載っていいのは、お袋だけだから。――ねえ、糸井さん」
ぐっと夕希の手首を掴むと、夕希は上体を後ろにひこうとする。距離を開けるのは許さない、とばかりに琢朗はその手を前に引いた。
「峰さんの奥さんからも、子どもからも。こんな風に憎まれる覚悟、糸井さんにあるの?」
「……っ」
「もう一度考え直しなよ。中絶の同意書だったら、俺、いつでも書くよ」
残酷な台詞をわざわざ吐いて、琢朗は夕希の手から手を離す。
夕希は解放されたとばかりに、踵を返して、一人で病院の長い廊下を走って行ってしまった。
これでもう完璧に嫌われたな。
でも、彼女の未来が絶たれるよりよっぽどいい。
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