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第2話 淳弥
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しおりを挟む伊藤隆光は淳の会社の3年先輩だ。話しやすくて頼もしい。唯一の欠点は、酒があれば何処にでも行ってしまうところだろうか。淳弥と同じく一女の父でもある。彼女はもう、小学校に上がっているが。
「こんばんはー、突然すみません」
手土産の鳥海山を携えて、伊藤は明るい声で峰家の玄関をくぐった。
「お久しぶりです、伊藤さん」
「いらっしゃーい」
夫婦揃って出迎えて、結衣も交えて乾杯をした。
テーブルの上には、麻衣香が腕をふるった料理が並べられてる。各人が好きな料理を好きなだけ食べられるように、大皿でのとりわけスタイルだ。パエリア、蒸鶏のサラダ、手羽先の唐揚げ、それにじゃがいもの冷製スープ。麻衣香の得意料理ばかりが並んでいる。
「いやあ、相変わらず麻衣香ちゃん、料理うまいねえ」
手羽先をぱくつきながら、伊藤は麻衣香の手料理に舌鼓を打つ。
「ありがとうございます。これ、料理サイトに投稿したんですけど、つくレポ200件超えたんですよ?」
「へえ、すごいね」
手料理を褒められ、麻衣香もゴキゲンだ。
「淳くんもいっぱい食べてね。単身赴任だと、どうしても栄養偏っちゃうでしょ? 淳くん、お料理出来ないし」
結衣の分の手羽先を割いてやってから、麻衣香は八分方食べ終わっていた淳弥の更にパエリアのおかわりをよそる。
麻衣香のかいがいしさに、伊藤は「当てられに来たみたい、俺」そんな風に淳弥をからかった。
「ありがと」
麻衣香から皿を受け取って、淳弥はパエリアを口に運ぶ。正直、もう充分だったのだが、麻衣香が自分の口元に注目してるので、食べないわけには行かなかったのだ。
「峰が一人暮らし出来ると思わなかったもんなあ」
「そうですよね、伊藤さん。淳くん、なんにも出来ないから」
「だよなあ」
「だって、パン焼くの面倒くさいからって、朝ごはんシリアルだけなんですよ? びっくりしちゃう。夜だって、家に片付けに行ったら、スーパーのお弁当のパックだらけ」
「麻衣香ちゃん、料理教えてあげなよ」
「教えましたよお。餃子とかハンバーグとか」
「いや、麻衣香ちゃん。男はそんなのひとりのために作らないから。もっと、簡単にチャーハンとかラーメンでいいんだよ、なあ? 峰」
「…あ、ああ」
淳弥のひとり夕飯の話なんかになっていたから、自然に夕希を思い出していた。平日5日のうち、半分は夕希の店の惣菜コーナーで済ませてた。恐らく、そんな話も麻衣香にすれば、眉を顰められるだろう。
(…夕希ちゃん、もう帰ったかな…?)
淳弥の手のひらを返した態度をどう思っただろう。ろくに言い訳も弁解もしないままの別れは傷つけたに決まってる。
淳弥のことで麻衣香と伊藤は盛り上がってる。淳弥は近くにあったビールをぐいと飲み干した。温く、気も抜けてしまったビールが、淳弥の喉に吸い込まれていった――。
「私、結衣寝かしてくるね」
かなり少なくなった料理をひとつの皿にまとめて、新しいビールをジョッキに注いでから、あとは好きにやってて、とばかりに麻衣香は結衣を連れて、一旦ダイニングを後にした。
「…うん、頼むね」
と言った淳弥も過度のアルコールと前日からの寝不足で、睡魔に打ち勝とうとするのに必死だった。
「…外で飲み直しません?」
淳弥は伊藤を庭先に誘う。アウトドア用の簡易な椅子を出してきて、足元に蚊取り線香を焚く。見上げると呉の夜空にも月が浮かんでいた。
「…うまくやってるみたいじゃん。あんな事件の後で、単身赴任なんて、お前らどうなっちゃうんだって、結婚式のスピーチやった身としては心配してたけど」
そう言う伊藤の目には、淳弥を心配する陰りがありありと浮かんでた。
うまくやってる。傍目にはそう見えるのか。
安心していいのか、がっかりすべきなのか。所詮、他人には人の心の中までは覗けないということなのだろう。
今、淳弥の心はこの家になんてないのに。
「そういえば、さ」
伊藤が少し話しにくそうに切り出す。一旦、後ろを振り返り、麻衣香がいないのを確かめて、彼は言った。
「…森崎、結婚するらしいよ? こないだ俺のとこ、はがき来たわ」
記憶の湖に蓋をしていた名を出され、淳弥の心臓は大きく跳ねた。
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