107 / 406
第二部 ピアノとヴァイオリン
音楽室
しおりを挟む
春、四月。僕は二年生になった。
下級生が出来た。教室が二階から三階に変わった。
クラスの顔ぶれも変わった。僕が進級したクラスは国公立大学文系進学クラスだった。
冴子は私大文系進学クラス進み、宏美は僕と同じクラスになりたいという理由だけで同じ国公立大学文系進学クラスを選んでいた。
ただ僕の場合国公立大学と言っても藝大志望なので他のクラスメイトとはちょっと違ったが……。
でも、まだ二年生になったばかりなので他のクラスメイトも受験をそれほど意識をしている風には見えなかった。
僕はいつものように昼休み学食でさっさと食事をすませると、音楽室に行ってピアノを弾いていた。
音楽の長沼先生は僕が『伊能先生の教室に戻って渚さんからピアノを教わっている』と報告すると、快く昼休みに音楽室でピアノを弾く事を許してくれた。
だから二年生になってから昼休みにここでピアノを弾くのは僕の日課のようになっていた。
この日は春の陽気に誘われてモーツァルトのピアノ曲「ソナチネ 第1番 ハ長調 K.V.439b 第4楽章」を弾いた。今日は朝からモーツアルトを弾こうと決めていた。
TVのバラエティ番組でも使われていた曲だが、僕はこの曲を聞くと春のうららかな午後を感じる。
とっても軽やかな気持ちになって来る。
この時期の柔らかな日差しを浴びているとこの曲を弾きたくなってしまったという訳だ。
そう、文字通り春のうららかな午後、ここは音楽室……みたいな感じで軽いタッチで弾いていた。
ピアノも心地よく僕の奏でたい音を出してくれていた。
こういう空気の中でピアノと会話しながら弾くのは本当に楽しい。
心地よく一曲目を弾き終わった後、楽譜をめくっていたら音楽室の入り口付近で人の気配がした。ひょいと頭を上げて首を回して入り口を見たが、誰も居なかった。
「なんだ気のせいか……」
楽譜に視線を戻したら、譜面台の楽譜をめくっている人の手が目に入った。僕の手ではない。
一瞬僕は息が止まった。誰も居ないと思っていたので驚いた。
そしてゆっくりと自分を落ち着かせるように息を吸い込みながら視線をその指先から肩へと移すと、そこには見知らぬ女子生徒が立っていた。立っていたのがゾンビでなくて良かった……と本気で思った。
髪型はボブで色の白い女の子だった。本当に透き通るような白い肌だった。背丈は宏美と同じくらいだろうか。誰だろう?
スカーフの色で僕と同じ二年生だという事が分かったが、咄嗟に僕は声が出なかった。
その娘(こ)は楽譜をめくる手を止めて僕を見るとニコッと笑って、
「どんな曲があるのか見てみたかったの」
と当たり前のように言った。
僕は黙ったままだった。何を言って良いのか分からなかった……というか状況をまだ理解できていなかった。
――あんた誰?――
こんなひとことさえ出せないでいた。
彼女は僕のそんな態度はお構いなしに楽譜をめくって
「ふ~ん。今日はモーツアルトばっかりやね」
と独り言のように聞いてきた。
「あ、ピアノソナタ 第8番やん。これ弾けるん?」
今度は唐突に昔からの友達に声を掛けるように聞いてきた。
「え? あ、うん」
やっと口を開いたかと思ったら出た言葉がこれだった。もっと他になにか気の利いた台詞でも言えんのか? 自己嫌悪に陥りそうだ。
「やったぁ。第一楽章だけでもええから弾いて……ね」
「え? ああ」
更に自己嫌悪に陥りそうな安易な返事をしてしまい、見ず知らずのこの女の子のリクエストに応える羽目になってしまった。
――この子はこの曲が好きなんだな――
そんな事はどうでもいい。こういう場合他に彼女に何か言う事があるだろう?
僕は結構小心者のどうしようもない奴であることを自覚した。
彼女はピアノの楽譜台から並べていた他の楽譜を持ち去って、そこから一番近い席に座った。
下級生が出来た。教室が二階から三階に変わった。
クラスの顔ぶれも変わった。僕が進級したクラスは国公立大学文系進学クラスだった。
冴子は私大文系進学クラス進み、宏美は僕と同じクラスになりたいという理由だけで同じ国公立大学文系進学クラスを選んでいた。
ただ僕の場合国公立大学と言っても藝大志望なので他のクラスメイトとはちょっと違ったが……。
でも、まだ二年生になったばかりなので他のクラスメイトも受験をそれほど意識をしている風には見えなかった。
僕はいつものように昼休み学食でさっさと食事をすませると、音楽室に行ってピアノを弾いていた。
音楽の長沼先生は僕が『伊能先生の教室に戻って渚さんからピアノを教わっている』と報告すると、快く昼休みに音楽室でピアノを弾く事を許してくれた。
だから二年生になってから昼休みにここでピアノを弾くのは僕の日課のようになっていた。
この日は春の陽気に誘われてモーツァルトのピアノ曲「ソナチネ 第1番 ハ長調 K.V.439b 第4楽章」を弾いた。今日は朝からモーツアルトを弾こうと決めていた。
TVのバラエティ番組でも使われていた曲だが、僕はこの曲を聞くと春のうららかな午後を感じる。
とっても軽やかな気持ちになって来る。
この時期の柔らかな日差しを浴びているとこの曲を弾きたくなってしまったという訳だ。
そう、文字通り春のうららかな午後、ここは音楽室……みたいな感じで軽いタッチで弾いていた。
ピアノも心地よく僕の奏でたい音を出してくれていた。
こういう空気の中でピアノと会話しながら弾くのは本当に楽しい。
心地よく一曲目を弾き終わった後、楽譜をめくっていたら音楽室の入り口付近で人の気配がした。ひょいと頭を上げて首を回して入り口を見たが、誰も居なかった。
「なんだ気のせいか……」
楽譜に視線を戻したら、譜面台の楽譜をめくっている人の手が目に入った。僕の手ではない。
一瞬僕は息が止まった。誰も居ないと思っていたので驚いた。
そしてゆっくりと自分を落ち着かせるように息を吸い込みながら視線をその指先から肩へと移すと、そこには見知らぬ女子生徒が立っていた。立っていたのがゾンビでなくて良かった……と本気で思った。
髪型はボブで色の白い女の子だった。本当に透き通るような白い肌だった。背丈は宏美と同じくらいだろうか。誰だろう?
スカーフの色で僕と同じ二年生だという事が分かったが、咄嗟に僕は声が出なかった。
その娘(こ)は楽譜をめくる手を止めて僕を見るとニコッと笑って、
「どんな曲があるのか見てみたかったの」
と当たり前のように言った。
僕は黙ったままだった。何を言って良いのか分からなかった……というか状況をまだ理解できていなかった。
――あんた誰?――
こんなひとことさえ出せないでいた。
彼女は僕のそんな態度はお構いなしに楽譜をめくって
「ふ~ん。今日はモーツアルトばっかりやね」
と独り言のように聞いてきた。
「あ、ピアノソナタ 第8番やん。これ弾けるん?」
今度は唐突に昔からの友達に声を掛けるように聞いてきた。
「え? あ、うん」
やっと口を開いたかと思ったら出た言葉がこれだった。もっと他になにか気の利いた台詞でも言えんのか? 自己嫌悪に陥りそうだ。
「やったぁ。第一楽章だけでもええから弾いて……ね」
「え? ああ」
更に自己嫌悪に陥りそうな安易な返事をしてしまい、見ず知らずのこの女の子のリクエストに応える羽目になってしまった。
――この子はこの曲が好きなんだな――
そんな事はどうでもいい。こういう場合他に彼女に何か言う事があるだろう?
僕は結構小心者のどうしようもない奴であることを自覚した。
彼女はピアノの楽譜台から並べていた他の楽譜を持ち去って、そこから一番近い席に座った。
0
お気に入りに追加
52
あなたにおすすめの小説
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない
月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。
人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。
2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事)
。
誰も俺に気付いてはくれない。そう。
2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。
もう、全部どうでもよく感じた。
旦那の真実の愛の相手がやってきた。今まで邪魔をしてしまっていた妻はお祝いにリボンもおつけします
暖夢 由
恋愛
「キュリール様、私カダール様と心から愛し合っておりますの。
いつ子を身ごもってもおかしくはありません。いえ、お腹には既に育っているかもしれません。
子を身ごもってからでは遅いのです。
あんな素晴らしい男性、キュリール様が手放せないのも頷けますが、カダール様のことを想うならどうか潔く身を引いてカダール様の幸せを願ってあげてください」
伯爵家にいきなりやってきた女(ナリッタ)はそういった。
女は小説を読むかのように旦那とのなれそめから今までの話を話した。
妻であるキュリールは彼女の存在を今日まで知らなかった。
だから恥じた。
「こんなにもあの人のことを愛してくださる方がいるのにそれを阻んでいたなんて私はなんて野暮なのかしら。
本当に恥ずかしい…
私は潔く身を引くことにしますわ………」
そう言って女がサインした書類を神殿にもっていくことにする。
「私もあなたたちの真実の愛の前には敵いそうもないもの。
私は急ぎ神殿にこの書類を持っていくわ。
手続きが終わり次第、あの人にあなたの元へ向かうように伝えるわ。
そうだわ、私からお祝いとしていくつか宝石をプレゼントさせて頂きたいの。リボンもお付けしていいかしら。可愛らしいあなたととてもよく合うと思うの」
こうして一つの夫婦の姿が形を変えていく。
---------------------------------------------
※架空のお話です。
※設定が甘い部分があるかと思います。「仕方ないなぁ」とお赦しくださいませ。
※現実世界とは異なりますのでご理解ください。
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。
イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?
すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。
翔馬「俺、チャーハン。」
宏斗「俺もー。」
航平「俺、から揚げつけてー。」
優弥「俺はスープ付き。」
みんなガタイがよく、男前。
ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」
慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。
終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。
ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」
保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。
私は子供と一緒に・・・暮らしてる。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
翔馬「おいおい嘘だろ?」
宏斗「子供・・・いたんだ・・。」
航平「いくつん時の子だよ・・・・。」
優弥「マジか・・・。」
消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。
太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。
「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」
「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」
※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。
※感想やコメントは受け付けることができません。
メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。
楽しんでいただけたら嬉しく思います。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる