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スケッチブック
再現
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まさにリストがシューベルトに対して思いつめたその魂を僕はオヤジの幻影から感じていた。
オヤジはリストの葛藤に触れていた。そしてそれを自分の音にしていた。オヤジにとって作者の魂に触れる事は難しい事では無かったのかもしれない。それほどオヤジは音楽の神に愛されていたのか?
オヤジが後一歩のところでやめて成し得なかった音を僕が受け継げることができるのか?
――選ばれてあることの 恍惚と不安 二つ我にあり―― ポール・ヴェルレーヌ
ふとオヤジが好きなこの詩が頭に浮かんだ。
オヤジはいつもこんな気持ちでピアノに向かっていたのか? 僕は身震いした。
体の奥底から沸き上がってくる意味不明な感情で魂も震える。
僕の中で何かが弾けとんだ。
リビングに戻ると二人に目もくれずにピアノの前に座った。
僕はおもむろに鍵盤蓋を開くと、今さっき頭の中で響いたオヤジの『アヴェマリア』をそのまま弾いた。
まさにオヤジが高校生の時にオフクロの前で弾いたあのピアノの音を、僕は家のリビングで再現するかのように。
頭の中は空っぽだった。兎に角、僕の体の中にあるオヤジの音を全て余すことなく吐き出しておきたかった。
今この瞬間、この世の中に現れてしかるべき音だ。
僕は楽譜も見ずに一気に弾いた。見なくても弾ける。
スキップするように跳ね上がる右手。氷上を優雅にすべるように踊る左手。
右手の表情がどんどん変わる。
左手はあくまでも切なくエレンの願いを代弁している。
右手はそれにこたえるように軽やかにそして優しく応えている。
ああ、なんてバランスで……なんという駆け引きなんだ。
今、僕はオヤジが弾いていた通りにこの曲を弾いている。
オヤジの手首の返しはこんなに優雅なんだと驚いた。
そしてオヤジはこんなにもピアノに……音楽に……そして音楽の神ミューズに愛されていたのかと僕は実感した。
――僕も愛されたい――
今なら、オヤジがどういう気持ちでこれを弾いていたか良く分かる。
オヤジはピアノを通して喜びに満ち溢れながらリストと会話を楽しんでいたんだ。
オフクロはその時間を独占していた。
僕は感じるままに指を鍵盤の上で踊らせていた。
そして最後の音を微かに響かせて、僕はオヤジと同じように至福の余韻に浸った。
それと同時に僕の心の中にオヤジの感情が流れ込んできた。
それはまさに燃え尽きたような恍惚感だった。
オヤジのピアニストとしての魂が震えている。
――オヤジはこの曲で自分の人生を悟ったか?――
そう思えるほどのオヤジの満足感を僕はこの時感じていた。
僕は自分の弾いたピアノに対する満足感とオヤジの感じた充実感の両方を同時に感じていたかもしれない。
さっきまで僕が感じていた全ての思いをこのリビングにさらけ出した気分だった。
ついでに僕は今ここがオフクロと仁美さんが居るリビングである事も思い出した。
我に返るとなんだがバツが悪い。
二人は驚いたような表情で僕を見ていた。
オフクロと目が合った。
オフクロの目は今にも涙が溢れ出そうだったが、必死で零(こぼ)れない様に我慢していた。
そして口から
「この音はあの人の音や」
という言葉をなんとかやっと押し出した。
「え?」
仁美さんが驚いたようにオフクロの顔を見た。僕も何故オフクロの涙の理由が分からずにただ驚くしかなかった。
オフクロは力なく立ち上がり僕の傍まで来ると、僕の肩に両手を置き
「あんたが代わりに逝ったりしないよね」
と聞いてきた?
「え? どこへ?」
「どこへ……って……あ……」
オフクロは我に返ったようにハッとした表情をして
「何でもない。あまりにもお父さんの音と似ていたから驚いたのよ」
と言って瞼を軽く指で拭きながらまたソファーに戻って行った。
オヤジはリストの葛藤に触れていた。そしてそれを自分の音にしていた。オヤジにとって作者の魂に触れる事は難しい事では無かったのかもしれない。それほどオヤジは音楽の神に愛されていたのか?
オヤジが後一歩のところでやめて成し得なかった音を僕が受け継げることができるのか?
――選ばれてあることの 恍惚と不安 二つ我にあり―― ポール・ヴェルレーヌ
ふとオヤジが好きなこの詩が頭に浮かんだ。
オヤジはいつもこんな気持ちでピアノに向かっていたのか? 僕は身震いした。
体の奥底から沸き上がってくる意味不明な感情で魂も震える。
僕の中で何かが弾けとんだ。
リビングに戻ると二人に目もくれずにピアノの前に座った。
僕はおもむろに鍵盤蓋を開くと、今さっき頭の中で響いたオヤジの『アヴェマリア』をそのまま弾いた。
まさにオヤジが高校生の時にオフクロの前で弾いたあのピアノの音を、僕は家のリビングで再現するかのように。
頭の中は空っぽだった。兎に角、僕の体の中にあるオヤジの音を全て余すことなく吐き出しておきたかった。
今この瞬間、この世の中に現れてしかるべき音だ。
僕は楽譜も見ずに一気に弾いた。見なくても弾ける。
スキップするように跳ね上がる右手。氷上を優雅にすべるように踊る左手。
右手の表情がどんどん変わる。
左手はあくまでも切なくエレンの願いを代弁している。
右手はそれにこたえるように軽やかにそして優しく応えている。
ああ、なんてバランスで……なんという駆け引きなんだ。
今、僕はオヤジが弾いていた通りにこの曲を弾いている。
オヤジの手首の返しはこんなに優雅なんだと驚いた。
そしてオヤジはこんなにもピアノに……音楽に……そして音楽の神ミューズに愛されていたのかと僕は実感した。
――僕も愛されたい――
今なら、オヤジがどういう気持ちでこれを弾いていたか良く分かる。
オヤジはピアノを通して喜びに満ち溢れながらリストと会話を楽しんでいたんだ。
オフクロはその時間を独占していた。
僕は感じるままに指を鍵盤の上で踊らせていた。
そして最後の音を微かに響かせて、僕はオヤジと同じように至福の余韻に浸った。
それと同時に僕の心の中にオヤジの感情が流れ込んできた。
それはまさに燃え尽きたような恍惚感だった。
オヤジのピアニストとしての魂が震えている。
――オヤジはこの曲で自分の人生を悟ったか?――
そう思えるほどのオヤジの満足感を僕はこの時感じていた。
僕は自分の弾いたピアノに対する満足感とオヤジの感じた充実感の両方を同時に感じていたかもしれない。
さっきまで僕が感じていた全ての思いをこのリビングにさらけ出した気分だった。
ついでに僕は今ここがオフクロと仁美さんが居るリビングである事も思い出した。
我に返るとなんだがバツが悪い。
二人は驚いたような表情で僕を見ていた。
オフクロと目が合った。
オフクロの目は今にも涙が溢れ出そうだったが、必死で零(こぼ)れない様に我慢していた。
そして口から
「この音はあの人の音や」
という言葉をなんとかやっと押し出した。
「え?」
仁美さんが驚いたようにオフクロの顔を見た。僕も何故オフクロの涙の理由が分からずにただ驚くしかなかった。
オフクロは力なく立ち上がり僕の傍まで来ると、僕の肩に両手を置き
「あんたが代わりに逝ったりしないよね」
と聞いてきた?
「え? どこへ?」
「どこへ……って……あ……」
オフクロは我に返ったようにハッとした表情をして
「何でもない。あまりにもお父さんの音と似ていたから驚いたのよ」
と言って瞼を軽く指で拭きながらまたソファーに戻って行った。
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