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お正月の頃の物語
冴子の憤り
しおりを挟むもしかしてこの前叩きのめした奴らの中に、冴子の親戚か知り合いかが居たのかとも思ったがそうではなさそうだ。それに叩きのめしたのはシゲルだ。僕ではない。
冴子は首を横に振りあきれ果てたような表情をしたかと思うと、一気にまくし立てはじめた。
「分かってへん。あんたなぁ。ホンマに自分がどんだけ恵まれた才能持ってるか分かってへんやろ。うちらが苦労してやっと弾けるようになったフレーズもあんたは苦もなく弾きよる。嫌になるくらい反復練習して体に楽譜を叩き込んで自分の物にした楽曲を、さらっとあんたに弾かれたときの気持ちなんか分からんやろ!」
冴子の剣幕は収まらない。
「あんたのピアノを聞くたびに自分がどんだけ才能がないかを実感させられたわ。やればやるほど更に実感させられる。他の奴らがどんな思いでピアノを弾いていたなんて微塵も考えた事ないやろ。あんたはその才能をちゃんと活かす場所におらなあかんのや。自分の才能に対しての自覚も責任もなんにも感じてないからそんな間抜けなことができるんや!」
冴子は更にまくし立てた。
昔から気の強い女の子だったが、ここまで感情をむき出しにした姿を僕は見たことがなかった。
「どないしたん? 冴子」
宏美が驚いたような顔をして冴子の肩に手を置いた。宏美も冴子の剣幕には驚いた様だ。
「いや、あまりにも亮平に自覚が無いから頭に来ただけや」
冴子は宏美に向かってそう言うと更に話を続けた。
「宏美、あんたなあ、『エリーゼの為に』を習い始めて中間部の二十四小節辺りから結構苦労していたやんか? どう?」
と冴子は聞いた。
唐突に懐かしい事を聞かれた宏美は天井を見上げながら記憶を辿り
「どうって……う~ん。二十四小節かぁ……装飾音符で始まる小節辺りやったよねぇ。確かにトリルぽいのはあれが初めてやったかも……」
と応えた。
「このアホはそれを一度聞いただけでさっさと弾きよったわ。『ほとんど練習もせんとなんで弾けるんや』とか言うてなかった?」
と冴子の勢いは止まらない。
「う~ん。言うたかなぁ……確かに亮ちゃんがピアノでつまずいているところ見た事無いよねぇ」
そんなカビが生えた様な昔の事をよく覚えているものだと、感心しながら僕はこの二人のやり取りを見ていた。
「今なら何でもないとこやけど、あの時は黄バイエルが終わったぐらいの時やんか。なんで一緒に習い始めてあんなんサラッと弾けるのか不思議でしゃぁなかったわ」
冴子の怒りはまだ収まらないようだった。
僕は黙って聞いてた。
――いや、その時はお前らもハノンもやっていたぞぉ――
と心の中で反論はしていたが黙って冴子の言い分を聞いていた。
「ちょっと聞くけど、あんたはいつもどんなつもりでピアノ弾いていたん?」
冴子はひと呼吸おいてから僕に聞いた。
「どんなつもりって?」
と僕は聞き返した。
「なんでピアノ弾いていたんってことや」
「面白いから……」
「面白い?」
「ああ、まるでTVゲームしている感じやん」
「ゲーム?」
冴子と宏美とついでに今まで無言だったシゲルまでもが揃えて声を上げた。
「なんや。三人揃って聞き返さんでもええやろ……まあ、なんていうかロールプレイングゲームとか格闘系のゲームでもええわ……あれをやっているのと同じ感覚やねん」
――何でこの三人に正月早々詰められなければならないんだ?――
「分からん」
冴子はそう言って首を横に振った。
宏美とシゲルは僕と目が合うと同じように首を横に振った。
「いや、だからやな。楽譜が攻略本みたいなもんやねん。その通り弾いたら音が出るやん。曲になるやん。できひん必殺技を攻略本の通りやったら出来た……みたいな感覚というか快感というか……」
「楽譜が攻略本やてぇ?」
今度は宏美が声を上げた。
「うん。五線譜に全部書いているやん。どう弾けばええのか」
「それはそうやけど。初見では分からんわ」
「あんたってそんなに譜読み得意やったっけ?」
冴子が怪訝そうな顔で聞いてきた。
「いや、それほど譜読みは得意やないけど、嫌いなわけでもない」
どちらかと言えば面倒だった。今ならインターネットの動画で確認する事も出来るが、小学生時代は楽譜しか思いつかなかった。だから仕方なく読んでいる内にそれほど苦痛ではなくなったというのが本音だった。
「そうやったけ?」
まだ冴子は納得していないようだった。
「だからぁ、じっくり読みながら弾いていたら分かるやん。それに判らんところは先生に聞いたらええし…… 」
要するに僕は『練習したらピアノは上手くなるのでそれが快感だ』という事を言いたかったのだが、冴子には全く伝わっていなかった。
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