37 / 406
ピアノ
マスターに聞いた
しおりを挟む
「ああ、それで急に悲愴なんか弾いたんや」
とオフクロが納得したように頷いた。
「うん」
「分かり易い子やなぁ」
「まあな。母さんの子供やからな」
「そうかぁ……それはしゃあないな……でもお父さんも『悲愴』をよく弾いていたわ。とっても明るく弾いていたけどね」
オフクロはそう言って笑った。
そして
「私はあんたがピアノをやるのは賛成よ。我が息子がカッコよくなれる瞬間やからね」
と付け加えるように言った。
「そんな理由でピアノなんか弾けるか」
「ええやん、そんな理由で弾いたって。それに伊能先生もあんたには才能があるって言うとったしね。また習いに行けば良いのに。お母さんは賛成よ」
「うん。考えてみる」
僕はそう答えたがその前にオヤジがピアノを辞めた理由の方が気になっていた。
何故かそれを聞いた後に自分の進むべき道も決められるような気がしていた。
「お父さんの辞めた理由は本人から聞きなさい。多分あんたにはちゃんと教えてくれると思うから」
そう言うとオフクロは思い出したように自分の部屋へ鞄を持って入って行った。
「そろそろご飯を作らなくっちゃね」
と言いながら……。
聞いたら教えてくれるとは言われたが、「はいそうですか」とおいそれと聞けるものでもない。
オヤジが怒らないとしても不機嫌な顔になって「知らん」とか言われるのも嫌だった。
オヤジがどんな態度に出るか想像もつかなかった。
結局、週末までその件に関しては悶々とした気持ちで過ごす羽目になった。僕は思った以上に小心者だ。
そして金曜日の夜に僕は安藤さんの店に向かった。
それは意を決してオヤジに直接聞くためではなく、その前にオフクロやオヤジと同級生だった安藤さんなら、何か知っているかもしれないと思いついたからだ。
我ながらなんでこんな事に直ぐに気がつかなかったのだろうと、ちょっと自己嫌悪に陥りそうになった。
しかしカウンターに座り安藤さんを目の前にすると案外聞けないもんだ。
『そんな事は本人に聞け』と間違いなく言われそうな気がしていた。
それでもオヤジに対する好奇心には勝てなかった。
「安藤さん、少し聞いても良いですか?」
僕は思い切って安藤さんに話を切り出した。
「うん?どうした?」
安藤さんはドリップにお湯を注ぎながら僕の方をちらっと見て言った。
「僕の父はピアニストを目指していたとうちの母が教えてくれたんですけど、それって本当ですか?」
僕は思い切ってストレートに聞いた。というよりそれ以外の聞き方を思いつかなかった。
安藤さんは黙ったまま少し考えているようだった。
ドリップのコーヒー豆は綺麗に盛り上がりドームを作り出していた。安藤さんはお湯を注ぐのを止めてそれを黙って見ていた。沈黙がカウンターを支配した。僕がそれに耐え切れなくなる前に安藤さんが口を開いた。
「ユノが言うたんかぁ……まあ、隠すような話でもないしな」
安藤さんはドリップを見つめたまま答えた。思った以上に普通の対応だった。
「ピアノを辞めた理由はよぉ知らんねん。あいつも何も言わんかったからなぁ。だから俺も聞かなんだんや」
そう言うと安藤さんはタバコを取り出して口にくわえた。しばらくそのまま無言で何かを考えているようにも見えたが、おもむろに手元にあった着火マンでタバコに火をつけた。
そしてゆっくりと煙を吐き出すと、安藤さんは語りだした。
「高校三年生の終わりやったなぁ……俺はてっきりユノと同じ芸大に行くもんやと思っとったんやけど違うかった。
だから芸大には落ちたもんだと思ってその事には触れんかった。一平なら絶対に受かると思っとったからな。実際は芸大は受験さえもしていなかったんやけどな……これは後で一平に聞いたんや。
で、春になって俺たちは上京した。大学は皆違ったけど、お互い東京やったからな。一平も芸大ではなく普通の大学に進学したし……それっきりピアノの事は話題にも登らんかった。その次に一平に会ったのは夏休みやったからなぁ。もうそんな話は過去の話になって記憶からも消えていたわ」
オヤジもオフクロも安藤さんもそして鈴原さんも東京の大学に進学した。
大学時代はそれぞれの大学での付き合いもあるので、安藤さんもオヤジとオフクロとは年に何回か会う程度だったようだ。
だからピアノを辞めた理由もはっきりとは聞くことは無かった。
僕は当てが外れて残念だった。やはりオヤジがピアノを辞めた理由は直接本人から聞かねばならないようだ。
安藤さんが居れたての珈琲を僕の目の前に置いた。
僕は珈琲カップを見つめながら
「今日は父さん来えへんのかなぁ」
と安藤さんに救いを求めるような声で聞いた。いや、自分の声がそんな風に聞こえた。
「多分来るやろ。そろそろ来てもええ頃やねんけどな」
安藤さんがそう言い終わるのを待っていたかのように、扉のカウベルが鳴りオヤジが店に入ってきた。
「安ちゃん、腹減った。何か食わせろ。その前にビールくれ」
オヤジはそう言うと僕の頭をぽんと叩いて隣に座った。
座りながら
「お前は飯食うたんか?」
とオヤジは聞いてきたので僕は
「うん、食べてきた」
とひとこと応えた。
「そうか」
とオヤジは頷いた。
とオフクロが納得したように頷いた。
「うん」
「分かり易い子やなぁ」
「まあな。母さんの子供やからな」
「そうかぁ……それはしゃあないな……でもお父さんも『悲愴』をよく弾いていたわ。とっても明るく弾いていたけどね」
オフクロはそう言って笑った。
そして
「私はあんたがピアノをやるのは賛成よ。我が息子がカッコよくなれる瞬間やからね」
と付け加えるように言った。
「そんな理由でピアノなんか弾けるか」
「ええやん、そんな理由で弾いたって。それに伊能先生もあんたには才能があるって言うとったしね。また習いに行けば良いのに。お母さんは賛成よ」
「うん。考えてみる」
僕はそう答えたがその前にオヤジがピアノを辞めた理由の方が気になっていた。
何故かそれを聞いた後に自分の進むべき道も決められるような気がしていた。
「お父さんの辞めた理由は本人から聞きなさい。多分あんたにはちゃんと教えてくれると思うから」
そう言うとオフクロは思い出したように自分の部屋へ鞄を持って入って行った。
「そろそろご飯を作らなくっちゃね」
と言いながら……。
聞いたら教えてくれるとは言われたが、「はいそうですか」とおいそれと聞けるものでもない。
オヤジが怒らないとしても不機嫌な顔になって「知らん」とか言われるのも嫌だった。
オヤジがどんな態度に出るか想像もつかなかった。
結局、週末までその件に関しては悶々とした気持ちで過ごす羽目になった。僕は思った以上に小心者だ。
そして金曜日の夜に僕は安藤さんの店に向かった。
それは意を決してオヤジに直接聞くためではなく、その前にオフクロやオヤジと同級生だった安藤さんなら、何か知っているかもしれないと思いついたからだ。
我ながらなんでこんな事に直ぐに気がつかなかったのだろうと、ちょっと自己嫌悪に陥りそうになった。
しかしカウンターに座り安藤さんを目の前にすると案外聞けないもんだ。
『そんな事は本人に聞け』と間違いなく言われそうな気がしていた。
それでもオヤジに対する好奇心には勝てなかった。
「安藤さん、少し聞いても良いですか?」
僕は思い切って安藤さんに話を切り出した。
「うん?どうした?」
安藤さんはドリップにお湯を注ぎながら僕の方をちらっと見て言った。
「僕の父はピアニストを目指していたとうちの母が教えてくれたんですけど、それって本当ですか?」
僕は思い切ってストレートに聞いた。というよりそれ以外の聞き方を思いつかなかった。
安藤さんは黙ったまま少し考えているようだった。
ドリップのコーヒー豆は綺麗に盛り上がりドームを作り出していた。安藤さんはお湯を注ぐのを止めてそれを黙って見ていた。沈黙がカウンターを支配した。僕がそれに耐え切れなくなる前に安藤さんが口を開いた。
「ユノが言うたんかぁ……まあ、隠すような話でもないしな」
安藤さんはドリップを見つめたまま答えた。思った以上に普通の対応だった。
「ピアノを辞めた理由はよぉ知らんねん。あいつも何も言わんかったからなぁ。だから俺も聞かなんだんや」
そう言うと安藤さんはタバコを取り出して口にくわえた。しばらくそのまま無言で何かを考えているようにも見えたが、おもむろに手元にあった着火マンでタバコに火をつけた。
そしてゆっくりと煙を吐き出すと、安藤さんは語りだした。
「高校三年生の終わりやったなぁ……俺はてっきりユノと同じ芸大に行くもんやと思っとったんやけど違うかった。
だから芸大には落ちたもんだと思ってその事には触れんかった。一平なら絶対に受かると思っとったからな。実際は芸大は受験さえもしていなかったんやけどな……これは後で一平に聞いたんや。
で、春になって俺たちは上京した。大学は皆違ったけど、お互い東京やったからな。一平も芸大ではなく普通の大学に進学したし……それっきりピアノの事は話題にも登らんかった。その次に一平に会ったのは夏休みやったからなぁ。もうそんな話は過去の話になって記憶からも消えていたわ」
オヤジもオフクロも安藤さんもそして鈴原さんも東京の大学に進学した。
大学時代はそれぞれの大学での付き合いもあるので、安藤さんもオヤジとオフクロとは年に何回か会う程度だったようだ。
だからピアノを辞めた理由もはっきりとは聞くことは無かった。
僕は当てが外れて残念だった。やはりオヤジがピアノを辞めた理由は直接本人から聞かねばならないようだ。
安藤さんが居れたての珈琲を僕の目の前に置いた。
僕は珈琲カップを見つめながら
「今日は父さん来えへんのかなぁ」
と安藤さんに救いを求めるような声で聞いた。いや、自分の声がそんな風に聞こえた。
「多分来るやろ。そろそろ来てもええ頃やねんけどな」
安藤さんがそう言い終わるのを待っていたかのように、扉のカウベルが鳴りオヤジが店に入ってきた。
「安ちゃん、腹減った。何か食わせろ。その前にビールくれ」
オヤジはそう言うと僕の頭をぽんと叩いて隣に座った。
座りながら
「お前は飯食うたんか?」
とオヤジは聞いてきたので僕は
「うん、食べてきた」
とひとこと応えた。
「そうか」
とオヤジは頷いた。
0
お気に入りに追加
52
あなたにおすすめの小説
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない
月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。
人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。
2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事)
。
誰も俺に気付いてはくれない。そう。
2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。
もう、全部どうでもよく感じた。
旦那の真実の愛の相手がやってきた。今まで邪魔をしてしまっていた妻はお祝いにリボンもおつけします
暖夢 由
恋愛
「キュリール様、私カダール様と心から愛し合っておりますの。
いつ子を身ごもってもおかしくはありません。いえ、お腹には既に育っているかもしれません。
子を身ごもってからでは遅いのです。
あんな素晴らしい男性、キュリール様が手放せないのも頷けますが、カダール様のことを想うならどうか潔く身を引いてカダール様の幸せを願ってあげてください」
伯爵家にいきなりやってきた女(ナリッタ)はそういった。
女は小説を読むかのように旦那とのなれそめから今までの話を話した。
妻であるキュリールは彼女の存在を今日まで知らなかった。
だから恥じた。
「こんなにもあの人のことを愛してくださる方がいるのにそれを阻んでいたなんて私はなんて野暮なのかしら。
本当に恥ずかしい…
私は潔く身を引くことにしますわ………」
そう言って女がサインした書類を神殿にもっていくことにする。
「私もあなたたちの真実の愛の前には敵いそうもないもの。
私は急ぎ神殿にこの書類を持っていくわ。
手続きが終わり次第、あの人にあなたの元へ向かうように伝えるわ。
そうだわ、私からお祝いとしていくつか宝石をプレゼントさせて頂きたいの。リボンもお付けしていいかしら。可愛らしいあなたととてもよく合うと思うの」
こうして一つの夫婦の姿が形を変えていく。
---------------------------------------------
※架空のお話です。
※設定が甘い部分があるかと思います。「仕方ないなぁ」とお赦しくださいませ。
※現実世界とは異なりますのでご理解ください。
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。
イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?
すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。
翔馬「俺、チャーハン。」
宏斗「俺もー。」
航平「俺、から揚げつけてー。」
優弥「俺はスープ付き。」
みんなガタイがよく、男前。
ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」
慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。
終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。
ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」
保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。
私は子供と一緒に・・・暮らしてる。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
翔馬「おいおい嘘だろ?」
宏斗「子供・・・いたんだ・・。」
航平「いくつん時の子だよ・・・・。」
優弥「マジか・・・。」
消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。
太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。
「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」
「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」
※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。
※感想やコメントは受け付けることができません。
メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。
楽しんでいただけたら嬉しく思います。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる