北野坂パレット

うにおいくら

文字の大きさ
上 下
231 / 406
オーケストラな日常

それは唐突に始まった

しおりを挟む
「俺も一平の言うとおりやと思うな。で、篠崎君やったけ? 君は大学どうすんのや?」
と安藤さんは拓哉に聞いた。

「僕は一応、国公立文系で考えてます」
拓哉は硬い表情で答えた。

「それやったら三年の夏まで部活で頑張れるかぁ?」

「……一応夏の大会までは居ますけど、正直言って部活の事だけを考えるのは無理です。最低でも三年になったら受験勉強中心になると思います。浪人はできませんし……」
と少し考えてから拓哉は答えた。

 安藤さんはそれを聞くと頷いて
「それはその部長も吹部の他の部員も同じやろうな」
と言った。

「多分、似たようなもんだと思います。何人かは本気で全国を目指したいっていう奴もいるとは思いますが、たぶんそれは少数派だと思います」

「だろうなぁ……今年の器楽部ぐらいなもんやろう? 進学校らしくないのは」
と安藤さんは笑いながら言った。

 まさに安藤さんの言う通りだった。
彩音さんと千龍さんの音大志望は周知の事実だったし、冴子、瑞穂、忍の三人も音大志望だったはず。もちろん哲也もそうだ。
うちみたいな進学校でこんなことは通常は有り得ない。

ほとんどが普通の大学に進学する吹部とは、そもそも考え方からして違う。
勿論それは部の雰囲気にも影響する。

「そっかぁ……なんかそれを聞いたら力が抜けました。正直言うとちょっと気にしてましたから……」
と拓哉は安藤さんとオヤジに言った。

「でも器楽部は楽しいです。ここにいる時だけは受験の事が完全に頭から消えてます」

「う~ん。それはそれでダメなような気がするなぁ」
と安藤さんが笑いながら言った。

「そっかぁ」
と拓哉も笑った。


「でも本当に亮平と哲也と一緒に演奏していると楽しいんです。父親と演奏しているような気になれるんで……」
と拓哉は言った。

「ほほぉ、お父さんと一緒に演奏したことがあるんや」
とオヤジが聞いた。

「いえ、それはありませんでした。する前に亡くなったもんで」

「あ、そうか。余計なことを聞いたな。しかし、残念やったなぁ。お父さんも楽しみにしていたやろうに……」

「多分そうやったと思います……僕は一緒にやりたかったです」
と拓哉は答えた。

「ふむ……ところでお父さんの演奏は聞いた事はあるんかな?」

「はい。今でも覚えています」

「そっかぁ……」
そう言うとオヤジは遠くを見るように目を細めて暫く拓哉を見ていた。

「なるほどねえ……」
とひとこと言うとチェイサー代わりのビールを一気に飲み干した。


「お前さぁ。ちょっとそれ貸してみ」
と突然オヤジが僕が拓哉から受け取った楽譜を取り上げて譜面に目を通した。

「え? あ、うん」
僕は突然オヤジが楽譜を読みだしたので驚いた。

「お前らこんなん弾いてたんやなぁ」
と懐かしそうに目を細めながら楽譜を丁寧に読んでいた。

「うん。これは拓哉のお父さんが拓哉と一緒に弾きたいって言っていた曲らしいんやけど」

「そうやろうと思ったわ」
とオヤジは笑った。

「アンちゃん、ベースギターあったよな」

「ああ、あるで。ピアノの横に置いてあるやろ。アンプもそこに入ってるわ」
と言った。
オヤジは立ちあがって引き戸を開けるとエレキベースとアンプを取り出して繋ぎだした。
そのベースギターを見た拓哉が
「それってリッケンバッカーですよね」
とオヤジに聞いた。

「そうや。よう知ってんなぁ」
とオヤジは感心したように答えた。

「はい。ポール・マッカートニーも使ってましたよね。僕も何度が弾いた事あります」

「へえ。そうなんや」
とオヤジはまた感心したように答えた。

「結構癖のあるベースギターですよねぇ」
どうやら拓哉は同じ種類のベースギターを弾いた事があるようだ。

「まあね。ええ音出るけどな」
そう言うとオヤジは弦をはじいた。
重い音が店の中に響いた。その音一つでライブハウスのような空気が漂いだした。

 オヤジはフロアの椅子に座って軽くチューニングをすると
「こんなもんやな」
と、言って拓哉を手招きすると
「じゃあ、これね」
と、ベースギターを手渡した。

「あ、は、はい」
急にベースギターを渡された拓哉は慌てていた。何が起きているのか全く理解できていないようだった。で何か楽しそうな事が起きそうな予感はして、僕はワクワクしながら見ていた。

「アンちゃん、ハーモニカはあったけ?」

「あるけど」

「あ、僕も持ってます」
と拓哉は慌ててカバンからハーモニカを取り出そうとした。

「へえ? そうなんや。持ってんのやぁ」
と驚いたように言うと
「いや、でも今日はベースだけで良いよ。アンちゃん、いけるよな」
と安藤さんにふった。

「ええでぇ。俺が吹くわ」
と言って安藤さんは拓哉が持っているハーモニカと同じメーカーのハーモニカを取り出した。

 オヤジは頷くとピアノを鳴らした。ジャジーな音の粒が店の中を舞った。まさに『PIANO MAN』の始まりだった。僕の音とは違う弾きなれた大人の香がする音だ。

 その時になって僕はやっと気が付いた。今日のオヤジはもう完全に酔っぱらっているという事を。
オヤジは基本的に酒が強いので酔っているのかどうか判り難い。どちらかと言うと酔ってもあまり変わらない。

そしてピアノはほとんどが酔っ払った時にしか弾かない。
今日は早くから鈴原さんと飲んでいたようだ。
兎に角、久しぶりのオヤジのライブだ。僕はどんな音が出てくるのかちょっと楽しみになって来ていた。
しおりを挟む
感想 16

あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない

月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。 人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。 2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事) 。 誰も俺に気付いてはくれない。そう。 2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。 もう、全部どうでもよく感じた。

旦那の真実の愛の相手がやってきた。今まで邪魔をしてしまっていた妻はお祝いにリボンもおつけします

暖夢 由
恋愛
「キュリール様、私カダール様と心から愛し合っておりますの。 いつ子を身ごもってもおかしくはありません。いえ、お腹には既に育っているかもしれません。 子を身ごもってからでは遅いのです。 あんな素晴らしい男性、キュリール様が手放せないのも頷けますが、カダール様のことを想うならどうか潔く身を引いてカダール様の幸せを願ってあげてください」 伯爵家にいきなりやってきた女(ナリッタ)はそういった。 女は小説を読むかのように旦那とのなれそめから今までの話を話した。 妻であるキュリールは彼女の存在を今日まで知らなかった。 だから恥じた。 「こんなにもあの人のことを愛してくださる方がいるのにそれを阻んでいたなんて私はなんて野暮なのかしら。 本当に恥ずかしい… 私は潔く身を引くことにしますわ………」 そう言って女がサインした書類を神殿にもっていくことにする。 「私もあなたたちの真実の愛の前には敵いそうもないもの。 私は急ぎ神殿にこの書類を持っていくわ。 手続きが終わり次第、あの人にあなたの元へ向かうように伝えるわ。 そうだわ、私からお祝いとしていくつか宝石をプレゼントさせて頂きたいの。リボンもお付けしていいかしら。可愛らしいあなたととてもよく合うと思うの」 こうして一つの夫婦の姿が形を変えていく。 --------------------------------------------- ※架空のお話です。 ※設定が甘い部分があるかと思います。「仕方ないなぁ」とお赦しくださいませ。 ※現実世界とは異なりますのでご理解ください。

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

「今日でやめます」

悠里
ライト文芸
ウエブデザイン会社勤務。二十七才。 ある日突然届いた、祖母からのメッセージは。 「もうすぐ死ぬみたい」 ――――幼い頃に過ごした田舎に、戻ることを決めた。

処理中です...