172 / 416
夏休みの部活
宏美と冴子
しおりを挟む
振り向くとそこに冴子と宏美が居た。
「なんや? お前らいつ来たんや?」
「今さっきや」
と冴子は僕を見下ろして言った。
「なんも考えてへんあんたの話はええわ。それよりも哲ちゃんのその心配性な性格治さんと、これからしんどいで」
と僕の横に立ったまま哲也に言った。
「うん。それは分かっとるねんけどな」
「まぁ、これだけは自分で解決せなどうしようもないんやからね」
と冴子はサッサと突き放した。彼女は本当に厳しい。
「うん。分かっとぉ」
と小さい声で哲也は答えた。冴子には哲也も反論する気も失せるようだ。この威圧感はその辺の女子高生には醸し出せないだろうと思う。
僕は一連のやり取りを見ていて哲也が気の毒になった。
瑞穂と冴子に連続で罵られた哲也はさらに落ち込んでいるように見えた。
「ちょっとその辺ぶらついてくるわ」
哲也はそう言って立ち上がると、そのまま音楽室を出て行った。僕は後を追いかけようとも思ったが、立ち上がりもせずにただ後ろ姿を見送った。
彼の痛々しい後ろ姿を見送りながら、彼のスランプは相当重傷である事を感じた。
彼が導き出す旋律は彼が言う程酷い音ではない。いや、どちらかと言えば美しい音色だ。しかし彼はそこのコンクールというフィルターを自ら被せて勝手に悩んでいる。僕には何となくその悩みの理由が分かるような気がしていたが、今彼にかけるべき言葉を僕は知らなかった。
僕は彼に声を掛ける代りに
「冴子、お前、それは言い過ぎやろ」
と冴子を諫めた。
「えぇ!? そんなこと無いわ。これでも気ぃつこうて言うてるで」
と事も無げに答えた。
お前の気を遣うという基準はどこにあるのか小一時間ほど膝を詰めて確認したくなったが、それは言わずにいた。
僕のそんな気持ちはお構いなしに
「ちょうどええわ。亮ちゃん。伴奏してよ」
と言うと冴子は僕に顎でピアノの前に座る様に指示した。
「はぁ? 何を急に?」
僕は思いっきり怪訝な顔をして聞き返した。
「これ、弾いた事あるやろ」
冴子が僕の目の前に突き出した楽譜は『ツィゴイネルワイゼン』だった。
この曲はスペイン生まれのヴァイオリニストであるサラサーテが一八七八年に作曲した曲で、本来は管弦楽伴奏付きのヴァイオリン独奏曲である。伴奏を管弦楽ではなくピアノ伴奏で演奏する場合も多い。
彼女が差し出した楽譜は勿論後者だ。
僕はそれを受け取ると楽譜を一読した。
八分間そこそこの曲だが三部構成に主題が別れている。
「これを今から弾けと?」
僕は冴子を見上げながら聞いた。
「そう。亮ちゃん、この曲まだ覚えているやろ」
冴子がそう言って僕をじっと見た。いつも彼女の目力(めぢから)は強いなとは思っていたが、今日はいつもに増して強い。
思わず視線を外して隣に立っていた宏美を見たが、彼女は硬い表情で僕を見ていた。
――何かあるのか?――
と聞きたくなったが、この場でそれを聞くのは憚られた。
第一、冴子の表情がそれを許さなかった。
この曲は僕がヴァイオリン教室を辞める寸前まで冴子と一緒に演奏していた曲だ。
確か冴子に伴奏を頼まれて弾いてみたものの、冴子自身が納得のいく演奏ができずに終わった曲だった。後半のピチカートが上手く弾けずに冴子は毎日悔しそうな顔でこの曲を練習していたのを僕は思い出した。
僕はそのままヴァイオリン教室通うのを辞めてしまったので、冴子との演奏もそれで終わった。その当時は冴子に散々弾かされた曲だったが、僕ははそれ以降この曲を弾いていない。もちろん冴子とこの曲を一緒に演奏するのはその時以来だ。
「なんや? お前らいつ来たんや?」
「今さっきや」
と冴子は僕を見下ろして言った。
「なんも考えてへんあんたの話はええわ。それよりも哲ちゃんのその心配性な性格治さんと、これからしんどいで」
と僕の横に立ったまま哲也に言った。
「うん。それは分かっとるねんけどな」
「まぁ、これだけは自分で解決せなどうしようもないんやからね」
と冴子はサッサと突き放した。彼女は本当に厳しい。
「うん。分かっとぉ」
と小さい声で哲也は答えた。冴子には哲也も反論する気も失せるようだ。この威圧感はその辺の女子高生には醸し出せないだろうと思う。
僕は一連のやり取りを見ていて哲也が気の毒になった。
瑞穂と冴子に連続で罵られた哲也はさらに落ち込んでいるように見えた。
「ちょっとその辺ぶらついてくるわ」
哲也はそう言って立ち上がると、そのまま音楽室を出て行った。僕は後を追いかけようとも思ったが、立ち上がりもせずにただ後ろ姿を見送った。
彼の痛々しい後ろ姿を見送りながら、彼のスランプは相当重傷である事を感じた。
彼が導き出す旋律は彼が言う程酷い音ではない。いや、どちらかと言えば美しい音色だ。しかし彼はそこのコンクールというフィルターを自ら被せて勝手に悩んでいる。僕には何となくその悩みの理由が分かるような気がしていたが、今彼にかけるべき言葉を僕は知らなかった。
僕は彼に声を掛ける代りに
「冴子、お前、それは言い過ぎやろ」
と冴子を諫めた。
「えぇ!? そんなこと無いわ。これでも気ぃつこうて言うてるで」
と事も無げに答えた。
お前の気を遣うという基準はどこにあるのか小一時間ほど膝を詰めて確認したくなったが、それは言わずにいた。
僕のそんな気持ちはお構いなしに
「ちょうどええわ。亮ちゃん。伴奏してよ」
と言うと冴子は僕に顎でピアノの前に座る様に指示した。
「はぁ? 何を急に?」
僕は思いっきり怪訝な顔をして聞き返した。
「これ、弾いた事あるやろ」
冴子が僕の目の前に突き出した楽譜は『ツィゴイネルワイゼン』だった。
この曲はスペイン生まれのヴァイオリニストであるサラサーテが一八七八年に作曲した曲で、本来は管弦楽伴奏付きのヴァイオリン独奏曲である。伴奏を管弦楽ではなくピアノ伴奏で演奏する場合も多い。
彼女が差し出した楽譜は勿論後者だ。
僕はそれを受け取ると楽譜を一読した。
八分間そこそこの曲だが三部構成に主題が別れている。
「これを今から弾けと?」
僕は冴子を見上げながら聞いた。
「そう。亮ちゃん、この曲まだ覚えているやろ」
冴子がそう言って僕をじっと見た。いつも彼女の目力(めぢから)は強いなとは思っていたが、今日はいつもに増して強い。
思わず視線を外して隣に立っていた宏美を見たが、彼女は硬い表情で僕を見ていた。
――何かあるのか?――
と聞きたくなったが、この場でそれを聞くのは憚られた。
第一、冴子の表情がそれを許さなかった。
この曲は僕がヴァイオリン教室を辞める寸前まで冴子と一緒に演奏していた曲だ。
確か冴子に伴奏を頼まれて弾いてみたものの、冴子自身が納得のいく演奏ができずに終わった曲だった。後半のピチカートが上手く弾けずに冴子は毎日悔しそうな顔でこの曲を練習していたのを僕は思い出した。
僕はそのままヴァイオリン教室通うのを辞めてしまったので、冴子との演奏もそれで終わった。その当時は冴子に散々弾かされた曲だったが、僕ははそれ以降この曲を弾いていない。もちろん冴子とこの曲を一緒に演奏するのはその時以来だ。
0
お気に入りに追加
54
あなたにおすすめの小説

冤罪をかけられた上に婚約破棄されたので、こんな国出て行ってやります
真理亜
恋愛
「そうですか。では出て行きます」
婚約者である王太子のイーサンから謝罪を要求され、従わないなら国外追放だと脅された公爵令嬢のアイリスは、平然とこう言い放った。
そもそもが冤罪を着せられた上、婚約破棄までされた相手に敬意を表す必要など無いし、そんな王太子が治める国に未練などなかったからだ。
脅しが空振りに終わったイーサンは狼狽えるが、最早後の祭りだった。なんと娘可愛さに公爵自身もまた爵位を返上して国を出ると言い出したのだ。
王国のTOPに位置する公爵家が無くなるなどあってはならないことだ。イーサンは慌てて引き止めるがもう遅かった。

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?
冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。
オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。
だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。
その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・
「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」
「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」
夫から「用済み」と言われ追い出されましたけれども
神々廻
恋愛
2人でいつも通り朝食をとっていたら、「お前はもう用済みだ。門の前に最低限の荷物をまとめさせた。朝食をとったら出ていけ」
と言われてしまいました。夫とは恋愛結婚だと思っていたのですが違ったようです。
大人しく出ていきますが、後悔しないで下さいね。
文字数が少ないのでサクッと読めます。お気に入り登録、コメントください!
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。

【完結】私、殺されちゃったの? 婚約者に懸想した王女に殺された侯爵令嬢は巻き戻った世界で殺されないように策を練る
金峯蓮華
恋愛
侯爵令嬢のベルティーユは婚約者に懸想した王女に嫌がらせをされたあげく殺された。
ちょっと待ってよ。なんで私が殺されなきゃならないの?
お父様、ジェフリー様、私は死にたくないから婚約を解消してって言ったよね。
ジェフリー様、必ず守るから少し待ってほしいって言ったよね。
少し待っている間に殺されちゃったじゃないの。
どうしてくれるのよ。
ちょっと神様! やり直させなさいよ! 何で私が殺されなきゃならないのよ!
腹立つわ〜。
舞台は独自の世界です。
ご都合主義です。
緩いお話なので気楽にお読みいただけると嬉しいです。
里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます
結城芙由奈@コミカライズ発売中
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります>
政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・?
※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています
子持ちの私は、夫に駆け落ちされました
月山 歩
恋愛
産まれたばかりの赤子を抱いた私は、砦に働きに行ったきり、帰って来ない夫を心配して、鍛錬場を訪れた。すると、夫の上司は夫が仕事中に駆け落ちしていなくなったことを教えてくれた。食べる物がなく、フラフラだった私は、その場で意識を失った。赤子を抱いた私を気の毒に思った公爵家でお世話になることに。

〖完結〗愛人が離婚しろと乗り込んで来たのですが、私達はもう離婚していますよ?
藍川みいな
恋愛
「ライナス様と離婚して、とっととこの邸から出て行ってよっ!」
愛人が乗り込んで来たのは、これで何人目でしょう?
私はもう離婚していますし、この邸はお父様のものですから、決してライナス様のものにはなりません。
離婚の理由は、ライナス様が私を一度も抱くことがなかったからなのですが、不能だと思っていたライナス様は愛人を何人も作っていました。
そして親友だと思っていたマリーまで、ライナス様の愛人でした。
愛人を何人も作っていたくせに、やり直したいとか……頭がおかしいのですか?
設定ゆるゆるの、架空の世界のお話です。
全8話で完結になります。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる