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第2章 幼年編
137 送り火
しおりを挟む夏合宿3日めのことだ。
レベッカ寮長から個人的なことと言って、お願いをされた。
「悪いんだけど、アレク君も午後から私のお祖母ちゃん家についてきてくれないかしら?」
「えっ?」
「あのね‥お祖母ちゃん、ヴィンサンダー領出身なのよ。
実はね‥もうあんまり‥長くないのよね‥
女神さまがお迎えに来るのも時間の問題なの。
だからね‥せっかくの機会だから生まれ故郷のヴィンサンダーの話とかをアレク君からしてもらえたら嬉しいかなって‥
アレク君には迷惑でしかないんだけど‥」
びっくりした。
あのレベッカ寮長が。
あのおねぇおっさんのようなレベッカ寮長が、泣き笑いのような顔で話したことに。
見ればガチムチの大きな身体も微かに震えている。
あのレベッカ寮長が小さく見えた。
胸がつまった。
「はい。ぜひ俺も連れてってください」
寮長の祖父母の家は海を望める丘の上にあった。
寮長のお祖母さんはヴィンサンダー領出身だという。
お祖母さんが若いころ、まだ賑やかなこの漁村の教会で子どもたちを教えていたんだそうだ。
レベッカ寮長のあとをついてお祖母さんの部屋にお邪魔をした。
病いに倒れてからは、近所の方がお祖母さんの面倒を見てくれているそうだ。
海風が涼やかに流れる部屋のベッド。
傾きかけた西陽が差し込める。
お祖母さんの顔色はたしかに生気に乏しく見えた。
「お祖母ちゃん、ヴィンサンダー領の子も遊びに来てくれたのよ」
「まあ、ヴィンサンダー領からかい。いらっしゃい坊や。遠くから来てくれたんだねぇ」
「いえ。ここに来るのを楽しみにしていました。
お祖母さんの知ってるヴィンサンダー領の話を聞かせてください」
微笑んだお祖母さんが窓からの景色を眺めながら、ゆっくりと話をしてくれた。
「荒れた、何も無い土地だったわ。あんまり荒れ過ぎてて魔獣でさえいなかったのよ」
傾きかけた陽が眩しく当たらないよう、俺はお祖母さんの前に膝立ちで見舞った。
遠くを見るような目をしてお祖母さんは話し続けた。
「耕しても耕しても小さな芋しか採れなかったの。
それでもね、そんな小芋でさえ贅沢なものでね。教会のバザーの日くらいにしかたくさん食べられなかったわ。
バザーの日、その日は花火も上がってね。お腹いっぱい食べられるお芋が美味しかったのよね‥」
「お婆ちゃん、元気になったら一緒にヴィンサンダーに行きましょうよ」
「ええ、ええ」
明るく頷くレベッカ寮長の瞳が潤んだいた。
「いいお話をありがとうございます。お祖母さん、春になったら、寮長とヴィンサンダーに来てください。俺、案内します」
「ええ、坊やありがとうね」
たくさんお話をされて、お祖母さんは疲れたように見えた。
レベッカ寮長に軽く頷き、俺は部屋を離れた。
「アレク君、ありがとうね。、お兄ちゃん、あんなんでしょ。
だから小さなころはよく揶揄われたり、虐められたのよ。
それでもお祖母ちゃんはいつもお兄ちゃんの味方だったの。
週に一度は魚をヴィンランドまで持ってきてくれてね。
だから、お兄ちゃんは毎週末を楽しみに頑張ってたの‥」
「ナタリー寮長、お願いがあります」
「何?」
「俺、今から一度ヴィンランドに戻っていいですか?」
「えっ?なぜ?」
「できたばかりのサンデー商会にヴィンサンダー領の、俺の村の芋が売ってるんです。
お、俺、お、お祖母さんにヴィンサンダーのい、芋を食べてもらいたい。
俺、突貫のスキルがあるから今から行ってすぐに戻ってこれます。
お、お祖母さんに粉芋を、ヴィンサンダーのい、芋を食べてもらいたいんです‥」
話すうちに。
頬に涙が溢れて仕方がなかった。
お祖母さんとレベッカ寮長は‥‥俺とタマ、俺と厩のマシュー爺だ‥‥。
「わかったわ」
「でも、レベッカ寮長には絶対内緒にしてください。寮長は反対しますから」
「‥ええ。アレク君‥お願いできる?」
「はい。本当にすぐに行って帰ってこれますから」
「じゃあシルフィ行くよ」
「ええ、アレクが転けるくらいに、後ろから風を起こしてあげるわ」
「はは。頼むよ。ブースト」
ぶわーーーっ
一気に流れる景色。突貫に風の精霊シルフィの加護を加えた精霊魔法で。
速く速く、疾走する馬よりも速く、俺はヴィンランドまで駆け抜けた。
闇がおりる前に戻った。
「ナタリー寮長、これをお願いします」
「えっ?!もう行ってこれたの!」
「は、はい」
俺は粉芋をナタリー寮長に手渡した。
「これって‥アレク君のアレク袋の‥」
「あはは。お湯を注ぐだけで柔らか芋になります」
「アレク君‥本当に、本当にありがとう」
俺はオープンしたてのサンデー商会で粉芋を手に入れて一気に戻った。粉芋は病いの人にもいいはずだ。
「お祖母ちゃん、はい、コレ食べてみて」
「ヴィンサンダーの芋よ」
「ああレベッカちゃん。美味しいわ。ヴィンサンダーの芋ね」
「さっきのアレク君が持ってきてくれたのよ」
口あたりもやさしい粉芋を、お祖母さんは二口三口と食べてくれたそうだ。
「懐かしいヴィンサンダーの味ね‥」
お祖母さんの死期が迫る。
「レベッカちゃんはレベッカちゃんよ。あなたはこれからも自分らしく生きなさい‥」
「ううっ‥お祖母ちゃん‥」
レベッカ寮長の涙は止まらなく流れ続けたそうだ。
俺は丘の上に建つお祖母さんの家を離れ、海辺の海岸へと歩く。
もうひとつだけ、俺ができることがある。
海辺の岩場にサラマンダーがいた。
「サラマンダー、今から俺が打ち上げる花火を手伝ってくれるかい?」
「ギャッギャッ。ヒューマンかい、珍しいな。ここで花火が上がるのは久しぶりだな。ここには昔、ドワーフも大勢いたんだぜ。ヨーシ、任せとけ!ギャッギヤッ」
ヒュードーン ドーン ドーン
海辺から大きな花火が上がった。
「お婆ちゃん、見て!花火よ」
「本当。ああ綺麗ね。ああ、もうすぐバザーが始まるのね‥」
その夜。
レベッカ寮長はお祖母さんと手を繋いで眠ったそうだ。
翌朝。
お祖母さんは微笑みを浮かべたまま静かに旅立った。
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