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優しさに包まれたならきっと
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野上健翔は柿村中学校の2年生。身長180cm、体重80kgと中学生とは思えないほどの体格。いつもは大人しいが、気に障ることがあると一気に爆発する。そうなると教師にも手が負えず、ただただ興奮が収まるのを待つしか手はない。いつはじけるか分からないことから、同級生からはバブルジャイアンと呼ばれている。
そんな健翔は小さな子には優しく、公園で小学生たちと野球をする姿が、よく見かけられている。そしてもしその子たちがいじめられたら、我先にと仕返しにいく。
まさに親分肌の一面を見せる。昔よくいたガキ大将だ。
「6月に職場体験やるぞ」
「やった~」
教室内は生徒たちの喜びの声であふれた。柿村中伝統の職場体験が、今年も行われる。
「明日、働き場所の希望場所を聞くから考えとけ」
終わるとあちこちで話の輪が出来ていて、みんなどこにしようかと迷ってる。
「おいどうする?パン屋にしようかと思ってるんだけど」
「俺は消防署かな。かっこいいしマジ消防士になりたい」
みんな楽しそうだが、健翔は独りぼっちで椅子に座っている。やはりカッとする彼の性格を避けてか、誰も近づこうとしない。というよりも健翔も人とつるむのは好まない。
「父ちゃん、俺どこにしようか?」
健翔が、父親に職場体験先を相談している。
「お前の好きにしろ?」
「だからさあ、別に希望ないから」
父は会話もそこそこに勤め先に出かけていった。父は居酒屋で深夜まで働いているので、いつも健翔が7歳の妹と5歳の弟の面倒をみている。両親が2年前に離婚し健翔が母親代わりをしている。
『そんなのどこでもいいか』
健翔は兄弟に夕食を食べさせると、そこからは3人だけでの夜の生活がスタートする。
「お~い野上、希望アンケートに働き場所が書いてないじゃないか」
希望を書いてないのは健翔だけだ。担任が健翔に改めて聞き直すが、
「どこでもいい。どうせ希望ないから」
と答えられて、担任も困り果ててしまう。
「本当にどこでもいいんだな。じゃあこちらの方で入れとくぞ」
本来はありえないことだが、担任が希望者がない事業所から訪問先を決めまてしまった。
職場体験1日目。健翔は〝スイートピー〟という老人福祉施設にいた。そもそも働く気など微塵もなかった健翔にとって、この際どこでもよかった。
朝8時30分から、全体ミーティーングが始まった。
「では朝礼を始めます。おはようございます。今日から3日間、中学2年生の中嶋健翔君が職場体験に参加します。いろいろ教えてあげてください。では中嶋君のあいさつです」
『そんなこと聞いてない。急に言われても困る』
「・・・・・」
健翔は固まってしまった。そもそも健翔は人前で話した経験がこれまで1度もない。
「緊張してるんだよね、まあいいでしょう。では船本さん、中嶋君の指導お願いします」
船本は年の頃なら40過ぎの女性で、この道20年以上のベテランだ。
「中嶋君、よろしくね。ところでどうしてここを選んだの?」
そもそもどこでもよかった健翔は、馬鹿正直に答えてしまう。
「俺、どこでもよかったっす。ここじゃなくても」
「あっそ。まあいいわ。でもやるからにはがんばってもらわないと。私も一生懸命教えるからね」
『ああ、面倒っちい』
はっきりいって健翔にはありがた迷惑で、適当に時間を費やしてくれた方が、ラッキーとすら感じている。
「じゃあまず始めに各部屋を見て回りましょう。利用者さんにも会ってもらいたいし」
2人で所内を順々に回っていった。そこでは1人で歩いてる人もいるが、職員に手をもってもらい歩いている人、車椅子で移動している人など、健翔が想像していた施設の様子そのものだった。ただ利用者の多くの顔つきを見て違和感を感じた健翔は、その疑問を舟木にぶつけてみた。
「ちょっといいですか?何か、みんなどこ見てるか分かんないっていうか、ぼ~としてるっていうか?」
「あら気づいたのね。実は・・・」
船本によると、ここは重度の介護者が多い施設なので、表情が乏しく感じるのも無理はなさそうだ。
途中食堂に寄った。そこには多くの利用者たちが、楽しそうにゲームをしていた。その笑顔を見たとたん、健翔も不思議と落ち着いてきた。ところが。
「コラッ取るな、それは俺のだぞ」
食堂を出ようとしたとき、急な大声がしたので健翔が振り返った。どうやら利用者同士のケンカのようだ。
それでも船本が動じないのは、ここでは日常茶飯事だからなのかも知れない。
さらに進んでいき、一番奥の個室の前で立ち止まった。
「ここのおばあちゃん、部屋から一歩も出ないの。いつも独りぼっち」
樋口タエと名札がかかった部屋では、白髪の老女がベッドで編み物をしていた。
「タエさん、外はいい天気だよ。散歩にでも出てみない?」
答えようとはせず、それどころか何かに取り憑かれたように編み続けている。
「いいのよ、いつものことだから。誰とも話しないし。これまでタエさんに面会に来た人は1回もないのよ。どうやら身寄りがいないみたい」
そこまで言うと、次の部屋に移っていった。
そのときから、健翔はどうしてもタエのことが頭から離れなくなってしまった。
午前中は所内のそうじ、昼食の補助、午後はゲーム遊びとフル回転。若い健翔にも疲れが出たのは、これまでの学校生活で真面目に体を動かしてこなかったからだ。
「どうだった?1日目が終わって」
「別に変わらないっす」
「相変わらず中嶋君らしいね。明日も、じゃあさようなら」
最後のあいさつを終えると、船木は急ぐように利用者の所に戻っていった。
何せこれからは緊張する夜が始まろうとしている。徘徊する人に目を光らせなければならない時間だ。
2日目、健翔は寝坊し、遅刻してしまった。慌てて自転車を飛ばしてきたが、30分も遅れてしまった。
「中嶋君、遅刻はダメ。私たちは利用者さんの命を預かってるの。目を離すと大変なことにつながるかも知れないのを意識してね。いつも緊張感をもって」
大きな声を出すこともなく、船木は健翔に真摯に諭した。さすがにこれではまずいと感じたのか、昨日のツッパリ感がすっかり陰を潜めてしまっていた。
「さあやるわよ。午前中は?」
「そうじ!」
「そう、じゃあすぐ行動」
健翔は失敗を取り戻すかのように懸命に汗を流した。
午前10時からは20分間の休みがある。健翔には、どうしても行きたいところがあった。それはタエの部屋だった。
そっと部屋を覗くと、今日も編み物をしていた。
「こんにちは、中嶋と言います。タエさんは何でみんなと一緒にいないのですか?」
当然反応なんてあるはずはないが、健翔はそのまま続けた。
「僕もいつも1人で、みんな僕を避けます。それって僕に原因があるからですか?本当は僕だって友だちほしんいんです。でもいつも1人で・・・・・」
健翔の声に涙が混じってきました。
「だから教えてほしいんです。タエさんは何で1人がいいんですか?」
あっという間に15分が経った。
「時間だから行きますが、いつか答えを聞かせてください」
健翔は2日目で要領を得たのか、仕事もテキパキ出来るようになっていた。
その日の反省会で、船本からうれしい言葉があった。
「お疲れ様、中嶋君。だいぶん慣れてきたね。そういえば利用者さんが中嶋君が来てから、所が明るくなったって喜んでいたわよ」
健翔にとっておそらく人生初のほめ言葉だ。今まで健翔への言葉といえば〝いつもけんか腰か?〟〝また先生に叱られてる〟〝睨みつけてるみたい、キモい〟など、健翔の本質とはおおよそかけ離れたイメージだけが語られてきていた。それが。
「そうそうタエさんが用あるみたい。明日の休憩時間にでも、部屋に顔出してみて」
「えっ本当っすか。よっしゃ」
なぜか健翔は、そのひと言を待っていた。
「よかったね。でも〝っす〟て言う話し方は、社会では通用しないから気をつけて」
「分かったっす。あっじゃなく、分かりました」
自分が頼りにされてたことが、よっぽどうれしかった。帰りのあいさつは昨日の数倍もの大きな声でするほどの変化が見えてきた。
「健ちゃん、明日も待ってるよ」
帰り際、利用者が手を振って送ってくれたのを目の当たりにして、健翔は心に光が差し込んできたように感じた。
いよいよ3日目。今朝は遅れないどころか、30分も前に着いていしまった。
「中嶋君、早いね。最終日よろしくね」
自分が必要とされているこの場所に、彼の居場所が確かにある。そして何よりもタエに会いたい気持ちが彼を無性に突き上げてくる。
日中の仕事をそつなくこなしていく。特に昼食補助はもうお手の物で、利用者にに寄り添い、かいがいしくスプーンでご飯を口に運んでいった。
「あ~ん、どうですか?おいしいですか?」
その接し方は、まさに十年選手のようだ。こうなると利用者からも健翔の取り合い状態となる。
「健ちゃん、次はこっちよ」
その様子は、まるでアイドルの握手会なみ。健翔は時間が過ぎていくのも忘れて仕事を続け、ついに終了時刻が近づいてきた。
「そうそう中嶋君、タエさんとこ行かなくていいの?」
「あっそうだった。行かなくちゃ」
あわててタエの部屋に向かった。
「タエさん来ました。僕に用があるって聞いたんで」
やはりタエは声を出さないが、こちらにと手招きしてくれている。誘われるままに近づいていくと、タエが毛糸で手編みの巾着袋を渡してきた。そして渡すとき、そっと健翔の拳を自分の手で包み込み、ギュッと力を入れてきた。
健翔はふと心にまで染み入る温もりを感じた。
「ありがとうばあちゃん。大事にするよ」
それでもつなぎ続けようとするタエの手をそっと離し、
「今日で僕は終わり。またいつか来るね。そのときまで」
とだけ言い残し、部屋を去って行った。
「どうだだった?もういいの?」
船本が心配して、部屋の外で待っていてくれた。
「いや別にいいっす。じゃなくて、いいです」
健翔は、たとえ短い会話の中であったが、十分に満足感を味わった気分だった。
「了解、では職場体験はここで終了です。少しでもこの世界に興味が出たら、次は同僚でね」
「中嶋さんありがとうございました。この3日間で自分を見つられたようです」
帰宅の途中、ふと巾着袋を見ると表面に「顔張れ」と刺繍が。そして中には、タエからのメモが入っていた。そこにはきれいな文字で、健翔が投げかけた問いへの答えがつづられていた。
自分を信じなさい そして自分をほめてあげなさい
健翔には、自分が歩むべく道がはっきりと見えてきた。
そんな健翔は小さな子には優しく、公園で小学生たちと野球をする姿が、よく見かけられている。そしてもしその子たちがいじめられたら、我先にと仕返しにいく。
まさに親分肌の一面を見せる。昔よくいたガキ大将だ。
「6月に職場体験やるぞ」
「やった~」
教室内は生徒たちの喜びの声であふれた。柿村中伝統の職場体験が、今年も行われる。
「明日、働き場所の希望場所を聞くから考えとけ」
終わるとあちこちで話の輪が出来ていて、みんなどこにしようかと迷ってる。
「おいどうする?パン屋にしようかと思ってるんだけど」
「俺は消防署かな。かっこいいしマジ消防士になりたい」
みんな楽しそうだが、健翔は独りぼっちで椅子に座っている。やはりカッとする彼の性格を避けてか、誰も近づこうとしない。というよりも健翔も人とつるむのは好まない。
「父ちゃん、俺どこにしようか?」
健翔が、父親に職場体験先を相談している。
「お前の好きにしろ?」
「だからさあ、別に希望ないから」
父は会話もそこそこに勤め先に出かけていった。父は居酒屋で深夜まで働いているので、いつも健翔が7歳の妹と5歳の弟の面倒をみている。両親が2年前に離婚し健翔が母親代わりをしている。
『そんなのどこでもいいか』
健翔は兄弟に夕食を食べさせると、そこからは3人だけでの夜の生活がスタートする。
「お~い野上、希望アンケートに働き場所が書いてないじゃないか」
希望を書いてないのは健翔だけだ。担任が健翔に改めて聞き直すが、
「どこでもいい。どうせ希望ないから」
と答えられて、担任も困り果ててしまう。
「本当にどこでもいいんだな。じゃあこちらの方で入れとくぞ」
本来はありえないことだが、担任が希望者がない事業所から訪問先を決めまてしまった。
職場体験1日目。健翔は〝スイートピー〟という老人福祉施設にいた。そもそも働く気など微塵もなかった健翔にとって、この際どこでもよかった。
朝8時30分から、全体ミーティーングが始まった。
「では朝礼を始めます。おはようございます。今日から3日間、中学2年生の中嶋健翔君が職場体験に参加します。いろいろ教えてあげてください。では中嶋君のあいさつです」
『そんなこと聞いてない。急に言われても困る』
「・・・・・」
健翔は固まってしまった。そもそも健翔は人前で話した経験がこれまで1度もない。
「緊張してるんだよね、まあいいでしょう。では船本さん、中嶋君の指導お願いします」
船本は年の頃なら40過ぎの女性で、この道20年以上のベテランだ。
「中嶋君、よろしくね。ところでどうしてここを選んだの?」
そもそもどこでもよかった健翔は、馬鹿正直に答えてしまう。
「俺、どこでもよかったっす。ここじゃなくても」
「あっそ。まあいいわ。でもやるからにはがんばってもらわないと。私も一生懸命教えるからね」
『ああ、面倒っちい』
はっきりいって健翔にはありがた迷惑で、適当に時間を費やしてくれた方が、ラッキーとすら感じている。
「じゃあまず始めに各部屋を見て回りましょう。利用者さんにも会ってもらいたいし」
2人で所内を順々に回っていった。そこでは1人で歩いてる人もいるが、職員に手をもってもらい歩いている人、車椅子で移動している人など、健翔が想像していた施設の様子そのものだった。ただ利用者の多くの顔つきを見て違和感を感じた健翔は、その疑問を舟木にぶつけてみた。
「ちょっといいですか?何か、みんなどこ見てるか分かんないっていうか、ぼ~としてるっていうか?」
「あら気づいたのね。実は・・・」
船本によると、ここは重度の介護者が多い施設なので、表情が乏しく感じるのも無理はなさそうだ。
途中食堂に寄った。そこには多くの利用者たちが、楽しそうにゲームをしていた。その笑顔を見たとたん、健翔も不思議と落ち着いてきた。ところが。
「コラッ取るな、それは俺のだぞ」
食堂を出ようとしたとき、急な大声がしたので健翔が振り返った。どうやら利用者同士のケンカのようだ。
それでも船本が動じないのは、ここでは日常茶飯事だからなのかも知れない。
さらに進んでいき、一番奥の個室の前で立ち止まった。
「ここのおばあちゃん、部屋から一歩も出ないの。いつも独りぼっち」
樋口タエと名札がかかった部屋では、白髪の老女がベッドで編み物をしていた。
「タエさん、外はいい天気だよ。散歩にでも出てみない?」
答えようとはせず、それどころか何かに取り憑かれたように編み続けている。
「いいのよ、いつものことだから。誰とも話しないし。これまでタエさんに面会に来た人は1回もないのよ。どうやら身寄りがいないみたい」
そこまで言うと、次の部屋に移っていった。
そのときから、健翔はどうしてもタエのことが頭から離れなくなってしまった。
午前中は所内のそうじ、昼食の補助、午後はゲーム遊びとフル回転。若い健翔にも疲れが出たのは、これまでの学校生活で真面目に体を動かしてこなかったからだ。
「どうだった?1日目が終わって」
「別に変わらないっす」
「相変わらず中嶋君らしいね。明日も、じゃあさようなら」
最後のあいさつを終えると、船木は急ぐように利用者の所に戻っていった。
何せこれからは緊張する夜が始まろうとしている。徘徊する人に目を光らせなければならない時間だ。
2日目、健翔は寝坊し、遅刻してしまった。慌てて自転車を飛ばしてきたが、30分も遅れてしまった。
「中嶋君、遅刻はダメ。私たちは利用者さんの命を預かってるの。目を離すと大変なことにつながるかも知れないのを意識してね。いつも緊張感をもって」
大きな声を出すこともなく、船木は健翔に真摯に諭した。さすがにこれではまずいと感じたのか、昨日のツッパリ感がすっかり陰を潜めてしまっていた。
「さあやるわよ。午前中は?」
「そうじ!」
「そう、じゃあすぐ行動」
健翔は失敗を取り戻すかのように懸命に汗を流した。
午前10時からは20分間の休みがある。健翔には、どうしても行きたいところがあった。それはタエの部屋だった。
そっと部屋を覗くと、今日も編み物をしていた。
「こんにちは、中嶋と言います。タエさんは何でみんなと一緒にいないのですか?」
当然反応なんてあるはずはないが、健翔はそのまま続けた。
「僕もいつも1人で、みんな僕を避けます。それって僕に原因があるからですか?本当は僕だって友だちほしんいんです。でもいつも1人で・・・・・」
健翔の声に涙が混じってきました。
「だから教えてほしいんです。タエさんは何で1人がいいんですか?」
あっという間に15分が経った。
「時間だから行きますが、いつか答えを聞かせてください」
健翔は2日目で要領を得たのか、仕事もテキパキ出来るようになっていた。
その日の反省会で、船本からうれしい言葉があった。
「お疲れ様、中嶋君。だいぶん慣れてきたね。そういえば利用者さんが中嶋君が来てから、所が明るくなったって喜んでいたわよ」
健翔にとっておそらく人生初のほめ言葉だ。今まで健翔への言葉といえば〝いつもけんか腰か?〟〝また先生に叱られてる〟〝睨みつけてるみたい、キモい〟など、健翔の本質とはおおよそかけ離れたイメージだけが語られてきていた。それが。
「そうそうタエさんが用あるみたい。明日の休憩時間にでも、部屋に顔出してみて」
「えっ本当っすか。よっしゃ」
なぜか健翔は、そのひと言を待っていた。
「よかったね。でも〝っす〟て言う話し方は、社会では通用しないから気をつけて」
「分かったっす。あっじゃなく、分かりました」
自分が頼りにされてたことが、よっぽどうれしかった。帰りのあいさつは昨日の数倍もの大きな声でするほどの変化が見えてきた。
「健ちゃん、明日も待ってるよ」
帰り際、利用者が手を振って送ってくれたのを目の当たりにして、健翔は心に光が差し込んできたように感じた。
いよいよ3日目。今朝は遅れないどころか、30分も前に着いていしまった。
「中嶋君、早いね。最終日よろしくね」
自分が必要とされているこの場所に、彼の居場所が確かにある。そして何よりもタエに会いたい気持ちが彼を無性に突き上げてくる。
日中の仕事をそつなくこなしていく。特に昼食補助はもうお手の物で、利用者にに寄り添い、かいがいしくスプーンでご飯を口に運んでいった。
「あ~ん、どうですか?おいしいですか?」
その接し方は、まさに十年選手のようだ。こうなると利用者からも健翔の取り合い状態となる。
「健ちゃん、次はこっちよ」
その様子は、まるでアイドルの握手会なみ。健翔は時間が過ぎていくのも忘れて仕事を続け、ついに終了時刻が近づいてきた。
「そうそう中嶋君、タエさんとこ行かなくていいの?」
「あっそうだった。行かなくちゃ」
あわててタエの部屋に向かった。
「タエさん来ました。僕に用があるって聞いたんで」
やはりタエは声を出さないが、こちらにと手招きしてくれている。誘われるままに近づいていくと、タエが毛糸で手編みの巾着袋を渡してきた。そして渡すとき、そっと健翔の拳を自分の手で包み込み、ギュッと力を入れてきた。
健翔はふと心にまで染み入る温もりを感じた。
「ありがとうばあちゃん。大事にするよ」
それでもつなぎ続けようとするタエの手をそっと離し、
「今日で僕は終わり。またいつか来るね。そのときまで」
とだけ言い残し、部屋を去って行った。
「どうだだった?もういいの?」
船本が心配して、部屋の外で待っていてくれた。
「いや別にいいっす。じゃなくて、いいです」
健翔は、たとえ短い会話の中であったが、十分に満足感を味わった気分だった。
「了解、では職場体験はここで終了です。少しでもこの世界に興味が出たら、次は同僚でね」
「中嶋さんありがとうございました。この3日間で自分を見つられたようです」
帰宅の途中、ふと巾着袋を見ると表面に「顔張れ」と刺繍が。そして中には、タエからのメモが入っていた。そこにはきれいな文字で、健翔が投げかけた問いへの答えがつづられていた。
自分を信じなさい そして自分をほめてあげなさい
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