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第02章――帰着脳幹編
Phase 207:先日の災禍
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《Sm生成物廃棄法》Smの発生の過程で産生した物質の廃棄と処理に関する法。中央政権発布、ザナドゥカ広域適応法であり、自治領域や州の違い、企業の違いも問わず守られるべき刑法であり、一般人がSmやそこから出る臓器、構成組織、廃棄物などを処理する手順を定めた項目から、有事の際にSmをどう扱うかも規定し、また、有害物質を故意に流出させることを罰する条文も含まれる。
Now Loading……
「それじゃあ、あんたらもこの町を離れられないってわけか? 難儀なことだな。いや、俺たちにとっちゃ有難いのか?」
とミゲルはレントンに言う。
言葉に気をつけろ、とイサクは身内に苦言を呈した。
彼らが今いるのは、マッシュルームガレージの裏手で、そこも正面と同じような警備態勢だ。大型車両のルーフが見張り台の役割を果たし、土嚢が壁となり、鉄骨のハリネズミが敵性車両の突撃を阻む。
自警軍の警戒任務に加わるレントンは。
「ああ、依頼主とその家族や友人、そしてソーニャ達にも申し訳ない話だよ。必ず約束を果たすと言っておきながら」
「一応送り届けられたんだし御の字だろうよ。そもそも、ここまで来ること自体が危険なんだから、欲かいて全滅よりましさ」
そう言うもんかねぇ、とレントンは納得しきれない。
ミゲルは短絡的に、そう言うもん、と二度繰り返す。
そして、後方から響く物音に一同が振り返り、迅速に迫りくる巨躯に誰もが身構えた。
ミゲルは声を上げる。
「スロウス!? おいソーニャどうした!」
3人の前で停止するスロウスの首輪からソーニャは手を放し、コートを留めるベルトから足を降ろす。
「スロウスがゲロしそうなの!」
その発言に男たちの顔は劇画じみた険しさを呈する。
なんだって? とミゲルが問い質す目の前で、ソーニャは回れ右をして、トタン屋根の下に入ると、スロウスを手で招いて、追従する人間相手にも説明する。
「スロウスカモン! えっとね。腹部の膨満が顕著になってるの。おそらく、内部で消化不良を起こしてるのか、あるいは消化管の閉塞が起こってるのかもしれない……。発疹もないし、朝測ったときは熱も許容値だったんだけどなぁ……。異臭もないし。やっぱり、触診じゃなくて、正確な測定器じゃないとだめだったかなぁ。体の負担をある程度無視して、嘔吐排泄の回数をもっと増やせばよかったかなぁ……」
スロウスそのドラム缶をここに置いて、と命じたソーニャは指さした地点を踏み鳴らす。その次は駆けつけてきたウェンディに名前を呼ばれて近づく。
「はいこれ! モップとバケツ! 最悪の場合こんなもの役に立たないけど。直接触るよりましだから」
忝いッ、とソーニャは差し出されたものを神妙に受け取る。
それと前掛け、と言って分厚いエプロンも提供したウェンディは、スロウスに振り向く。
使い込まれたエプロンを着用し、紐を背中で結ぶソーニャは、双方を見比べて、女性に語った。
「心配しなくても、環境配慮と事後処理の手順については心得てるから、一任してくれて大丈夫だよ?」
「ああ、信用してないわけじゃないよ? ただ珍しい機体だから見ておきたくて。あと工場は仕切れる人間に一旦任せてるから安心して」
頷くソーニャが次に目を向けるのは3人の男たちで、代表してレントンが語る。
「ああ、向こうの警備は、大丈夫!」
後ろの自警軍の2人が異議を発しないので、嘘ではなさそうだ。
ウェンディはスロウスに視線を戻す。
「それはそうと、なんだかいよいよ事態が悪くなってるね」
すでにスロウスは、二日酔いに苛まれ洗面器に顔を落とすお父さんのようにドラム缶に顔を埋める。
「ああ、こりゃあ完全に体勢が整ってるね。後で、体温計とか借りられないかな?」
「なんだったら工業血液検査もしたほうがいい。化学不調の場合もありうる。うちの検査体制なら放射線以外の大方の障害が分かるから、精密検査だと思って一通り調べたほうがいいよ。今後も戦うならなおさら……」
そんじゃたのんます、と真剣に答えるソーニャだったが。
おい何か出てきたぞ! と声を上げるミゲルが指さす方へ視線が集まる。
皆が目にしたのはスロウスの口で、形容するには不快なものを持ち出さざるを得ない。嫌な色味の粥状物質が、薄く開いた歯列から溢れ出た。
いったい何が起こるんだ? と怯えつつセマフォを取り出すミゲルに。
聞いただろ、とイサクが表情を一層歪ませる。
そして、その時はついに来た。
女性2人は身構え、意識せず身を寄せ合う。
スロウスは徐に口を開いた。出てくる物質の水分量が多くなり、刺激臭が強まる。
男たちはしかめ面を引っ込め。女性陣はマスクを装備した。
口から出てくる量と色が増えるスロウスは、より密接に顔をドラム缶に近づけ、そして命令に反して突如、体が仰け反る。
ソーニャは慌てて、ドラム缶に顔を入れろ! と告げるがスロウスは言うことを聞かない。というより、したくてもできない、という気配だ。それでも腰を曲げて足を延ばし、上半身を傾けることで口から溢れる粥状物質も液体もドラム缶に注ぐが、それも途絶え、代わりに出てきたのは血の色に近い触手であった。
「なんだよすげーなSmのゲロ!」
ミゲルは嬉々としてセマフォで撮影した。
しかし、女性人たちは。
「なんなんだこりゃあ!」
「いったいどうなってんだ!?」
ソーニャに続きウェンディまでも落ち着きを失う。
痙攣する巨躯の横に回り込んだイサクは。
「お前たちが引き起こしたんじゃないのか?」
ソーニャは。
「こんなヤバい事故なんて想定してなかったよ!」
ウェンディは。
「あれって、嘔吐促進器官とかじゃないの? 内容物を押し出すための」
ソーニャは首を横に振る。
「毎年内視鏡検査するけど、あんなやっばいものがある形跡なんて見たことない」
「ということは、寄生Smとか?」
「でも、デスワームには見えないし。ほかに何か似ているのは……いや、そもそも寄生虫なんて。まさか、この前戦ったウォールマッシャーに汚染された? でも、解体して中身を調べたけど、驚くほどに寄生虫が確認できなかった。もしや、他のSmのせいかな?」
「汚染されたものとか食べなかった? 自立式の場合、空腹に合わせて勝手に摂取することもあり得るけど?」
「拾い食いはダメって毎朝一番に言ってるし……あ」
突然目を丸くしたソーニャの脳裏に思い出されるのは、ここに来るよりも前のこと。
本拠地であるデスタルトシティーにて暴走し、化け物じみた存在に成り果てた航空機ミニッツグラウスの騒動を解決しようと奔走する際、機内に突入するために外界から侵入する過程で、スロウスはミニッツグラウスの機体の一部を、しかも、未知の薬剤で汚染された素材を口にした。
切断に使ったメスに付着した組織は分泌する粘着質な物質により、貼り付き、それを刃からこそぎ落とす手段として、一番手早かったのが、スロウスに噛み取ってもらうことだった。そこらへんに捨てるには作業空間が狭く、直接触れれば接着して面倒になるため、緊急時の例外的な対策だったし、スプーンでハチミツを食べさせるくらいお手軽な解決策だった。
「まさかッ……あれが今ここにきて」
「何か思い出したの?」
「ここに来る前、Sm組織を異常発達させる薬剤を投与されたSm機体の組織を口にした」
なんでそんなもの、とあからさまに顔色を悪くするウェンディ。
しかしソーニャは。
「だって、空の上だったし、業務上仕方がなかったの。それでも、ほんの少しだったんだよ?」
そう言って親指と人差し指の間を狭めた。
指で示した幅と少女の言葉にウェンディはさらに表情を曇らせる。
「でも、それがこの異常事態を引き起こしたの? つまり、消化器官を変異させた?」
ソーニャは首を横に振る。
「違う。あの組織が生き残って、今こうして暴れだしたんだと思う。というのも、もしスロウスの臓器や組織が変異したなら、その周辺部位が炎症を起こしたりして嘔吐物や排泄物に工業血液が見られたり、もっと顕著な緊急発疹や発熱もあっただろうけど、今回それはない」
「それじゃあ、あんたが食わせたのって器官そのものだったの? それなら自己修復性能の強度次第では肥大も変異もあり得るけど……」
「違うよ。組織の一欠片。その一欠片がああして組織を構築して発達した」
「というと、つまり、一つの組織片が増殖して、機能的に分化した?」
「そういうこと。薬剤によってスロウスの体が変異させられたなら、さっき言った顕著な不調を来たすか、あるいは初期反応があるはず。まあ、全部推測になるけどね……。今になってこうなったのは、さっきスロウスに摂取させたものに含まれる酵素と、薬品の反応で産生が促進された消化液に刺激されて、逃げ出そうとしてるんだよ」
「まって、ごめん事情がよく分からないけど。つまり、細胞が成長して組織化して、生まれた各器官を統合して動かすグレーボックスまで作ったと?」
「計画製造されたグレーボックスじゃなくて、SmNAにある原始的なものだろうけど」
そこへレントンも加わってセマフォを見せた。
「実際、同じ薬品に被爆したゴブリンはグレーボックス……つまり、Smの脳が形成されたって話をしてた。ほらこれ」
セマフォに保存されていたデスタルトシティーのニュース記事と映像を見せられたウェンディは、倒れる巨体を確認して疑いを小さくするも、不安がより肥大した。
「ということは、さっさとこいつを何とかしないと。機体が壊れるんじゃないの? この記事にも書いてある。ゴブリンが、車両にあるSm動力を食ったっていうのが本当なら……また同じ事が……」
ソーニャは振り返り、触手に手を伸ばす。
スロウスの体内から背筋を真っすぐにしてドラム缶から離れさせようとする触手は、数えるのが億劫なほど多数あり、絶えず動いている。暴力的な鞭のように、あるいは人の手を離れておきながら水を噴出するホースのように踊った。
たがソーニャは果敢にも接近し、渦を描くように乱れる触手の1本を体を張って受け止め、うぐッ! と呻きつつ、ひるまず両腕で締め上げる。しかし、スロウスの食道をせりあがるだけあって、強靭な触手が動くままに少女の体は振り回された。
慌ててレントンとイサクが少女の肩や腰を捕まえ、遠くへ飛ばされることを防ぐ。
あんがと! とソーニャは感謝を告げるが意識は触手へ集中する。
セマフォで撮影を続けるミゲルが、何するつもりだ!? と声だけ本気で問う。
ソーニャ曰く。
「これを引っ張り出す! このまま放置したら内部でこれが成長して食道は勿論、ほかの器官を損壊しかねない! スロウス! お前の口から出る触手を掴んで引っ張り出せ!」
その命に応じたいスロウスだったが。その動きは緩慢でさらには、いざ触手を掴んで引っ張るも、本体といえばいいのか根本といえばいいのか、体の奥深くに潜伏するであろう寄生体の胴体は全く出る気配がない。それどころか、触手の表面が滑る上、スロウスが強引に引っ張った結果、触手は千切れてしまう。
「そんなに強靭じゃない上、結構根深いらしいね。ウェンディ!」
ソーニャに名を呼ばれた女性は、はい! と素直に返答し反射的に背筋を伸ばし黙って拝命する。
「臓器潤滑材を持ってきて! あれにオイルを混ぜてスロウスの腹に流す! それとヒプノイシンとかもあったらください! 単純な寄生Smじゃないけど、対応マニュアルの手順を試してみたいの!」
分かった! とウェンディは答えて建屋に戻っていく、しかし、一旦引き返し。お前も遊んでないで一緒に来い! とミゲルの首根っこを掴んで連行した。
一旦手を放せソーニャ! とイサクは告げるが。
「このまま、投薬するから持ってる。それにスロウスの負担も少し軽減しないと」
スロウスは主の命令を履行した結果、触手に襲われ首や頭を掴まれていた。
千切れた触手は根本のほうから再び成長して、宿主の腕に巻き付く。
イサクは。
「そんなにスロウスが好きだったか?」
「こいつにはこれから働いてもらう可能性があるからね!」
触手の半数は宿主へ向かい、もう半数は日和見で、宿主と少女の間で揺らめいた。
ソーニャはそれらを見て、原初生体そのものみたい、と呟く。
Now Loading……
「それじゃあ、あんたらもこの町を離れられないってわけか? 難儀なことだな。いや、俺たちにとっちゃ有難いのか?」
とミゲルはレントンに言う。
言葉に気をつけろ、とイサクは身内に苦言を呈した。
彼らが今いるのは、マッシュルームガレージの裏手で、そこも正面と同じような警備態勢だ。大型車両のルーフが見張り台の役割を果たし、土嚢が壁となり、鉄骨のハリネズミが敵性車両の突撃を阻む。
自警軍の警戒任務に加わるレントンは。
「ああ、依頼主とその家族や友人、そしてソーニャ達にも申し訳ない話だよ。必ず約束を果たすと言っておきながら」
「一応送り届けられたんだし御の字だろうよ。そもそも、ここまで来ること自体が危険なんだから、欲かいて全滅よりましさ」
そう言うもんかねぇ、とレントンは納得しきれない。
ミゲルは短絡的に、そう言うもん、と二度繰り返す。
そして、後方から響く物音に一同が振り返り、迅速に迫りくる巨躯に誰もが身構えた。
ミゲルは声を上げる。
「スロウス!? おいソーニャどうした!」
3人の前で停止するスロウスの首輪からソーニャは手を放し、コートを留めるベルトから足を降ろす。
「スロウスがゲロしそうなの!」
その発言に男たちの顔は劇画じみた険しさを呈する。
なんだって? とミゲルが問い質す目の前で、ソーニャは回れ右をして、トタン屋根の下に入ると、スロウスを手で招いて、追従する人間相手にも説明する。
「スロウスカモン! えっとね。腹部の膨満が顕著になってるの。おそらく、内部で消化不良を起こしてるのか、あるいは消化管の閉塞が起こってるのかもしれない……。発疹もないし、朝測ったときは熱も許容値だったんだけどなぁ……。異臭もないし。やっぱり、触診じゃなくて、正確な測定器じゃないとだめだったかなぁ。体の負担をある程度無視して、嘔吐排泄の回数をもっと増やせばよかったかなぁ……」
スロウスそのドラム缶をここに置いて、と命じたソーニャは指さした地点を踏み鳴らす。その次は駆けつけてきたウェンディに名前を呼ばれて近づく。
「はいこれ! モップとバケツ! 最悪の場合こんなもの役に立たないけど。直接触るよりましだから」
忝いッ、とソーニャは差し出されたものを神妙に受け取る。
それと前掛け、と言って分厚いエプロンも提供したウェンディは、スロウスに振り向く。
使い込まれたエプロンを着用し、紐を背中で結ぶソーニャは、双方を見比べて、女性に語った。
「心配しなくても、環境配慮と事後処理の手順については心得てるから、一任してくれて大丈夫だよ?」
「ああ、信用してないわけじゃないよ? ただ珍しい機体だから見ておきたくて。あと工場は仕切れる人間に一旦任せてるから安心して」
頷くソーニャが次に目を向けるのは3人の男たちで、代表してレントンが語る。
「ああ、向こうの警備は、大丈夫!」
後ろの自警軍の2人が異議を発しないので、嘘ではなさそうだ。
ウェンディはスロウスに視線を戻す。
「それはそうと、なんだかいよいよ事態が悪くなってるね」
すでにスロウスは、二日酔いに苛まれ洗面器に顔を落とすお父さんのようにドラム缶に顔を埋める。
「ああ、こりゃあ完全に体勢が整ってるね。後で、体温計とか借りられないかな?」
「なんだったら工業血液検査もしたほうがいい。化学不調の場合もありうる。うちの検査体制なら放射線以外の大方の障害が分かるから、精密検査だと思って一通り調べたほうがいいよ。今後も戦うならなおさら……」
そんじゃたのんます、と真剣に答えるソーニャだったが。
おい何か出てきたぞ! と声を上げるミゲルが指さす方へ視線が集まる。
皆が目にしたのはスロウスの口で、形容するには不快なものを持ち出さざるを得ない。嫌な色味の粥状物質が、薄く開いた歯列から溢れ出た。
いったい何が起こるんだ? と怯えつつセマフォを取り出すミゲルに。
聞いただろ、とイサクが表情を一層歪ませる。
そして、その時はついに来た。
女性2人は身構え、意識せず身を寄せ合う。
スロウスは徐に口を開いた。出てくる物質の水分量が多くなり、刺激臭が強まる。
男たちはしかめ面を引っ込め。女性陣はマスクを装備した。
口から出てくる量と色が増えるスロウスは、より密接に顔をドラム缶に近づけ、そして命令に反して突如、体が仰け反る。
ソーニャは慌てて、ドラム缶に顔を入れろ! と告げるがスロウスは言うことを聞かない。というより、したくてもできない、という気配だ。それでも腰を曲げて足を延ばし、上半身を傾けることで口から溢れる粥状物質も液体もドラム缶に注ぐが、それも途絶え、代わりに出てきたのは血の色に近い触手であった。
「なんだよすげーなSmのゲロ!」
ミゲルは嬉々としてセマフォで撮影した。
しかし、女性人たちは。
「なんなんだこりゃあ!」
「いったいどうなってんだ!?」
ソーニャに続きウェンディまでも落ち着きを失う。
痙攣する巨躯の横に回り込んだイサクは。
「お前たちが引き起こしたんじゃないのか?」
ソーニャは。
「こんなヤバい事故なんて想定してなかったよ!」
ウェンディは。
「あれって、嘔吐促進器官とかじゃないの? 内容物を押し出すための」
ソーニャは首を横に振る。
「毎年内視鏡検査するけど、あんなやっばいものがある形跡なんて見たことない」
「ということは、寄生Smとか?」
「でも、デスワームには見えないし。ほかに何か似ているのは……いや、そもそも寄生虫なんて。まさか、この前戦ったウォールマッシャーに汚染された? でも、解体して中身を調べたけど、驚くほどに寄生虫が確認できなかった。もしや、他のSmのせいかな?」
「汚染されたものとか食べなかった? 自立式の場合、空腹に合わせて勝手に摂取することもあり得るけど?」
「拾い食いはダメって毎朝一番に言ってるし……あ」
突然目を丸くしたソーニャの脳裏に思い出されるのは、ここに来るよりも前のこと。
本拠地であるデスタルトシティーにて暴走し、化け物じみた存在に成り果てた航空機ミニッツグラウスの騒動を解決しようと奔走する際、機内に突入するために外界から侵入する過程で、スロウスはミニッツグラウスの機体の一部を、しかも、未知の薬剤で汚染された素材を口にした。
切断に使ったメスに付着した組織は分泌する粘着質な物質により、貼り付き、それを刃からこそぎ落とす手段として、一番手早かったのが、スロウスに噛み取ってもらうことだった。そこらへんに捨てるには作業空間が狭く、直接触れれば接着して面倒になるため、緊急時の例外的な対策だったし、スプーンでハチミツを食べさせるくらいお手軽な解決策だった。
「まさかッ……あれが今ここにきて」
「何か思い出したの?」
「ここに来る前、Sm組織を異常発達させる薬剤を投与されたSm機体の組織を口にした」
なんでそんなもの、とあからさまに顔色を悪くするウェンディ。
しかしソーニャは。
「だって、空の上だったし、業務上仕方がなかったの。それでも、ほんの少しだったんだよ?」
そう言って親指と人差し指の間を狭めた。
指で示した幅と少女の言葉にウェンディはさらに表情を曇らせる。
「でも、それがこの異常事態を引き起こしたの? つまり、消化器官を変異させた?」
ソーニャは首を横に振る。
「違う。あの組織が生き残って、今こうして暴れだしたんだと思う。というのも、もしスロウスの臓器や組織が変異したなら、その周辺部位が炎症を起こしたりして嘔吐物や排泄物に工業血液が見られたり、もっと顕著な緊急発疹や発熱もあっただろうけど、今回それはない」
「それじゃあ、あんたが食わせたのって器官そのものだったの? それなら自己修復性能の強度次第では肥大も変異もあり得るけど……」
「違うよ。組織の一欠片。その一欠片がああして組織を構築して発達した」
「というと、つまり、一つの組織片が増殖して、機能的に分化した?」
「そういうこと。薬剤によってスロウスの体が変異させられたなら、さっき言った顕著な不調を来たすか、あるいは初期反応があるはず。まあ、全部推測になるけどね……。今になってこうなったのは、さっきスロウスに摂取させたものに含まれる酵素と、薬品の反応で産生が促進された消化液に刺激されて、逃げ出そうとしてるんだよ」
「まって、ごめん事情がよく分からないけど。つまり、細胞が成長して組織化して、生まれた各器官を統合して動かすグレーボックスまで作ったと?」
「計画製造されたグレーボックスじゃなくて、SmNAにある原始的なものだろうけど」
そこへレントンも加わってセマフォを見せた。
「実際、同じ薬品に被爆したゴブリンはグレーボックス……つまり、Smの脳が形成されたって話をしてた。ほらこれ」
セマフォに保存されていたデスタルトシティーのニュース記事と映像を見せられたウェンディは、倒れる巨体を確認して疑いを小さくするも、不安がより肥大した。
「ということは、さっさとこいつを何とかしないと。機体が壊れるんじゃないの? この記事にも書いてある。ゴブリンが、車両にあるSm動力を食ったっていうのが本当なら……また同じ事が……」
ソーニャは振り返り、触手に手を伸ばす。
スロウスの体内から背筋を真っすぐにしてドラム缶から離れさせようとする触手は、数えるのが億劫なほど多数あり、絶えず動いている。暴力的な鞭のように、あるいは人の手を離れておきながら水を噴出するホースのように踊った。
たがソーニャは果敢にも接近し、渦を描くように乱れる触手の1本を体を張って受け止め、うぐッ! と呻きつつ、ひるまず両腕で締め上げる。しかし、スロウスの食道をせりあがるだけあって、強靭な触手が動くままに少女の体は振り回された。
慌ててレントンとイサクが少女の肩や腰を捕まえ、遠くへ飛ばされることを防ぐ。
あんがと! とソーニャは感謝を告げるが意識は触手へ集中する。
セマフォで撮影を続けるミゲルが、何するつもりだ!? と声だけ本気で問う。
ソーニャ曰く。
「これを引っ張り出す! このまま放置したら内部でこれが成長して食道は勿論、ほかの器官を損壊しかねない! スロウス! お前の口から出る触手を掴んで引っ張り出せ!」
その命に応じたいスロウスだったが。その動きは緩慢でさらには、いざ触手を掴んで引っ張るも、本体といえばいいのか根本といえばいいのか、体の奥深くに潜伏するであろう寄生体の胴体は全く出る気配がない。それどころか、触手の表面が滑る上、スロウスが強引に引っ張った結果、触手は千切れてしまう。
「そんなに強靭じゃない上、結構根深いらしいね。ウェンディ!」
ソーニャに名を呼ばれた女性は、はい! と素直に返答し反射的に背筋を伸ばし黙って拝命する。
「臓器潤滑材を持ってきて! あれにオイルを混ぜてスロウスの腹に流す! それとヒプノイシンとかもあったらください! 単純な寄生Smじゃないけど、対応マニュアルの手順を試してみたいの!」
分かった! とウェンディは答えて建屋に戻っていく、しかし、一旦引き返し。お前も遊んでないで一緒に来い! とミゲルの首根っこを掴んで連行した。
一旦手を放せソーニャ! とイサクは告げるが。
「このまま、投薬するから持ってる。それにスロウスの負担も少し軽減しないと」
スロウスは主の命令を履行した結果、触手に襲われ首や頭を掴まれていた。
千切れた触手は根本のほうから再び成長して、宿主の腕に巻き付く。
イサクは。
「そんなにスロウスが好きだったか?」
「こいつにはこれから働いてもらう可能性があるからね!」
触手の半数は宿主へ向かい、もう半数は日和見で、宿主と少女の間で揺らめいた。
ソーニャはそれらを見て、原初生体そのものみたい、と呟く。
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