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第02章――帰着脳幹編
Phase 185:川かな? すぐに行こうぜ
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《ロットアプリコット川》オールドマム・ダムの東側に広がる森林に流れる川。川幅と深さに比して水量は少なく、魚よりリスのほうが多い、などと言われている。週末には小さい子供を連れた家族が遊びに来たりするが、雨が続いた時期には鉄砲水が流れることもある。
Now Loading……
マイラは全速力で逃げに徹する。
その横合いから、自警軍の面々による小銃を使った射撃が始まり、弾丸は概ね雷雲の竜巻に命中する。
しかし、その渦の中に潜むモーティマーは笑っていた。
「そんな攻撃がいまさら効くと思っているのか?」
話にならない援護兼妨害を経て、マイラは崖の手前まで追いつめられた。
垂直に近い断崖は、川が長い年月で大地を浸食し、彫刻した賜物だろう。今では水量は実際の渓谷と比較しては微々たる小川程度に終始し、角のない乾いた石が谷底に目立つ。
逃げ場のなくなったマイラは振り返り、杖を突きだすと、その先端で、猫の髑髏を覆う星雲が旗のように翻る。
「流量74000、圧力80000……。抵抗値許容範囲を0.5度に修正。〈デュアラル・クラウド〉ッ」
宣言を引き金に星雲は急速に回転をはじめ、盾となり、竜巻から生じる雷撃を受け止める。
雷雲の竜巻から放たれた雷の鞭は、大気に苛烈な音を振りまき、どれも離れた者の鼓膜さえ痛めつけるほど騒がしい。
そして周囲を漂う稲光の格子も鮮明となってマイラを囲む。
モーティマーは唸った。
「今更防御に徹して何のつもりだ?」
マイラの左右からバギーが接近し、稲光の範囲の外で停車すると、下車した隊員が一斉に擲弾筒TRPGを発射した。
挟み込む形で飛んでくる擲弾の1つは、竜巻が発した雷撃に射抜かれ空中で爆発するが、もう一つは落雷をすり抜けて竜巻そのものに激突し爆発する。だが、目ざましい成果はなく、竜巻の表面を這う激流は、生き生きと濃淡を変える。
モーティマーはより一層嘲笑した。
「これでおしまいか!? 残念だったな! キャンサーキャンサーは何よりも勇壮で強靭で! そして、お前のアーツは、脆い!」
マイラの突きつける星雲の盾に雷雲の竜巻が触れて、その間で創出する火花の勢いは、溶接作業に使う放電に匹敵し、近づけば熱気が知れる。
削れていく星雲の盾は厚みを失い、マイラは身に着ける稲光の外骨格の補助で、なんとか防備を支える。だが、押し込まれて、靴裏で地面に電車道を刻んだ。
そしてついに、星雲は彼女の手と杖が添えられた個所を除いて喪失し、残った色の濃い塊を杖と手で強引に一つにまとめたが、それも激流が貪り、中心から星々の瞬きが揮発し、雷撃の放散を伴い、最後は、星雲の一塊も一気に弾けた。
星雲が爆ぜる衝撃でマイラは後ろに飛ばされ、崖から足を踏み外す。だが、落下の始めに一回転を決め、渓谷の底に散乱する岩の一つに着地を果たす。
ある程度平坦な足場から顔を上げたマイラは、次の瞬間、降ってきた影に場所を譲る。
落着した影は、実体である雷雲の竜巻が窄めた捻じれる爪先に覆われる。鉛色の激流は触れた岩を転がして、自分の居場所を押し広げた。
そそり立つ威容は、今しがた自身が全身で粉砕したマイラの星雲を戦利品のように身に纏っている。
モーティマーは楽し気に言った。
「もしかして、落下によってアーツが破綻することを望んだか? もしそうだとしたら期待に応えられなくてすまなかったな!」
雷雲は乾いた川底を突き進み、拳大の岩を弾き飛ばし、マイラに迫る。
彼女に残されていた退路は左右にあったが、それも竜巻が放つ雷撃が降り注ぐことで、安全ではなくなった。後ろに至っては、降りたのと同じく、人の身の丈を優に超える崖が待っている。
竜巻は方々へ雷撃を飛ばし、崖の上にも伸びる稲光は、棚の上を探る手のようにも見えた。
モーティマーの侮辱は止まない。
「俺を追い込んだつもりだったようだが本当に追い込まれたのはお前だったな! 自惚れた結果だ。ここでケリを付けさせてもらう! 死なない程度に収めるつもりだが、結末はお前次第だッ」
雷雲の竜巻は全身から激流の爪を生やし、無慈悲に獲物へ近づく。
「今だ!」
とミゲルが叫んだ。彼の視線からは崖の底にいる竜巻と、崖の上の森に潜む少女の姿が見えた。
ソーニャはバイクから飛び降りると、肺いっぱいにため込んだ空気を言葉にするため、思い切り前屈して声を振り絞った。
「スロォオオオス! GOォオオオ――――――――――ッ!!」
走り出すスロウス。脇には布に包んだものを抱えており、それには薄紅の星雲の膜が張られていた。
巨体を見送るカネロスが、ご武運を、と願いを贈る。
猛進するスロウスが最初に触れたのは浮遊する稲光の群れ。人ならざる存在にとっては些細な障害であり、さらに言うと、屈強な身体の表面に纏う別種の稲光が直接の接触を阻んでくれた。
モーティマーは顔を上げる。
「なんだこの速度は?」
――背後にいる奴らは車両ばかり。障害物や倒木を迂回するか乗り越えるのであれば、これほどの速度は発揮できないはず。さらに、接近物事態に耐性アーツが施されている? もしや新手のマグネティストか?
遠ざかっていく巨躯の背中を見送るミゲルは、つい先ほどマイラとした話を思い出す。
「なあ、俺たちにもマイラのバリアを張り付けてくれよ。そうしてくれたら俺たちも敵に接近できる!」
「言っておくけど、これそんなにたいそうなもんじゃないからね? 付与だけなら、できないことはないけど。攻撃を受けたら、ある程度制御しないと、逆にダメージを食らうし」
え、とミゲルは絶句した。
どうにかならないの? とソーニャも目を覗きこんでくるので、マイラは不出来を追及された気分になり、視線を逸らした。
「安全に配慮した運動補助型のアーツを付与するとなったら、私みたいにメスメル野の演算がない以上、その分、事前にその人の身体と運動能力に即した機序を作成するのに時間もかかるし。出来たとしても、動きは限定的になっちゃう。その上、大量のパウダーも消費する。逆に、インスタントな耐性だったら、なんというか……かみ砕いて言うと、強力な攻撃を強力な反発力で押し返してる感じ、って言ったら分かりやすいのかな? 一応、自動で応答する仕組みも組み込めるけど、機械的な反応に終始して、気を抜いたら逆に作用で被験者の体を痛めかねない。だから、必ずしも万能な防御でもない」
「なら、スロウスに施すことはできる?」
「できる……。少し大雑把になるし、アーツの加減で出力の程度が変わった拍子に、スロウス自身にダメージを与える可能性もあるけど。防備にのみ比重を置けば、動きに支障が出ない程度の出力に調整できる、はず」
そう言ってマイラは立ち上がり。
「ソーニャ、スロウスに絶対動かないよう、そして反撃しないように命令して」
ソーニャが、分かったな、と問い詰めればスロウスは身じろぎ一つしない。
杖を回すマイラは、杖頭に巻き付く星雲に手を添え。
「〈ゼノジニック・アンタゴニスト〉」
そう言って、杖を振るって弾き飛ばされた星雲は、見事、スロウスの顔面に直撃する。砕けた星雲は星屑を広げるが、スロウスの顔面に張り付いたままで、中心部から生まれた稲光によって離別を回避し、それどころか稲光が引き寄せるように、再び凝集を初めて、今度は、稲光がスロウスの全体を駆け巡る。
今まで不動を貫いていた巨躯が雷撃に覆われて打ち震えた。
その様子を呆然と見つめる人々にマイラは語り掛ける。
「でも……中に入ってどうするつもり?」
「とりあえず、沢山のお守りをもって、敵に直接殴り込む」
と少女は告げた。
そしてカネロスが仲間を振り返り。
「お守りくらいなら、使用するまで安全に保護してあげられるぞ」
と進言した。
そして現在、全速力で突撃するスロウスにモーティマーは戦慄していた。
一体お前は何者だ! の男の叫びに呼応して雷雲の竜巻が伸び上がる。
マイラが、杖を突き付けた。
「〈アドヒーセブ・リガメントム=リティキュラ〉」
暗雲の表面に薄帯の如く巻き付いていた星雲の残滓が、火花を飛ばして星の瞬きを生み出す。それらが雷撃の蔦を伸ばし、雷撃同士が絡み合い、さらにはマイラの杖が発生させる星雲を内部に流動させて、巨大な網目構造を形成した。
ある種の梱包を受ける雷雲の竜巻は伸長を進めるどころか、星雲の網目の内径がそれぞれ縮小を始め、また背丈を減らしていく。
「なんだこれは……! まさか、さっき削った盾に浸潤性アーツを仕込んでいたのか?」
脳裏をよぎるのは、崖の上での競り合い。直接見ていないが、しかし、相手の星雲の盾を打ち砕いたのは理解していた。
「いや、初めから浸潤を狙っていたんだなッ。おのれ、まずは場所を変えて、そこで解体作業を……」
マイラの杖と雷撃で繋がる網目構造は、微細な雷撃を方々へ飛ばし、自己を固定し、無理に動こうとする竜巻を歪ませる。
竜巻の内部で圧迫を受けるモーティマーは蟹爪を掲げて怒鳴る。
「時間稼ぎのつもりか!」
勝気に笑うマイラ。星々の流動と稲光の躍動が合わさった星雲の緒によって網目構造と結ばれる杖頭を支えていたが、竜巻から降り注ぐ雷撃が、彼女の頬のすぐ横を駆け巡る。光の薄膜が直撃を防ぐとはいえ、苛烈な閃光と雷鳴が鼓膜と網膜を焼く勢いで肉薄し、2種類の光の接触の度に生まれる火花が風圧を拡散する。
それでも顔を少し背けるだけのマイラは、ぎこちなくとも、もう一度笑みを見せつけた。
走るスロウスもまた、雷雲から放出される雷撃を浴びる。しかし、マイラが施した加護が稲光となってそれを受け止め、激しい火花が近くで咲く程度で済ませる。光量も熱も苛烈だがスロウスにとっては反応するにも値しない些事。陰りのない快速で倒木や段差を駆け抜け、巨躯が残す稲光の残像を雷撃の槍が遅れて交差する。
モーティマーは両手で蟹爪を掲げ、怒鳴った。
「来るなら受けて立つ! 直接この俺が雷撃をぶち込んで葬ってくれる! さあ、かかってこいやぁあああ!」
頭上に蟹の爪の杖を構えたモーティマーの目には、怒りが溢れ、蟹の爪からも暗雲が噴出し、焦燥が脂汗を助長する。そして、近接する脅威のいる方角から、一旦目を背けて振り返った先、眼前の激流の向こうでは、マイラが杖を突き付け、あふれる星雲を流し込んできた。
それは雷雲の竜巻の内壁にまで星雲の玉虫色が透けるほどの勢いだった。
しかしモーティマーは、また振り返って、今度は森から近づく集団を知覚したが、最後は頭上に異変を見出し、天を仰ぐ。
見えたのは青空でも太陽でもなく、崖から飛び出し、今まさに落下する巨躯。死を連想させる髑髏の面相。
竜巻に突入したスロウスは、包みを薄紅の星雲ごと引きはがし、露わにしたTRPGの引き金を骨の爪で爪弾く。
モーティマーが大きく開いた目に、発射時の燃焼が赤く映り、白い煙が空間を占領した。
崖の上にいた者たちが目にしたのは、竜巻の上から噴出する白煙。しかし、その発生源は段差の下に隠れており、見ようと思って近づけば、稲光の領域に入ることとなる。
止まったバイクから飛び出す少女が、運転手のイサクに捕まえられた。
「よせソーニャ! 危ないだろ!」
でも! などと腕から抜け出そうとするソーニャ。
見かねたミゲルは表情を険しくし、崖を回り込んで俺たちも現場に行くぞ! と呼びかけた。
躊躇いを見せる仲間達だが。
いくぞー! と拳を突き上げる少女を後ろに乗せるイサクが、バイクを走らせるので、腹を決めた。
川底にいるマイラは暗雲の竜巻から吐き出される煙を見上げる。爆薬の発した煙は星雲と違い、もっと白く無機質で見分けがつく。
竜巻の中では。煙が薄れ巨躯が姿を取り戻し、そして、足元を覆いつくす暗雲の蓋に唸る。
頭と足が同じ高さになったモーティマーは、押し込められた窮屈な姿勢ではあったが、笑みを作って、まだまだ! と豪語した。
その矢先。すぐ顔の近くにある暗雲の流れに小さな火花が生まれ、赤い濃淡で縁取られた鮮やかな緑が滲む。モーティマーが扱っていた暗雲が発する黄色と暗い緑の色彩ではない。新緑を想起させる色合いで、モーティマーを酷く困惑させる。
やがて、鮮やかな色彩の斑点は染み込むように竜巻の一角に広がり、淀んだ色を覆し、やがて艶やかな玉虫色をもつ星雲を放った。それは火花によって小さな空間を席巻する。
マイラは稲光を放つ猫の頭蓋の杖に、空いていた手を添えて微笑む。
「やっと、内部に届いたか……」
モーティマーは慌てて蟹爪に収める袋を押して暗雲を吐き出させる。
「ありえん! キャンサーキャンサーに浸潤性のアーツは効かないし。たとえ効いたとしても反応があるはず!」
「だから、構造を損なわないように素通りするアーツを使わせてもらったよ。といっても破壊作用がないし、これだけでかなり高度な作用機序を盛り込んだから、あんたを直接攻撃するほどの力も付与する余地もなかったけどね……」
「まさか、短期間の間に支持構造のテンプレートアーツを特定されたのか? たが、効力に関しては子供だましのはず。それなら、早急に対処すれば……」
すれ違う会話が交わされる中、モーテイマーは生み出した暗雲の中で舞う星屑の位置を、指でずらし、微差な稲光を爪弾く。
その瞬間、横向きにした鼻先に、巨大な影が墜落した。
Now Loading……
マイラは全速力で逃げに徹する。
その横合いから、自警軍の面々による小銃を使った射撃が始まり、弾丸は概ね雷雲の竜巻に命中する。
しかし、その渦の中に潜むモーティマーは笑っていた。
「そんな攻撃がいまさら効くと思っているのか?」
話にならない援護兼妨害を経て、マイラは崖の手前まで追いつめられた。
垂直に近い断崖は、川が長い年月で大地を浸食し、彫刻した賜物だろう。今では水量は実際の渓谷と比較しては微々たる小川程度に終始し、角のない乾いた石が谷底に目立つ。
逃げ場のなくなったマイラは振り返り、杖を突きだすと、その先端で、猫の髑髏を覆う星雲が旗のように翻る。
「流量74000、圧力80000……。抵抗値許容範囲を0.5度に修正。〈デュアラル・クラウド〉ッ」
宣言を引き金に星雲は急速に回転をはじめ、盾となり、竜巻から生じる雷撃を受け止める。
雷雲の竜巻から放たれた雷の鞭は、大気に苛烈な音を振りまき、どれも離れた者の鼓膜さえ痛めつけるほど騒がしい。
そして周囲を漂う稲光の格子も鮮明となってマイラを囲む。
モーティマーは唸った。
「今更防御に徹して何のつもりだ?」
マイラの左右からバギーが接近し、稲光の範囲の外で停車すると、下車した隊員が一斉に擲弾筒TRPGを発射した。
挟み込む形で飛んでくる擲弾の1つは、竜巻が発した雷撃に射抜かれ空中で爆発するが、もう一つは落雷をすり抜けて竜巻そのものに激突し爆発する。だが、目ざましい成果はなく、竜巻の表面を這う激流は、生き生きと濃淡を変える。
モーティマーはより一層嘲笑した。
「これでおしまいか!? 残念だったな! キャンサーキャンサーは何よりも勇壮で強靭で! そして、お前のアーツは、脆い!」
マイラの突きつける星雲の盾に雷雲の竜巻が触れて、その間で創出する火花の勢いは、溶接作業に使う放電に匹敵し、近づけば熱気が知れる。
削れていく星雲の盾は厚みを失い、マイラは身に着ける稲光の外骨格の補助で、なんとか防備を支える。だが、押し込まれて、靴裏で地面に電車道を刻んだ。
そしてついに、星雲は彼女の手と杖が添えられた個所を除いて喪失し、残った色の濃い塊を杖と手で強引に一つにまとめたが、それも激流が貪り、中心から星々の瞬きが揮発し、雷撃の放散を伴い、最後は、星雲の一塊も一気に弾けた。
星雲が爆ぜる衝撃でマイラは後ろに飛ばされ、崖から足を踏み外す。だが、落下の始めに一回転を決め、渓谷の底に散乱する岩の一つに着地を果たす。
ある程度平坦な足場から顔を上げたマイラは、次の瞬間、降ってきた影に場所を譲る。
落着した影は、実体である雷雲の竜巻が窄めた捻じれる爪先に覆われる。鉛色の激流は触れた岩を転がして、自分の居場所を押し広げた。
そそり立つ威容は、今しがた自身が全身で粉砕したマイラの星雲を戦利品のように身に纏っている。
モーティマーは楽し気に言った。
「もしかして、落下によってアーツが破綻することを望んだか? もしそうだとしたら期待に応えられなくてすまなかったな!」
雷雲は乾いた川底を突き進み、拳大の岩を弾き飛ばし、マイラに迫る。
彼女に残されていた退路は左右にあったが、それも竜巻が放つ雷撃が降り注ぐことで、安全ではなくなった。後ろに至っては、降りたのと同じく、人の身の丈を優に超える崖が待っている。
竜巻は方々へ雷撃を飛ばし、崖の上にも伸びる稲光は、棚の上を探る手のようにも見えた。
モーティマーの侮辱は止まない。
「俺を追い込んだつもりだったようだが本当に追い込まれたのはお前だったな! 自惚れた結果だ。ここでケリを付けさせてもらう! 死なない程度に収めるつもりだが、結末はお前次第だッ」
雷雲の竜巻は全身から激流の爪を生やし、無慈悲に獲物へ近づく。
「今だ!」
とミゲルが叫んだ。彼の視線からは崖の底にいる竜巻と、崖の上の森に潜む少女の姿が見えた。
ソーニャはバイクから飛び降りると、肺いっぱいにため込んだ空気を言葉にするため、思い切り前屈して声を振り絞った。
「スロォオオオス! GOォオオオ――――――――――ッ!!」
走り出すスロウス。脇には布に包んだものを抱えており、それには薄紅の星雲の膜が張られていた。
巨体を見送るカネロスが、ご武運を、と願いを贈る。
猛進するスロウスが最初に触れたのは浮遊する稲光の群れ。人ならざる存在にとっては些細な障害であり、さらに言うと、屈強な身体の表面に纏う別種の稲光が直接の接触を阻んでくれた。
モーティマーは顔を上げる。
「なんだこの速度は?」
――背後にいる奴らは車両ばかり。障害物や倒木を迂回するか乗り越えるのであれば、これほどの速度は発揮できないはず。さらに、接近物事態に耐性アーツが施されている? もしや新手のマグネティストか?
遠ざかっていく巨躯の背中を見送るミゲルは、つい先ほどマイラとした話を思い出す。
「なあ、俺たちにもマイラのバリアを張り付けてくれよ。そうしてくれたら俺たちも敵に接近できる!」
「言っておくけど、これそんなにたいそうなもんじゃないからね? 付与だけなら、できないことはないけど。攻撃を受けたら、ある程度制御しないと、逆にダメージを食らうし」
え、とミゲルは絶句した。
どうにかならないの? とソーニャも目を覗きこんでくるので、マイラは不出来を追及された気分になり、視線を逸らした。
「安全に配慮した運動補助型のアーツを付与するとなったら、私みたいにメスメル野の演算がない以上、その分、事前にその人の身体と運動能力に即した機序を作成するのに時間もかかるし。出来たとしても、動きは限定的になっちゃう。その上、大量のパウダーも消費する。逆に、インスタントな耐性だったら、なんというか……かみ砕いて言うと、強力な攻撃を強力な反発力で押し返してる感じ、って言ったら分かりやすいのかな? 一応、自動で応答する仕組みも組み込めるけど、機械的な反応に終始して、気を抜いたら逆に作用で被験者の体を痛めかねない。だから、必ずしも万能な防御でもない」
「なら、スロウスに施すことはできる?」
「できる……。少し大雑把になるし、アーツの加減で出力の程度が変わった拍子に、スロウス自身にダメージを与える可能性もあるけど。防備にのみ比重を置けば、動きに支障が出ない程度の出力に調整できる、はず」
そう言ってマイラは立ち上がり。
「ソーニャ、スロウスに絶対動かないよう、そして反撃しないように命令して」
ソーニャが、分かったな、と問い詰めればスロウスは身じろぎ一つしない。
杖を回すマイラは、杖頭に巻き付く星雲に手を添え。
「〈ゼノジニック・アンタゴニスト〉」
そう言って、杖を振るって弾き飛ばされた星雲は、見事、スロウスの顔面に直撃する。砕けた星雲は星屑を広げるが、スロウスの顔面に張り付いたままで、中心部から生まれた稲光によって離別を回避し、それどころか稲光が引き寄せるように、再び凝集を初めて、今度は、稲光がスロウスの全体を駆け巡る。
今まで不動を貫いていた巨躯が雷撃に覆われて打ち震えた。
その様子を呆然と見つめる人々にマイラは語り掛ける。
「でも……中に入ってどうするつもり?」
「とりあえず、沢山のお守りをもって、敵に直接殴り込む」
と少女は告げた。
そしてカネロスが仲間を振り返り。
「お守りくらいなら、使用するまで安全に保護してあげられるぞ」
と進言した。
そして現在、全速力で突撃するスロウスにモーティマーは戦慄していた。
一体お前は何者だ! の男の叫びに呼応して雷雲の竜巻が伸び上がる。
マイラが、杖を突き付けた。
「〈アドヒーセブ・リガメントム=リティキュラ〉」
暗雲の表面に薄帯の如く巻き付いていた星雲の残滓が、火花を飛ばして星の瞬きを生み出す。それらが雷撃の蔦を伸ばし、雷撃同士が絡み合い、さらにはマイラの杖が発生させる星雲を内部に流動させて、巨大な網目構造を形成した。
ある種の梱包を受ける雷雲の竜巻は伸長を進めるどころか、星雲の網目の内径がそれぞれ縮小を始め、また背丈を減らしていく。
「なんだこれは……! まさか、さっき削った盾に浸潤性アーツを仕込んでいたのか?」
脳裏をよぎるのは、崖の上での競り合い。直接見ていないが、しかし、相手の星雲の盾を打ち砕いたのは理解していた。
「いや、初めから浸潤を狙っていたんだなッ。おのれ、まずは場所を変えて、そこで解体作業を……」
マイラの杖と雷撃で繋がる網目構造は、微細な雷撃を方々へ飛ばし、自己を固定し、無理に動こうとする竜巻を歪ませる。
竜巻の内部で圧迫を受けるモーティマーは蟹爪を掲げて怒鳴る。
「時間稼ぎのつもりか!」
勝気に笑うマイラ。星々の流動と稲光の躍動が合わさった星雲の緒によって網目構造と結ばれる杖頭を支えていたが、竜巻から降り注ぐ雷撃が、彼女の頬のすぐ横を駆け巡る。光の薄膜が直撃を防ぐとはいえ、苛烈な閃光と雷鳴が鼓膜と網膜を焼く勢いで肉薄し、2種類の光の接触の度に生まれる火花が風圧を拡散する。
それでも顔を少し背けるだけのマイラは、ぎこちなくとも、もう一度笑みを見せつけた。
走るスロウスもまた、雷雲から放出される雷撃を浴びる。しかし、マイラが施した加護が稲光となってそれを受け止め、激しい火花が近くで咲く程度で済ませる。光量も熱も苛烈だがスロウスにとっては反応するにも値しない些事。陰りのない快速で倒木や段差を駆け抜け、巨躯が残す稲光の残像を雷撃の槍が遅れて交差する。
モーティマーは両手で蟹爪を掲げ、怒鳴った。
「来るなら受けて立つ! 直接この俺が雷撃をぶち込んで葬ってくれる! さあ、かかってこいやぁあああ!」
頭上に蟹の爪の杖を構えたモーティマーの目には、怒りが溢れ、蟹の爪からも暗雲が噴出し、焦燥が脂汗を助長する。そして、近接する脅威のいる方角から、一旦目を背けて振り返った先、眼前の激流の向こうでは、マイラが杖を突き付け、あふれる星雲を流し込んできた。
それは雷雲の竜巻の内壁にまで星雲の玉虫色が透けるほどの勢いだった。
しかしモーティマーは、また振り返って、今度は森から近づく集団を知覚したが、最後は頭上に異変を見出し、天を仰ぐ。
見えたのは青空でも太陽でもなく、崖から飛び出し、今まさに落下する巨躯。死を連想させる髑髏の面相。
竜巻に突入したスロウスは、包みを薄紅の星雲ごと引きはがし、露わにしたTRPGの引き金を骨の爪で爪弾く。
モーティマーが大きく開いた目に、発射時の燃焼が赤く映り、白い煙が空間を占領した。
崖の上にいた者たちが目にしたのは、竜巻の上から噴出する白煙。しかし、その発生源は段差の下に隠れており、見ようと思って近づけば、稲光の領域に入ることとなる。
止まったバイクから飛び出す少女が、運転手のイサクに捕まえられた。
「よせソーニャ! 危ないだろ!」
でも! などと腕から抜け出そうとするソーニャ。
見かねたミゲルは表情を険しくし、崖を回り込んで俺たちも現場に行くぞ! と呼びかけた。
躊躇いを見せる仲間達だが。
いくぞー! と拳を突き上げる少女を後ろに乗せるイサクが、バイクを走らせるので、腹を決めた。
川底にいるマイラは暗雲の竜巻から吐き出される煙を見上げる。爆薬の発した煙は星雲と違い、もっと白く無機質で見分けがつく。
竜巻の中では。煙が薄れ巨躯が姿を取り戻し、そして、足元を覆いつくす暗雲の蓋に唸る。
頭と足が同じ高さになったモーティマーは、押し込められた窮屈な姿勢ではあったが、笑みを作って、まだまだ! と豪語した。
その矢先。すぐ顔の近くにある暗雲の流れに小さな火花が生まれ、赤い濃淡で縁取られた鮮やかな緑が滲む。モーティマーが扱っていた暗雲が発する黄色と暗い緑の色彩ではない。新緑を想起させる色合いで、モーティマーを酷く困惑させる。
やがて、鮮やかな色彩の斑点は染み込むように竜巻の一角に広がり、淀んだ色を覆し、やがて艶やかな玉虫色をもつ星雲を放った。それは火花によって小さな空間を席巻する。
マイラは稲光を放つ猫の頭蓋の杖に、空いていた手を添えて微笑む。
「やっと、内部に届いたか……」
モーティマーは慌てて蟹爪に収める袋を押して暗雲を吐き出させる。
「ありえん! キャンサーキャンサーに浸潤性のアーツは効かないし。たとえ効いたとしても反応があるはず!」
「だから、構造を損なわないように素通りするアーツを使わせてもらったよ。といっても破壊作用がないし、これだけでかなり高度な作用機序を盛り込んだから、あんたを直接攻撃するほどの力も付与する余地もなかったけどね……」
「まさか、短期間の間に支持構造のテンプレートアーツを特定されたのか? たが、効力に関しては子供だましのはず。それなら、早急に対処すれば……」
すれ違う会話が交わされる中、モーテイマーは生み出した暗雲の中で舞う星屑の位置を、指でずらし、微差な稲光を爪弾く。
その瞬間、横向きにした鼻先に、巨大な影が墜落した。
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