絶命必死なポリフェニズム ――Welcome to Xanaduca――

屑歯九十九

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第01章――飛翔延髄編

Phase 110: 決意貫く船出

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《PEyoRULA》ペヨルーラ・カンパニーが提供する合成清涼飲料水で、キャッチコピーは『だれでもインスタントにハッピーになれる魔法』ペヨーテとマルーラを混ぜて売り出した飲料水を薬として提供したのが始まりで、以後、配合を変え続け、ザナドゥカのみならず、世界中に広く流通している。


 









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「あっつい」
 
 それが汗だくのソーニャの感想だった。実に陳腐でごくありふれた言葉。しかし、彼女が置かれた状況は、それとは相反する異常事態だ。
 地に落ちたミニッツグラウスの背中で、赤い組織を突き破り現れたスロウスは、吠えたてる。
 無思慮に喚く巨躯きょくの左腕に抱えられたソーニャは、マスクを顔から引きはがして、告げた。

「スロウス! ミニッツグラウスを……ッ! 破壊しろッ!!」

 足元を埋める赤い組織から飛び出す鉈の柄を握り締めたスロウスは、組織を踏み潰しながら巨体の背筋を駆け上がる。突き刺さったままの鉈は硬軟関係なく触れる組織を両断し、遡るミニッツグラウスの背骨を割いて、頭蓋骨に到達する。
 スロウスは深く骨に入る鉈を引き抜き、分厚い頭蓋骨を内側から砕き割った。
 勢い止まらないスロウスはミニッツグラウスの頭を踏み台にして大跳躍。鉈を筆に赤紫の軌跡を宙に描いて重々しく、着地を果たした。
 直後、力を失ったミニッツグラウスの頭が降下し、顎が大地を打ち鳴らす。

「ソーニャッ!」

 その呼び声を発した人たちはソーニャのもとへ集う。真っ先に到着したベンジャミンが未成年を保護するつもりで手を伸ばすが、スロウスが一歩引きさがり、主を隠す。
 だが、自由な身の上であるソーニャは、鉄棒の要領でスロウスの腕を軸に一回転し、着地する。
 大丈夫かソーニャ、と声を震わせるベンジャミンに。
 大丈夫、とソーニャは微笑んで見せた。

「ソーニャァアアア!」

 聞いたことのある声が頭上から降り注いだ。
 皆が顔を上げると、ナスによって地上に降ろされた人物は、履いていたサンダルが地面に触れた途端とたん走り出し、そして、少女に飛び込む。

「エロディ! うわああ!」

 名を呼ぶソーニャを押し倒したエロディは、無我夢中でしがみついた小さい体に涙を押し付ける。

「よくやったソーニャ! あんたは偉いよ! ヒーローだよぉお!」

 泣き濡れるエロディを連れてきたナスが咳ばらいを発した。

『お嬢さん! 今度飛行機に乗るときは絶対にドアから身を乗り出さないように! 次、落下したとき、受け止められてもらえるかは、あなたの運次第ですからね!』

 叱責に理性を取り戻したエロディは、了解しました、と涙声で述べつつ少女を解放した。すると今度は、横からアレサンドロがソーニャの手を奪って、大切そうに握りしめる。

「ありがとうソーニャ……ッ」

 片膝をつき頭を垂れるパイロットにも困った顔になるソーニャは、誤魔化すために苦笑い。そして、振り返り、今度は顔にかげがさす。
 彼女の視線の先には、無残な姿の機体が痙攣けいれんしていた。
 ソーニャを追い越したロッシュ、それに気づいたアレサンドロも顔を上げ、後を追う。
 父親が手を引かなければ、少年は機体に手を触れていたかもしれない。しかし、今その機体に触れることは、胃酸やどのような作用を持っているかわからない体液に曝露することを意味している。
 そして何より、まだ動きをやめない巨体に襲われる危険性も、あふれ出す液体に足を突っ込む、恐れもある。
 ミニッツグラウスは翼を使って前進を試みる。それどころか、体をじって、顎に残った筋肉で、緩やかに口を開閉する。しかし、それらの行為が意味を持つことはなく。もはや、無秩序な動きを繰り広げ、いまだに内包していた液体を飛ばすだけに終わる。
 背後に野次馬を隠すナスが、まだ動くのか? と驚く声を発した。
 解体器具を持ってこい! こうなれば爆破物の用意もだ! とナスたちは飛び交い。下がってください! と野次馬たちを追い返す。
 ベンジャミンは言う。

「頭との連携が失われて、それぞれの部位が勝手に動き出したか?」

 また再生するんじゃ、とアレサンドロは我が子を引き連れ下がってきた。
 ソーニャ曰く。

「どうだろうね……。スロウスがかなり破壊したし、その上、内部の組織が消化液に暴露してる。再生するにしても、今まで通りにはならない、はず」

「すでに栄養もなくなってる可能性もある。ここまで壊れれば、もう元に戻るには何もかもが足りない……」

 ベンジャミンの言葉の後、少女が巨体の直上を指さした。
 のたうち回るミニッツグラウスへ向かって、複数のナスが降下を始める。生の終わりに際し、魂を拾いに来た悪魔を思わせる光景に、皆、息を飲む。
 ナスはそれぞれ、粘土をパッケージしたものに、基盤を重ねた機材から生える電極を突き刺した物体をミニッツグラウスに落としていった。
 別のナス達は、危険です下がってください、とアナウンスする。
 それに誘われてソーニャたちも撤退する。
 人々が十分な距離をとったところで。爆破準備完了! とナスが通告した。
 それからしばらくも経たず、ミニッツグラウスは、爆発を引き起こし、胴体が寸断され、飛沫が転がった。
 マスクを首元に押し抱くソーニャはベンジャミンに尋ねる。

「これからミニッツグラウスを焼却したりするかな?」

「企業次第、だろうな……」

 ミニッツグラウスは、ついに能動的な動きを止めた。
 本当に活動が終わった残骸を目に焼き付けたアレサンドロは、瞳を潤ませる我が子を抱き寄せて言った。

「また最初から、二人でやり直そう。全部終わった訳じゃ、ないんだから……」
 
 少年は父の顔を見上げ、頷き、涙を拭った。
 二人の決意を見届けたソーニャは空を仰いだ。相変わらずひどい天気、と思ったら、いつの間にか風が雲をさらっているところだった。そして、その瞳がにじみだす。

「生きてる……」

 皆、少女の弱弱しい声に注目した。

「ソーニャ……いぎでる」

 目からあふれるものを必死に袖で拭う少女に、ベンジャミンは笑みがこぼれた。

「ああ、そうだ。俺たち生き残ったぞ」

「う、うううぅ……」

 盛大に泣き出すソーニャ。
 ベンジャミンは頭を掻く。

「どうしたんだ。喜べよ」

「なんだが、あんじんじだらぁあああああ。畜生ぉおおお!」

 ソーニャはいきなりスロウスを殴る蹴る。その行動に理解が追い付かず、戸惑う周囲。
 彼女の言い分は。

「畜生! もっと早く動けよ! 銃向けられてこわかったんだぞおおおお! それにお前が皮膚を踏み抜いたせいで死にかけたんだ! 地獄におじろぉおおお!」

 理不尽に聞こえる少女の主張に、周囲は苦笑いにならざるを得ない。
 同じころ、やんちゃな印象の鰐を描いた機体が、町の外の荒れ地にて、順当な着陸を果たした。
 操縦席のレントンが窓から少女の無事を確認し、安堵の息をつく。そして、備え付けの無線機のマイクを取った。

「こちらレントン。聞こえるかマーキュリー。今……街の東側の荒野にいる」

『了解……こっも話がおおよそ合意に達した。機体の確認をしておけ。お前はすぐ物を壊すからな」

 言ってろ、と返答したレントンは改めて少女を見つめて、呟く。

「……リック。あんたの娘が町を救ったぞ」

 その言葉が届くのは、またいずれ。今少女に必要なのは感情を受け止めてくれる人。その大役を買って出たエロディは、抱きしめるのに加えて頬ずりまでして、徹底的に少女を甘やかし、あやしつづけた。






 暮れなずむ夕日を見つめる町の住人たちは、壁の内側にもいれば外にもいた。
 ソーニャの泣きはらした顔も空を染める赤い色でごまかされる。

「落ち着いた?」

 振り返ったソーニャはエロディの差し出すペヨルーラを頂いた。

「ありがとう」

 エロディは少女の隣に座る。

「感謝するのはこっちのほうだよ。あんたが町を守ってくれなかったら、どうなってたか」

 まったくだ、と同じくペヨルーラを片手にベンジャミンが近づいてくるが、飲料を口に含んだ瞬間苦悶に顔をゆがませた。
 大丈夫? とソーニャが心配するが。

「ああ、問題ない。ごたごたの最中さいちゅう、少し口の中を切っただけだ」

「そうか。あんまり痛いなら、鎮静剤を打とうか?」

 少女が持ち出したボトルを目にしたベンジャミンは、それSm用の麻酔だろが、と苦言を呈する。
 悪い笑みになるソーニャは。

「知らないのぉ? この中には人間にも有効な、ベラドンナの成分やテトロドトキシンが含まれてるんだよぉ」

「んなもんいるか! ビール飲んだら一晩で治る! しまえしまえ!」

「なら、ビールの一本でも持ってくればよかったな」

 瓶を咥えた3人が振り返ると、マーカスがペヨルーラのボトルを抱えて苦笑でぼやく。

「一足遅かったか」

 目を細めたエロディはペヨルーラを一口あおってから言う。

「マーカス……今更のこのこ顔出しやがって、この裏切者め」

「いやいや、俺はお前さんと違って良識があるんだ。強引に乗り込むなんてできないよ」

「ふん! それでも同じ町に住む仲間なの? あたしはあんただけは家族思いで仲間思いで町を愛する真の男だと思ってたのに!」

 ベンジャミンとソーニャは目が合い、笑いあう。
 それに納得いかないエロディは、ちょっと笑わないでよ、と声を荒げて。そして別のことに引っかかる。

「そうだ! エヴァンは、あの野郎どこ?」
 
 マーカスは町に視線を移す。

「我が息子は自分の不甲斐なさに打ちひしがれてますよ」

 

 くだんの少年エヴァンはそのころ、整備格納庫にて、逆立ち腕立て伏せをしていた。

「一万……六百……四十……」

 全身から汗を流し、目は血走っていた。周りの大人たちは

「もういい! もういいんだ少年!」

「こいつの言うことを聞くな少年! 限界に挑め!」

「畜生……一万五千突破するなんて……」

「二万回突破に賭ける奴いないか!?」

 目を真っ赤にしたエヴァンは盛大に鼻血を噴出した。

「一万……」

しかし止まらなかった。



 マーカスは3人に、いったん帰らないか? と提案する。
 エロディは微妙な表情を浮かべる。

「今帰ったら……あたし、ママにブッコロリンされちゃう」

 だんだんと顔から血の気が引いていくあたり、冗談でもなさそうだ。
 ベンジャミンも。

「俺も、やんちゃしすぎたからなぁ……カミさんに犬の墓の隣に埋められかねない」

 そういって無言で飲料をあおる2人に対し。マーカスは、そうか、とそれ以上かける言葉が見つからない。

「ソーニャは……」

 少女は囲壁を見上げ、その中でガレージにいるであろう老人を思った。本当は違うが、知る由もない。

「一旦帰ったらどうだ?」

 ベンジャミンの提案に対し、首を横に振ったソーニャは、近づいてくるレントンと目が合う。
 止まっていたディノモウに、人が乗り込む。それを親指で示すレントン。

「今すぐ目的地に向かって出発することもできる。管制と話しをつけたからな」

 本当か、とベンジャミンが驚いた。
 マーカスに無言で差し出されたペヨルーラを受け取ったレントンは、軽く瓶を掲揚して感謝を伝えてから、語りだす。

「ああ、今しがたディノモウに乗った俺の相棒が、ついさっきまで空港でいろいろ調整してくれてな、加えて、ギャレットとルイス、それにグライア中尉が方々に掛け合ってくれたらしい。いつでも優先して飛ばせてくれるってさ」

「いいのか? 空港ってのは、常に適切に決められたとおりに飛ばさないといけないって聞いてたが」

 マーカスの疑問にレントンは頷く。

「ああ、そうだ。だから俺たちが地上にいる分、ほかの飛行機がいろいろ困るわけだ。けど、今すぐ事情を説明したら、また日を改めて、出発することもできる」

「行こう」

 ソーニャは座席代わりにしていたスロウスから飛び降りた。
 今まで四つん這いになっていた巨躯から、エロディも離れると、少女の服を掴む。
 ソーニャは振り返ると、女性と目が合って、息を飲む。
 エロディの鼻の上は朱に染まり、目を占拠する涙が頬を伝う。そして、呆然とする間にソーニャはまた抱き着かれた。転びそうになるが何とか踏みとどまるソーニャ。
 エロディは訴えた。
 
「絶対に! 帰って来いよ!」

 優しさと強さが溢れる言葉にソーニャは微笑むと。エロディの背中を撫でる。

「もちろん!」

 そう言って空を舞ったのだ。



 小さくなっていく航空機に手を振り続けたエロディ。
 一人の少女の名前がずっと、響いていた。
 ディノモウの機内では、離れ行く友人にソーニャも手を振り返す。
 すると、彼女の懐で音楽が鳴り響く。ソーニャが取り出したのは、セマフォだった。
 もしもし、と呼びかける。

『……私ハ……アーサーの上司のジャーマンD7ダ』

「ああ、クソバカ欠陥上司……あ」

 
 ソーニャは慌てて自身の口を押える。

『……ソノ評価については、リソース元である部下と後ほど面談スルとして。私は君の保護者であるリック・ヒギンボサムから、伝言を頼まれた』

 伝言? と復唱してソーニャは身構える。

『……

 ソーニャは目を丸くした。

『確カニ伝えた。君からも、何か伝えることはアルか?」

 少女は微笑む。

「ソーニャもだよ、って……」

 了解シタ、と言って通話は終わる。
 ソーニャはセマフォを胸に抱き、町に目を向けた。  
 その後ろ姿と膝を抱えて黙っていたスロウスを確認したレントンは、コクピットに戻り、操縦席を担当する人物に話しかける。

「悪かったよ。いろいろ勝手に決めてさ」

 相手の服装はフライトジャケットにジーンズとブーツ。そして、頭と両手を含め、肌が見える部分はすべて包帯で包んでいた。

「……俺は別に構わない。いざとなったら、足を使って逃げるさ」

 口だけ苦笑いになるレントンは

「そいつは、言うほど簡単じゃないさ……足が有ろうと翼が有ろうと。帰る場所がない俺達には……」

 そう言って、再び少女に振り替える。



 空港では、窓から空を見るメイ・グライアが、遠ざかる機影に敬礼する。

 路上にいたアーサーとジャーマンD7は一触即発の雰囲気から一変、視線を空へと向ける。

 格納庫にて周りに囃し立てられていたエヴァンは、飛行機の音に誘われ、ついに両足を床につけ、空を見上げた。

 執務室に帰っていたタウンゼントは、自分のいる上階よりも、より高い場所を行く者たちに目を細めた。

 リックは振り返る。しばしの間、遠くの空を見つめていたが、やがて目を瞑る。
 無念に似た感情が読み取れて恐る恐る若い職人が、大丈夫ですか? と尋ねた。

「ああ、大丈夫だ」

 リックは笑い、皆に言った。

「早く仕事を終わらせて……。そして、みんな家に帰るんだ」

 誰もが、帰る場所を思って、また進みだす。
 








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