110 / 226
第01章――飛翔延髄編
Phase 109:切り裂いた効果。
しおりを挟む
《モンゴリアンライフワーム自由機体牽引モデル》モンゴリアンライフワームの派生型機種。SmNAの組み換えと、品種改良によって、強度を保ったまま柔軟性を上げている。誕生した経緯は、エゴ度の高い自己完結航空機が、人の制御外の活動を示した際に、お互いに干渉し合い、接触によって破損などを引き起こさないようにするためであった。体長も長くなるのでその分必要な燃料も多くなるが、使われる頻度は少ない。
Now Loading……
ミニッツグラウスの翼が反り返った。それは脊椎断絶に端を発した。
ベンジャミン曰く。
「意識的に引っ張ってた工学筋の均衡が崩れたんだ」
ソーニャは解説する。
「つまり! 今までは、背中の筋肉組織によって重力に逆らい反りあがろうとしていた翼を、翼の下に通った筋肉で引っ張って水平の位置に保っていた。ところが、それらの働きを果たすための連絡係である脊柱が寸断され、下の筋肉への指令がなくなって、結果、下の筋肉が脱力し、引き延ばされていた背中の筋肉が元の長さに戻って、それに伴い翼が反りあがってしまったのだ! と思う」
『つまり作戦が成功したと考えていいのか?』
少女の補足をわきに置いたメイの言葉にベンジャミンは、そう思うことにする! と雑に返した。
その断言を後押ししたのは、ゆっくりと回転を終えていくプロペラ。
重力機関室では、モニターの画面の下にあるダイヤルが回転し、示す数字を減じていく。
重力機関士は告げた。
「機長! 重力抵抗の値が減じました! 悲願である機体の鎮静化成功です! これなら機体の抵抗を受けず引っ張れます!」
マスクを脱いだソーニャは顔の水分を乱暴に袖で拭ってから上を向く。
「あとは任せたよ機長さん!」
少女の高らかな声に呼応してケラーマンは言い放った。
「重力機関を鞭打て! じゃじゃ馬を外へと追い出すぞ!」
待て! とメイが告げる。だがケラーマンは止まらず伝えた。
「重力機関の限界がいつ来てもおかしくない! いや、すでに限界だ! これが最後のチャンスなんだ!」
「外に連れ出して!」
と声を張り上げたのはソーニャ。
抱えていたナスは慌てて翅を震わせると、細身の胴体が浮き上がる。ところがスロウスがナスの脚をつかんで引き寄せた。
ソーニャは睨み、スロウス! と怒鳴る。
即座にメイが無線で告げる。
『いや、スロウスにしがみつくように命令してくれ! 重力低下が著しい……。空気が軽くなった今、下手に飛べない」
風の勢いが増す中、どういうこと? とソーニャはマスクを再装着した。
『重力機関が重さを奪って、空気が軽くなった。空気が軽いとその分、羽ばたきで得られる力が弱くなるんだ。加えて今、私のナスも重力支配の影響に晒されてる。無理に飛び出したら風に機体を煽られ、バランスを失う』
ケラーマンは早口の謝罪で通信に割り込む。
『すまない二人とも! こっちの重力機関はおじいさんで、ハードワークもたたって細かい仕事が無理になってる!』
理解したソーニャは命じる。
「スロウス! ソーニャたちを胸に抱き、ミニッツグラウスの背中にしがみつけ!」
スロウスは胸で主とナスを押さえつける形でグラウスの羽毛にしがみつく。
少女とナスは開かれたグラウスの傷口に隠される形となった。
ちなみにパラシュートでの降下は? とソーニャが聞く。
やめておけ! とメイは即答した。
苦悶に顔が歪むソーニャの目には囲壁の高さが自分の今現在の位置と大差ないように思えた。
ワームで繋がりあう航空機は、ミニッツグラウスとの距離を縮める。それぞれの機内では、ワームの端を噛むコロコッタとは別に、ワームの胴体を横から咥えるコロコッタが活躍する。その牙は、黒いゴム製の突起が並ぶマウスピースに置換しており、胴体はおろか、人体を噛んでも傷つけなさそうだ。
整備士は言う。
「よっしゃ! 今ならがっちり固定して、がっちり牽引できる!」
「でも高さ大丈夫なの?」
部外者のエロディの疑問に整備士はコロコッタを叩いた。
「そいつはこいつと……」
航空機の機内を親指で示し。
「こいつ頼みだ」
つまり、とエロディは縋る面持ちで返す。
整備士の一人が呟く。
「俺達頼みってことか……」
牽引に駆り出された航空機のパイロット、そして、空港の格納庫では、胡坐の姿勢でヘッドギアを装着したルイスをはじめとする保安兵がコロコッタの操縦に気を引き締め、彼ら一人一人に整備士が付き添う。
その中心でルイスが告げる。
「いいか! コロコッタの制御に気を配れ! ただ噛み締めるだけじゃない! 支える四肢の感覚に集中しろ! 通信に障害を感じたら、整備士の手を借りて機体の受信感覚領域を削って四肢に限定するんだ。機体が壊れても構わん。不調は現場の整備士に任せる!」
了解! と一同が返答する。
牽引担当の航空機が上昇してワームが張り詰めると、コロコッタの全身の筋肉が引き締まる。
地上では保安兵の一団が車両を走らせ、その一台のフロントに乗り上げるジャーマンD7が指令を下す。
「現地班! 状況報告!」
今まで上官を運んでいたアーサーは天を仰ぎ、黙示録っすよ、と現実を無駄に形容する。
ミニッツグラウスの高度は地上に大きな影を落とすほど低くなっていた。
アレサンドロは輸送機の窓から我が家であり、友であった機体の行方を見守り、しがみつく息子の肩を引き寄せる。
メイが指令を下す。
『誰か! ソーニャを救助する案を!』
『今重力低下領域に入ったらナスは羽ばたけません。風圧であおられます』
『もしナスの制御を欠いて、どちらかの機体に激突すれば……』
『ぐッ……すまないソーニャ!』
メイに名を呼ばれた少女は、しかし、それどころじゃなかった。
「うおおおおおおおお」
寒さで体が震えるのとは裏腹にミニッツグラウスの体から熱気が放たれ、そして、スロウスが切り裂いた肉の切断面から細い管が生える。赤黒い根が重力に逆らって成長し、スロウスもろとも少女を包んでいく。ミニッツグラウスの呻きが再開し、翼を水平に戻すと、ベンジャミンは目を見張った。
「まさか、再生してるのか?」
「重力抵抗が増大し始めました!」
機関室からの泣き言を聞いて機長ケラーマンは、止めるな! と一喝する。
「このままじゃ壁に……」
言われた機長が真正面に見据えたのは、壁であった。
機体の左エンジンに異常発生! と副機長が告げる。
『こちら重力機関室! メインの心拍機関が不整脈を引き起こしました!』
あと少しなんだッ、とケラーマンは本音を漏らす。
メイがソーニャの名を呼ぶ。マスクで顔を隠す彼女は、しかし力強く答えた。
「大丈夫……ソーニャ達なら、このまま、いけるッ」
『すまない』
ミニッツグラウスの傷口から成長する血の色をした管は、求めるようにスロウスとナス、そしてソーニャを包んでいく。
少女の手は、心細く自己を主張する管に触れた。
「ごめんね……。でも……」
スロウスは主に呼ばれ、そして身を起こす。まだ傷口の底で姿を晒していた脊椎を押さえつけ、突き刺さる鉈を掴む。
ナスは少女を手放し、自信をグラウスから生まれる血色の管に任せた。
スロウスの懐に潜り込んだソーニャが耳を塞ぐ。
雄叫びを上げるスロウスは、引き抜いた鉈を振るって、成長する管を尽く薙ぎ払った。すぐさま今度は、脊椎の切れ目を握り締め、骨の指先を食い込ませる。その手の骨をガイドレールにして突き落とされた鉈は、分厚い刃でもって脊椎の深部を抉ると、奥底から粘度の高い液体が溢れる。
ミニッツグラウスの口から間欠泉のごとく水蒸気が噴出した。
重力機関室では汽笛が鳴り、赤いランプが点滅し、細長いガラス管の中で液体が沸騰し、熱気が充満する。
機関士たちがレバーやらを引っ張り、クランクを回す。
ミニッツグラウスの下顎は、町を守る囲壁に触れる。
牽引する12機の航空機が上を向く。
ケラーマンが操るクラウドウェーブもまた上昇した。
ミニッツグラウスの腹が囲壁の上に乗り上げ、壁を構成する鋼板の継ぎ接ぎが、おろし金となってワームを断ち、羽を毟り、グラウスの腹の有機組織を削る。
ワームを任されていたコロコッタは、突如抵抗を失い自分の力の反動で後ろへと、のけ反る。
代わってエロディが搭乗口に抱き着き、身を乗り出すと、慌てて整備士が彼女の腰を抱える。
重力機関室で機関士が叫んだ。
「重力機関停止します!」
「各機備えろ!」
機長の号令を合図にクラウドウェーブが離脱する。牽引役の12機もそれに順じた。
自身の転落の危機もお構いなしのエロディは。
「ソーニャァアアアア!」
女性の呼び声を浴びるミニッツグラウスは囲壁の上を滑走する。それを引き留めようとするものは、もはや摩擦以外何もなく、しかしそれすらほぼ無力のまま、巨体は壁を過ぎ去る。
町の外の荒れ野で待機していた人々は、空から落ちてきたモノに動こうとしない。それは、自分たちには決して被害が出ないと高をくくった訳ではなく、あまりにも性急な登場に対し、逃げる、という判断と行動が追い付かないからだった。
一人の男性が茫然自失に任せて口から落としたタバコが地面に触れると、ミニッツグラウスの不時着が果たされた。
巨体が大地に叩きつけられ、一帯に飛び散る血肉と骨片と液体は、膨大だった。
墜落した機体から解き放たれた黄色の体液は、囲壁に付着した途端、煙を放つ。大惨事と異臭に慄いて、野次馬が集うことはない。代わりにナスが接近する。
少女の名を呼びかけるメイの声が広く轟く。
ナスによって地上に降ろされたベンジャミンもマスクを脱ぎ、声を張り上げて少女を呼ぶ。
無事着陸した輸送機からアレサンドロ親子も出てくる。ナスが止めるが負傷した彼は息子に支えられ、無残な骸となり果てた愛機へ近づく。すると
大型船の汽笛と百の獣の慟哭を束ねたような咆哮が空へ向かって響き渡った。
落雷と聞き間違えそうな、あるいは数えるのが馬鹿らしいほど大量の壊れた管楽器を一斉に吹いたような無様でむなしい叫びを発して、ミニッツグラウスが仰け反る。それは、自分が今まで君臨していた空を求める妄執と、もはや飛び立てそうにない嘆きを体現する。
ベンジャミンは退いた。つま先に熱を感じて足を引っ込めると、ちょど黄色の水たまりが泡を上げている。慌てて靴を脱ぎ、そして、まっさらな荒れ地の土で爪先を拭って、事なきを得る。安堵した直後、強烈な臭気に青ざめると雑にマスクを顔へ押し付けた。それでも少女を呼ぶのはやめない。だが、探し人に近づこうと思っても、ミニッツグラウスがさせない。もはや体が下半分溶けたように崩れる機体は、いったい、どこの何を使っているのか、身を捩って地面を這いずる。
「なんて生命力だよッ」
声を荒げるベンジャミンにナスが飛んでくる。
いったいどうなってる? とメイの声が問い正す。
それを聞いてベンジャミンは振り返って、お前、と呼びかけるが。
『すまない。機体の通信が途絶して、今、言葉だけを部下に届けさせてる状態だ……。それより』
見てみろ、とベンジャミンが指し示すミニッツグラウスは羽毛を萎ませ、露出した表皮が消失し、露になる肉が溶けて、曝された骨に亀裂が走る。全体が痩せ細り、肉の繊維が雑に張り付くだけとなったミニッツグラウスは、まるで腐乱した蛇のようだった。
短いかま首をもたげて、わずかに残る筋肉が下顎をぶら下げる。どうやっても元に戻るはずのない肉体は、それでも激しく誇示を続け、動き回る。時に体を揺さぶり、地面に顎をたたきつける。
ロッシュは父に抱き着き目を逸らした。
後ろ歩きで離れていくベンジャミンは怪物の背中に注目する。
ミニッツグラウスの背骨に沿う形で、残った表皮と筋肉の重なりは、頭に向かって膨れ上がっていく。そして、深部に隠していた赤い組織がはじけ、そこから現れたスロウスが立ち上がり、死んだナスを投げ捨て、懐から転び出る主を抱えて雄叫びを上げた。
Now Loading……
ミニッツグラウスの翼が反り返った。それは脊椎断絶に端を発した。
ベンジャミン曰く。
「意識的に引っ張ってた工学筋の均衡が崩れたんだ」
ソーニャは解説する。
「つまり! 今までは、背中の筋肉組織によって重力に逆らい反りあがろうとしていた翼を、翼の下に通った筋肉で引っ張って水平の位置に保っていた。ところが、それらの働きを果たすための連絡係である脊柱が寸断され、下の筋肉への指令がなくなって、結果、下の筋肉が脱力し、引き延ばされていた背中の筋肉が元の長さに戻って、それに伴い翼が反りあがってしまったのだ! と思う」
『つまり作戦が成功したと考えていいのか?』
少女の補足をわきに置いたメイの言葉にベンジャミンは、そう思うことにする! と雑に返した。
その断言を後押ししたのは、ゆっくりと回転を終えていくプロペラ。
重力機関室では、モニターの画面の下にあるダイヤルが回転し、示す数字を減じていく。
重力機関士は告げた。
「機長! 重力抵抗の値が減じました! 悲願である機体の鎮静化成功です! これなら機体の抵抗を受けず引っ張れます!」
マスクを脱いだソーニャは顔の水分を乱暴に袖で拭ってから上を向く。
「あとは任せたよ機長さん!」
少女の高らかな声に呼応してケラーマンは言い放った。
「重力機関を鞭打て! じゃじゃ馬を外へと追い出すぞ!」
待て! とメイが告げる。だがケラーマンは止まらず伝えた。
「重力機関の限界がいつ来てもおかしくない! いや、すでに限界だ! これが最後のチャンスなんだ!」
「外に連れ出して!」
と声を張り上げたのはソーニャ。
抱えていたナスは慌てて翅を震わせると、細身の胴体が浮き上がる。ところがスロウスがナスの脚をつかんで引き寄せた。
ソーニャは睨み、スロウス! と怒鳴る。
即座にメイが無線で告げる。
『いや、スロウスにしがみつくように命令してくれ! 重力低下が著しい……。空気が軽くなった今、下手に飛べない」
風の勢いが増す中、どういうこと? とソーニャはマスクを再装着した。
『重力機関が重さを奪って、空気が軽くなった。空気が軽いとその分、羽ばたきで得られる力が弱くなるんだ。加えて今、私のナスも重力支配の影響に晒されてる。無理に飛び出したら風に機体を煽られ、バランスを失う』
ケラーマンは早口の謝罪で通信に割り込む。
『すまない二人とも! こっちの重力機関はおじいさんで、ハードワークもたたって細かい仕事が無理になってる!』
理解したソーニャは命じる。
「スロウス! ソーニャたちを胸に抱き、ミニッツグラウスの背中にしがみつけ!」
スロウスは胸で主とナスを押さえつける形でグラウスの羽毛にしがみつく。
少女とナスは開かれたグラウスの傷口に隠される形となった。
ちなみにパラシュートでの降下は? とソーニャが聞く。
やめておけ! とメイは即答した。
苦悶に顔が歪むソーニャの目には囲壁の高さが自分の今現在の位置と大差ないように思えた。
ワームで繋がりあう航空機は、ミニッツグラウスとの距離を縮める。それぞれの機内では、ワームの端を噛むコロコッタとは別に、ワームの胴体を横から咥えるコロコッタが活躍する。その牙は、黒いゴム製の突起が並ぶマウスピースに置換しており、胴体はおろか、人体を噛んでも傷つけなさそうだ。
整備士は言う。
「よっしゃ! 今ならがっちり固定して、がっちり牽引できる!」
「でも高さ大丈夫なの?」
部外者のエロディの疑問に整備士はコロコッタを叩いた。
「そいつはこいつと……」
航空機の機内を親指で示し。
「こいつ頼みだ」
つまり、とエロディは縋る面持ちで返す。
整備士の一人が呟く。
「俺達頼みってことか……」
牽引に駆り出された航空機のパイロット、そして、空港の格納庫では、胡坐の姿勢でヘッドギアを装着したルイスをはじめとする保安兵がコロコッタの操縦に気を引き締め、彼ら一人一人に整備士が付き添う。
その中心でルイスが告げる。
「いいか! コロコッタの制御に気を配れ! ただ噛み締めるだけじゃない! 支える四肢の感覚に集中しろ! 通信に障害を感じたら、整備士の手を借りて機体の受信感覚領域を削って四肢に限定するんだ。機体が壊れても構わん。不調は現場の整備士に任せる!」
了解! と一同が返答する。
牽引担当の航空機が上昇してワームが張り詰めると、コロコッタの全身の筋肉が引き締まる。
地上では保安兵の一団が車両を走らせ、その一台のフロントに乗り上げるジャーマンD7が指令を下す。
「現地班! 状況報告!」
今まで上官を運んでいたアーサーは天を仰ぎ、黙示録っすよ、と現実を無駄に形容する。
ミニッツグラウスの高度は地上に大きな影を落とすほど低くなっていた。
アレサンドロは輸送機の窓から我が家であり、友であった機体の行方を見守り、しがみつく息子の肩を引き寄せる。
メイが指令を下す。
『誰か! ソーニャを救助する案を!』
『今重力低下領域に入ったらナスは羽ばたけません。風圧であおられます』
『もしナスの制御を欠いて、どちらかの機体に激突すれば……』
『ぐッ……すまないソーニャ!』
メイに名を呼ばれた少女は、しかし、それどころじゃなかった。
「うおおおおおおおお」
寒さで体が震えるのとは裏腹にミニッツグラウスの体から熱気が放たれ、そして、スロウスが切り裂いた肉の切断面から細い管が生える。赤黒い根が重力に逆らって成長し、スロウスもろとも少女を包んでいく。ミニッツグラウスの呻きが再開し、翼を水平に戻すと、ベンジャミンは目を見張った。
「まさか、再生してるのか?」
「重力抵抗が増大し始めました!」
機関室からの泣き言を聞いて機長ケラーマンは、止めるな! と一喝する。
「このままじゃ壁に……」
言われた機長が真正面に見据えたのは、壁であった。
機体の左エンジンに異常発生! と副機長が告げる。
『こちら重力機関室! メインの心拍機関が不整脈を引き起こしました!』
あと少しなんだッ、とケラーマンは本音を漏らす。
メイがソーニャの名を呼ぶ。マスクで顔を隠す彼女は、しかし力強く答えた。
「大丈夫……ソーニャ達なら、このまま、いけるッ」
『すまない』
ミニッツグラウスの傷口から成長する血の色をした管は、求めるようにスロウスとナス、そしてソーニャを包んでいく。
少女の手は、心細く自己を主張する管に触れた。
「ごめんね……。でも……」
スロウスは主に呼ばれ、そして身を起こす。まだ傷口の底で姿を晒していた脊椎を押さえつけ、突き刺さる鉈を掴む。
ナスは少女を手放し、自信をグラウスから生まれる血色の管に任せた。
スロウスの懐に潜り込んだソーニャが耳を塞ぐ。
雄叫びを上げるスロウスは、引き抜いた鉈を振るって、成長する管を尽く薙ぎ払った。すぐさま今度は、脊椎の切れ目を握り締め、骨の指先を食い込ませる。その手の骨をガイドレールにして突き落とされた鉈は、分厚い刃でもって脊椎の深部を抉ると、奥底から粘度の高い液体が溢れる。
ミニッツグラウスの口から間欠泉のごとく水蒸気が噴出した。
重力機関室では汽笛が鳴り、赤いランプが点滅し、細長いガラス管の中で液体が沸騰し、熱気が充満する。
機関士たちがレバーやらを引っ張り、クランクを回す。
ミニッツグラウスの下顎は、町を守る囲壁に触れる。
牽引する12機の航空機が上を向く。
ケラーマンが操るクラウドウェーブもまた上昇した。
ミニッツグラウスの腹が囲壁の上に乗り上げ、壁を構成する鋼板の継ぎ接ぎが、おろし金となってワームを断ち、羽を毟り、グラウスの腹の有機組織を削る。
ワームを任されていたコロコッタは、突如抵抗を失い自分の力の反動で後ろへと、のけ反る。
代わってエロディが搭乗口に抱き着き、身を乗り出すと、慌てて整備士が彼女の腰を抱える。
重力機関室で機関士が叫んだ。
「重力機関停止します!」
「各機備えろ!」
機長の号令を合図にクラウドウェーブが離脱する。牽引役の12機もそれに順じた。
自身の転落の危機もお構いなしのエロディは。
「ソーニャァアアアア!」
女性の呼び声を浴びるミニッツグラウスは囲壁の上を滑走する。それを引き留めようとするものは、もはや摩擦以外何もなく、しかしそれすらほぼ無力のまま、巨体は壁を過ぎ去る。
町の外の荒れ野で待機していた人々は、空から落ちてきたモノに動こうとしない。それは、自分たちには決して被害が出ないと高をくくった訳ではなく、あまりにも性急な登場に対し、逃げる、という判断と行動が追い付かないからだった。
一人の男性が茫然自失に任せて口から落としたタバコが地面に触れると、ミニッツグラウスの不時着が果たされた。
巨体が大地に叩きつけられ、一帯に飛び散る血肉と骨片と液体は、膨大だった。
墜落した機体から解き放たれた黄色の体液は、囲壁に付着した途端、煙を放つ。大惨事と異臭に慄いて、野次馬が集うことはない。代わりにナスが接近する。
少女の名を呼びかけるメイの声が広く轟く。
ナスによって地上に降ろされたベンジャミンもマスクを脱ぎ、声を張り上げて少女を呼ぶ。
無事着陸した輸送機からアレサンドロ親子も出てくる。ナスが止めるが負傷した彼は息子に支えられ、無残な骸となり果てた愛機へ近づく。すると
大型船の汽笛と百の獣の慟哭を束ねたような咆哮が空へ向かって響き渡った。
落雷と聞き間違えそうな、あるいは数えるのが馬鹿らしいほど大量の壊れた管楽器を一斉に吹いたような無様でむなしい叫びを発して、ミニッツグラウスが仰け反る。それは、自分が今まで君臨していた空を求める妄執と、もはや飛び立てそうにない嘆きを体現する。
ベンジャミンは退いた。つま先に熱を感じて足を引っ込めると、ちょど黄色の水たまりが泡を上げている。慌てて靴を脱ぎ、そして、まっさらな荒れ地の土で爪先を拭って、事なきを得る。安堵した直後、強烈な臭気に青ざめると雑にマスクを顔へ押し付けた。それでも少女を呼ぶのはやめない。だが、探し人に近づこうと思っても、ミニッツグラウスがさせない。もはや体が下半分溶けたように崩れる機体は、いったい、どこの何を使っているのか、身を捩って地面を這いずる。
「なんて生命力だよッ」
声を荒げるベンジャミンにナスが飛んでくる。
いったいどうなってる? とメイの声が問い正す。
それを聞いてベンジャミンは振り返って、お前、と呼びかけるが。
『すまない。機体の通信が途絶して、今、言葉だけを部下に届けさせてる状態だ……。それより』
見てみろ、とベンジャミンが指し示すミニッツグラウスは羽毛を萎ませ、露出した表皮が消失し、露になる肉が溶けて、曝された骨に亀裂が走る。全体が痩せ細り、肉の繊維が雑に張り付くだけとなったミニッツグラウスは、まるで腐乱した蛇のようだった。
短いかま首をもたげて、わずかに残る筋肉が下顎をぶら下げる。どうやっても元に戻るはずのない肉体は、それでも激しく誇示を続け、動き回る。時に体を揺さぶり、地面に顎をたたきつける。
ロッシュは父に抱き着き目を逸らした。
後ろ歩きで離れていくベンジャミンは怪物の背中に注目する。
ミニッツグラウスの背骨に沿う形で、残った表皮と筋肉の重なりは、頭に向かって膨れ上がっていく。そして、深部に隠していた赤い組織がはじけ、そこから現れたスロウスが立ち上がり、死んだナスを投げ捨て、懐から転び出る主を抱えて雄叫びを上げた。
0
お気に入りに追加
4
あなたにおすすめの小説
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
体育座りでスカートを汚してしまったあの日々
yoshieeesan
現代文学
学生時代にやたらとさせられた体育座りですが、女性からすると服が汚れた嫌な思い出が多いです。そういった短編小説を書いていきます。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
クラスメイトの美少女と無人島に流された件
桜井正宗
青春
修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。
高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。
どうやら、漂流して流されていたようだった。
帰ろうにも島は『無人島』。
しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。
男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?
プール終わり、自分のバッグにクラスメイトのパンツが入っていたらどうする?
九拾七
青春
プールの授業が午前中のときは水着を着こんでいく。
で、パンツを持っていくのを忘れる。
というのはよくある笑い話。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる