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第01章――飛翔延髄編

Phase 95:現場職人

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《投与車》Smに薬剤を効率よく投与するために開発された作業車。巨大Smへの燃料補給や薬剤投与を目的とした車両で、最初は小型の消防ポンプ車を改良して使われていた。第三次終末戦争後、旧政府、並びに各企業が主導した各地の大規模なインフラ事業に伴い大型Smの需要が拡大したことで、専用の投与車が一から作られ、売り出されたが、その後の小型Smの躍進、並びにインフラ事業縮小に合わせて、販売が下火となり、生産台数も減っていった。しかし、技術自体は存続し、今では投与車の機能そのものを大型Smに組み込む例もある。












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 マシンガンシリンジで機体に投薬するベンジャミンは、作業を覗き込んでくるソーニャに説明する。

「注入しているケリュケホルムとレージニウム、それから、ヒプノイシンが全身に届いてミニッツグラウスの動きが止まれば重力牽引の作業がもっと簡単にかつ確実になる。それと、導管結栓が起こらないように繊維融解剤も入れる」

「それだけの量を一気に入れるとなると、ガンスプレーじゃ、やっぱり手に余るね」

「だな、運んでもらわなかったら、どうなってたか……」

「少し前までは内部から器官を破壊しよう、と思ったけど。見たところ隙間が埋まってるどころか、様々な新器官、導管が適当に発達して絡み合ってるから、難しい。まだ強靭な支持組織が発達してないのは救いだけど」

 思案するソーニャに、ベンジャミンは少し楽観を含んだ言葉を返した。

「だが、導管が張り巡らされているなら、その分薬が各所に届くはずだ。悪いことだけじゃない。ゴミフォアグラのことを除けばな。発達した導管がそっちに流動してたら」

「いくら投薬しても分解される」

 口調が自然と消沈するベンジャミン。

「おまけに、耐性情報が更新される可能性もある。だから、これで失敗したら。いよいよ。撃墜作戦だ」

 整備士の予言に、ソーニャは一瞬の間をおいて、そうだね、と答え、地上へと思いを巡らせた。






「了解シタ。引き続き。特殊作戦部隊と情報を共有し、協力者の指示を主体として任務に当たれ。こちらも町に落ちた場合に備えて武器と人員を配置スル」

 地上では、ジャーマンD7に保安兵が集っていた。しかし、届いた無線はジャーマンD7の内部で送受信が完結しており、ルイスの声は上官だけが知る。

『わかりました。その、もし、協力を求められた場合は、コマンダー・グライアの指揮下に我々も入る、ということでよろしいですか?』

「そうするノダ。どのみち我々の知識と資源では手が余るからな。逐次情報は受け取れるようにせよ。情報不足が地上の避難誘導や対応に支障をきたすとも限らん。そして、もし何か必要リソースの要請があれば可能な限り要求に応える用意がある旨を指揮官に伝エヨ」

『わかりました。それで、ベンジャミンとソーニャの家族に、このことは?』

 ジャーマンD7はリックを観察する。
 件の老人はイソリ社の研究者とともにゴブリンの処理にあたって指示を飛ばし、時に情報に耳を傾ける。
 その最中作業員から、これ屋内に運ばないんですか? と尋ねられた。
 リックは首を横に振る。

「運んでる途中で何が起こるか予想できんし、こんなデカ物を運ぶとなったら大型整備場に限られる。完全に活動を止めたわけじゃないのに、持ち込んで、そこの設備を壊されたらかなわん」

 無言で棒立ちを堅持する機械の上官の眼前でアーサーは欠伸をする。傍目で見ていた同僚は呆れた面持ちになるが、彼らの意識は背後から近づく車両の気配に引き寄せられた。
 現場にやってきたのは前後をれっきとした装甲車両に守られた一台のリムジン。黒スーツの運転手が扉を開けると、リムジンから出てきて早々、襟を正す市長タウンゼントが、視線を周囲に巡らせた。
 装甲車両と後方のトラックの荷台から、前日にリックを威圧した人型Smと重装備の人間の一団も現れる。
 ジャーマンD7は音声をオンにして、デハ報告を待ってイル、と通信を終了した。
 アーサーは上官に向かって小声で、市長が何の用ですかね? と尋ねる。

「知ラン。ただ何か用があったとしても余計な口出シダ」

 ジャーマンD7は進み出でて、市長の行く手を阻む。
 市長の両脇に随従していた人型Smがさっと前に出て盾となり、アンドロイドに対峙した。

「これはこれは保安兵舎長。お疲れ様です」

 Smの壁越しにアンドロイドと対面した市長が鷹揚な口ぶりで挨拶する。
 人間たちは、緊張が生み出す重たい空気にてられ、息を潜め、作業に集中した。

「市長。何ノ御用デショウカ?」

「無論視察です。私も行政を任された街の長。非常事態に対処し、何が起こっているのか知る責務がありますので……」

「わかりました。デハ安全が確保でき次第お呼びし、詳細な報告をいたしますので、今はお引き取り願いタイ」

「ご安心をこちらも不測の事態に対する準備はしてきました。それにイソリ生命科学のほうから現場の一定の安全を伺いましたので、それほど気を使う必要はないかと」

「イソリ……」

 振り返るジャーマンD7は現場にいた紺鼠色の作業着に黄色いヘルメットをかぶる人々を視認する。
 タウンゼントはわざとらしく目を丸くした。

「もしや、本当に私が来ることを聞かされてなかったのですか? いけませんねぇ。前線に立って指揮を執るべき方が、意思疎通を取れていないとは」

 前に向き直るジャーマンD7は大きすぎるスーツ姿の隙間から、慇懃に無礼が挟まった笑みを視認する。
 正真正銘の鉄面皮でアンドロイドは告げた。

「安全ノ是非ハ私が決めるべきことデス。なのでお引き取りを」
 
 タウンゼントは話を平然と聞き流し、アンドロイドを迂回する。
 ジャーマンD7は手を差し伸べ部外者の前進を阻もうとするが、その行為を市長に随伴するSmが壁となって妨害した。

「これが今回の事件の元凶ですか……」

 余裕を見せるタウンゼントは、護衛を伴ってゴブリンに迫る。
 おっと、という男の言葉と同時に、市長の目の前で影が躍る。
 タウンゼントを驚かせ、大きく一歩引かせたのは、陽気な面持ちのアーサーだった。

「こっから先は本当に危険なんで、ね」

 腕を広げて、それ以上の接近を阻止するアーサーは職務にしては軽々しい笑みを浮かべた。
 出遅れた護衛のSmが大急ぎでタウンゼントを隠す。
 さっきから市長の背後に侍していたアレキサンドラが尋ねる。

「非戦闘員の作業員が集まっているのに危険があると?」

 タウンゼントはたじろいだことをごまかす様に咳払い。

「その通り。危険は限りなく少ないと思われるが? それでも市長の公務を妨害するというのかね?」

 アーサーは蛇に出くわしたような気持にとらわれ、上司のほうを見た。
 ジャーマンD7は勇ましく市長へ迫り、接近を察知したSmに直面する。

「ちげえよ市長さん」

 アーサーの援護は彼の背後からやってきた。
 市長も保安兵も声の主であるリックが、ゴブリンの体を下って来るのを見届けた。

「ここは今、鉄火場だ。何が起こるかわからない。必要なのは知識と経験のある職人だけ。そこに何も知らねぇ奴が混ざったら仕事の邪魔になるんだよ」

 老人の言葉にタウンゼントは口だけでほほ笑む。

「それは違いますよリック・ヒギンボサム氏。ここは私の……私が監督を任された街です。ならば、その中で起こったあらゆる事件事故に対して私は耳目を研ぎ澄ませ、必要とあらば迅速に的確に対応し、それが街にどれほどの害悪となるか判定し、適切な対応が図られるように処断しなければならない」

「その対処ができるようにあらかじめ適材適所に人と資材を運ぶのがあんたの仕事だろ。それができなかった言い訳か?」

「私は預言者になったつもりはない。懸命に職務を遂行しても足らぬことばかり。信頼した人間も最善を尽くして、なお、間違いを犯す。そうでしょうジャーマンD7」

 市長の舐める視線が、腕を組むアンドロイドに絡む。リックは双方を見比べ。

「そのポンコツを擁護するわけじゃないが。ポンコツなりに最善は尽くしたし、命、というより機体の損耗を懸けて体を張った。保安兵も今回ばかりは命がけで働いた。もっと敬意を示してやれよ」

 ジャーマンD7は老職人に振り向く。
 市長は一見爽やかそうに鼻を鳴らす。

「Mrヒギンボサム。それは人聞きが悪い。私は保安兵に対して感謝の念を抱いております。ただ、残念ながら、功績と同じくらい、過失も見逃すわけにはいかないのです。職務上ね」

 ああ? リックがしゃがれた声を発し、眉をひそめる。
 そうでしょう署長、と市長は振り返った。
 ジャーマンD7は発声する。

「今回ノ事件ヲ起こした犯人は街の……我々保安兵の検問を通って街に入ッタ」

 リックは閉口する。
 タウンゼントは微笑んだ。

「保安兵の職務が大変多忙を極めるのは存じておりますが。こうも簡単に無法者に侵入されるのはいただけませんねぇ……。今回の犯人は広域指名手配を受けており、決して無名ではなかったはずですし。」

「偽造と思われマスが、身分証明書を持っておりましたノデ」

「それほそれは。実に巧妙な手口でしたねぇ」

 市長の口ぶりからは、慰安の気持ちが表面上であることが伺えた。
 リックは静かに嘆息してから、口を開く。

「だったら、てめえのケツをてめえで拭いたってことでいいだろ。街を守ったんだ」

 市長はリックに細めた目を向ける。

「ええその通り。彼らは、地上の脅威に尽力した。それは事実。そして誰しもが失敗を犯しうるということを証明した。たとえ中央政府が配布した高性能の行政管理ユニットだとしても。ならば、我々は街の安全を守るため手を取り合い。情報共有を緊密にするべきだ。そのためには、地道な仕事が求められる。あるいは、外部の協力も……」

 市長の視線はアンドロイドに向かう。
 それを深く考えず、リックは言う。

「だからって今来る必要はないだろ。むしろ、あんたがこうして出張ってくるから、その対応にも人を割くことになる。市長が現場に来て働いてるって既成事実が欲しいなら出直してこい」

「目に見える仕事をするのも市長の務めでして。そうでなければ、市長が確かに仕事を果たしている、と市民になかなか理解していただけません。それにですよ。一人が視察に来たくらいで業務が滞るほど、無能な人間がこの場にいるとは思えませんが?」

「仕事は正確性と迅速を貴ぶ。一人でも余すことなく仕事を割り振って業務を遂行するってのがプロだ。そのためには、部外者がしゃしゃり出てきちゃ困るし。プロの仕事をさせてくれりゃあ、あんたが出向かなくて済むんだよ市長さん」

 タウンゼントが反論しようと口を開いたと同時に、リックの足場が揺れる。
 騒めく現場、元凶は巨体を膨らませるゴブリン。それはまるで深呼吸のために胸を大きくするような体の膨張であった。
 タウンゼントはさっさと引き下がり、Smが前に出て武装部隊が銃器を構える。
 ジャーマンD7が、早ク下がれリック・ヒギンボサム、と音声を荒げエナジーエッジを展開する。
 しかし、リックは動じず、手で保安兵たちを制し、声を張り上げる。

「イシスタミンを6.5リットル投与! それからヴァハロフェンの準備しろ!」

 作業員が手招きで導いたのは荷台に給水塔のタンクを乗せたような車両で、リックの足元にやってきた若者が訴える。

「オシリスストは使わないのか? もう治せないんじゃ」

「用意はしてるんだな」

「あの005番の投与車に詰めてる」

「わかった。だがそれは最後の手段だ。まずは生かすことを優先する」

 若者は渋い面差しになるが、わかった、と頷き車両の準備作業に加わる。タンクを乗せた車両では、バルブの開閉担当と圧力のメーターを観察する係に別れる。
 リックは両手両足でゴブリンの体を登っていく。そして、ベルトに引っ掛けた道具入れから拳銃型の器具を取り出し、先端のレンズをゴブリンに押し付けると、ハーネスで首に吊るしていたタブレットを確認した。

「全体で温度が高いが特に頭が熱くなってる」

 ヒプノイシンを投与しますか? と同業者に尋ねられるリック。

「そうする。このまま勝手に暴れられて体を壊されたらことだからな。あと解熱剤も使おう」









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