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第01章――飛翔延髄編
Phase 87:不摂生の結実
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《水分組織支持材》水溶性食物筋線維を配合したSm組織保持剤。経口補給のみならず機体の組織編成によっては、直接Sm組織の破断部に注入することで、急速な水分の補給を可能にし修復を促進する。Smは水分を失うと熱放散効率が悪くなり、自己熱中症を来す。それを考慮せずに連続運転することで、事故が発生することもあるので、SDAは毎年注意喚起を行っている。だが、経口補給燃料だけで安心してしまうユーザーは後を絶たない。これを受けて各企業は、機能的保水を可能とする市販経口補給燃料を売り出すに至った。
Now Loading……
「注入を完了次第ミニッツグラウスから離脱し、クラウドウェーブに帰還。薬品の補給とパーツの接合を確認せよ」
グライアの指令が下される。
クラウドウェーブと並走するのは、プロペラエンジンを両翼合わせて六基積んだ大型貨物輸送機で、後部にある鋏角めいた構造を開けば、中で待機していた作業員が、続々と入ってくるナスを誘導する。
決して広くない空間において、ナスと作業員は流れるようにすれ違い、それぞれの職務を果たす。
床のピンとベルトで固定されていたドラム缶のすぐそばで、作業員が背中を向けたナスの尾部に装備されている空中投薬器の蓋を外し、ドラム缶に接続するノズルを挿入した。別の作業員は背中にビールサーバーのような器具を背負っている。そしてナスの胸に埋め込まれた円筒形のメーターのメモリを浸す液体を確認し告げる。
「燃料の値が半分以下のものを優先に補給します」
その規定に当てはまったナスの口にサーバーから延びるノズルをねじ込み引き金を引いた。
別のところでは作業員が、ナス本体の動きと背負われた注射器具の稼働を確認し、告げる。
「観測班の中に問題はなかったが、元から虚弱傾向がある機体ばかりだ。連続稼働による不調に気を配ってくれ」
了解した、と診察を受けたナスが機械に通した声を発して頷く。
コントロールルームでは、チームロメオ01注入完了、同じくチームリマ01注入完了、と操縦士が答える。
グライアが、第二陣注入開始、と告げた。
空中では、交代したナスの分隊が第一陣の行動を再現する。
ミニッツグラウスの正面に陣取るナスは、まるで全ての棘をスコープに変えたパイプウニを思わせる装置で観測を実行する。スコープの合間には、電極が飛び出しており、先端の球体と軸に巻き付いた同心円から飛ばす微細な閃光が、ミニッツグラウスの体にか細くまとわりついた。
ギャレットがアレサンドロに尋ねた。
「ミニッツグラウスのメーターに変化はあるか?」
「ああ、さっきから深部温度が上がってる。大体、180から200だが、メモリが震えてる」
「なんで、そんなにぶれる?」
ベンジャミンの言葉を聞いてソーニャは言った。
「メーターの観測装置から組織が離脱して、触れたり離れたりを繰り返してるんじゃない?」
なるほど、とつぶやくベンジャミンが、外部から見て変化はあるか? と管制に切り返した。
管制室では、振り返った管制官がギャレットに答える。
「ナスの観測では見掛け状の変化は停滞中とのことです」
投薬量は? のソーニャの質問にギャレットは。
「ヒプノイシンを6㎏だそうだ。あと、それ以上の水分支持材も加えているらしい。変化がないならさらに投薬するつもりだという」
「水分組織支持材か、助かるっちゃ助かるな。それで脱水の危険は回避できるだろう。しかしヒプノイシンの量は機体重量からして少ないな」
ベンジャミンがそう告げた直後、ミニッツグラウスの機内を地鳴りのような音が襲う。
洞窟を風が抜けるさまを想起させる重低音に皆が振り返ると、スロウスの背後で肉の壁が痙攣していた。
助けてくれぇえ! とピートが涙ながらに喚く。ソーニャはベルトに手をかけたが隣に待機するベンジャミンが腕を握って、待て、と制する。
だけど、とソーニャは悲痛な顔を見せる。
それに対しベンジャミンは厳しい表情で向き合う。
「行動の結果、何が起こるのか、どんな危険があるのか考えてみろッ」
切迫した面持ちのソーニャは、後ろを覗き込み。
「スロウス! その太った成人男性の手首足首の縄を噛み千切って!」
スロウスはピートのズボンのベルトを掴み、太い体を軽く吊るし上げると、大きく口を開いた。
背後に何が迫っているのかわからないピートは、悲鳴を上げ身を揺さぶった。
スロウスの歯は縄に食らいついて乱暴に引き千切る。まずは手首、続いて肥えた体を乱暴に降ろし、足の縄も噛み切った。
拘束がすべて外れたと同時にスロウスに手放されたピートは、手から緩やかに着地すると、自分がまだ五体満足であることを確認する。
ベンジャミンがピートに声を張り上げる。
「おいファットマン! 死にたくなきゃそのSmにしがみつけ!」
「こっちに来たらスロウスが容赦しないからね! それと仲間も見捨てんなよ!」
整備士に続く少女の言葉に、ピートは操縦席へ向かおうと四つん這いで一歩を踏み出していたが、すぐ引き返し、一瞬スロウスにひるむ。しかし、意を決して固くて大きい脚に抱き着き、相方のジャケットの襟を握る。それから、ちょっと背筋を伸ばして、スロウスの背後に広がる肉の壁を目撃し、戦慄した。
「おい! どうなってんだ? 大丈夫なのかよ!」
「そりゃこっちのセリフだっての。無駄に喚くな。ったく、猿轡をかませりゃよかった」
ベンジャミンの後悔を耳にしたソーニャは。
「ねえ、この機体に対するヒプノイシン6㎏は少ないの?」
「俺の感覚で言うなら、機体を完全に沈黙させるためには少なく思える。この機体のベースとなってるロックとそのほかのSm器官のヒプノイシンの合計キロ投薬量の基準は、おおよそ……標準濃度の0.5%で、Sm組織㎏あたり4000㎎だ。ミニッツグラウスの総重量がたしか、5632㎏で、そのうちSm素材は84.27%……」
「4746㎏だね。ということは、投薬量は4000をかけて……。結果を㎏に直すと、18.984? つまり」
「6㎏は3分の1ってことだ。きっと慎重を期すつもりなんだろうよ。組織変質が起こってるしな。それに、俺たちも薬剤を注入したから、中毒を警戒したのかもしれん」
「効くまでの時間は?」
「全身に届く時間にもよる……今の心拍数は高めだから。その分血の巡りがいいってことだ。薬が全身に届くのは早いだろう。けど、量が量だからな、効果がはっきり見えるか怪しい」
「逆に構造が変わった分、効果が顕著だったりしてね」
「外の連中もそういうことも含めていろいろ考慮したからこそ実践に移したんだろう。だよな?」
ベンジャミンが最後に付した言葉には懇願が籠っていた。
不意に訪れる機体の振動は強さを増して、その間隔が短くなった気がするのは、気のせいではなく事実だと機内の全員理解を迫られる。
アレサンドロは、カチン、という爪弾く金属音を察知し、メーターの一つを見る。フリップ式で切り替わる数値を声を張り上げて告げた。
「心拍数が1800を超えたぞ!」
顔色を悪くするソーニャは、口を膨らませて鞄から紙袋を引っ張り出す。
ギャレットの声が届く。
『こちら管制塔。今、上空の特殊部隊から通信のオーダーが来た。つなげるぞ』
『こちら中央政権軍。創作航空小隊の者であります。先ほどミニッツグラウスにヒプノイシンを投与したのですが、心拍数などわかる情報を教えてください』
「今の心拍数は1800を行ったり来たりしている」
とアレサンドロが受け答えしている間、ベンジャミンはソーニャとヘッドフォンを共有して。
「リドカイン系の物質が含まれてるなら投与後数分で興奮がみられるが、ここまでくると別の理由が考えられる」
ソーニャがヘッドフォンのマイク通信に加わった。
「もしもし創空隊の人、ヒプノイシンを投与した後、何か別の薬剤を投与した? 弛緩剤でグレイプニウムとか。ドロ-ミニウムとか」
『……まずは機体のエゴレベルを抑えるためにヒプノイシンを投与し、薬効をモニタリング中。現在、筋弛緩剤としてレージニウムの投薬を準備しております。ほかに何か聞きたいことは? それか、何か異変でも?』
機内の環境については……、とベンジャミンが話始めるとアレサンドロがマイクを押さえながら、それは管制に説明してる、と機内の仲間に告げる。
『内壁が発達し始めているということは確認しました。ほかには?』
アレサンドロはベンジャミンと目を見合わせてから述べる。
「振動が強まっていることと、あとは何から説明すればいいのか。具体的な変化は数分前の報告と同じで顕著な変異は停滞中だ!」
『了解です。ご協力感謝いたします』
指令室ではナスの操縦士が声を発した。
「チームリマ03 レージニウム充填完了しました。リマ01と交代します」
「機体の挙動は予想がつかない。支援機はいつでもバックアップできるように適正距離を保て。底面待機班は機体からの落剥、および友軍の墜落に警戒し、可能な限り地上への落下を防ぐのだ」
グライアの指令に、了解、の応答が返る。
ナスがまた羽毛へと群がる。すると、ミニッツグラウスが顎を開いた。地を這うような怒号と金切りを綯い交ぜにした不協和音が街へと降り注ぎ、大気を殴打する。
ソーニャたちを襲う振動も凄まじく、下から来る波打つ感覚と全身を圧迫する爆音の暴力に挟み込まれた。
たまらず耳を塞いだベンジャミンは座席とコンソールの隙間に身を突っ込む。少なくともそれで、ある程度音を抑制し、機体の不意な動きによって体が転がることを防ぐ。
ソーニャは涙を浮かべ紙袋に顔を突っ込む。苦痛に耐えるため親子は目をつむってた。
しかし、アレサンドロが体を伝う振動に異常な予兆を察知する。
何か来るぞ! のパイロットの言葉は残念ながら息子にしか伝わらない。
紙袋から萎びた表情を持ち上げたソーニャは、さらなる揺れと浮遊感に襲われる。
地上であれば地震と間違えそうな激震の正体は外を見ていればわかっただろう。
ミニッツグラウスが翼を翻したのだ。
エンジンのプロペラの角度が変わると、自由に身をよじる機体は反転した。
張り付いていたナスが振り払われて、ソーニャの髪の毛も振り乱れ、ベンジャミンは座席の足にしがみついて耐える。アレサンドロは我が子をしっかり抱き寄せ、ソーニャの手は紙袋の口を握りしめる。それを怠っていれば事態はもっと壮絶になっていただろう。
機内を満たす肉の壁が一層ひどい痙攣を起こし、スロウスとピートを揺さ振るが、スロウスが壁を捕まえ、ピートがSmと相方を掴んでいたおかげで三者は離ればなれにはならなかった。
ナスが目の当たりにする変異した機体の暴れっぷりをヘッドギアの映像で見せつけられたグライアは。
「ナスは無事か!」
「チームリマ03! 機体の損耗皆無。レージニウムは……目標の三分の一の注入を確認」
いったん投薬を中断する、と告げグライアは言葉をつづけた。
「投薬からすでに10分以上経過している。あれほどの動きが実現できるということは投薬量が少なかったか。いや薬効が正確に機能していないのか。しかし、だとしてもあれほどの動きがどうして可能なのだ? そもそもあの動き自体を可能にするためには相当高度なグレーボックスと高級本能が必要のはずだ」
実行部隊が苦慮する中。
ヘリコプターの責任長はチーズをのせたクラッカーを一口で貪り、紅茶をすする。袂にねじって垂れ下げていたナプキンに指の油分を擦り付ける。
「さて、そろそろ我々の重力牽引の出番ではないのか? どうなんだ?」
などと呑気な口ぶりで窓を見てみると、ミニッツグラウスが逆様になっているではないか。
驚愕に思考を乗っ取られた責任長は、脱力した口から、クラッカーのカスを零した。
Now Loading……
「注入を完了次第ミニッツグラウスから離脱し、クラウドウェーブに帰還。薬品の補給とパーツの接合を確認せよ」
グライアの指令が下される。
クラウドウェーブと並走するのは、プロペラエンジンを両翼合わせて六基積んだ大型貨物輸送機で、後部にある鋏角めいた構造を開けば、中で待機していた作業員が、続々と入ってくるナスを誘導する。
決して広くない空間において、ナスと作業員は流れるようにすれ違い、それぞれの職務を果たす。
床のピンとベルトで固定されていたドラム缶のすぐそばで、作業員が背中を向けたナスの尾部に装備されている空中投薬器の蓋を外し、ドラム缶に接続するノズルを挿入した。別の作業員は背中にビールサーバーのような器具を背負っている。そしてナスの胸に埋め込まれた円筒形のメーターのメモリを浸す液体を確認し告げる。
「燃料の値が半分以下のものを優先に補給します」
その規定に当てはまったナスの口にサーバーから延びるノズルをねじ込み引き金を引いた。
別のところでは作業員が、ナス本体の動きと背負われた注射器具の稼働を確認し、告げる。
「観測班の中に問題はなかったが、元から虚弱傾向がある機体ばかりだ。連続稼働による不調に気を配ってくれ」
了解した、と診察を受けたナスが機械に通した声を発して頷く。
コントロールルームでは、チームロメオ01注入完了、同じくチームリマ01注入完了、と操縦士が答える。
グライアが、第二陣注入開始、と告げた。
空中では、交代したナスの分隊が第一陣の行動を再現する。
ミニッツグラウスの正面に陣取るナスは、まるで全ての棘をスコープに変えたパイプウニを思わせる装置で観測を実行する。スコープの合間には、電極が飛び出しており、先端の球体と軸に巻き付いた同心円から飛ばす微細な閃光が、ミニッツグラウスの体にか細くまとわりついた。
ギャレットがアレサンドロに尋ねた。
「ミニッツグラウスのメーターに変化はあるか?」
「ああ、さっきから深部温度が上がってる。大体、180から200だが、メモリが震えてる」
「なんで、そんなにぶれる?」
ベンジャミンの言葉を聞いてソーニャは言った。
「メーターの観測装置から組織が離脱して、触れたり離れたりを繰り返してるんじゃない?」
なるほど、とつぶやくベンジャミンが、外部から見て変化はあるか? と管制に切り返した。
管制室では、振り返った管制官がギャレットに答える。
「ナスの観測では見掛け状の変化は停滞中とのことです」
投薬量は? のソーニャの質問にギャレットは。
「ヒプノイシンを6㎏だそうだ。あと、それ以上の水分支持材も加えているらしい。変化がないならさらに投薬するつもりだという」
「水分組織支持材か、助かるっちゃ助かるな。それで脱水の危険は回避できるだろう。しかしヒプノイシンの量は機体重量からして少ないな」
ベンジャミンがそう告げた直後、ミニッツグラウスの機内を地鳴りのような音が襲う。
洞窟を風が抜けるさまを想起させる重低音に皆が振り返ると、スロウスの背後で肉の壁が痙攣していた。
助けてくれぇえ! とピートが涙ながらに喚く。ソーニャはベルトに手をかけたが隣に待機するベンジャミンが腕を握って、待て、と制する。
だけど、とソーニャは悲痛な顔を見せる。
それに対しベンジャミンは厳しい表情で向き合う。
「行動の結果、何が起こるのか、どんな危険があるのか考えてみろッ」
切迫した面持ちのソーニャは、後ろを覗き込み。
「スロウス! その太った成人男性の手首足首の縄を噛み千切って!」
スロウスはピートのズボンのベルトを掴み、太い体を軽く吊るし上げると、大きく口を開いた。
背後に何が迫っているのかわからないピートは、悲鳴を上げ身を揺さぶった。
スロウスの歯は縄に食らいついて乱暴に引き千切る。まずは手首、続いて肥えた体を乱暴に降ろし、足の縄も噛み切った。
拘束がすべて外れたと同時にスロウスに手放されたピートは、手から緩やかに着地すると、自分がまだ五体満足であることを確認する。
ベンジャミンがピートに声を張り上げる。
「おいファットマン! 死にたくなきゃそのSmにしがみつけ!」
「こっちに来たらスロウスが容赦しないからね! それと仲間も見捨てんなよ!」
整備士に続く少女の言葉に、ピートは操縦席へ向かおうと四つん這いで一歩を踏み出していたが、すぐ引き返し、一瞬スロウスにひるむ。しかし、意を決して固くて大きい脚に抱き着き、相方のジャケットの襟を握る。それから、ちょっと背筋を伸ばして、スロウスの背後に広がる肉の壁を目撃し、戦慄した。
「おい! どうなってんだ? 大丈夫なのかよ!」
「そりゃこっちのセリフだっての。無駄に喚くな。ったく、猿轡をかませりゃよかった」
ベンジャミンの後悔を耳にしたソーニャは。
「ねえ、この機体に対するヒプノイシン6㎏は少ないの?」
「俺の感覚で言うなら、機体を完全に沈黙させるためには少なく思える。この機体のベースとなってるロックとそのほかのSm器官のヒプノイシンの合計キロ投薬量の基準は、おおよそ……標準濃度の0.5%で、Sm組織㎏あたり4000㎎だ。ミニッツグラウスの総重量がたしか、5632㎏で、そのうちSm素材は84.27%……」
「4746㎏だね。ということは、投薬量は4000をかけて……。結果を㎏に直すと、18.984? つまり」
「6㎏は3分の1ってことだ。きっと慎重を期すつもりなんだろうよ。組織変質が起こってるしな。それに、俺たちも薬剤を注入したから、中毒を警戒したのかもしれん」
「効くまでの時間は?」
「全身に届く時間にもよる……今の心拍数は高めだから。その分血の巡りがいいってことだ。薬が全身に届くのは早いだろう。けど、量が量だからな、効果がはっきり見えるか怪しい」
「逆に構造が変わった分、効果が顕著だったりしてね」
「外の連中もそういうことも含めていろいろ考慮したからこそ実践に移したんだろう。だよな?」
ベンジャミンが最後に付した言葉には懇願が籠っていた。
不意に訪れる機体の振動は強さを増して、その間隔が短くなった気がするのは、気のせいではなく事実だと機内の全員理解を迫られる。
アレサンドロは、カチン、という爪弾く金属音を察知し、メーターの一つを見る。フリップ式で切り替わる数値を声を張り上げて告げた。
「心拍数が1800を超えたぞ!」
顔色を悪くするソーニャは、口を膨らませて鞄から紙袋を引っ張り出す。
ギャレットの声が届く。
『こちら管制塔。今、上空の特殊部隊から通信のオーダーが来た。つなげるぞ』
『こちら中央政権軍。創作航空小隊の者であります。先ほどミニッツグラウスにヒプノイシンを投与したのですが、心拍数などわかる情報を教えてください』
「今の心拍数は1800を行ったり来たりしている」
とアレサンドロが受け答えしている間、ベンジャミンはソーニャとヘッドフォンを共有して。
「リドカイン系の物質が含まれてるなら投与後数分で興奮がみられるが、ここまでくると別の理由が考えられる」
ソーニャがヘッドフォンのマイク通信に加わった。
「もしもし創空隊の人、ヒプノイシンを投与した後、何か別の薬剤を投与した? 弛緩剤でグレイプニウムとか。ドロ-ミニウムとか」
『……まずは機体のエゴレベルを抑えるためにヒプノイシンを投与し、薬効をモニタリング中。現在、筋弛緩剤としてレージニウムの投薬を準備しております。ほかに何か聞きたいことは? それか、何か異変でも?』
機内の環境については……、とベンジャミンが話始めるとアレサンドロがマイクを押さえながら、それは管制に説明してる、と機内の仲間に告げる。
『内壁が発達し始めているということは確認しました。ほかには?』
アレサンドロはベンジャミンと目を見合わせてから述べる。
「振動が強まっていることと、あとは何から説明すればいいのか。具体的な変化は数分前の報告と同じで顕著な変異は停滞中だ!」
『了解です。ご協力感謝いたします』
指令室ではナスの操縦士が声を発した。
「チームリマ03 レージニウム充填完了しました。リマ01と交代します」
「機体の挙動は予想がつかない。支援機はいつでもバックアップできるように適正距離を保て。底面待機班は機体からの落剥、および友軍の墜落に警戒し、可能な限り地上への落下を防ぐのだ」
グライアの指令に、了解、の応答が返る。
ナスがまた羽毛へと群がる。すると、ミニッツグラウスが顎を開いた。地を這うような怒号と金切りを綯い交ぜにした不協和音が街へと降り注ぎ、大気を殴打する。
ソーニャたちを襲う振動も凄まじく、下から来る波打つ感覚と全身を圧迫する爆音の暴力に挟み込まれた。
たまらず耳を塞いだベンジャミンは座席とコンソールの隙間に身を突っ込む。少なくともそれで、ある程度音を抑制し、機体の不意な動きによって体が転がることを防ぐ。
ソーニャは涙を浮かべ紙袋に顔を突っ込む。苦痛に耐えるため親子は目をつむってた。
しかし、アレサンドロが体を伝う振動に異常な予兆を察知する。
何か来るぞ! のパイロットの言葉は残念ながら息子にしか伝わらない。
紙袋から萎びた表情を持ち上げたソーニャは、さらなる揺れと浮遊感に襲われる。
地上であれば地震と間違えそうな激震の正体は外を見ていればわかっただろう。
ミニッツグラウスが翼を翻したのだ。
エンジンのプロペラの角度が変わると、自由に身をよじる機体は反転した。
張り付いていたナスが振り払われて、ソーニャの髪の毛も振り乱れ、ベンジャミンは座席の足にしがみついて耐える。アレサンドロは我が子をしっかり抱き寄せ、ソーニャの手は紙袋の口を握りしめる。それを怠っていれば事態はもっと壮絶になっていただろう。
機内を満たす肉の壁が一層ひどい痙攣を起こし、スロウスとピートを揺さ振るが、スロウスが壁を捕まえ、ピートがSmと相方を掴んでいたおかげで三者は離ればなれにはならなかった。
ナスが目の当たりにする変異した機体の暴れっぷりをヘッドギアの映像で見せつけられたグライアは。
「ナスは無事か!」
「チームリマ03! 機体の損耗皆無。レージニウムは……目標の三分の一の注入を確認」
いったん投薬を中断する、と告げグライアは言葉をつづけた。
「投薬からすでに10分以上経過している。あれほどの動きが実現できるということは投薬量が少なかったか。いや薬効が正確に機能していないのか。しかし、だとしてもあれほどの動きがどうして可能なのだ? そもそもあの動き自体を可能にするためには相当高度なグレーボックスと高級本能が必要のはずだ」
実行部隊が苦慮する中。
ヘリコプターの責任長はチーズをのせたクラッカーを一口で貪り、紅茶をすする。袂にねじって垂れ下げていたナプキンに指の油分を擦り付ける。
「さて、そろそろ我々の重力牽引の出番ではないのか? どうなんだ?」
などと呑気な口ぶりで窓を見てみると、ミニッツグラウスが逆様になっているではないか。
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