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第01章――飛翔延髄編

Phase 80:苦闘の意思のある惑わぬ少女

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《カラブンココンビネーション》代謝生産特化型Smカラブンコ由来のブドウ糖化合物、および複数種の薬品、調味料、スパイス、黒色ガソリン、そしてコーンスターチを混合して作ったSm経口補給燃料。安価でありながら、細胞繊維も豊富で、代謝安定力も高い。特に長時間の連続稼働を念頭に置いたSmに補給され、それ以外でも、不調をきたした機体を回復させるために薬剤代わりに補給されることもある。














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「ウラシマリムスか……。こいつで組織合成キナーゼを抑えられれば発達を無理なく抑制できる。予後の回復だって迅速だ」

「そうだね。加えてSmRGで組織の発生自体を阻害してしまえばグット!」

 だな、と少女に同意したベンジャミンは振り返り、白目を剥いた。
 話相手の少女は、今まさに、ガンスプレーでもって、暴かれた組織に薬剤を注入していた。

「お前!」

「ああ、中身は残ったヘルジーボだけど……表層の組織だけを停止させるなら、これでも大丈夫だと思うんだよ。触診からして膨らんだ組織には太い導管が通ってない。多分、蓄積栄養発達をしたんだと思う。こうなると使われた栄養は簡単には機体全体に還元されない。だから、これ以上この組織が、全体の栄養を奪う前に活動を停止させないと。深い場所は、より安全で効果が緩やかな、そっちの薬剤で抑制させればOKなはず。なにか問題あった?」

「いや、問題は薬じゃなくて……。さっきの俺の話を聞いてなかったのか?」

「聞いたよ。責任が取れないっていう話でしょ?」

 そうじゃない! 断言するベンジャミンは少女の隣に並び、腕を掴んで作業を止める。 

「俺が言いたかった責任を取るってことは、もし何かあったら、その責めを負うことだ」

 ソーニャは整備士の顔を見上げ、黙って聞いた。

「……責任ってのはな、失敗したときに要求される代償を払えるかどうか、じゃない。重荷を背負うことなんだよ。そして背負うってのは、時に、果てしない苦痛となって一生向き合っていかなきゃいけなくなる」

 瞬きもせず、壁に向き合うソーニャは、わかってる、と答えた。
 ベンジャミンは首を横に振る。そして反論しようとするが。

「けど、それはベンジャミンも同じでしょ」

 少女に言われてベンジャミンは、そうだが、と視線を背けた。
 ソーニャは、整備士の視線の先に回り込み、目を覗き込んで言い放つ。

「なら、一人に責任を背負わせるのは、かっこよくないでしょ?」

 迷いのないその一言は、ベンジャミンの表情こそ変えないが、瞳を震わせる。
 ソーニャは自分に言い聞かせる。

「一人に責任を負わせられたら楽だけど、でも、そんなことして、本当に失敗したとき、ソーニャは自分を許せない。何かできたんじゃないかって後悔するにきまってる。それだって背負うには重い」

「けど……」

「手を出さなければ誰かが失敗しても、自分は関係ないって思える? ベンジャミンは逆の立場なら、どう思う?」

 言われてベンジャミンは、視線を下げた。それだけでソーニャには十分な答えとなった。

「考えてもいいけど。今はそんな時間ないでしょ? それに、もうここまでソーニャも来たんだよ? なら今更だよ。それに一人より、みんなで対処したほうが絶対いいに決まってる」

 少女は作業に戻る。ベンジャミンはその背中に聞いた。

「どうして、お前は、そんな……簡単に危険に飛び込める? どれほどのリスクなのか分かってるのか?」

 彼女は振り返る。

「ソーニャは、ソーニャが憧れる人になりたい」

 目を閉じればすぐに老人の背中が見える。そして、その先にいる凛とした佇まいの背中は、自分より年長で、大人で。きっと迷いのために、振り返らないのだろう。

「リスクはあるけど。後悔するなら自分が納得して手にした後悔を背負う。そのためにはたくさん考えて、そして、実行に移す。それだけ!」

 抱いていた心細さが遠のいていったベンジャミンは、ため息をこぼす。
 
「そうかよ。勝手にしろ。でも後で、死ぬほど後悔しても知らないからな」

 動き出す整備士に、そっちこそ、と気軽な返答を飛ばすソーニャ。
 ベンジャミンは自前の鞄から、水鉄砲の先端を注射針に置換した見た目の器具を取り出す。

「そんじゃ、ウラシマリムスを……こいつは全部投与しよう。まずは、太い静脈管を探さないとな……」

 そう呟くベンジャミンは続いて、人にも使う容量の注射器と、白い綿毛のような粒子が無数に浮遊する小瓶を取り出した。

「栄養濃度で調べるの? やっぱり構造変わってる?」

「ああ、当てずっぽうはお前だけで十分だ」

 言い返されたソーニャは顎を突き出し、視線を逸らす。その過程で、ロッシュが見せる実にやるせない表情と出くわし、目が合った。
 作業を始める二人を見守ることしか思いつかない少年の悔しさを察したソーニャは、また注射器を取り出し、瓶を掲げた。
 手伝う? と少女に言われてロッシュは、うん、と快活に頷き駆け寄る。
 ベンジャミンが渋い表情となった。

「待てよ、危ないことは……」

「責任はソーニャが持つ!」

 自信たっぷりな口ぶりに、ベンジャミンは気難しい顔になった。

「かっこいいこと言ってるが……そのせいで本当に墜落でもしたら洒落にならんぞ」

 そうは言うものの、少年少女の顔に気力が戻ってくるのを見ていると不満の言葉も尻すぼみになってしまう。
 ロッシュはレクチャー通りに壁に等間隔で薬剤を注射し、布の壁紙を引き裂いて、壁に浮かぶ青筋を暴いた。
 青ざめた脈を提示されたベンジャミンは、少年の頭を撫で、発見を称賛してから作業を始める。小さな注射器で青筋の周辺の組織から、青筋に向かって針を刺し、赤紫の液体を採取する。それを今度は、ソーニャが差し出す試験管に投入した。試験管には事前に取り分けていたあの綿毛の粒子が浮遊しており、採取した赤紫の液体と触れた瞬間、粒子は青色の光を呈し、そのあとは様々な燐光を放つ。それをつぶさに観察した少女と整備士は頷き合う。
 今度は薬剤を充填した水鉄砲型器具の針を組織から青筋に向かって刺した。針を伝って赤紫の液体が流れ込み、透明なタンクを満たす薬剤に混じる。黄緑色の水溶液中にて、ゆったりと滞留する赤紫の濃淡をしばらく見守って、それ以上混ざらないと判断するベンジャミンは、ソーニャの首肯を受け取り、引き金を引いた。タンクから銃身に下った薬剤は続々と投与される。
 スロウスも主の命令を受けて壁の布材を剥がす。ベンジャミンの提言を基準にしたソーニャの指示に従い、壁の肉を少しずつ鉈で削っていく。
 断片の内側は、濃淡が違う赤い斑を呈し、細かい青筋が無差別に枝分かれしている。

「脂肪細胞が顕在化してない、ということは、突発的な発生はもうないと思う。うーむ、もっと色んな試薬を持ってきたら流れ以外にも、何か解ったかな?」

「今注目するべきなのは分子機構より組織機構だ……。対処療法に集中すんぞ」

 聞き耳を立てるロッシュは、小首を傾げた。
 そんなやり取りを挟んで、作業は進み、投薬作業もあらかた終わる。
 機内の壁の前半を鮮明な赤い組織と黒ずんだ組織、それと裂かれた壁材のパッチワークが彩った。

「よし、これで様子見だな」

 一仕事終えてベンジャミンは額の汗を拭う。少女も首にかけた手拭で顔の水分を取ると、腰に手を当てて頷く。

「うん。いい仕事だった……。ただ、やりすぎた感もある」

「本当だったら神経の活動も抑制されてるはずだが、この状態だしな……。なんかの拍子に痛覚反応を示したりしてな」

 落ちたりしないよね? などとソーニャは整備士の顔色をうかがう。

「今更過ぎるし、観察も徹底して量も調整した。問題ないはずだ。ヘルジーボの投薬も深部に達しているわけじゃない。それにSmGRもウラシマリムスも、すでに出来上がった器官を破壊するものじゃない。強いて問題だったのは、やっぱり、量が少なかったってことだな」

「結局、後ろ半分は無理だったもんね」

「だが、これで圧死は免れる……。と願いたい」

 彼らの働きがなければ、機体の後ろ半分のように、壁から膨らむ肉のクッションに前半分も埋め尽くされていたことだろう。
それを無視して、三人はあの暴いた床に移動して脈打つ管を観察する。

「今まで放置してたけど、心臓の位置から近いかな」

 ソーニャは目前の操縦席の方を漠然と指し示す。

「こういう分かんねえ管ってのは予想しても的が外れることがある。それに、こんだけ太いくせに中身が感じられない。となると無関係性廃棄腫瘍に分類できるな。なら、挙動を始めて勝手にリソースを使われる前につぶしたほうが無難……」

 といった直後、管が膨らみ震え始める。それは内部で流れが起こったことを示していた。と思ったら、管に裂け目が生まれた。ソーニャはとっさに裂け目に手拭を被せると、布が赤紫に染まる。
 ベンジャミンは唾を飲み込んだ。

「あっぶねぇ……助かったソーニャ。目に飛んでたら厄介だったな」

「だね。いきなりこの圧力は何……?」

 ソーニャはゆっくりと布を外す。管は流れを失い、また音信不通となる。
 ベンジャミンは液体が飛ばないと予想した位置にずれ、顎を撫でる。

「どっかと繋がったみたいだな。こうなるとほかの部位に供給する栄養やら動力源もそっちに流れて機体の機能が低下するぞ」

「それと、これからは作業に防護面つけないと。上皮壁からも、有害物質がにじまないとも限らないし。経過を注目しなきゃ」

 まったくだ、とベンジャミンが薄い苦笑いを浮かべたが、目は笑っていない。
 いきなり、壁が膨らみだす。
 それは今までの変容から地続きだったが、唐突が過ぎた。
 膨らんでいた肉はそれぞれ何かが出ようとするような不規則な活動を示す。
 投薬をした箇所でもそれは同じで、暗褐色になった部分は亀裂が伺える。
  どうなってるんだ! とピートは膨らむ組織に背中を殴打され、拘束されて動けない代わりに、盛大に喚く。
  ロッシュは有識者二人に目を向けるが、ソーニャとベンジャミンも動揺を隠せない。

「スロウス! 壁を削ぎ落として!」

 ソーニャは持っていたメスの両端を掴んで上下させた。
その仕草を視認したスロウスは鉈の両端を掴み、下に向けた刃でもって迫りくる壁を削り取る。
 落ちた組織をソーニャが横から拾いうと、断面には、あの青筋が鳴りを潜め、琥珀色の網目が如実になる。

「燃料脂肪が顕在化してる……」

 なんだって? とベンジャミンも組織の断片を受け取り観察した。
 見えない脅威を探すようにソーニャは壁を見渡す。
 ロッシュが、何かあったの? と尋ねればベンジャミンが答えた。

「Smの燃料脂肪だ。こいつは沢山のエネルギーを秘めてる。しかも、この層の密度……」

「結構な脂の密度だから、それ一つでキャンプファイヤーできそうだね」

 冗談のつもりだろうが口走った当のソーニャは笑っていない。
 ベンジャミンは。

「みんな火気厳禁だぞ。もし壁に引火でもしたら一瞬で地獄に早変わりだ」

 ソーニャが二人に聞く。

「さっき見たときは、まったく見られなかった。まさか、投薬の影響?」

 ベンジャミン曰く。
 
「いいや、この変化の速度からして。もっと前から脂肪細胞の形成機序は始まってた。だから、こうして今、いきなり燃料の蓄積が起こったんだ。とすれば燃料供給の仕組みは発達しきってるかもしれない。もし影響が出たとしても、俺たちが触れられる範囲に限られるはずだし、俺が担当した薬の作用は、組織の発達を抑制するものだ……」

 ――あるいは薬剤の影響でほかの組織形成が抑制された結果か?

「ということは、逆に効果がなかったってこと?」

 質問の回答を得てもソーニャの顔は晴れない。しかし彼女は、スロウスに振り返り、圧迫を続ける食えない霜降り肉の切削作業を見つめる。

「もし、このまま組織の形成がさらに亢進したら。燃料を使って……」

「……さらなる組織を形成し、変異を遂げる?」

 ベンジャミンの眼差しは、いやでも鋭さを増し、機体を見渡すのだった。







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