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第01章――飛翔延髄編
Phase 79:病めるみそっかす
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《マイアヒ・マインド》ザナドゥカのテレビドラマであり、平均視聴率24.7%をたたき出した。あらすじは、プロテア州マイアヒの警官ネイサン・チャレンジャーが、薬物売買に絡む汚職に手を染めていた同僚を事件の真相を見てしまった恋人のかたき討ちのために殺した。それを12歳のスラムの少年ケビン・ブレアに見られてしまう。犯罪の証拠を盾に少年は難事件へとネイサンを巻き込み、二人の推理が解決に導く。第三シリーズにおいて、主人公のネイサンが死んだが、第四シリーズの最後で冥界から蘇ると、熱狂したファンによって、実際に舞台となったマイアヒでパレードが行われた。
Now Loading……
ゴブリンから降りてなおリックは、計測器で巨体を観察する。
そこへ、後ろからアーサーが不安をぶつけてきた。
「まさか、ここまでやったのに、また動き出して暴れだすのか?」
「可能性はある。だから……」
老人に見られたアンドロイドは。
「連絡ならばすでにシタ。企業の施設及びいくつかの町工場から技術者の応援を取り付け、今向かってくれている。さらに精密な検査の手筈も、技術者の知見をもとに整えている。それと市庁舎の方は、安全を確認次第、専門部署から人員を派遣スルそうだ」
そりゃよかった、と呟いたリックは巨体を見上げ唸りだす。
「最初から技術者を呼んでくれれば……。まあ、あの状況で戦力にならないやつを呼んでもなぁ」
苦い表情で文句を言うつもりだったが途中で考えを改める老人に、アンドロイドは。
「怪我人ガ増えるだけ、ト思い強引な動員を取り止メタ」
「おい、ならなんでワシを連れまわした?」
「貴殿ガ居たからこそ他ノ人間の招集を取りやめることができたノダ。カンシャシテイル」
最後の謝辞はハウリングすらうかがえる無機質な機械の合成音で構築された。
老人と機械は睨み合う。一人はあからさまな敵意をむき出しにし、もう一方は鉄面皮を崩さない。
両者の間に朗らかに微笑むアーサーが割って入った。
「まあまあまあまあ! ここまで一緒に戦ってきたんだから。それより他にやることあるだろ?」
すかさず上官も、ソノ通リダ、と同調するが。
リックは、待て、と否定のそぶりを見せる。
しかしアーサーが満面の笑みで迫ってくるので、迫力に押され意見も出せない。
「わかってるよリック! これからもっと大変になるんだろ? 俺たちも手伝うからさ。なにをどうすればいいのか指示してくれよぉ」
「何を分かってるってんだッ。たっく、調子がいいんだか図々しいんだか……。でも、確かに今は一人でも手が欲しいか……。こいつを運ぶとなると、細かくできなかった場合、道によっては交通整理を敷かなきゃならんし。対処できるうちに対処しないと、それこそまた暴れられたら今度こそかなわない。保安兵の火力もまだ必要かもしれん……」
思ってもみなかった役目と危機を知らされてアーサーも顔色を変え実情を告げる。
「それは困ったなぁ。弾薬も底を尽きそうだったし。保安兵も満身創痍だし」
「そろそろ負傷者の治療モ終わり、続々と復帰するだろうから人員ハ問題ナイが」
そう言って遠くへ視線を送る上官にアーサーは言った。
「同僚たちのケガの程度を、ほんの少しでも考慮していただければ幸いです上官。お願い。彼らは人間なの……」
一般市民としてリックは意見する。
「おいおい、負傷兵を駆り出さないと間に合わないのか? この街の防衛はどうなってる。野良Smや危険生物がやってきたらどうするつもりだ?」
ジャーマンD7は。
「治安維持費用の増額および備品の拡充の交渉をせねばなるマイ。場合によっては市民投票にゆだねることになるだろうが。最優先事項である私のボディーのメンテナンスだけは絶対に……」
損傷の目立つアンドロイドに、リックは笑みを作って近づく。
「この際Smパーツに置換してみないか? 人間の補助具にも使われてるし、最近だと高性能な製品も出回ってる。中古なら費用も安く済む。よっぽど無茶な運用をしなければ整備も簡単で……」
「そうやって自分ノ利得ヲ確保しようと……」
「お互いウィンウィンになるんだ。誰も損はしないはずだが」
突如、ゴブリンの喉の奥から不完全な咆哮と血反吐が溢れる。驚くリックは動揺するが突発的な行動はせず、状況を確認して、ゆっくりとした動作で後ずさる。ゴブリンの変動は、その体から絶えず生まれる骨が一番顕著で、意図せずに成長する白い棘が枝分かれを繰り返し、巨体を埋め尽くす。
まるで廃墟を覆う植物のような変化を前にしてアーサーは言う。
「なんか現実感を失いそうな光景だ」
何ガ起コってイル、とアンドロイドに問われたリックだが。
「見たまま、としか言えないが。そうさな……ワシらはSmのさらなる可能性を見せつけられてるんだろうよ」
その言葉に応えたのは空から降り注ぐ嘶き。
地上のリックたちが仰ぎ見たのは翼を広げた陰であった。
ミニッツグラウスが装甲を軋ませ、機体の先端、操縦席の下に生える顎を開き、細かく並ぶ牙を晒し、喉の奥から叫びを放って大気を震わせた。
機内では、電動カッターで切断された床がスロウスによって引き剥がされる。あふれ出す熱気に切断作業に従事していたソーニャが顔をしかめる。
どうだ? と操縦席からベンジャミンが尋ねた。
暴かれた床下は腫れ上がった肉に埋め尽くされ、それらに巻き付くように絡まる脈が一部、引き起こしていた拍動を止めて静まる。
「すごい熱気だし、管の接続先はもちろん、導管と器官の区別もはっきりしない。そっちはどんな感じ?」
ベンジャミンは健全な両腕で力いっぱい操縦桿を制御しようとするが。
「だめだ! 操縦は完全に破綻してる。操縦桿の動きが反映されないんじゃなくて、逆に操縦桿が動かされてる感覚だ。すまないがアレサンドロ、代わってくれ。俺はソーニャのほうに行く」
了解した、と副操縦席にいたアレサンドロが役割を交代し、座り慣れた席に腰を下ろす。
片腕で何ができるかわからないが、と現状を吐露するパイロットに整備士は言う。
「それでも異変に気付いて知らせることはできるし、ボタンの操作だって……。再覚醒も念のため、もう一度試してくれないか?」
分かった、と答えたアレサンドロはコンソールのボタンをいくらか操作する。されどメーターや近づく街を見れば表情の暗さは一層増し、自分の影響が皆無である事実に、無力感が押し寄せた。
どうなってるんだぁ? と呟いて焦燥を誤魔化すベンジャミンは、少女の隣に並び熱気に耐えながら床下の構造を観察する。
ゴム手袋を嵌めた手で管の一つを押しながら、ソーニャは尋ねた。
「どう思う? この並列筋の構造からして工業血液を流す導管が発達したものだろうけど。触った感触で言うと殆ど空なんだよね。いつ内部に流れができるか分からないから、安易に切断できないから、素材も役割も経路も断言できないけど……。臓器の一部が発達したものかな?」
示されたベンジャミンは小首を傾げ、次に機内を見渡し脳裏によぎる配管の位置とSmの器官を指でたどった。
「そうだな。同じ系列の組織素材を使ってる燃料系、だとすると位置がズレる。もしかすると組織に張り巡らされた導管の一部が勝手に分岐して拡大したか。あるいは毛細導管が異常発達して形成されたって感じか……」
「余計な構造が増えれば、その分機体のリソースがなくなっちゃうし、健全な個所を分解して、不必要な箇所にリソースが流れる危険もある。どうする? 外と呼応して薬剤投与で組織造成を抑制させる?」
ベンジャミンは。
「下手に抑制したら、元来機体が持っている組織の修復機能も抑制される懸念があるぞ。そうなれば、異常発達や、それに伴う組織の破損を直そうとする働きが損なわれる」
「だけど、これ以上の不必要な発達もリスクが高い」
「けどな。そもそも発生を抑制出来る薬品が圧倒的にたりないんだ。となると現状可能な対策で、最も有効な手立ては……操縦桿の制御を邪魔している筋肉を掘り起こして切断するか」
ベンジャミンの提案に、鞄を漁っていたソーニャは目を丸くした。
「そんなことして墜落したりしない? ゴブリンとかなら不必要な筋肉の切除は有効だけど」
「最終手段として覚悟していたほうがいい、って話だ。そもそも操縦桿の不調が機械的ではなく機能的問題なら……」
ベンジャミンは視線をそらし、いや何でもない、の言葉で話を強引に終わらせた。
直後、機内の各所から耳障りな金属音が響く。
機内の壁を守っていた布地を破って、膨張した軟組織が姿を現し、空間が狭る。背中を押されるピートが圧迫感に肝を凍らせ、泣き叫ぶ。
「どうでもいいから早く何とかしてくれ!」
「うるせえ! もとはといえばお前らのせいだろうが!」
鞄から一旦振り返るソーニャは凶悪な人相を作り、怒鳴る。
「手前のケツも拭けねえガキが、がたがたぬかすんじゃねえ!」
ベンジャミンの言葉に少女が添えた罵詈讒謗。誰もがあっけにられる中。
言いたいことはわかるが言葉を選んで、と諭すベンジャミン。
ソーニャは真剣な顔で整備士を見上げた。
「この前見たドラマのセリフ、言ってみたかったの。最後になるかもしれないから……」
視線を逸らす少女の素直で真摯な告白を他所に、ベンジャミンは壁や天井を見渡す。
「気持ちはわかるが。俺は最後にするつもりはない。ただ、これ以上の組織発達を何とかしないと地上に機体を降ろす前に圧死しちまうな。刺激応答は怖いが……。ここは腹を括って。今あるもの使って、試し試し投薬するか」
「ならこちらをどうぞ。SmGRとウラシマリムス」
とソーニャはプラスチックの容器と瓶を提示する。
何でも持ってるな、とベンジャミンは受け取った容器の表示を読む。
ソーニャは既に準備を済ませていた。
「とりあえず、少しずつ必要な個所に打つしかないよ。まずはSmGRで組織合成を阻害して、ウラシマリムスで……」
鞄に半ば頭を突っ込む少女にベンジャミンは。
「待て、投薬は俺がやる」
注射器まで準備していたソーニャは顔を上げた。
「SmGRは一般人でも使っていいやつだからソーニャだって使えるよ。その分、効果も弱いかもしれないけど」
「そうじゃない。お前じゃ、何かあった時の責任をとれないだろ。人の命がかかってるんだぞ?」
ソーニャは馬鹿にされたと思い。幼い顔を曇らせ、眼差しを鋭くした。が、相手の言葉の意味も重みも理解できた。だから、一方の手に握る容器を見て考え込んでしまう。その中身が、事態を大きく変える可能性を思って。
床に置いた片膝を突き出すベンジャミンは、少女の目をのぞき込んだ。
「この飛行機にいる4人だけじゃない。今この機体は街の上を飛んでる。ってことはだ、もっと大勢の命も懸かってるんだぞ?」
少女のあからさまな表情の変化を読み取ったベンジャミンは、俺によこせ、と手を出す。
問い返す少女。
「ベンジャミンは覚悟があるの?」
「……それが、俺の役目なんでな」
整備士の気後れを感じさせる笑みを受けて、随分と考え込んだ様子で少女は頷き、持っていた注射器を預けた。
Now Loading……
ゴブリンから降りてなおリックは、計測器で巨体を観察する。
そこへ、後ろからアーサーが不安をぶつけてきた。
「まさか、ここまでやったのに、また動き出して暴れだすのか?」
「可能性はある。だから……」
老人に見られたアンドロイドは。
「連絡ならばすでにシタ。企業の施設及びいくつかの町工場から技術者の応援を取り付け、今向かってくれている。さらに精密な検査の手筈も、技術者の知見をもとに整えている。それと市庁舎の方は、安全を確認次第、専門部署から人員を派遣スルそうだ」
そりゃよかった、と呟いたリックは巨体を見上げ唸りだす。
「最初から技術者を呼んでくれれば……。まあ、あの状況で戦力にならないやつを呼んでもなぁ」
苦い表情で文句を言うつもりだったが途中で考えを改める老人に、アンドロイドは。
「怪我人ガ増えるだけ、ト思い強引な動員を取り止メタ」
「おい、ならなんでワシを連れまわした?」
「貴殿ガ居たからこそ他ノ人間の招集を取りやめることができたノダ。カンシャシテイル」
最後の謝辞はハウリングすらうかがえる無機質な機械の合成音で構築された。
老人と機械は睨み合う。一人はあからさまな敵意をむき出しにし、もう一方は鉄面皮を崩さない。
両者の間に朗らかに微笑むアーサーが割って入った。
「まあまあまあまあ! ここまで一緒に戦ってきたんだから。それより他にやることあるだろ?」
すかさず上官も、ソノ通リダ、と同調するが。
リックは、待て、と否定のそぶりを見せる。
しかしアーサーが満面の笑みで迫ってくるので、迫力に押され意見も出せない。
「わかってるよリック! これからもっと大変になるんだろ? 俺たちも手伝うからさ。なにをどうすればいいのか指示してくれよぉ」
「何を分かってるってんだッ。たっく、調子がいいんだか図々しいんだか……。でも、確かに今は一人でも手が欲しいか……。こいつを運ぶとなると、細かくできなかった場合、道によっては交通整理を敷かなきゃならんし。対処できるうちに対処しないと、それこそまた暴れられたら今度こそかなわない。保安兵の火力もまだ必要かもしれん……」
思ってもみなかった役目と危機を知らされてアーサーも顔色を変え実情を告げる。
「それは困ったなぁ。弾薬も底を尽きそうだったし。保安兵も満身創痍だし」
「そろそろ負傷者の治療モ終わり、続々と復帰するだろうから人員ハ問題ナイが」
そう言って遠くへ視線を送る上官にアーサーは言った。
「同僚たちのケガの程度を、ほんの少しでも考慮していただければ幸いです上官。お願い。彼らは人間なの……」
一般市民としてリックは意見する。
「おいおい、負傷兵を駆り出さないと間に合わないのか? この街の防衛はどうなってる。野良Smや危険生物がやってきたらどうするつもりだ?」
ジャーマンD7は。
「治安維持費用の増額および備品の拡充の交渉をせねばなるマイ。場合によっては市民投票にゆだねることになるだろうが。最優先事項である私のボディーのメンテナンスだけは絶対に……」
損傷の目立つアンドロイドに、リックは笑みを作って近づく。
「この際Smパーツに置換してみないか? 人間の補助具にも使われてるし、最近だと高性能な製品も出回ってる。中古なら費用も安く済む。よっぽど無茶な運用をしなければ整備も簡単で……」
「そうやって自分ノ利得ヲ確保しようと……」
「お互いウィンウィンになるんだ。誰も損はしないはずだが」
突如、ゴブリンの喉の奥から不完全な咆哮と血反吐が溢れる。驚くリックは動揺するが突発的な行動はせず、状況を確認して、ゆっくりとした動作で後ずさる。ゴブリンの変動は、その体から絶えず生まれる骨が一番顕著で、意図せずに成長する白い棘が枝分かれを繰り返し、巨体を埋め尽くす。
まるで廃墟を覆う植物のような変化を前にしてアーサーは言う。
「なんか現実感を失いそうな光景だ」
何ガ起コってイル、とアンドロイドに問われたリックだが。
「見たまま、としか言えないが。そうさな……ワシらはSmのさらなる可能性を見せつけられてるんだろうよ」
その言葉に応えたのは空から降り注ぐ嘶き。
地上のリックたちが仰ぎ見たのは翼を広げた陰であった。
ミニッツグラウスが装甲を軋ませ、機体の先端、操縦席の下に生える顎を開き、細かく並ぶ牙を晒し、喉の奥から叫びを放って大気を震わせた。
機内では、電動カッターで切断された床がスロウスによって引き剥がされる。あふれ出す熱気に切断作業に従事していたソーニャが顔をしかめる。
どうだ? と操縦席からベンジャミンが尋ねた。
暴かれた床下は腫れ上がった肉に埋め尽くされ、それらに巻き付くように絡まる脈が一部、引き起こしていた拍動を止めて静まる。
「すごい熱気だし、管の接続先はもちろん、導管と器官の区別もはっきりしない。そっちはどんな感じ?」
ベンジャミンは健全な両腕で力いっぱい操縦桿を制御しようとするが。
「だめだ! 操縦は完全に破綻してる。操縦桿の動きが反映されないんじゃなくて、逆に操縦桿が動かされてる感覚だ。すまないがアレサンドロ、代わってくれ。俺はソーニャのほうに行く」
了解した、と副操縦席にいたアレサンドロが役割を交代し、座り慣れた席に腰を下ろす。
片腕で何ができるかわからないが、と現状を吐露するパイロットに整備士は言う。
「それでも異変に気付いて知らせることはできるし、ボタンの操作だって……。再覚醒も念のため、もう一度試してくれないか?」
分かった、と答えたアレサンドロはコンソールのボタンをいくらか操作する。されどメーターや近づく街を見れば表情の暗さは一層増し、自分の影響が皆無である事実に、無力感が押し寄せた。
どうなってるんだぁ? と呟いて焦燥を誤魔化すベンジャミンは、少女の隣に並び熱気に耐えながら床下の構造を観察する。
ゴム手袋を嵌めた手で管の一つを押しながら、ソーニャは尋ねた。
「どう思う? この並列筋の構造からして工業血液を流す導管が発達したものだろうけど。触った感触で言うと殆ど空なんだよね。いつ内部に流れができるか分からないから、安易に切断できないから、素材も役割も経路も断言できないけど……。臓器の一部が発達したものかな?」
示されたベンジャミンは小首を傾げ、次に機内を見渡し脳裏によぎる配管の位置とSmの器官を指でたどった。
「そうだな。同じ系列の組織素材を使ってる燃料系、だとすると位置がズレる。もしかすると組織に張り巡らされた導管の一部が勝手に分岐して拡大したか。あるいは毛細導管が異常発達して形成されたって感じか……」
「余計な構造が増えれば、その分機体のリソースがなくなっちゃうし、健全な個所を分解して、不必要な箇所にリソースが流れる危険もある。どうする? 外と呼応して薬剤投与で組織造成を抑制させる?」
ベンジャミンは。
「下手に抑制したら、元来機体が持っている組織の修復機能も抑制される懸念があるぞ。そうなれば、異常発達や、それに伴う組織の破損を直そうとする働きが損なわれる」
「だけど、これ以上の不必要な発達もリスクが高い」
「けどな。そもそも発生を抑制出来る薬品が圧倒的にたりないんだ。となると現状可能な対策で、最も有効な手立ては……操縦桿の制御を邪魔している筋肉を掘り起こして切断するか」
ベンジャミンの提案に、鞄を漁っていたソーニャは目を丸くした。
「そんなことして墜落したりしない? ゴブリンとかなら不必要な筋肉の切除は有効だけど」
「最終手段として覚悟していたほうがいい、って話だ。そもそも操縦桿の不調が機械的ではなく機能的問題なら……」
ベンジャミンは視線をそらし、いや何でもない、の言葉で話を強引に終わらせた。
直後、機内の各所から耳障りな金属音が響く。
機内の壁を守っていた布地を破って、膨張した軟組織が姿を現し、空間が狭る。背中を押されるピートが圧迫感に肝を凍らせ、泣き叫ぶ。
「どうでもいいから早く何とかしてくれ!」
「うるせえ! もとはといえばお前らのせいだろうが!」
鞄から一旦振り返るソーニャは凶悪な人相を作り、怒鳴る。
「手前のケツも拭けねえガキが、がたがたぬかすんじゃねえ!」
ベンジャミンの言葉に少女が添えた罵詈讒謗。誰もがあっけにられる中。
言いたいことはわかるが言葉を選んで、と諭すベンジャミン。
ソーニャは真剣な顔で整備士を見上げた。
「この前見たドラマのセリフ、言ってみたかったの。最後になるかもしれないから……」
視線を逸らす少女の素直で真摯な告白を他所に、ベンジャミンは壁や天井を見渡す。
「気持ちはわかるが。俺は最後にするつもりはない。ただ、これ以上の組織発達を何とかしないと地上に機体を降ろす前に圧死しちまうな。刺激応答は怖いが……。ここは腹を括って。今あるもの使って、試し試し投薬するか」
「ならこちらをどうぞ。SmGRとウラシマリムス」
とソーニャはプラスチックの容器と瓶を提示する。
何でも持ってるな、とベンジャミンは受け取った容器の表示を読む。
ソーニャは既に準備を済ませていた。
「とりあえず、少しずつ必要な個所に打つしかないよ。まずはSmGRで組織合成を阻害して、ウラシマリムスで……」
鞄に半ば頭を突っ込む少女にベンジャミンは。
「待て、投薬は俺がやる」
注射器まで準備していたソーニャは顔を上げた。
「SmGRは一般人でも使っていいやつだからソーニャだって使えるよ。その分、効果も弱いかもしれないけど」
「そうじゃない。お前じゃ、何かあった時の責任をとれないだろ。人の命がかかってるんだぞ?」
ソーニャは馬鹿にされたと思い。幼い顔を曇らせ、眼差しを鋭くした。が、相手の言葉の意味も重みも理解できた。だから、一方の手に握る容器を見て考え込んでしまう。その中身が、事態を大きく変える可能性を思って。
床に置いた片膝を突き出すベンジャミンは、少女の目をのぞき込んだ。
「この飛行機にいる4人だけじゃない。今この機体は街の上を飛んでる。ってことはだ、もっと大勢の命も懸かってるんだぞ?」
少女のあからさまな表情の変化を読み取ったベンジャミンは、俺によこせ、と手を出す。
問い返す少女。
「ベンジャミンは覚悟があるの?」
「……それが、俺の役目なんでな」
整備士の気後れを感じさせる笑みを受けて、随分と考え込んだ様子で少女は頷き、持っていた注射器を預けた。
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