絶命必死なポリフェニズム ――Welcome to Xanaduca――

屑歯九十九

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第01章――飛翔延髄編

Phase 63:若子と美女に打ち負かされる資本の虜

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《フラットパネル》バイタルソフトの提供するグレーボックスを搭載したビジネスノートPC。画面の裏面に、小型の脳みそに見える生体機関が格納されており、グレージュース200mlで最長12時間活動する。軽量で防水防塵に定評があり、故障も少なく。また、グレーボックスの手入れに関しても、簡単な手順で養液交換や老廃物除去などが行える。
















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「待ってくれ!」

 責任長は悲鳴に近い訴えを吐く。

「何も話す必要はない。私は常にこんな感じだ。いつもこうだ。それに、ほら! わかるだろ? 子供が聞くには、きっと、刺激が強すぎるし。ねえ?」

 責任長の懇願めいた指摘の対象となったエヴァンは腕を組み胸を張った。

「聞かせてくれよ。あんたがどんな人間なのかを」

 じつはねぇ、と語りだすエロディと聴衆の間に責任長は慌てて割って入り、腕を振って隔絶を試みる。

「待って待って! 本当に、その、何時の、何の話をするつもりかな? 内容次第では……甘んじて受け入れるぞ」

 最終的に覚悟する姿勢を見せた責任長の耳元に、エロディは囁いた。
 話を聞き終わった責任長の表情は怒りとも恐怖ともつかぬ形状に歪むみ、顔色は青一色に染まる。

「ま、マテ。それは言っちゃ駄目なやつだよエロディ。絶対に言っちゃだめ。そんなこと知られたら」

「でも、このまま作戦を実行したら皆に誤解されたままになっちゃうよ?」

「いや、そんな話をしたほうが誤解される!」

 そんなことないって責任長さん、と根拠なく告げるベンジャミン。
 ソーニャも含み笑いを交えて、教えてよエロディのお店で何をしてたのか、と言う。
 マーカスは煽る。

「もし誤解したままあんたが作戦を実行したら、うちのせがれが殴り掛かっちまうかもしれないぞ? なぁ」

 マーカスが振り返れば、すでにエヴァンがシャドーパンチを始めていた。その身のこなしと繰り出される殴打の速度、空気が裂ける音で、少年の力が推し量られ、責任長はもちろん、ほかの人々も生唾を飲み込む。
 レントンも口を開いた。

「それじゃ、お嬢さん。とくと語ってくれ、責任長の真の姿を」

 待て、と責任長が懇願する。
 マーカスがにじり寄る。

「作戦の実行をやめろとまでは言わん。その代わり少し時をくれるだけでいい。そうだよなソーニャ?」

「おう、準備は整ってる……。だから、あと時間をください」

 マーカスは皆の顔を見比べる。

「俺はソーニャならやり遂げると信じてる。ほかの連中も、そうなんじゃないか?」

 少女を知っている人は、黙って責任長を見つめた。

「それとも、誤解を解く手助けをエロディに頼むか?」

 責任長の視線は満面の笑みを作る女性に向く。
 マーカスは続ける。

「今まで逡巡したってことは、それ相応に言われちゃまずいってことだよな? なら、それがばれたら、あんたは今後、会う人にどんな顔して挨拶するんだ?」

 責任長は怒鳴られてもいないのに、不安に震え、肩を跳ね上げた。
 マーカスの追及は続く。

「いや……そうでなくとも、今現場に飛び込んだ二人を無視して作戦を強行したあと、あんたはここにいる連中と真正面から向き合えるのか?」

 責任長の視線は、従業員一人一人の眼差しと交わる。

「……作戦が、私の作戦が成功すれば……私の正しさが証明されるッ」

 絶対なのか? その一声はベンジャミンのものだ。

「突入した俺たちだって、すべての事案に対して確証なんて持ってない。あんただって同じじゃないのか?」

「それは……」

「もちろん、それを非難するつもりはない。だからこそ、あんたらも賭けに出たんだろ? ただ、ひとつ言わせてほしい。俺たち二人も賭けに出たが、それは町の安全とそして、人質の命を優先することを念頭に置いてだ……。
 少なくとも俺はな」

 ソーニャは咳払いし視線を逸らす。ベンジャミンは一呼吸挟んでから。
 
「だからこそ聞く。お前は……自分の作戦によって左右される命の責任をとれるのか?」

 ソーニャは闇を凝視してから、ふいに、自分の手を見下ろす。
 責任長は、目が泳ぐ。

「私は! 整備士がいう言葉を……」

「なら、その整備士に尋ねる。成功する公算は高いんだな? そして、負う責任を十分理解してるんだな?」

 黒整備士は咳ばらいを一つして、泳いだ視線をたまたま目の前にあった他人様の足先に定める。

「我々は……命じられたまでのことをするだけです」

 それ以上は何も言わない。
 自分の爪先に集まる視線を払うつもりで、マーカスは横を向く。
 沈黙が流れる中、責任長の顔色は信号機のように目まぐるしく赤くなったり青くなったり、土気色になる。
 それを見逃さないマーカスは、肩を押し出すように詰め寄る。

「さあ、決めてくれ。あんたの人生に汚点を残すか。それとも、ほんの少し時間を与えて、あんたの名誉が増えるか」

「し、市長の命令が」

「市長は今ここにいないッ、それとも市長があんたの尻をきれいにふき取ってくれるのか?」

 エロディも務めて心配そうな顔で尋ねる。

「市長がそんなに親身になってくれるの?」

 もはや突き刺さるような視線はない。だが、見られている。視線が幻想の蛇となって全身に巻き付き、体が自由に動かない。自分の中で何かが訴える。考えろ、と。
 八方塞がりの責任長は顔を上げた。

「し、市長に連絡する……」

 その責任長の言葉に戦慄に近い空気が走る。






「アレクサンドラ。今後の予定の調整だが……」
 
 外行のコートを羽織ったタウンゼントは、姿見鏡の前で己の着こなしを精査しながら口を開いた。

「製薬会社との打ち合わせは一旦保留にさせてもらおう。先方の対応は君に一任する。今は町に貢献する方々の質疑応答に専念せねば……。原稿も、一種類だけでは足りないな」

 かしこまりました、と応じたのは。尖った印象の眼鏡の奥に怜悧な眼差しを宿すアレクサンドラだ。接客用のソファーに座り、膝に乗せた端末のキーボードを叩き、時にテーブルの書類に目を通す。
 服装はボディラインを浮き彫りにするレディーススーツにヒール。ありふれた装いを着こなす姿には秘書の見本というような迫力がある。
 化粧もほどほどで主張は少ないが生来の造形が際立ち、シンプルに団子状に束ねた髪は、黒鉄のように艶めいていた。
 そんなアレクサンドラは震えだすセマフォに応じ、膝の端末を隣の座面に移すと、市長のもとへ急ぐ。

「市長、責任長からお電話です」

 クローゼットの棚から帽子を選んでいたタウンゼントはセマフォを受け取り、もしもし、と平易な声で話し出す。

『市長……私です』

 弱弱しいほど謙虚な声にタウンゼントはしかめ面が強まる。

「これは責任長、どうです作戦の進捗しんちょくは? もう始まりましたか?」

『それが……。その、準備に関しては問題ありません。いや、ただ、用意した機体の……重力機関に懸念がございまして。今少し、お時間をいただきたく』

 堂々と矛盾をのたまう男に、市長の目が細まる。

「重力機関のコンディションについては現状目立つ問題はない、と言ってませんでしたか?」

 間髪入れない市長の端的な質問には見えない刃が仕込まれていた。
 責任長の声には上ずった震えが伺える。

『ええっとぉ……そのぉ……何と言いましょうか。事態は刻一刻と様相を変えておりまして。町の上での作戦ということで皆、万全を期すために、さらなる計画と準備をしたいとのことでして。私も市長のご計画の成就のためには、それがいいかと思いまして』

 タウンゼントの眉は傾き、厳しさがにじみ出る。しかし、理解を示すような頷きをささやかに繰り返した。

「では、準備ができたとき、改めてお電話ください」

 確実に通話を終えたタウンゼントは窓に向かって歩き出し、空を睨む。

 いかがなさいました? と尋ねる秘書に対してタウンゼントは背中を向けたままだ。

「……責任長曰く。時間が欲しい、と」

「つい先刻は、すぐにでも作戦が実行される、というようなことを確約していたと記憶していましたが。なにか不測の事態が?」

「準備だそうだ」

「空港に問い合わせましょうか?」

「いや、あの男のことだ。粗探しをしてもキリがないだろう。粗忽者そこつものなのは明白だから……。だからこそ、あのポストに置くしかなかったのだ。それなのに、与えられた役目すら満足にできないとはな」

「この機に解任することも視野に?」

「……そうしたいが。なにぶんあの男、中央とコネクションがある人物の親類縁者だからな。置いておくだけで少なからず恩恵がある。今後も適当なポストを与え、上辺を整えるだけで、中央へと続く繋がりを太く広くできるなら、それに越したことはないし。下手に梯子を外して牙を剥かれたら面倒だ。従順なうちは飼殺してやる」

 市長は自嘲するように鼻で笑う。

「なに、今回のことで何か事故が起これば、周りから責任を追及させて、私が尻を拭ってかばってやれば、あの男も、私に恩義と負い目くらいは感じるはずだろう」

「それほど義理堅ければ良いのですが」

 作業に戻ったアレクサンドラの評そうは辛辣であった。

「やつ自身が不義理でも有力な親類が私を評価してくれる」

「……なるほど。そうですね。では招集した部隊は」

「そのまま待機させておけ、意見も聞きたい。こういう事態については私も門外漢だからな」

「地上の事件には?」

「そちらは中央政権のユニットと保安兵たちに任せておく。機械の仕事を奪っては哀れだろ……?」

 市長は窓ガラスに鼻先が触れそうなほど近接し、うっすらと映る自分の顔を見つめる。

「仕事を失くしても人間は生きていけるが、機械はスクラップにされるしかない」

「……かしこまりました」






 格納庫のシャッター付近に、外を見たい数名がやってくる。出入りに邪魔な残骸や破片、壊れたシャッターは空港のSmが脇に退かしていた。
 大きく旋回するミニッツグラウスは、定期的に格納庫から見える位置を飛行する。それを待つ。

「ちなみに、ソーニャの作戦は何なんだ?」

 マーカスが後ろを振り返りながら尋ねた。
 用意されたヒポグリフは、まだ動いていない。ならしばらくは出口に陣取っても問題ないだろう。
 質問されたエロディは、知らないの? と小首をかしげる。

「ああ、聞きそびれた」

「なのに味方したんだ」

「そうだ。きっとばれたら、リックに怒られるだろうな……。下手したら薬剤や備品を卸してもらえなくなるかも」

「私も、ガレージに二度と入れてもらえなくなるかも……」

 エロディと一緒にマーカスは視線を逸らし苦笑い。ただ聞きたいことも忘れていない。

「それで、あいつの作戦って?」

 じつは、とエロディから耳打ちされてマーカスは天を仰ぐ。

「聞いてからくみするんだった……」

「そんなの意味ないよ。ソーニャだったら止められても、やってたはずだもん」

 ため息をこぼしたマーカスは、お前は大丈夫なのか、と気遣う。
 エロディは視線を下げ、指を絡め合わせた両手を見つめる。

「確かに、ソーニャは心配だけど……あの子は、あのちっこい体で大きなことができるって知ってるから」

 子供を心配する一方、根拠のない信頼を寄せる、そんな親みたいな面持ちを、エロディから感じ取ったマーカスは、微笑み、から一転、真顔になる。

「いや、そっちじゃなくて」

 短い言葉でマーカスが互いの齟齬の修正を試みても。エロディは、へ? などと口走る。
 まだわかってない相手に心配の眼差しを示したマーカス。

「いや、たしかにソーニャも心配だが。俺がさっきから心配なのはエロディ、お前のことなんだ。だって、客の個人情報をゆすりに使ったりして」

 すべてを察したエロディはさっきの自信に満ちた立ち居振る舞いが嘘のように脱力し、萎びていく。暗澹あんたんたる思いが美麗な顔を占領し、目元が陰に浸り、姿勢は老境に至ったように曲がる。

「ううう、もちろん本当は、どんな時でも客の情報を店の外で利用するのはご法度なんだよ。きっとバレたらママにめっさ怒られるだよぉ……。とほほ、オラの給料が……そして体力が……」

 お気の毒に、と呟くマーカス。
 エロディは、内緒にしてくれない? と持ち掛ける。

「もちろん、俺はばらすつもりは毛頭ない。だが、ママさんが気づかないと思うか?」

「……いえ、あの人の嗅覚はハゲワシの100倍で聴覚はサーバルキャットの1000倍だから……。ハゲワシの嗅覚と何とかネコの耳がいかほどなのか存じませんがね」

 もはや運命を受け入れたエロディは陰に顔を沈め、亡者のように手をぶら下げる。
 苦笑い以外の表情が思いつかないマーカス。 

「はは、今度おごってやるから元気だしな」

「それはうれしいけど。外の女の子とお酒飲んで奥さんに怒られない?」

「バレたら吊し上げられて全身の骨が全部粉末になるまで殴られるよ?」

 と冷静に告げたのは、いつの間にか隣にいたエヴァン。
 マーカスは表情こそ微笑のままだが若干青ざめる。

「ごめん、俺の奥さんが帰ってきたら、俺の分も奢ってもらってくれ。きっと、事情を聴いたら快く愚痴も酒も付き合ってくれるから」

「その分、父さんの小遣いが減るんだけどね」

「だな、そしてお前のお小遣いも減るだろうな」

 親子は一緒になって顔を陰に落とした。
 エロディはすべてのわだかまりを吐き出すようにため息をつく。

「はあぁ……。辛い。でもあたしは、自分のできる限りのことはしたぞ。だから……だからさっさと来いよ!」

 顔にまで浮かんでいた不満が、とうとう爆発した。エロディは突然走り出し、空に向かって。

「リックの馬鹿野郎ォォォォオオオ!」

 盛大に叫んだ。






そのころバカ認定されたリックは

「わああああああああああ!」

 叫んでいた。









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