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第01章――飛翔延髄編

Phase 46:機首都市と開く間

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《パッションショー墜落事件》××年05月12日 ゴルゴン州ポーチランドからフランクリン州のシャべルに向かう予定であったレイ・ビドウェル(37)が操縦する個人輸送機がポーチランド空港を出発した。その4日後、空港から北東に向かって80km離れたパッションショー企業保護林((征)バイタルソフト)にて、無免許Smハンターが同輸送機を発見。さらに輸送機から200m離れた地点でビドウェルの遺体も見つかった。遺体の胸部には刺し傷と思われる傷が確認されたが、獣などに荒らされ、腐敗も進行していたので断定に至らず。輸送機は機内を黒色ガソリンによって燃やされていた。輸送機が離陸する前、空港の防犯カメラや作業員の証言により、ビドウェルが作業服を着た三人組の男を連れて空港に現れたことが判明。残された防犯映像の三人組は、墜落事件の一週間前に起こった宝飾品店強盗事件の犯人と特徴が一致した。保安兵舎はビドウェルが犯人の逃亡を手助けしたとみているが、証拠は乏しく、真相究明には至っていない。












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「どうしたいのあんたは?」

 エロディはまっすぐ向けた目をけっして外さず、ソーニャに問いただす。
 少女は、唇が起こす震えに抗って、言った。

「あの子とお父さんを助けたい」

「どうやって?」

「……わからない」

 再びうつむく少女。
 エロディは、落胆も呆れも見せない。ただひたすら問う。

「……あんたなら助けられるの?」

「わからない……。けど」

 顔を上げた少女は涙にぬれる顔で、しかし、唇を結び己の弱さを耐える。吊り上がった眉は、断固として曲がらない意地を体現した。

「だからって、何もしないのは嫌だ。今なら、まだ間に合う。ソーニャも力になれる。今行かなきゃ、あの機体が飛び立ったらもう……ソーニャには何もできない」

「……あんたを信じていいの? あたしたちは?」

「信じてほしい」

 少女の言葉には、強さもあり、けれど不安も読み取れた。
 エロディは深く目を瞑り、肺いっぱいに吸った空気を吐く。
 ソーニャはどんな表情で答えを待てばいいのかわからず、見飽きたはずの自身の足元に視線を落とす。

「……なら、先にそう言え」

 エロディの文句に面を上げたソーニャは、白く細い指によって額を軽く刺突された。
 本来なら軸すらぶれないほど優しい一撃に、ソーニャは仰け反り、一歩後ろに下がってしまう。
 エロディの顔色を窺おうと思ったソーニャは、また抱きしめられて相手の表情が判らない。

「……昔かっらそうだよね。あんたって子は。小さい子たちのために、いじめっ子に立ち向かって泣かされて。そして相手をボコボコにして。リックは認めないけど、あんたも相当暴れん坊だったよ」

「……うん」

「アタシが嫌な客に殴られた時も。その時も、あんた工具持ってさ。歓楽街でその客を探しまわって。ママが怒鳴ってたよね……ガキがこんなところをうろつくな、って」

「うん」

「アーサーが先に逮捕してなかったら、あの客死んでたね」

「うん、ソーニャがぶっ殺してた」

 二人とも、徐々に声の震えが顕著になる。エロディは深呼吸して、自分を律した。

「……でもね、あたしは、あの野郎が逮捕されてよかったと心から思った。あんたがケガしないで誰も傷つけなくて本当に良かった」

「うん」

 服を掴んで抱き着く少女を今一度引き離すエロディは、大きな瞳と対峙した。

「ソーニャ……ちからってのはね。どんな理由があっても、相手に向けたら、向けられた相手はもちろん、向けた自分自身も傷つけるもんなんだよ? 傷つけたその時は何も自覚できなくても、見えないところが傷ついてるの。知らないうちにその傷が腐って、あんたを苦しめるんだよ」

 少女を掴むエロディの手は凍えている。彼女の顔は今にも涙を流しそうなほど弱々しい。なのに声だけは力を失わず、問いかける。

「それでも行くの?」

 自然と目線が下がっていたソーニャは、逃げようとする意思を一回の瞬きで絶ち、瞳を交わす。

「……うん。誰も行かないならソーニャが行くしかない。いや、誰かが行くならソーニャもついていく」

 二人は体を離す。
 少女は自分の手に刻まれた傷を見て言った。

「ソーニャが本当に何もできないなら、ここに来ることさえリックが許さなかった。リックがソーニャを信じてくれたから今ここにいられる。だからソーニャは自分を信じられる」

 自分の稚拙さを愚かさを全て握りつぶすように、手を握り締めるソーニャ。
 そして、目の前の相手に向き合う。
 二人とも視界がぼやけていたが、そんなこと障害にならないほど、心は近く、相手の思いを理解できた。
 エロディの顔には、もう弱さはなく、厳しさが残る。

「ソーニャ。あんたがこれから相手するのは、あたしが一番よく知ってる人種だ。残忍で人を傷つけることを何とも思わない、いやむしろ暴力を……人を傷つけることを楽しむ連中だ。自分のことしか頭にない。子供だからって容赦しない。きっとあたしの拳よりも強力で激しい暴力を振るってくる。あたしだって怖いし、ここにいる全員がビビるような相手だ」

 彼女の言葉に嘘はない。それを周りの人間の顔に張り付く緊張と気後れが肯定する。

「それでもあんたは立ち向かうの?」

 ソーニャは涙をぬぐう。すでに感情は出し尽くした。

「立ち向かう。だってここまで来た理由はそれだから。誰かを守るって決めたなら立ち止まりたくない。ソーニャは職人になるから」

 いつでもすぐに思い出す老人の言葉の一つ。

――いいかソーニャ、職人ってのはな

「職人ってのは、一度始めた仕事は最後まで果たす! ソーニャは自分の決めた道を絶対に果たす!」

「スロウスを使って?」

「そうだよ。それしかない。ソーニャにしかできない」

 ソーニャは従僕の名を聞いて一瞬表情を暗くした。だが、すぐに精悍な顔つきで巨躯を見る。

「マーカス」

 マーカスはわが子に上着を着せ、目の端に巨躯を据えたまま、なんだ、と堅い声で返事をする。
 ソーニャは立ち上がった男を見上げ、真正面から対峙する。

「ソーニャは、スロウスなら機内に突入して犯人を制圧できると、信じてる」

「……俺に同意を求めてるのか?」

 男は少女を睨む。威圧感を隠さない声色にふさわしく、彼の瞳は獅子のように鋭く隙を与えない。
 だが、少女は屈しない。

「違う……。ただしマーカスには引っ込んでいてほしい。もし、マーカスが本気で立ちふさがるなら。怪我させる」

「本気で言ってるのかッ?」

 マーカスの一言に周りの大人たちが気圧される。一人の父親の表情としてはあまりのも酷薄で無情な形相を年端もいかない少女に向けている。
 それは感情的なものを伺わせない野性動物の気迫。人間が大型動物であることをまざまざと証明する。
 しかし、少女は折れない。まっすく背筋を伸ばし、相手の目に挫けない意思を持っていると体現して見せた。
 マーカスは、瞑目する。

「正直俺だってたじろぐってのに。なんでお前が行くんだ?」

「ソーニャは……もう二度と負けられないの。誰かの悪意に」

 父の記憶を思い出す。でも今、強く鮮烈に思い出されるのは、まだ命ある人たちの顔。

「小さな希望にすがって立ち止まるだけじゃ、誰かを助けられないってソーニャは知ってるから。ソーニャは行くんだよ」

 少女の目は皆に向けられた。

「何か方策があるなら今すぐ言ってほしい。いつでもソーニャが力になるし応援でも何でもする。でもバカにしたいだけなら……」

 ソーニャは腰に手を当てて衆目に胸を張った。

「大声でバカにすればいい。何もしないし思いつかないなら、黙って見てて」

 その言葉に中てられた大人たちは、幻想の雪崩に巻き込まれたような、重圧と寒気と、煮えたぎる感情を覚えたのだった。






 ミニッツグラウスの機内ではマクシムが嬉々として口走る。

「よし! あいつらはもう邪魔しない! これで町から出られる!」

 パイロットであり一人の父親である男が睨んでくると、マクシムは笑う。

「いいか、親父さんよ。確かに俺たちもあくどいが。あんたにだっで責任があるんだ。いやそれどころかこの空港の奴らだって悪いんだ。もし、俺たちを入れてなかったら? ちゃんと警備してたら。整備士連中が出入口に注意を払ってたら。そしてもし、あんたが飛行機の後ろを開けて放置してなかったら? 潔く死を選んでいたら? 立ち向かって戦ってたら、手前ェのガキはあんなに苦しむことはなかった! お前や外の連中が無能なせいでお前ェのガキが苦しんでんだよ!」

 マクシムはアレサンドロの後ろに回り、頭に銃口を押し付け、顔を近づけた。

「それがいやだったら。次の人生は金持ちにでもなりな。少なくともこんな、しょんべん臭せぇおんぼろ飛行機に乗らずに済むからな!」

 嘲笑の声が機内に響く。
 罪人が吐いたあらゆる言葉が、嘲笑が、深くアレサンドロの胸を貫き、抉り、触れられない傷口を満たす腐敗が、敗北感を醸造する。
 去っていく犯人を目で追いかけるアレサンドロは組み伏された我が子を直視して、とっさに目を外す。
 それでも瞳に焼き付く泣き顔が、さらなる癒え難い傷を作る。瞼の裏の闇で感情を上書きして、やっと前を向き、再びペダルを踏む。
 前進するミニッツグラウス。その正面の装甲を繋ぐリベットが弾け、車のフロントグリルのような構造が落下すると獣の下顎が露になった。鋭く尖った牙が並ぶ口は短い開閉を繰り返し、蒸気を放つ。
 アレサンドロが切迫した声を張り上げた。

「衝撃に備えて歯を食いしばれ!」

「何する気だッ!?」

「このまま出ようとしても翼がシャッターにぶつかる。なら突き破って幅を確保する!」

 ロッシュは言われた通りにしたいが、体は床に押さえつけられて動けない。
 ミニッツグラウスは加速し、機体の先端、今はくちばしのような構造が支配する箇所でシャッターに突撃した。
 今回の衝撃もすさまじく。マクシムはピートの肩に手を置く。
 場所が場所なら大地震と勘違いしてしまう反動が収まると、アレサンドロは振り返った。
 息子は解放こそされていなかったが少なくとも、新しい外傷は見当たらない。犯人二人が重なりあったおかげか。
 不幸の中でむなしい安堵を覚えたアレサンドロは、次に機内を見渡し、握った操縦桿を凝視する。

「お前も、もう壊れちまったのか……」

 ロッシュが潜んでいたロフトから工具が落下し、ピートのヘルメットに落下した。
 畜生、と唸るピートはロフトからはみ出す鋭い角を睨む。
 笑うマクシムは前を指さし、見ろ、と告げた。
 操縦室の窓にはもう阻むものが見当たらない。
 マクシムはパイロットに駆け寄る。 

「もう出られるよな」

 ピートの言葉に思わずアレサンドロは答える。

「あと5回も激突すれば!」

「よしあと5回だ! もし嘘だったら……。そうだな、追加で激突した分、ガキの指を一本へし折ろう!」

 待て、とアレサンドロの言葉を無視してマクシムはロッシュに駆け寄り、高らかに言う。

「お前の親父はあと5回の突撃で出られるって言った。覚えておけよガキ! 男が軽はずみで口にした言葉ってのは後になって重く圧し掛かるんだ」

 激情にかられるアレサンドロは怒りも唸りも噛み潰すと機体を引き下げる。
 マクシムは手を広げた。

「さあ! 賭けだぞ! あと5回の突撃で外に出られれば、ガキは助かる! もしできなきゃオヤジを恨みな坊や!」

 マクシムに手を踏みつけられロッシュは呻く。彼のまだ小さい手に成人男性一人分の体重が圧し掛かり、その背中には巨漢が居座っていた。耐えろというほうが無理な話だった。


「おーい! オヤジさーん!」

 アレサンドロが振り返ると、楽しそうなマクシムがナイフを逆手に持って待機していた。
 刃の直下には、我が子の手が。
 食い縛る歯に血を滲ませたアレサンドロは、現実から目を背けるように前だけに集中し、レバーを操作し、ペダルを踏みつけた。
 すべてが思い通りに動き出す。そう確信したマクシムは、突如血相を変える。
 床が激しく振動し、機体が傾く。
 当惑するアレサンドロは座席に腰を下ろしていたから問題はなかった。だが、それ以外の機内のものは傾斜した床を滑り、機体の端に寄ってしまう。ベルトもしてない人間はもとより、ロフトの上でも物が移動した。
 マクシムは服と手についた湿り気に気が付き。すぐ横のロッシュに、このガキ、と怒鳴る。しかし話の途中で機体が上下の振動を再開し、体が揺さぶられて舌を噛む。
 さらに機体がさっきとは反対に傾いて、それからやと異常が収まった。
 一応大事には至らなかったマクシムは怒りを爆発させる。

「おい! もっとましな運転できないのか!」

 アレサンドロは同じくらいの迫力で言い返す。

「機体がシャッターか何かを踏んだんだ! それに調子がおかしい!」

「ああ? どういう……」









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