絶命必死なポリフェニズム ――Welcome to Xanaduca――

屑歯九十九

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第01章――飛翔延髄編

Phase 27:街の中の狩人

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《鬼ころり》大日本民主主義皇国で作られたSm経口補給燃料。純液体燃料としてはゴブリンの普及に後押しされたこともあり、シェア世界一となっている。材料は皇国の改造米が使われており、皇国の厳しい品質基準と精米歩合、そして完成直前の酒の段階での人による試飲によって分類と等級が決定する。完成品の燃料は、決して人が飲むべきものではないが、中には、燃料を精製して酒の成分だけを抽出し、飲もうとする猛者がおり、これが原因で毎年十数人の死亡事故が報告されている。
















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『各員指定されたポイントに集結シ迎撃準備ヲ完了せよ。一斑は引き続き暴走ゴブリンの対処に当たれ、純機械車両でもって進行をサマタゲヨ』

『純機械車両の確保が間に合いません!』

『ナラバ生身デハバメ』

 無線に従い、ある保安兵は火器を用意し、ある保安兵は車両を走らせる。
 バイクを止めたアーサーは聞こえてきたクラクションに振り返った。PFOが車両を地面に下したところを目にして苦笑いを浮かべてしまう。しかし、すぐに表情を疑念へ変える。なぜならPFOが道路に下したのは、つい先刻連れて行った保安車両ではなくリックのトラックだったからだ。
 予想結果と違ったアーサーは足でバイクを転がし近づいていく。
 トラックの荷台で、完全防護マスクの御仁が早々に立ち上がり、拳を突き上げ抗議した。

「ここまでする必要なかろうが!」

『ドワーフを直シテから言え。それよりも早く作業を済まセヨ』

「ッたく。二度と高いところはごめんだ」

「リックだよな?」

 アーサーが尋ねると、防護マスクを被ったリックは煩わし気に、ああ、とだけ答える。そして、黒い液体に満たされたドラム缶にポリタンクの溶液を注いだ。
 アーサーは目を丸くし、何してるんだ? と聞く。

「無線聞いてなかったのか? 釣り餌の調合だよ。暇なら手伝え。防護マスクをつけてな」

「……了解ボス」

 顔に疲弊を滲ませたアーサーは荷台によじ登り、転がっていた防護マスクを装着する。目のレンズのヒビを無視して、拾ったポリタンクを指さし、これを注げばいいのか、と伺う。リックの承認を得たので蓋を外したポリタンクの  中身をドラム缶に投入した。
 アーサーはドラム缶に顔を寄せて深呼吸し、表情を緩める。
 リックはガスマスクの奥で目を細めた。

「おいおい、マスク被ったからってそんなに黒色ガソリンを吸うんじゃない。肺を悪くするぞ」

「俺この匂いけっこうすき」

「ワシは嫌いだ。こんな悪臭を好きだというヤツ含めて」

「だからガスマスクか? 神経質になってちゃ仕事にも私生活にも支障が出る、って昔公然猥褻で捕まえた犯人が言ってぞ」

「Smに触れる仕事をしてればマスクなんて嫌でも慣れるし、無神経な連中の言葉を真に受けて、寿命が縮むのはごめんだ」

「待って……今俺たち、マスクつけないといけないくらいヤバいモノを扱ってんの? ドラム缶の中身は黒色ガソリンだろ? このポリタンクの中身は何ッ?」

「これはゴブリン用の経口補給燃料だ」

「ああ! もしかして、酒みたいな匂いの正体はこれか?」

 アーサーは少しガスマスクを外し、ポリタンクの口に鼻を寄せて恍惚感を顔で表現する。
 あきれた眼差しになるリックは説明した。

「酒みたい、というより実際、ジャパン皇国の米を発酵させてできた酒が原料だ。が、酒以外にもいろいろ混ぜ合わさってる。それを黒色ガソリンと混ぜると経口燃料の成分が一部分解されて、匂い成分として揮発するんだ」

「なるほどウイスキーあるいはカクテルってわけだ……。少し飲んでみていいか?」

 唾液を飲み込むアーサーがのぞき込むのはポリタンクの中身である。
 リックは冷たく言う。

「死にたいなら今すぐ暴走してるゴブリンに立ち向かってこい。そうすりゃお前さんの墓標に、つまらん命も少しは社会の足しになった、と刻んでもらえるだろうよ」

「ははは笑える。それじゃあんたの墓標には、職人の腕以外神が付け忘れた、って刻んでやるよ」

「この事件が終わったらおごってやるぞアーサー。お前の好きそうな、とっておきのもんを飲ませてやる」

「この酒は遠慮する。それと前飲まされたSm経口燃料もいらないからな」

「酔っぱらったお前が勝手に飲んだんだろうが。酒と燃料の匂いも区別できんくせに、えり好みしおって」

「ガソリンはともかく、この経口燃料は甘い匂いで悪くないと思うがな俺的には」

「ソーニャと同じこと言いおる」

「あいつも物の善し悪しがわかる歳になったわけだ」

「変な方向に成長しないかと心配だ。はぁ……」

 アーサーは特別何も聞かず、ただ笑みをこぼす。
 その後も二人は燃料を注ぎ続け、都合4つのポリタンクを空にした。

「今回使用した経口燃料は嚥下反応のひどいSmでも釣られて飲んでしまうくらい香り高い代物で、それをさらに放t……熟成させたものだ。そんで、これが……。離れてろアーサー。今度こそ、嗅ぐのは危険になるからな」

 わかった、と言ったアーサーが荷台から降りると、リックははめていたゴム手袋の感触を正し、足元に転がしていた容器を並べる。

「それは?」

「消毒用エタノール。それと塩素系漂白剤をはじめとする混ぜるな危険の薬品数点……そんでもって、これだ」

 リックが持ち上げた真空パックの中には、クラゲとナメクジを足して二で割ったような見た目の卵黄色の物体が密閉されていた。

「食虫植物型Smの臭腺だ」

 アーサーは卵色の臭腺を注意深く観察する。細い糸のような無数の触手の真ん中から生える管は、節が目立ち、半透明の筋に点在する生々しい赤い斑点は、血の通った生物から略取したものだと知らしめている。

「さすが職人。変なもの持ってるな」

 マスクの中で具合の悪い顔になるアーサーに反して、楽し気なリックは革のエプロンの収納からナイフを取り出した。

「よく整備を頼んでくるSmハンターが買ってくれてな。顧客のためにガレージでとっておいたんだ」

 リックは袋に刃物を突き付けるが手を止め、アーサーに「無線貸してくれ」と言って、差し出されたハンドマイクに声を吹き込む。

「署長さんよ。ワシが用意した諸々の材料費は、保安兵舎が支払ってくるんだろうな?」

 ジャーマンD7曰く。

「黒色ガソリンと混ぜるな危険溶液はこちらが支払ってイル」

「経口燃料と臭腺はワシのガレージのもんだぞ。特に臭腺に関してはかなり値が張るんだ。タダで使うつもりはない」

「その臭腺とやらは必ず必要ナノカ?」

「使わないなら効果は保証しかねる」

 承知シタ、と返答が来る。
 だがリックはパックを手放しセマフォを取り出す。アーサーに無線機の設定を変えてもらい、無線機に埋め込まれたスピーカーにセマフォを近づけた。

「買い取ってくれるんだろ? ただでは使わんぞ」

「解ッタ保安兵舎が支払ウ」

 リックはセマフォの録音でジャーマンD7の言葉を再生し、うなずいた。
 そして、パックをよく揉みほぐすと、中の物体は色こそ変わらぬものの不均一な泥と成り果て、ナイフで切り裂かれたパックごとドラム缶へ入れられた。
 アーサーは懐疑的なまなざしである。

「それでおびき寄せられるのか?」

「ああ、こいつには種を問わずSmが反応する誘因物質がたっぷり含まれている」

「そのどぶカクテルにも? それとも臭腺だけか? いっそのこと生身のSmを並べたほうがいんじゃないか? ずっと、ゴブリンがあっちで食ってるこっちで食ってるって報告があるし。酒と匂いより肉のほうが好みなんじゃ」

「それもありだが、Smは持ち運びに不便だし。話を聞いた限り嗅覚は確かなようだからな。暴走ゴブリンが車を襲ってSm器官に食らいついたって聞いただろ?」

「ああ聞いた。それが」

「つまり、暴走ゴブリンは鼻が完成してるってことだ」

「え、元から鼻はあったろ?」
 
 アーサーが思い出すゴブリンは、一番最初に出会った愛嬌のあったころから足蹴にしてきた反抗期まで一貫して鼻が目立っていた。
 リックは言う。

「勘違いしてる……いやワシの言い方が悪かったな。通常、発動機型Smは不必要な行動を起こさないように感覚器官はほぼ無効化されて受容器と密接にかかわる神経も処理されている。発動機型にかかわらず。お前さんらが扱ってるガルムやクダンも、ある程度感覚器官に制限を設けているはずだ」

「ああそうなんだ。へぇ……てっきりあの団子鼻は犬並みに役立つと勘違いしてた。けど、元から感覚器官がないなら今はどうして鼻が利くんだ。臭いでボンネットの中のSmを探り当てて食ってるんだろ」

「それは発動機ゴブリンのSmNAが組み変わって新たに発動した組織合成プロトコルが機体に機能を付与したんだろう。それが未知のグレーボックスマターか、ゴブリンのSmNAマターかはっきりせんが」

「無理に難しく言うなよ。動物に例えたら、あれだろ。遺伝子組み換えみたいな方法でDNAが書き換わり、新しく細胞を増殖させて能力を手に入れた、みたいなことだろ? そんでもって……。新しく誕生した脳みその命令で鼻の機能が生まれたか、元からの細胞由来で鼻の機能が戻ったか分からない」

「意外な学と理解力があるのは評価するが、工業製品を造物主の傑作と一緒にするのは関心せんぞ」

「ほぼ一緒じゃないのか? それが生物かSmかって違いで」

「お前はポンコツ上司と自分が一緒だと思えるか?」

「うーん。たまに思うね。俺たちは機械と何が違うのか、ってさ。まあ上司のほうがよっぽと計算高いけど」

「神に愛されているのが人で、そうじゃないものがモノだ」

「ふーん……。うちのボスと俺たちの場合だと、中央政府に愛されているか、そうでないかの違いだ」

 リックは軽く笑った。すると、サイレンの音に紛れて、爆発の音と、全く異質な吠え声が遠くから響いてきた。
 町を席巻する混沌とその元凶を思って、アーサーは静かにため息をこぼす。

「作戦うまくいくといいな。でないと俺の仕事と片付ける書類が増える」

「わかってる。ヤツを止めるために薬も手配した。まあ薬に関しちゃ、うまくいくかは投与して初めてわかるし、そもそも大量に注入するためにはゴブリンに止まってもらわなきゃならんから、お前らの戦力次第だ」

「その前にリックのカクテルが好評を博さないと意味ないけど」

「同じ方法でSmハンターたちもノラSmを釣ってる。まあ、ワシの調合は普通の手法に比べればずっと強力で有害だが。暴走ゴブリンの鼻が詰まってない限りはほぼ間違いなく釣れるだろう。あるいは保安兵が鼻を吹っ飛ばさなければ……」

 リックは次々と容器を空にしていき、仕上げに荷台で転がっていた鉄パイプでドラム缶の溶液を撹拌した。

「よし完成だ。きっとひどい匂いなんだろうよ」

『ソレでおびき寄せられるのダナ』

 直上に飛来していたPFOにリックが答える。

「ああ、試してみるといい。どうせ失敗しても金は払ってもらえるんだ。33ザルをな。いや、燃料と諸経費に人件費を含めて70ザルだった」

『フンッ、パニーまできっちり計算するカラナ』

「そりゃこっちのセリフだ。お前の頭の電卓を信用するのは怖いからな。それより、さっさと効果を試しに行って来い」

「……デハ早速』

 PFOは底の穴から人の手を模したマニピレーターを出す。
 リックはマニピュレーターにおっかなびっくりだが注意を添える。

「嗅がせるだけでいいからSmの鼻先にでもぶら下げろ。そうすりゃ追ってくる」

 PFOのマニピュレーターは細長く、一見すると頼りなかったが、確かな握力でドラム缶の縁を握りしめた。

『モシ駄目だったナラ?』

「もしダメだったらその時は別の調合を試す。それか新しい作戦を考える。なんなら町の壁にある対Sm用高射砲でもぶっ放してゴブリンを粉砕しろ。本当を言うと、職人のプライドが許さんが……町と人命には代えられんし。機体を保全するために投薬で解決つっても、近づいて暴れられたんじゃ無理だろう」

『薬の手配ならスデにしてある。できる限り機体の保全を優先したいのはコチラとて同じダカラな』

「ほう……工業製品同士、通じるものがあるんか? お前さんにも慈悲はあったか」

『慈悲もなけレバ私はあの暴走ゴブリンとは設計思想も制作費用も異なる。私が目指すのは事件解決と真相究明だ。そのためには遺留品並びに証拠物件は欠かせナイ』

「それなのにプラズマ砲をぶっ放したのか?」

『ソレがあの時の最適解だと計算結果が出たのだ。無駄話が過ぎた。私は暴走ゴブリンの誘導ニ赴ク』

 待て薬は? とリックが問いただす。
 ジャーマンD7が言う。

「アノ中に所望していた薬品と人員を載せてキタ」

 マニピュレータの一本が機械の指先で後方を指し示す。
 振り返ったリックは、遠くから向かってくるトラックを見て、短く鼻を鳴らした。

「脅した、の間違いじゃないといいが……」

 不満を述べる間もなくPFOは飛んで行く。
 新たにやってきたトラックが停車し、運転席の窓が開くとアジア系の男性が気のよさそうな笑顔で呼びかけた。

「リック! 無事か?」

「おおカツラ! ワシは無事だ今のところは、だがな。すまねえな面倒ごとに呼び出しちまって」

 カツラはのんきな笑顔で首を横に振る。

「いやいや、ゴブリン専門を売りにしてるのに呼ばれないほうが屈辱だ」

「そう言ってくれるとありがたい。だが危険と思ったら何も考えず逃げてくれ。お前にもしものことがあったら、お前の家族とガレージの従業員に申し訳が立たない」

 アーサーも念を押す。

「そうだ。命使うなら家族のために使ってやれ」

「わかったよ。それはそうとイシスタミンの注射だって聞いて、ウチにあるだけ持ってきたが。ゴブリンだろ? ほかのONIシリーズじゃなくて」

「ああ、だがどうやら成長したらしい。どれくらい持ってきたんだ?」

「合計12ガロンだ。古いやつは8ガロンある。それと、ただ事じゃないと思ってヒプノイシンも持ってきた。成長って違法改造か?」

「それがわからん。状況を聞いた限りじゃ投薬一つで様変わりしたって話だが」

「それなら、モーリュジンとか持ってくればよかったな」

「いや、あれを使うには遅すぎたし、変異が異質すぎて適正量がわからん。それに……」

 その時、足裏から伝わるような、コンクリートを砕くような重低音を察知する。
 ただならぬことが幕を開けたと老若男女問わず認識し、緊張が表情を硬くした。
 かすかに聞こえてくる金属を地面に引きずるような不快な音と耳障りな足音は、最初こそ判断できぬほど小さかったが、だんだんと音量を上げ鮮明になる。
 各員の無線にジャーマンD7の声が届く。

『対象ノ誘導ニ成功した! これよりセンテンス通りに誘い込む。各員迎撃準備を整エヨ!』

 アーサーとリックは互いに一瞥を向けた。
 彼らが今いるのは高層ビル街の一角にある空き地の前の交差点。
 交差点の東の方面以外は車両で封鎖していた。リックがいるのは西の方面で保安兵の車両の防塁に守られる。
 騒音はさらに迫力を増して、非常事態の登場を確固たるものにする。
 保安兵たちは自分たちの車両のドアを盾に、それぞれ火器を構えた。
 騒々しさの元凶は別でも、ひりつく空気の発生源は自分たち。だからこそ、落ち着くように自らに言い聞かせる。
 リックはトラックの運転席に戻り、急いで閉めたドアで大きな音を鳴らして、保安兵を脅かす。
 老人がキーをひねる度にボンネットから火花が飛び、ドワーフのくぐもったうめき声が発せられた。

「お願いだ。無理やり連れてこられた挙句ここで人生終わるなんてまっぴらだぞッ」

「縁起でもないこと言わず、ゴブリンを制圧できるように祈ってくれ」

 アーサーの声が、空きっぱなしの窓から入ってくる中、リックはキーを回しながら言った。

「それなら安心しろ。あれだけ肉体の構築が早けりゃその分組織の結合が弱い。つまり、簡単に吹っ飛ばせるはずだ」

 僕は下がってます、とカツラはトラックをバックさせ現場を離れる。
 アーサーはリックのトラックの隣を横断し、バイクにまたがったまま新調したライフルを構えた。
 そして、トラックからエンジン音が鳴り響く。

「よっしゃかかった! 薬が効いたなこん畜生! 無事帰れたら徹底的にレストアしてやるぞ!」

 リックは神に感謝し、トラックをバックさせるも、途中で止まって窓から頭を出す。

「それじゃあ保安兵の皆さん! お勤めご苦労様です! 頑張ってください! それでは!」

 五車線の道路は今日だけUターンし放題であった。
 アーサーはそんなトラックに細やかな微笑みを送ると、前に向き直る。

『各員、暴走ゴブリンを十分引き付けてから攻撃セヨ!』










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