絶命必死なポリフェニズム ――Welcome to Xanaduca――

屑歯九十九

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第01章――飛翔延髄編

Phase 17:民衆を導く自由の彼女

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 空は灰色の雲を敷き詰め、雨粒が窓を鳴らす。
 石材とコンクリートで構成された重厚な建物の周りでは、芝生の敷地にいくつもテントが設置され、不安そうな人々を集めていた。
 建物の一室ではテーブルに広げた地図を囲んで話し合が行われている。
 参加するものは男女も年齢も問わず、皆、一般的な服装に戦闘に適した防具を装着し、火器を携帯していた。

「情報を整理しよう。まず、近隣はどうなってる」

「レーズンヒルはすでにボスマートに落ちた。マウスジャーキーは、今は持ちこたえているが救援が間に合っていない」

「マイルショールはどうしたの?」

「そっちも襲撃を受けて手一杯だ。近隣と一緒に反抗に集中して援護に回れない」

「なんてこった。それじゃあ、ここだって」

「ここを攻めるのは後になるだろう。まずは周囲から……それこそ対岸のシェフフィールドが真っ先に狙われるはずだ」

「それはまだ先でしょうね。この町くらい防備が厚いから」

「そうだな、狙うならもっと小さい町だ。それらの都市との連携を順次潰して孤立無援になったところで大都市を攻める気だろう。逆に言うと真っ先にここを攻めてくれれば背後を突ける」

「となると次の狙いは……。いきなり対岸ではなく、ここより規模の小さいノルン?」

「そうね可能性はある……。あそこは国道の合流点。抑えられれば私たちは東からの補給を絶たれる」

 すると、急報を告げる者が部屋に飛び込んできた。

「――ノルンがッ」





 ノルンは川の合流地点を見守る場所に築かれた町で、人口は一万数千ほど。住宅地と商業地域に国道と橋がつながり、それらを囲うように農地が広がっていた。
平時ならば、のどかな場所で活気に満ちている。しかし今は戦いの舞台となっていた。
 武装した人々が銃撃する相手は砲塔を二段重ねにした戦車。
下段の砲塔から放たれる実弾が建物を打ち砕く。上段から放たれる弾幕は蛍光色の粘度の高い物質で、べったりと密着すると火花をほとばしらせ、触れた雨粒を蒸気にする。
 民家の二階では、戦闘員が紐とテープでくくった手榴弾の束を振り回し、割れた窓ガラスから外へ投擲する。重々しい爆弾の束は戦車めがけて放物線を描く。しかし、飛んできたドローンが身を翻し、ぶら下げていた手で、爆弾の束を払い除けた。

「逃げろ!」

 叫び声を聞いて地上の戦闘員たちは散開する。彼らが盾にしていた横転車両に手榴弾の束の爆発が襲い、ついに車体は逆さになる。
 民家の二階では爆弾を投じた戦闘員が慌てて部屋の奥へ逃げた。それを追いかけるように戦車の下段の砲塔が向きを変え、銃撃を始める。戦闘員が横切る壁、ドア、階段は無数の弾丸を浴びせかけられハチの巣へと変貌する。壁の家族写真が削り飛ばされ家主の思い出は粉々になった。
 地上では爆発から逃げ延びた戦闘員が、畜生、と唸って戦車に銃撃する。だが、意に介さない戦車の上段の砲塔が応戦。
 戦闘員の体を蛍光塗料が覆いつくし、放電して戦闘員の全身の筋肉を刺激した。
 背筋を伸ばし切った戦闘員は引き金を引きっぱなしで倒れ、無駄弾も打ち尽くす。
 ドローンが吹聴する。

『我々は、安心と未来の特売店『ボスマート』です。この度は、弊社の一員として一緒に働く仲間を募集しに参りました。敵意はありません。武器を放棄し投降してください。なお武器の使用やその他の危険行為はザナドゥカ合衆国暫定憲法修正第91条に抵触します。継続する場合、我々は直ちにボスマート刑法を適用し、ボスマートの行政権限を行使せざるを得ません』

「うるせえ!」

 思いの丈とともに、建屋の影に隠れていた戦闘員が身を乗り出し、ドローンを銃撃する。弾丸はどれもドローンの楕円形の胴体に的中した。戦闘員は戦車の攻撃から逃れるため瓦礫の陰に滑り込んだ。
 銃撃を受けたドローンは無数の凹凸を刻まれてもなお、背中に乗せたスピーカーから四方に音声を流す。

『ボスマート刑法では、器物損壊は禁錮就労5年。銃刀法違反は10年、および集団危険行為で20年の禁錮就労となっております。ですが今日は特別恩赦デーです。今すぐ投降されるのであれば1年の禁錮就労で刑務から解放され、禁錮就労中の給料は通常の懲罰就労の給料に、+25%のボーナスが付与されます』

 瓦礫の陰に潜む戦闘員たちが話し合う。

「あれって、もしかして投降したほうが得なんじゃ」

「バカ騙されるな。結局最低最悪賃金で働かされて骨も残らないぞ」

「あるいは僻地に飛ばされて荒れ地を開墾させられる」

「でも、この前ボスマートの店舗で働いていた人は手取りが上がったって」

「そんなもんプロパガンダだ。笑顔の後ろに回ったら背中に鞭の跡がくっきり浮かんでるだろうよ」

「それでも投降したいなら、お前だけ投降しろ。ただし背中の保障はしないけどな」

『投降される方は武器を捨て、手を挙げて出てきてください。救助ドローンが安全な地点まで運びます』






 別の場所では、道路の真ん中で両手を挙げて突っ立っていた戦闘員を上から降下する黄色く塗られた鉄の籠が包む。それから、籠の底部にある鉄の爪が内側に屈曲し、中に入っている戦闘員を確保。最後にケーブルで籠を引き上げてドローン本体が持ち去っていった。
 告知用ドローンのスピーカーは語る。

『我々ボスマートは、就労する皆様に食料、住まい、安全で清潔な環境、仕事と幸福を提供する用意があります。今日までに投降してくださった方は通常就労ボーナスが一年間30%アップし、昇進優先度に加点がされます』

「……ただし、対象は非戦闘員に限られており、加点の有効期限は三年間です」

 などと付け加えたのは、倒壊した建物の影に潜む壮年の女性だった。戦士然とした装備の彼女はバンダナで豊かな白髪を束ね、今まさに残りの弾を確認した弾倉を小銃にセットする。

「無事か」

 中東系の男性に尋ねられた。彼もまた女性と似た装い。両者から少し離れた地点ではラテン系の男が仲間の背中から赤く染まった布を剥がして顔をしかめる。

「血は止まった、さっきよりは。うん。さっきはこの倍出てたから、さっきよりはましだ。だから喜べ」

 負傷者に代わって女性が男に感謝する。

「あんがとよミゲル。じゃあすぐにでも、そいつを町の外に出してやんな」

 負傷者は青い顔で言った。

「俺はまだ戦えるぜシャロン」

「そいつはうれしいねえ。でも、いきなり倒れられちゃ、こっちがかなわないんだよ」

「その時は、ボスマートのドローンが連れてく前に撃ち殺してくれ」

 そう嘆願した負傷者は背中にとどまらず、頭を覆う包帯も赤く染めていた。
 ミゲルは嘆息する。

「こりゃ相当頭を痛めたようだな。いや、元からか?」

 負傷兵はやつれた笑みで反論した。

「元から頭が痛々しいのはお前だろ」

「今すぐ撃ってやろうか」

「上等だ」

「喧嘩ならあの多段戦車の前で披露しとくれ」

 シャロンの残酷な提案に対し、肩をすくめたミゲルは負傷兵の隣に移動して肩を貸す。

「何のつもりだよ」

「わかってんだろ。いったんお前は休憩だ」

「俺は」

 ミゲルは機械的にうなずいた。

「ハイハイ戦えるんだろ。わかったよ。血が回復したらリサイクルしてやる。だから回復するためにおとなしく退避しような」

 シャロンが中東系の男性に告げる。

「手伝ってやんなイサク」

 イサクは助け合う二人に手を差し伸べる。

「手を貸すか。それとも外に出たら援護するか?」

 ミゲルは微笑み、首を横に振った。

「いや、二人だけで十分だ。お前らはほかの仲間と合流してくれ。俺もすぐに帰ってくるから」

「でも、負傷者抱えて敵に出くわしたら」

「こいつも大変だろうが、いざとなったら引き金は引けるだろうし囮になるだろうし。な?」

 ミゲルはあっけらかんと肩を貸した相手に言った。
 負傷者は怒りの顔を笑みで歪ませる。

「何かあったら、真っ先に道連れにしてやる」

 負傷者の言葉を聞き、シャロンが楽しそうに鼻を吹く。

「大通りは避けなよ」

「わかった、あんたも挟み撃ちに気をつけろ。隠れてても安心できねぇからな」

 言い終えたミゲルは瓦礫を踏み越え、半壊の天井から出て、雨に濡れながら荒れ果てた宅地を進んだ。
 まだ形の残る建物の合間を縫って、時に崩れかけの住宅に侵入し、飛んできたドローンをやり過ごす。
 機体の形は様々で、スピーカーでボスマートを宣伝するものや、人の腕にしか見えない器官で銃器を装備するもの、そして大型機体がぶら下げる鉄籠には人影がたびたび見られた。
 ミゲルはため息をこぼし、負傷者に言う。

「いよいよ危なくなったら道路の真ん中に置いてくから、必ず投降しろよ」

「ふざけんな」

「ふざけてねぇよ。死ぬくらいなら生き残ったほうがましだ。お前の家族だってそう思ってる」

 負傷者は歯をむき出しにするも力なく片膝をつく。
 ミゲルも屈み、負傷者の蒼白になった顔を見て凍り付いた。

「おいおい、しっかりしろ」

 負傷者は、正面に回ってきたミゲルの肩を掴み、青い唇で語る。

「俺はずっと、ここで生きてきたんだ。お願いだ。頼むから、恥ずかしいことはさせないでくれ……」

「なら、早く後方に逃げるぞ。何なら使える車を借りて」

「見つかるだろ、敵に」

「わかってるよ。でも早くしないと俺が死体を運ぶことになる。それだけは御免だ」

 ミゲルは仲間を背負った。上も下も水平線も警戒して、家と瓦礫の影に寄り添って、二人分の心臓が確かに動いていることを実感し、やっとの思いでたどり着いたのは普通の民家。
 建ててそれ程年月が経っていないと思われる外観だったが、今は新築特有の輝きよりも屋根や壁の破壊が目立つ。  
 裏口からこっそり外を確認した戦闘員が、ミゲルを手招きした。

「大丈夫か? そいつ」

 民家に入ったミゲルは首を横に振る。

「いいや、これから後方に行って治療してもらう。その前に応急処置をしたい」

「それは無理だ。もう医療品は残ってない」

 その言葉を裏付けるのは、すでにいた負傷者たち。皆意識ははっきりしているようだが、布と添え木で腕や足を固定したり、目に見える部位にも赤く染まった布が紐で縛りつけてある。

「ならテープとか、縛ったりできるものはないか? 止血の布を固定したいんだ」

「テープ……ダクトテープなら、どこかで見た。探してみる」

「感謝する。あと車も借りたい」

 それなら、と戦闘員はダイニングキッチンを指さす。
 テーブルを肘かけにして椅子に座っていた初老の男性がいた。下を向いたその顔は明らかに悄然としている。

「来たばかりでどんな人か知らないが車庫は持ってたぞ」

 そう言って戦闘員はテープの捜索に向かった。
 ミゲルは負傷者を床に座らせ、ご主人に近づく。
 小銃のパーツを分解していた戦闘員が気づいて、ミゲルを止めようと手を伸ばすが間に合わない。


「ああ、ご主人」

 顔を上げた初老の男性は、どこか虚ろな目でミゲルと対面した。

「ああ……あんたは、何て名前だっけか」

「あ、いや、今初顔合わせしたミゲルだ」

「そうか」

「いきなりで申し訳ないが。ご主人、この家には車とかあるか? なんならバイクでも自転車でもいいんだ」

「ああ、あるよ」

 止めようとした戦闘員が駆け付ける。

「そのことなら俺が対応しよう」

「え、なんで?」

 戦闘員はご主人からミゲルを引き離し、小声で言う。

「車はもう別のやつが持って行ったが途中で襲撃されてスクラップだ」

「乗ってたやつは?」

「別の場所で手当てしてる、と願おう」

「そっか……。自転車やバイクは?」

「子供用の自転車が残ってる」

「畜生、試してみるか」

「死にたいならもっと楽な方法があるだろ」

 とりあえずミゲルは仲間の集まりに混ざった。

「ほかの状況は?」

「芳しくない」

「なるほど。こっから出て後方まで行けると思う?」

 仲間が弾倉に弾薬を込めながら言った。

「ドローンが飛んでるんだ。どこ行ったって一緒だよ。見つかって戦車を呼ばれるか戦闘用ドローンに襲われるか」

「捕獲ドローンに捕まるか」

 突然、庭先がけたたましい音を放って土をまき散らす。サンルームは銃撃によって木材が粉砕され、窓ガラスが飛散する。ミゲルは大急ぎで床に伏せたが、弾込めしていた仲間は目を細めるだけで作業を続ける。

「定期的にドローンが威嚇射撃してくるんだ」

「マジかよ。無駄弾撃って何がしたいんだか」

 別の仲間は咀嚼したチョコバーを飲み込む。

「自分たちの物量を誇示したいんだろ。自販機も投下してくるしな。さすが大企業」

「うそ。もしかして、その菓子も」

「これは俺の家から持ってきた。企業名は聞くなよ」

「そうか、もう一本ない?」

「やらないぞ。ほしいなら道の自販機で買ったらどうだ」

「自販機って……ボスマートが投下したやつか? やだよ。あれ爆発すんだろ」

「攻撃しなければ爆発せず買い物ができる。普通の自販機と同じだ」

「因みに自販機はボスコインで購入する場合全品10%引きだとさ」

「誰が持ってんだよそのボスコイン」

「他企業の暗号貨幣だと5%増しだった」

 ミゲルは言う。

「俺は爆発しない店舗派なの。だから、ボスマートのだろうが他の店舗のだろうが爆発する自販機に近づかないの」

 ちょうどその時、ミゲルを招き入れてくれた戦闘員がダクトテープを持ってきてくれた。
 受け取るミゲルは感謝の意を伝えると、テープの臭いを嗅ぐ。

「これどこにあった?」

「トイレ」

 ミゲルは負傷した仲間に悲しみをたたえた視線を向ける。
 
「止血はしないとな」

 ミゲルは負傷者の服を脱がせると、当て布ごと胴体をテープできつく巻いた。
 チョコを食べながら仲間は言う。

「あ、そうだ。自販機でほかの貨幣とボスコインの交換してくれるんじゃないのか?」

「ボスマートの自販機で金を交換して、おまけに商品買ったら。ボスマートを助けることになるだろうがッ」

「商品の一つや二つ取引したってなにも影響しないだろ。蚊が血を吸うようなもんだ」

「蚊ってことは、いずれ叩き潰されるってことか? お前も、俺たちも……」

 皆、言葉を失い、重い空気に包まれる。仲間の一人が苦笑いで言った。

「……そういえば蚊って普段は花の蜜を吸うんだぜ」
 
 ミゲルは負傷者に服を着せると、話に加わる。

「いらない情報がそんなに出てくるなら。こいつを後方まで連れていくのに安全で速い方法教えてくれないか?」

「そんなもんあったら、とっくに利用してるよ」

 仲間が言い返した直後、爆発音と地面の揺れが訪れる。
 天井の亀裂から埃がこぼれる。
 揺れが収まると、ミゲルたちは方々の窓から恐る恐る外を覗き、通りや裏手を確かめた。

「もしかしてどっか突破されたか? それとも救世主が現れたとか」

 などと危惧と期待を同時にするミゲルに仲間が尋ねる。

「お前の守ってた方面って向こうか?」

 仲間が指さす窓に向かい、外を見たミゲルは緩く首を横に振る。

「いいや……」

 彼らが目にしたのは煙と炎を上げる瓦礫、そして建物を押しつぶす戦車、といえばいいのか。しかし、戦車というには決定的に何かが間違っている車両であった。その車両は、戦車の砲塔が搭載されるべき場所に巨大な人の手が生えていたのだ。
ひどく青ざめた皺だらけの肌には肥大した青筋が根のように浮かんでいる。その後ろに搭載された金属の容器は蛇腹パイプによって青ざめた手とつながっていた。
 仲間たちが集結して皆一様に呆然とする中、一人が言う。

「ポールハンドか」

「なんだそれ」

「子供のころ『みんなのSm』って図鑑で読んだんだ。企業大戦の時に作られたSmで、なんか、色々やばいって」

 ミゲルは真剣な顔でうなずく。

「ああ、確かにやばい見た目だな。ガキの頃初めて手に入れた大人のおもちゃを思い出すぜ。ゴミ捨て場にあったからあんな色してた」

 ポールハンドの腕の半分は車体に埋没しているが180度回転し、手首の関節も柔軟に動く。結果、その巨大な手に見合う拳銃で狙いをつけて、進行方向にあった住宅を射撃した。
 発射の反動でポールハンドは若干後退。
 射出された砲弾を受け止めた家屋は、無残な大穴を作って、中から爆発した。瞬間的に膨張した灰色の煙は、解き放った衝撃によって建材を細かく粉砕する。
 ミゲルたちは窓から飛び退き、衝撃波が割ったガラスから逃れた。

「ガスタンクにでも引火したかッ!?」

「あるいは榴弾ってやつだろ!」

 お互い爆音で耳が若干機能不全を起こし、声が大きくなる。だがそれでもドローンの声は鮮明に聞こえる。

『ただいまより無血投降促進のため、局所的作戦行動を開始しいたします。皆様、武器を捨てて建物、車両から離れて、開けたところに出てきてください』

 戦闘員は言った。

「要は威嚇射撃ってことか?」

「警告射撃って言いたかったのか?」

「威嚇だろうとなんだろうと警告してから射撃しろよな」

「これじゃ投降する前に臨終しちまう」

 その間にもポールハンドが射撃を続行する。
 耳に痛い破壊音が乱造される中、戦闘員は話し合う。

「どうする、このままじゃ、ここも壊される」

「とりあえず外に逃げるぞ。多分、奴らの狙いは隠れ場所であって命じゃないはずだ。動けないヤツには手を貸せ、持てるものを持っていけ」

 負傷者を背負おうミゲルはご主人に目が行った。

「おい、ご主人早くこっから逃げないと」

 今までよりも大きな爆音と振動が襲い、隠れ家が軋む。
 ミゲルは顔にかかる埃も、耳鳴りも無視して、ご主人に駆け寄った。

「早く逃げよう」

「……どこへ」

 ご主人の乾いた声が尋ねる。
 仲間が怒鳴る。

「早く逃げろ!」

「おいおっさん。いいからつべこべ言わず」

 ミゲルの言葉に、ご主人の言葉が被さった。

「逃げてどうなる?」

「それは」

「どこに逃げても結果は同じだ」

「わからないだろ」

 ご主人は天を仰ぐ。その瞳には仄暗い影が漂っていた。

「私はもう、無理だ。人生のすべてを、失ったんだ」

「何があったか知らないが生きてりゃそのうち……そのうち、いい女と巡り合うって!」

「お前……」

 負傷者がついに口を開く。ミゲルの後ろで壁が轟音とともに崩れていく。
吸えばせき込むほどの粉塵を突き破ってポールハンドの巨体が侵入してきた。
 振り返ったミゲルは逃げ遅れたと覚り、引きつった笑みを作る。

「はは……銃撃しなかったのは、やさしさかな? それとも」

 巨大な銃口の奥に彼が見たのは深淵というのにふさわしい、老人の目にあったものと似た闇。
 巨大な人差し指が引き金に触れる。
 
「ああ、ちゃんと考えて、投降すればよかった……」
 
 これが人生の幕引きとなるなら、痛みもなく全て終わってほしいと望んだ次の瞬間。
 車両の下からあふれ出した光が、ポールハンドを包み込んだ。
 ミゲルは眩しさのあまり早々に目を瞑り、何が起こったのかわからない。聞こえてきたのは風に撫でられた麦畑が立てるような、小さくて軽いもの同士がぶつかり合う快音。こそばゆくて優しい音と温かい波動を全身に浴びる。  
 外から見ると、戦闘員が隠れていた民家を巨大な一凛の光の花が上から下まで貫いていた。流動と断裂と集合を繰り替えす光はまるで、粉雪と様々な色彩の点描による渦であり、周囲の現実的な風景とは全く乖離していた。
 ミゲルたちを包む波動はやがて強力な風となって触れるものすべてを揺さぶる。
体が押しのけられて転倒しそうになるミゲルは、必死で踏みとどまる。すると、支えを感じた。その支えはまるで全身に密着するクッションのように柔らかく、温もりに満ちており、足が地面から離れても安定感をもたらしてくれた。
 光から追いやられたミゲル達とご主人は、ゆっくりと地面に降りる。
 やがて光が落ち着いてくると、恐る恐る目を開けたミゲルは体から滑り落ちる色の粒子に魅せられた。
 しかしすぐに、眼前に墜落した影と騒音に慄く。
 落ち着いて、まぶたを開けたミゲルが目にしたのは横転するポールハンドだった。青ざめた指は全て捻じれ、車体に無数の凹凸を作り、履帯は千切れている。ポールハンドは機能不全を理解していないのか、むやみやたらに動き続け、それは足をもがれた虫を思い起こさせ、見るものに不快感を与えた。
 顔を上げると、天井はなく、雨も止んで雲間から少しずつ光が差す。

「やべェ……もしや、救世主って……オレ?」

 ミゲルのいる惨状が起こった民家の斜め向かい。まだ原形を保っていた住宅の屋根に人がいた。

「やれやれ……。古い代物持ち出しちゃってさ。なに? 在庫処分てやつ?」

 軽い口調で一人語を呟いていたマイラは、持っていた杖を肩に置くと、小首を傾げた。

「まてよポールハンドってまだ製造してたっけ? だめだリックかソーニャに聞かないと……」

 彼女はうなだれる。

「はぁ……帰りたい。家に帰って風呂に入って……読書して」

 だんだんと大きくなる重低音に振り返るマイラは、遠くから群れをなしてやってくるポールハンドにため息を繰り返す。

「ッたく。早く帰らないと。二人が心配して……こっちに来たらどうすんだっつーの」

 彼女は車列に向けて杖を差し出す。

「骨董品ぶつけてくるってんなら。こっちは最先端の《マグネティック》を披露してあげる」

 杖の先端で、猫の頭蓋骨を模した飾りが怪しく光を反射した。

「かかってきなよ」




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