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第01章――飛翔延髄編

Phase 12:考える子供たち

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《MAGE》Motion adminidtration gauging editorの略。Smのグレーボックスに接続する情報統合指令装置。外見はカメラを取り付けた機械から細い金属の脊柱が生えた構造がポピュラーである。Smの身体動的情報を取得し、それを変換発信。受信した情報も変換して、Smのグレーボックスに入力し、機体を制御する。誕生のきっかけは耳目のないSmをいかにして外部からの指令で操作できるか、という問題解決のためであり、第一世代は簡単な電気信号を介してSmの方向を操作するのが限界だった。しかし、世代を重ねるごとに操作性能が向上し、今ではSm操作の定番となっている。























「ハァ……ハァ……」

 座るエヴァンは荒くなった呼吸を整える。そのために顔を下に向けていたら、スニーカーの足先が見えた。

「失敗した……。焦って、侮って、頭を狙いに行ったら、蹴りを浴びた」

 素直に自分の非を認める息子に対し、マーカスは。

「体の痛みはないか?」

 エヴァンは腹を撫でて、言った。

「すごい圧迫感だった。けど、痛みのほうは直ぐに引いたから、もう少し同調率を上げていいかも」

「今でも十分ポテンシャルを発揮してる」

「でも、やられた」

 息子が父を見上げるも、ヘッドギアが目を隠していた。
 それでもマーカスは、わが子の真っ直ぐな視線を感じ、片膝をつく。

「すまん、やられた瞬間、見てなかったから何も言えない」

 エヴァンは一瞬、不満や呆れをうかがわせるように喉を鳴らす。

「いいよ。ダウンの原因は自分で把握してるから。次こそは……」 

 少年は顔をリングに向け、スロウスと眼光をぶつけ合った。

 ゴングが鳴る。
 リングの上で、闘士が激突した。
 椅子の上に立ったソーニャはスロウスの背を見て、目をそらす。直視すれば、父の亡霊に否応なしに向き合うことになる。
 ささやかな幸せと自分の世界のすべて、二つとてない愛情が奪われた絶望の瞬間が押し寄せてきた。
 冷たい床に臥した父の姿と温もりに満ちた亡き瞬間が、混ざり合って、過去から今に続く自分というものを見失いそうになる。

 また一つ思い出す。

 父が死んで直ぐのこと、それまで住んでいた町を出て、トラックの助手席で幼すぎた自分は膝を抱えていた。そうしていないと、苦痛と悲しみで全身がばらばらになりそうだった。幼心にそんな気がした。
 恐怖の全容をとらえきれなくて、それが自分の体内で不安定に肥大して、無数の棘を生やす。
 幻想だと一蹴したい。けど、胸を中心に全身を蝕む苦痛は紛れもない現実だった。
 父を殺した存在は、すぐ後ろの荷台で横たわっている。ブルーシートを引きはがせば、あの醜い体があらわになる。
 幼いソーニャは小さい体をもっと小さく縮こませて、抱えた膝に泣きぬれた顔をうずめた。目を閉じても、腕で顔を覆っても、膝で隠しても、残酷な記憶は闇の奥から勝手に這い出てくる。寒くて痛くて、体の震えが止まらず、息が詰まる。

「……ティンクル、ティンクル、リートルスター……ハウワイ、ワンダー、ワーチューア」
 
 凍えた体を抱き占めてくれる暖かい腕。優しい少女の歌声。ゆったりと左右に揺らされるのが心地いい。お父さんとは違う、柔らかい感触。
 春の気が雪を解かすように、心を締め付けていた苦痛がほどけて、意識しないうちに体を包む腕を抱き寄せていた。
 ふと横に目をやると、リックがちらっとこちらを見て、微笑みかけてくれる。
 顔を上げると少女の微笑みに迎えられる。
 恐怖にとらわれすぎて、ずっと抱きしめられていたことを失念していた。
 一人じゃないのが、これほどまでに愛おしいと実感したことはなかった。
 少女の声が教えてくれた。

「大丈夫、大丈夫だから」

 二人寄り添いあう。





 リングを前にして、ソーニャは唱える。

「大丈夫……大丈夫だよ」

 かつて言われた言葉を自分の言葉にしたとき、まぶたを開いた。
 ロープの向こうで戦う背中を見据える。歯を食いしばって恐れに立ち向かう。頭にちらつく父の死の光景は、楽しい記憶と、まだ生きている家族と友人たちの顔を重ねて、抑え込む。
 今、目の前のすべてを見逃すまいとまなこを全開にして挑んだ。
 コメットクラッシュは、敵の拳を掻い潜って、敵の左側に移動する。
 エヴァンは曲げていた膝を一気に伸ばし、下段からのストレートを放つ。
 コメットクラッシュが少年の動きをトレースした。重い一撃がスロウスの抉れた側頭部に突き刺さる、その瞬間。

「スロウス! 右にステップ!」

 スロウスが命令を履行した。
 コメットクラッシュのパンチは空を切って終わる。
 ソーニャの命令は続く。

「回れ左で右のパンチ!」

 スロウスは回れ左の勢いで、右フックを繰り出す。欠損部を相手から引き離すと同時に、全身を使った一撃を実行する。
 コメットクラッシュはガードを選択。太い腕に骨の拳が衝突し、鈍い軋みが響き渡る。
 エヴァンは歯を食い縛った。
 コメットクラッシュはまたしてもロープに背中をこするが、横への重心移動と体の捻りで衝撃を緩和し、相手に向かって半身の態勢となった。

「おっしゃ!」

 レントンは思わず手に力が入る。
 マーカスも笑うと、すぐ横に誰かがいるみたいに話し出した。

「気をつけろエヴァン。相手はソーニャだ。コメットクラッシュのことはもちろん、それ以上にソリドゥスマトンに精通している。そして遊びの範疇とはいえ遠隔操縦も経験済みだ。お前の手の内を読んでくるぞ。下手な手を打ったら……」

 興奮するレントンはリックに振り向く。

「見たかよあの一撃。これ本当に勝つんじゃないのかスロウスが」

 リックは苦い表情で言う。

「二つ目のダウンは取れなかったがな」

 その通り、そしてコメットクラッシュのダメージは皆無。その証拠にスロウスから軽やかに逃げ、すかさず抉れた側頭部に向けて、パンチを入れる。

「頭守って!」

 ソーニャの命令を大雑把に履行したスロウスは頭を抱える。結果、腕が盾となり、次の反応への猶予を作った。
 ソーニャはトランシーバーに語り掛ける。

「コメットクラッシュはスロウスの左側頭部を狙ってくる」
 
「一番、内部に近い場所だからな」

「頭がか?」

 リックは、半信半疑のレントンに説明を続けた。

「スロウスの場合、胴体は分厚い筋肉と硬い骨が装甲となっている。いくらコメットクラッシュのパンチでも、一撃、二撃じゃ致命傷とはならないはず。もちろん、続けて打てばそのうちダウンに繋がるだろうが即効性はない。逆に頭は見ての通り、破損していて内蔵しているグレーボックスや、それとつながる体の制御系統が表面に近い。それらの器官は衝撃に敏感だから攻撃が当たれば体の制御に狂いを生み、効率よくダウンを取れる」

「当てやすいが効きにくい胴体と、狙いにくいが効果抜群の頭……」

「エヴァンの技量なら、どちらでも選択できる。それに」

「スロウスは左目が潰れてる。いやでも左半身は死角になっちまう。どうしてスロウスの傷を修理しなかったんだ?」

「治らなかったんだよ……。事情が事情でな」

 レントンは腑に落ちないが、しかし、注意をリングに戻した。
 ソーニャは端末を介してスロウスに囁く。

「だからスロウス……お前は右を重点的に警戒して。もし、左側に敵が入ったら。ソーニャの指示に従って!
危なくなったら相手から離れていい。腕の長さは負けても全身を使えばスロウスのほうがリーチが長いんだから挽回できる。多分」

 コメットクラッシュを中心に据えた真っ赤な視界に、まるでプログラム言語のような文字の羅列が並ぶ。文字列の中で『1eF+……R!sK』と不揃いな文字が不安定に浮かび上がっては、揺蕩たゆたいながら消えていく。次の文字は『0RbEr……rlSk0Ff』『f0Cn$ sH@R!ug……64.26o/0』などと、まだ形がましな数字は小数点以下を秒ごとに変動している。すると突然、視界の中心に居たコメットクラッシュが消えた。 

「左側に回り込まれた!」

 とソーニャが告げる。
 その時には既に、コメットクラッシュは膝を曲げて殴打の構えを整えていた。一瞬でスロウスの頭だって狙える。

 赤い視界では数字が80前後を推移し続け、視界そのものが移動すると、コメットクラッシュの肩が一瞬見えた。だが、すぐにまた視界から外れてしまう。
 
「正面攻撃をやめたのか」

 レントンは目を見張り、リックは、にやりと笑う。

「本気になってくれたか坊主」
 
 コメットクラッシュは少年と一緒に拳を突き上げた。
 ソーニャはトランシーバーに訴えた。
 
「スロウスッ、後頭部を気を付けながら右に高速回転」

 振り返るスロウスが丸めた項をコメットクラッシュの拳が僅かに掠る。

「そして、握りしめた手の甲で背面の腰の高さの敵を攻撃しろッ」

 ソーニャの高速指令。
 スロウスは右手で裏拳を放つ。
 マーカスが白目をむく。
 エヴァンは腕を胸の前で立て、一歩退避する。
 コメットクラッシュの堅い腕がスロウスの腕を受け止めた。
 続くスロウスによる下段からの攻撃に対して、コメットクラッシュは腕を解き、一歩逃れる。だが、スロウスの一歩前進は、コメットクラッシュの一歩より長い。
 瞬時に距離を詰められたコメットクラッシュは、腕を広げることで敵の抱擁を阻む。スロウスが振り上げる足は、上がりきる前に、すねを踏みつけることで、コメットクラッシュ自身の跳躍のための踏み台とする。
 エヴァンが後方宙返りを決める。
 同じ技を真似るコメットクラッシュは、スロウスの魔の手から逃れた。
 レントンが言う。

「おうおういいじゃねぇか。スロウスが押し返してる。大きさもスロウスのほうがまさって、こりゃあ勝ちが見えたか」

 リックは渋い顔だ。

「どうだろうな。背丈はスロウスに分があるがコメットクラッシュのスピードはそのハンデを埋めて余りある。それにエヴァンが操ってるんだ」

 レントンは冷静になった。

「確かに……技量が上なら体格の小さいほうが被弾する率が減って近距離でも細かい動きで翻弄できるな」

「そうなのか? よく知ってるな」
 
「あんた知識が偏っちゃいないか?」

「俺は職人で選手じゃないんだよ……。それで、本当に小さいほうが有利なのか?」

「場合によってはな。現に人間だって、自分より図体のでかいマンモスを絶滅させたんだぜ」

 リックは最初納得できない面持ちだったが、すぐに執拗に細かくうなずく。

「そうだよな……。そうだ。小さいのは強い」

「ああ、だからソーニャも強いんだろうなぁ」

 レントンの皮肉たっぷりの言葉に、リックは険しい表情で鼻を鳴す。

 リングでは、立て続けのスロウスのフックを掻い潜って、コメットクラッシュがジャブを放った。
 スロウスの腹に届いた強烈な一撃は、目よりも耳にインパクトを与える。その瞬間。

「捕まえて!」
 
 何度目かの敵の抱擁に晒されたコメットクラッシュは、間一髪、腕から滑りぬけ、それでも捕まえようとする手を拳で振り払う。

「しまった!」

 命令を下したソーニャは、打音を耳にして、自身の失策に青ざめる。
 マーカスは今度こそ、エヴァンに語り掛けた。

「今のは危なかったな」

 エヴァンはフットワークも連撃も回避もやめぬまま、何とか答える。

「わかってるッ」

 父マーカスは、息子の攻撃を阻害しない距離を保った。

「ソーニャもさっきと今で要領が分かってきただろう。だからってお前は焦るな」

「わかってる!」

 マーカスは一瞬息子に近づき、囁いた。

「好きな子相手でも手加減すんなよ」

 エヴァンの口がひきつり、頬が色づく。
 精彩を欠いた少年の右ストレート。それをコメットクラッシュはトレースし、重い一撃として繰り出す。が、スロウスにたやすくかわされた。そして逆にスロウスのラリアットを食らう。
 寸でで片腕を盾にしたコメットクラッシュは、吹っ飛んでロープに受け止めてもらう。

「やったー!」

 ソーニャが飛び跳ねる。
 エヴァンは呻く。

「変なこというからッ」

 残りの怨嗟を噛み潰したエヴァンは態勢を立て直し、後ろへ足を引いた。
 スタッフが代わって苦言を呈する。

「余計なこと言わないでオーナー」

「すまんすまん」

 手加減するわけないよな。好きなら、なおさら。俺だってそうだったんだ。





 つい先刻。
 戦いの前、エヴァンは控室で、もろもろの調整と器具の装着をしていた。同じ空間でマーカスも、コメットクラッシュの点検を終え、機体から電極をはがし、各種計器を回収する。

「よし、コメットクラッシュは万全だ。体温も脈拍も神経スペクトラムも異常ない。MAGEのヨッグホースも」

「父さん……」

 息子は腕に巻いたバンテージと密着する装具の感触を確かめていた。
 父は振り返らず計器を傷んだ買い物かごにしまう。

「なんだ?」

「もし、あのスロウスに勝てたら」

 マーカスの手が止まった。

「……お前に義理はないはずだ」

「……わかってる」

「……勝ったら、お前の頼みを一つ、かなえてやる。だから何を頼むかよく考えろ」

 エヴァンは顔を上げるが、父の背中は遠ざかり、閉まったドアが親子を隔てた。













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