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黒鉄の獅子

運転開始

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 E組が通常講義いう名の実習、すなわち実際に機関車を動かして操車場では貨車の組成変更、そしてその貨物列車そのものを実習線で走らせ演習場などへ輸送業務を行っている操車場の一角で、俺たちA班、そしてオリヴァーたちB班は隣同士の線路上にて蒸気機関車の発車及び停車の訓練を行っていた。

 B班ではオリヴァーが機関士、アレクサンダーとフェリクスが機関助士として講習を受けている。オリヴァーが知識を持っている分だけ有利かと思える部分もあったが、本職を前にすると全く無意味同然であり、シュトラウス指導機関士に説教されているのがこちらにも聞こえてくる。

 ただ、機関助士役をしているアレクサンダーとフェリクスはA班のアイザックとリリーと同じく割と難なく機関助士のノウハウを吸収しているようで、オリヴァーほどは叱られている感じはない。

「大将、向こうもオリヴァーが大変そうだな」

 小休憩中にアイザックが向こうの様子を見つつ声を掛けてくる。

「まぁ、仕方ないさ。叱られたことはちゃんと理解して次に活かしている感じだし、そもそも、あれ、楽しんでやってるぞ。叱られているときだけ殊勝な顔をしているが、いざ運転席に着くと嬉々としているしなぁ」

 俺はオリヴァーのそれを見て思う。オリヴァーは間違いなく機関士というそれに向いているようだ。慣れないことを詰め込まれているから怒鳴られてはいるが、基礎的知識が俺を含む5人と違い多く持っていることから、指示が的確で、その上でわかりやすくアレクサンダーとフェリクスに伝えている。

「連中、動きが先より良くなってるな。俺たちも負けられないな、なぁ、大将」

 シュトラウス指導機関士や機関助士の口出しが少なくなっているのは、オリヴァーの的確な指示によってアレクサンダーとフェリクスが効率よく動けるようになってきたことを意味しているだけに俺は少し焦りを感じていた。

 悔しさと焦りがない交ぜになったそれを押し殺すために歯を食いしばり拳を握りしめた、そのとき、リリーが俺の右手にそっと手を重ねてきた。

「アシュモア卿、焦りは禁物ですわ。指導機関士が仰っていましたが、上手く制御することが大事です。それに指導機関士や機関助士のような歴戦の勇者と同じ事が出来ないのは当たり前です。そして、機関助士とは文字通り機関士を助けるのが職務、チームワークと言っていたではありませんか」

 リリーが俺の内心を察したかのようにそう言ってくれる。

「あぁ、そうだね。二人とも、俺一人ではどうにもなりそうにないから、頼らせてもらうよ」

「おう、任せとけって!」

 アイザックがそう言う隣でリリーは微笑んで頷く。

「さて、一通りは出来てきたようだね。あとは運転時の講習だが、こればっかりは実際に走らせることでつかんでもらおう。教本に注意事項や対策は書いてあるが、それも体験することが一番の経験になるだろう。E組と違って、君たちは詰め込み教習を受けているんだ。ある程度気楽に当たれば良い。僕と機関助士は後ろの車掌車に居る。本当に拙い状況になれば指示を出す。それに、トラブルがあろうがなかろうが信号システムが動作する限り、重大な事故には至らないだろう」

 ケラー指導機関士はそう言うと助機関士を伴って運転台から降りていく。彼らは炭水車の後ろに連結されている車掌車でカメラを通して俺たちの運転を見ることになっている。実際、運転台に5人もいると狭くて動きづらいのだ。

「さぁ、ここからは俺たちだけでやらないといけない。責任重大だ」

 俺はそう宣言すると二人に向かって右手を差し出す。二人も察して俺の右手の上に同じように右手を重ねていく。

「オリヴァーたちに負けないように頑張ろう」

「おう!」

 気合いを入れてから、再び運転再開に必要な各部点検を念入りに行う。適宜投炭して保火しているが、火室の状況も確認して火室内の石炭が効率よく燃焼できるように敷き詰め直す。無闇矢鱈に投炭するのではなく、中央を薄く、周囲を厚くしないといけないのだ。これはアイザックが機関助士に叱られていた内容だ。ワンスコというスコップを用いるのもそのためだ。的確な場所に適切な量を投入しないといけないのである。

「大将、火室の石炭、理想的な形に組み直したぜ」

「運転中も気をつけてくれよ。燃焼効率が下がると蒸気の出来が悪くなる。そして速度が上がらないからね」

 アイザックが火室の面倒を見ている間、リリーは運転台から出て各部点検を行っている。俺は計器類を順番に指差し確認していく。

「アシュモア卿、各部点検問題なし、再度ご自身で確認を」

「了解した。では、リリーは計器類の再確認を頼む。」

 リリーが戻ってきて報告すると今度は俺が各部点検のダブルチェックに向かう。機関車各部だけでなく、前方後方をそれぞれ確認も確認し再び運転台へと戻る。これでようやく発車できる状態になった。

「出発進行!」

 全て手順通りに行い逆転機を操作する。ゆっくりとだが、機関車が前進し始める。操車場から本線へ進入、ここからが今回の実習の本番だ。

 アイザックとリリーが火室に石炭をくべている。リリーがアイザックに燃焼効率を考えた理想的な投炭をするように投炭位置を指示し、アイザックはそれに合わせて投炭する。順調に蒸気が仕上がり、それに合わせて機関車の速度も上がっていく。

「順調だな」

 十分に速度が乗ったところで加減弁などを操作し惰行に切り替え頃合でアイザックが肩を叩いてきた。親指を立てて笑みを浮かべるアイザックに俺も同様に返す。

「今のところは問題ないな。けれど、もう暫くすると勾配があったはずだ、問題があるとすればそこだな。蒸気は十分だけれど、タイミングをみて力行に切り替えないと登り切れないだろう」

「では、それに備えて俺も投炭に戻るか。リリー、代わるぜ」
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