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黒鉄の獅子

回り始める動輪

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 扇形機関庫前に着くとそこには機関庫の中で整備中の蒸気機関車、そして仕業を終えて機関庫へ戻るために転車台で方向転換をしている蒸気機関車が薄く煙を吐いているのが見える。どれもこれも歴戦の勇者といった佇まいだ。

「さて、班分けをしてもらわないとな」

 シュトラウス指導機関士がそう言うと、俺たちは自然に整列して班分けをしてみせる。俺、アイザック、リリーのA班、オリヴァー、アレクサンダー、フェリクスのB班というそれだ。

「ほう、では、そうだな、ケラー、お前はA班を面倒見ろ。俺はB班をやる」

 シュトラウス指導機関士が差配するとケラー指導機関士はそれに頷く。どうやら、ここの上下関係というかチームワークも伊達ではなく、それだけで言葉は十分であるのだろう、ケラー指導機関士の下に付いている機関助士も特に言葉を発することなくケラー指導機関士に目配せすると自身の役割を果たすべく動き出す。

 扇形機関庫で待機していた数両の蒸気機関車の中で、整備中だったそれに助機関士二人が向かっていく。どうやら、素人衆である俺たちのために事前に十分な整備が行われていたのだろう。よく見るとE組の面々がそこにも整備員として実務に取り組んでいる。

「さて、改めてA班のみんな、よろしく頼むよ。君たちはある意味、僕たちにとってはお客さんなのだけれど、そうは言っても、可愛い機関車を粗末に扱ってもらっては困るから、ここでちゃんと説明しておくけれど、整備はE組が整備して万全を期している。けれど、実際に運航している間にもトラブルは起きるものだと思って欲しい。それを運転する側がなんとか上手く制御して行く必要がある。しかし、それは運転が優先というわけではない」

 ケラー指導機関士がそこで言葉を切る。

「ケラー機関士、軍用鉄道の使命は前線に物資を運び込むことではありませんか?」

「そうだね。けれど、よく考えて欲しい。運行優先にして機関車がトラブルで立ち往生したとしよう。その場合、どんな問題が起きると思うかな?」

 アイザックが質問するとケラー指導機関士は逆に質問を返してきた。

「救援列車を仕立てて、立ち往生している列車を救援するのではないかと思います」

「そうだね。それで正解だ。しかし、よく考えて欲しい。なぜ、立ち往生することになったのか、そして救援列車を運転することはどういうデメリットが出てくるのか?」

 リリーがアイザックに代わって答えるとケラー指導機関士は更に質問を重ねる。

「無用な運転計画を策定することで全体の兵站が、輸送計画が影響を受けることになります」

「そうだね。たった一編成かも知れない。数時間の問題かも知れない。だが、戦場、戦況はその数時間や一編成の補給物資によって変化する場合もある。よって、無理な運行は控えなければならない。それが上手く制御すると言うことだ。仮に何かトラブルがあれば、できるだけ早く運行指令に報告すべきであるし、運行に支障があるならば、駅や操車場、信号場で列車を停止させ、本線を空けて他の列車の運行を阻害しないことが大事だ」

 ケラー指導機関士は真剣な表情で語る。彼の瞳に宿る何かが俺たちの心に訴えかける。

「かつて、僕が鉄道省でやらかしたことの尻拭いをシュトラウス指導機関士にさせたことがあってね、そのとき、彼は僕のミスを自身のミスとして報告して僕を庇ってくれたんだよ。だから、些細なことでも異常があったら見逃さずに主務機関士に報告し、運行指令に指示を仰ぐことだ。そして主務機関士は異常に対して出来るだけの対処をすること、そして運行指令の指示に従うこと、本線を閉塞させないことが大事なんだ」

 彼は自嘲気味に語るが、それが重要であり、今回の特別実習で求められていることなのだと俺たちは肝に銘じた。彼が求めていることは、恐らくこの特別実習でも起こりえるもので、素人衆である自分たちがやらかすことを見越しての忠告なのだろう。

「さて、訓示が長くなったね。時間は有限だ。さぁ、常務訓練開始だ。僕と機関助士の指示に従って欲しい。そして僕たちの動きを覚えて見習ってもらうのが第一段階だ」

 ケラー指導機関士はそう言うと顔を引き締めて、機関助士に指示と報告を求め、二人で常務に当たっての確認を手早くこなしていく。各部計器類のチェックや車体各部の目視点検も進めていく。機関助士が確認しているが、ケラー指導機関士もそれを再確認し、問題ないことを認識してから機関士席に着いた。

「オイル関係よし、溶栓正常問題なし、ボイラー水位よし、走行部点検よし!」

「コンプレッサーよし、ブレーキ確認、問題なし、各計器確認よし!」

 機関助士が順に点検確認喚呼を行う。同様にケラー指導機関士も運転席から確認を進める。手慣れたものだ。

「ドレンコック、バイパス弁開放、自弁単弁運転位置へ! 運転位置、よし!」

 自動ブレーキと単独ブレーキ両方を解除し、いよいよ運転できるようになりつつある。その光景を俺たちは固唾を呑んで見守る。

「逆転機、前進フルギアよし! 出発、進行!」

「出発、進行!」

 ケラー指導機関士に続いて、機関助士も復唱する。ケラー指導機関士はそれと同時にドレンコックとバイパス弁を封鎖し注意喚起のための汽笛を鳴らす。全てマニュアル通りの動作を完璧にこなしている。

 汽笛を鳴らし終わるとケラー指導機関士は加減弁を操作しシリンダーへ蒸気を送り込み始める。ついにその瞬間がやってきた。ゆっくりとゆっくりとだが、確実に主連棒を通して動輪に動力が伝わり蒸気機関車が動き始める。

「動きましたね」

 リリーはぽつりと呟く。他に言葉が出てこないのだろう。彼女も武道の有段者であり、機関士たちの流れるような動作手順が武術のように感じられたのかも知れない。

「けれど、恐ろしくゆっくり動くもんなんだな」

 アイザックは思っていたほどの加速でもないことから拍子抜けした様子だった。

「アイザックだったね。今は構内だからそんなに速度を上げる必要が無いんだよ。直ぐに停車するからな。さぁ、操車場に着くぞ。今度は停車させるからよく見ておいてくれよ」

 ケラー指導機関士は逆転機や加減弁を調整操作しながらアイザックの疑問に応え、同時に停車動作の手順を見逃すなと釘を刺す。

「逆転機、ミッドギア! ミッドギアよし! 加減弁、閉じ! よし!」

「ドレンコック、バイパス弁、開け! 開放よし!」

 力行していた状態から今度は惰行状態に切り替えたのだ。あとは停車位置を確認しつつブレーキを掛けるのだろう。

「自弁、常用! 常用よし!」

 ブレーキが掛かり始め、緩やかな速度が落ちていき、そして停止位置で止まる。直ぐに次の動作が行われる。

「自弁、運転、よし! 単弁、緩ブレーキ! よし! 逆転機、ミッドギア、よし! 停車!」

 ケラー指導機関士が全ての動作を終える。ほんの数分の運転でしかない。しかし、俺はなんだか長編映画を見せられたような不思議な感覚に囚われていた。

「さぁ、今度は君たちの出番だ。もう一度手順を説明する。よく聞いておいてくれよ。そうだね、エドウィン、君が機関士、アイザックとリリーは機関助士と分担してもらおうかな。その方が君たちのチームワークに合っていそうな気がする」

 ケラー指導機関士が指示を出すと、機関助士は二人にそのなすべき役割を説明していく。炭水車に山積みになっている石炭をワンスコと呼ばれるスコップで火室へ投炭する方法、火室内における石炭の敷き詰め方法などを叩き込まれていた。

 投炭の仕方が雑だとアイザックは機関助士に怒鳴られていたが、リリーは案外飲み込みが早く機関助士に褒められている。

「さて、エドウィン、君には機関士を務めてもらうわけだけれど、チームワークが大事だと言うことを忘れてもらっちゃ困る。計器類の確認なども二人が助けてくれるが、君が適切な指示を出さないとこの機関車は動かせないと思ってくれ」
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