魔王様は抑えきれない!

十八

文字の大きさ
上 下
7 / 9

しおりを挟む
「リリス様、如何いかがなされた!?」

 玉座の間に踏み込んできたのは、猛牛の頭を持つ、ミノタウロスの屈強な戦士・アステオだった。
 厚い筋肉の鎧に包まれた体も、歪曲し天に向かって生える角も、ゼオギアより二回りほども大きい。その体にも角にも、無数の古傷が刻まれている。

 リリスは、歴戦の部下に向かって、何も問題ないと答えようとした。しかし先程の驚愕が後を引き、口をパクパクと動かすばかりで言葉が出ない。
 アステオは女王に迫る若い戦士を眼光鋭く睨みつけると、巨大な斧を担いだまま、地響きのような重い足音を響かせ詰め寄っていく。

「おのれ若造、やはり王の座を狙うか……! リリス様に手出しはさせん!!」

 女王を慕う重臣の一人であるアステオは、荒い鼻息をつくと、巨大な身の丈に相応しい大斧を振りかぶる。
 同時に、リリスの前で跪いていたゼオギアはゆっくりと立ち上がり、巨漢と正面から対峙した。
 斧が勢いよく振り下ろされ、若い戦士の脳天を割る――その寸前。

 ピタリと動きが止まる。ミノタウロスの眼が大きく見開かれた。リリスもまた、息を呑んだ。

 ゼオギアは眉ひとつ動かさず、指先のみで斧の刃先を摘んで受け止めていた。舞い落ちてきた花びらでも捕まえるように。

「き、貴様ッ……!?」

 揃えた指先に刃の一箇所を挟まれているだけだというのに、アステオが斧を押そうと引こうと、微動だにしない。
 戦況の判断にも長けた将として、アステオは目の前の、自身より遥かに小柄な戦士が、格上の相手だと瞬時に悟った。
 日除けの布でも捲るように斧を軽々と持ち上げながら、ゼオギアは巨躯の懐に入るように大きく一歩踏み出した。
 アステオの全身に緊張が走る。

「美しい……」
「「……は?」」

 感嘆に浸る呟きと、惚れ惚れした表情に、リリスとアステオ、どちらの口からも気が抜けたような疑問符がこぼれる。

 筋骨隆々とした牛頭の戦士を見上げるゼオギアの眼差しは、先程リリスを見つめた時と全く同じ。深い敬愛に満ちていた。

「名将アステオが歴戦の勇士であることは知っていたが、こうして間近で見るその姿の、なんと雄々しく猛々しいことか。稀代の彫刻家が彫り上げたかのような、均整のとれた逞しい肉体……王の覇道を切り拓くため、極限まで己を鍛え抜いたのだと、見るだけでわかる。その体を彩る傷痕も、紛れもなき忠誠心の証であり、勲章。さすがはリリス様を長きに渡って支えた猛者……素晴らしい」

 羅列される賞賛は、やはり女王に向けられた囁きと変わらない熱を帯びていた。アステオは途中で遮るのも忘れて、牛の口をぽかんと開けていた。
 やがて、ゼオギアは決めた、とばかりに大きく頷く。

「俺が魔王となった暁には、貴公が欲しい」
「!!??」

 アステオは激しく動揺した。その言葉にだけではなく、己を見つめる金の瞳に。
 その熱に浮かされた眼差しが、雄弁に物語っていた。彼の言葉の全てが、戯れでも挑発でも悪い冗談でもないことを。
 そして、先程示された実力をもってすれば、己を屈服させることなど容易いということもわかっていた。

「ま、待て……私にも、将として立場というものが……それに、妻と子どもたちも……」

 動揺のあまり言い訳するように口走りながら、アステオは後ずさった。刃はとっくに手放されているが、再び斧を振り下ろすことは頭にない。
 後ずさった分、またゼオギアが踏み込んで距離を詰めてくる。

「ほう、そうか。さぞ魅力的な細君と、可愛らしい子どもたちだろう。貴公は良き夫、良き父でもあるのだな。ますます素晴らしい……わかった、家族ごと引き受けよう」
「なっ!?」

 家族にまで目をつけられて、アステオの気勢は一気に崩れた。屈強な全身をぶるりと身震いさせる。

「よ、よせ! 家族には手を出さないでくれ……わ、私ならば、何をされても構わぬから……!」

 野太い声に悲痛の響きを込めるミノタウロスを、ゼオギアは慈しみを込めて見つめながら、抱き締めようとするように両腕を伸ばす。

「可哀想に……そのように怯えることなど何もない。非道な真似は一切しないと約束しよう。貴公も、貴公の家族も、まとめて俺が――」
「ちょちょ、ちょっと待つのじゃ!!」

 このままでは泣きが入りそうなミノタウロスを見かねて、我に返ったリリスが急いで口を挟んだ。

「アステオ、下がれ! わらわが扉を開けるまで、何人なんぴとたりとも玉座の間に通すでないぞ!」

 リリスは、この得体の知れない男に部下を近づけてはならないという直感のもと、そう命じた。


 かくして人払いがなされ、玉座の間はリリスとゼオギアの二人きりとなった。

 そして、リリスがうっかり「おぬしは誰でもあのように口説くのか?」と訊いてしまったばかりに、当時ゼオギアが認識している魔族ひとりひとりについて、彼らの魅力と、彼らをいかに愛らしく想っているのかを、延々と聞かされ続ける羽目になった。
 結果、彼の談義を聞き届けるまで丸三日を要し(本人はまだ全てを語りきれていなかったそうだが)、リリスはこれまでの長い人生で経験したことのない類の疲労感に苛まれつつも、ゼオギアという男についてどうにかこうにか理解した。

 何のことはない。
 少女の姿をした老王だろうと、筋骨隆々の戦士だろうと、老若男女、美醜、人型・異形の区別なく――彼は全ての魔族に深い愛情を抱いている。それだけのことだった。
 ただ、その愛情には、欲や劣情を伴うことがない。
 ある時は優れた存在に対する敬意であり、ある時は小動物や幼な子に対する慈しみであり、ひたむきな姿を支えたいという想いでもあった。
 そして共通していることは、彼らへの強い庇護欲だった。

「歴代の魔王に誓う。俺がこの魔界を――貴女も、他の皆も、守ってみせる!」

 丸三日語り倒したにしては気力を保ったままの(むしろ、なぜかどんどん生き生きしていく)ゼオギアは、力強く宣言した。
 対して、ぐったりと玉座にもたれかかりながら、リリスは疲弊しきった頭で考えた。

 自身が王の座を退く以上、後を継ぐ者は必要だ。それなりの猛者でなければ困る。
 ゼオギアの実力は、間違いなく当代随一。彼女が産んだ子どもたちであろうと、他の魔族であろうと、敵う者はほぼいないと見ていいだろう。
 魔族たちを想う深い愛情も、上に立ち導く者にあって困るものではない――たとえ、多少行き過ぎた部分があったとしても。
 ならば、申し分ないではないか。
 というか、引き下がる気もなさそうだし。正直もう疲れたし……。


 こうして、魔王の座はリリスからゼオギアへと引き継がれた。
 ただし条件として、ゼオギアの過剰な愛情表現を抑えるため、リリスは王妃という名目でお目付け役を申し出た。

 ゼオギアが先代魔王を口説き落としたと言う噂は、ある意味、正しかったわけである。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

愚かな父にサヨナラと《完結》

アーエル
ファンタジー
「フラン。お前の方が年上なのだから、妹のために我慢しなさい」 父の言葉は最後の一線を越えてしまった。 その言葉が、続く悲劇を招く結果となったけど・・・ 悲劇の本当の始まりはもっと昔から。 言えることはただひとつ 私の幸せに貴方はいりません ✈他社にも同時公開

あなたの子ですが、内緒で育てます

椿蛍
恋愛
「本当にあなたの子ですか?」  突然現れた浮気相手、私の夫である国王陛下の子を身籠っているという。  夫、王妃の座、全て奪われ冷遇される日々――王宮から、追われた私のお腹には陛下の子が宿っていた。  私は強くなることを決意する。 「この子は私が育てます!」  お腹にいる子供は王の子。  王の子だけが不思議な力を持つ。  私は育った子供を連れて王宮へ戻る。  ――そして、私を追い出したことを後悔してください。 ※夫の後悔、浮気相手と虐げられからのざまあ ※他サイト様でも掲載しております。 ※hotランキング1位&エールありがとうございます!

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

宝物の彼女

吉世大海(キッセイヒロミ)
ファンタジー
とある大きな帝国には「お宝様」と呼ばれる不思議な能力を持った者たちとその一族がいた。 帝国には、「お宝様」の一族から少女を王家に嫁がせる決まりがあった。 かつて帝国一の剣士と呼ばれた父の後を追って、騎士団に所属し、その中でも騎士団長直下の精鋭部隊に務める「ライガ」は、小さい時から守り続けている少女の「お宝様」に淡い想いを抱き続けていた。 しかし、彼女は王家の、しかも王子に嫁ぐことになっていた。 小さい時からお互い淡い想いを抱いている二人は、婚礼の一週間前に手を取り逃げ出す。 二人が逃げ出したことで、帝国の上層部と王家は、「ライガ」の同僚と騎士団長に追跡と始末を命じる。 二人の逃避行の裏には帝国に対するさまざまな思惑が絡んでいた。 そして、逃避によって仲間は崩壊し、様々な陰謀で国を巻き込んだ後戻りのできない事態となっていく。 主人公とヒロインは幸せに向かっているお話です。ご都合主義で突っ込みどころ満載です。 もしかしたら主人公にイラつくかもしれませんが、彼は愛する女性と幸せになりたくて一生懸命です。 結末1:陰謀メインのシリアスめ。 なろうでは別結末の先も投稿していますが、今は先を書く余裕が無いので結末1で完結にします。 小説家になろうで投稿していた作品です。 10/21最終話まで投稿。 あとがきや設定メモを気まぐれにあげていきます。

王が気づいたのはあれから十年後

基本二度寝
恋愛
王太子は妃の肩を抱き、反対の手には息子の手を握る。 妃はまだ小さい娘を抱えて、夫に寄り添っていた。 仲睦まじいその王族家族の姿は、国民にも評判がよかった。 側室を取ることもなく、子に恵まれた王家。 王太子は妃を優しく見つめ、妃も王太子を愛しく見つめ返す。 王太子は今日、父から王の座を譲り受けた。 新たな国王の誕生だった。

【完結】亡き冷遇妃がのこしたもの〜王の後悔〜

なか
恋愛
「セレリナ妃が、自死されました」  静寂をかき消す、衛兵の報告。  瞬間、周囲の視線がたった一人に注がれる。  コリウス王国の国王––レオン・コリウス。  彼は正妃セレリナの死を告げる報告に、ただ一言呟く。 「構わん」……と。  周囲から突き刺さるような睨みを受けても、彼は気にしない。  これは……彼が望んだ結末であるからだ。  しかし彼は知らない。  この日を境にセレリナが残したものを知り、後悔に苛まれていくことを。  王妃セレリナ。  彼女に消えて欲しかったのは……  いったい誰か?    ◇◇◇  序盤はシリアスです。  楽しんでいただけるとうれしいです。    

娼館で元夫と再会しました

無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。 しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。 連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。 「シーク様…」 どうして貴方がここに? 元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!

【完結】私だけが知らない

綾雅(りょうが)祝!コミカライズ
ファンタジー
目が覚めたら何も覚えていなかった。父と兄を名乗る二人は泣きながら謝る。痩せ細った体、痣が残る肌、誰もが過保護に私を気遣う。けれど、誰もが何が起きたのかを語らなかった。 優しい家族、ぬるま湯のような生活、穏やかに過ぎていく日常……その陰で、人々は己の犯した罪を隠しつつ微笑む。私を守るため、そう言いながら真実から遠ざけた。 やがて、すべてを知った私は――ひとつの決断をする。 記憶喪失から始まる物語。冤罪で殺されかけた私は蘇り、陥れようとした者は断罪される。優しい嘘に隠された真実が徐々に明らかになっていく。 【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ 2023/12/20……小説家になろう 日間、ファンタジー 27位 2023/12/19……番外編完結 2023/12/11……本編完結(番外編、12/12) 2023/08/27……エブリスタ ファンタジートレンド 1位 2023/08/26……カテゴリー変更「恋愛」⇒「ファンタジー」 2023/08/25……アルファポリス HOT女性向け 13位 2023/08/22……小説家になろう 異世界恋愛、日間 22位 2023/08/21……カクヨム 恋愛週間 17位 2023/08/16……カクヨム 恋愛日間 12位 2023/08/14……連載開始

処理中です...