5 / 9
Ⅳ
しおりを挟む
しばし訪れた静寂を破ったのは、溜め息だった。
「相変わらずよな、ゼオギア」
部下がいる間は陛下、と恭しく呼んでいた魔王に向かって、リリスは言い放った。
魔王は黙ったまま、王妃の隣に鎮座する玉座へ深く腰掛ける。逞しい身体を背もたれに預け、天井を仰ぐ。
そして――
「リリスよ……俺の部下は、今日も実に可愛いな……!」
噛み締めるように呟いた魔王は、眉も 眦も下がり、頬と口元は緩みきって、緊張感のカケラもない、至福の面持ちを浮かべていた。
リリスはひどくうんざりした様子で肘掛けに頬杖をつき、再び深々と溜め息をついた。
「はあぁ~~……なにが可愛いのじゃ、あんなヤギ脚の小男が。まったく理解できん」
「何を言う!」
魔王は背もたれに預けていた身体をガバッと起こして前のめりになりながら、隣の玉座に座る王妃に力説を始めた。それまでは静かで穏やかな声色だったが、興奮に上擦って早口になっている。そして、それまで寡黙だったのから打って変わり、非常に饒舌だった。
「あの愛らしい蹄で、踊るように跳ねる走り方……まるで遊び盛りの仔ヤギのようではないか! それに、あのしなやかな尻尾、あれはギギラの感情に合わせて動くのだぞ。驚いた時は跳ね、落胆すればしおれ、喜ぶ時は揺れて……可愛らしいにも程がある! もちろん、姿形の可愛さだけではないぞ。勇者や人間にはどこまでも底意地悪く振る舞うというのに、俺に対してはあのように恐縮してしまう……この落差がまた実に 愛いではないか! 先ほどもあんなに必死で縋りついてきて、もう抱きしめたくなるほど――」
「わかったわかった、わらわが悪かったから、もういい」
リリスはうんざりした顔で、途中から自らの尖った耳を両手で塞いでいた。
その仕草に、ゼオギアはハッと息を呑む。そして、自身の分厚い胸板に手を添え、誠実な態度で語りかける。
「そうか……気づかずにすまなかった、我が王妃よ。もちろん、本日のリリスも実に、実に愛らしいとも。唇がいちだんと青く色づいて、まさに魔界に咲く最も可憐な薔薇――」
「ええい、やめんか! 部下を褒められて嫉妬したわけではない!」
リリスは夫の甘い台詞に喜ぶどころか顔をしかめ、鬱陶しがるようにそっぽを向いた。
そして、ほとほと呆れたとばかりに額を押さえる。
「まったく……なんなのじゃ、おぬしの“それ”は! 全ての部下、全ての魔族が愛おしいなど……改めて言うが、どうかしておるぞ!」
「そう言われても……仕方ないだろう」
魔王は困ったように眉を下げながらも、背もたれに身を預け直し、腕を組んでしみじみとのたまう。
「どの魔族たちも、可愛くて可愛くて、目の中に入れても痛くないのだ!」
ゼオギアの言葉に、一切の嘘も誇張もなかった。
彼は別に、男色家でもなければ幼女趣味でもない。
自身の部下も王妃も、等しく愛おしくてたまらないだけである。
「……よいか、ゼオギア」
リリスはひとつ咳払いをしてから、ビシッと人差し指を魔王につきつける。
「配下の者どもを気遣うのは構わん。じゃが、何度も言っているように……おぬしの“それ”は、表に出すにも限度がある。もし部下を前にして、そのように可愛いだの愛らしいだの連呼してみろ。示しがつかんどころではないぞ。皆、おぬしを色んな意味で畏れて近づかなくなるじゃろう」
「しかし……リリスはあの時、俺の想いを受け入れてくれたではないか」
「受け入れたわけではないッ! 思い出すだけでも、あの三日間は……なんというか、キツかったわ!」
あの三日間と言うのは、魔王交代の顛末である。
「相変わらずよな、ゼオギア」
部下がいる間は陛下、と恭しく呼んでいた魔王に向かって、リリスは言い放った。
魔王は黙ったまま、王妃の隣に鎮座する玉座へ深く腰掛ける。逞しい身体を背もたれに預け、天井を仰ぐ。
そして――
「リリスよ……俺の部下は、今日も実に可愛いな……!」
噛み締めるように呟いた魔王は、眉も 眦も下がり、頬と口元は緩みきって、緊張感のカケラもない、至福の面持ちを浮かべていた。
リリスはひどくうんざりした様子で肘掛けに頬杖をつき、再び深々と溜め息をついた。
「はあぁ~~……なにが可愛いのじゃ、あんなヤギ脚の小男が。まったく理解できん」
「何を言う!」
魔王は背もたれに預けていた身体をガバッと起こして前のめりになりながら、隣の玉座に座る王妃に力説を始めた。それまでは静かで穏やかな声色だったが、興奮に上擦って早口になっている。そして、それまで寡黙だったのから打って変わり、非常に饒舌だった。
「あの愛らしい蹄で、踊るように跳ねる走り方……まるで遊び盛りの仔ヤギのようではないか! それに、あのしなやかな尻尾、あれはギギラの感情に合わせて動くのだぞ。驚いた時は跳ね、落胆すればしおれ、喜ぶ時は揺れて……可愛らしいにも程がある! もちろん、姿形の可愛さだけではないぞ。勇者や人間にはどこまでも底意地悪く振る舞うというのに、俺に対してはあのように恐縮してしまう……この落差がまた実に 愛いではないか! 先ほどもあんなに必死で縋りついてきて、もう抱きしめたくなるほど――」
「わかったわかった、わらわが悪かったから、もういい」
リリスはうんざりした顔で、途中から自らの尖った耳を両手で塞いでいた。
その仕草に、ゼオギアはハッと息を呑む。そして、自身の分厚い胸板に手を添え、誠実な態度で語りかける。
「そうか……気づかずにすまなかった、我が王妃よ。もちろん、本日のリリスも実に、実に愛らしいとも。唇がいちだんと青く色づいて、まさに魔界に咲く最も可憐な薔薇――」
「ええい、やめんか! 部下を褒められて嫉妬したわけではない!」
リリスは夫の甘い台詞に喜ぶどころか顔をしかめ、鬱陶しがるようにそっぽを向いた。
そして、ほとほと呆れたとばかりに額を押さえる。
「まったく……なんなのじゃ、おぬしの“それ”は! 全ての部下、全ての魔族が愛おしいなど……改めて言うが、どうかしておるぞ!」
「そう言われても……仕方ないだろう」
魔王は困ったように眉を下げながらも、背もたれに身を預け直し、腕を組んでしみじみとのたまう。
「どの魔族たちも、可愛くて可愛くて、目の中に入れても痛くないのだ!」
ゼオギアの言葉に、一切の嘘も誇張もなかった。
彼は別に、男色家でもなければ幼女趣味でもない。
自身の部下も王妃も、等しく愛おしくてたまらないだけである。
「……よいか、ゼオギア」
リリスはひとつ咳払いをしてから、ビシッと人差し指を魔王につきつける。
「配下の者どもを気遣うのは構わん。じゃが、何度も言っているように……おぬしの“それ”は、表に出すにも限度がある。もし部下を前にして、そのように可愛いだの愛らしいだの連呼してみろ。示しがつかんどころではないぞ。皆、おぬしを色んな意味で畏れて近づかなくなるじゃろう」
「しかし……リリスはあの時、俺の想いを受け入れてくれたではないか」
「受け入れたわけではないッ! 思い出すだけでも、あの三日間は……なんというか、キツかったわ!」
あの三日間と言うのは、魔王交代の顛末である。
0
お気に入りに追加
1
あなたにおすすめの小説

猫の、猫による、猫のための政治~ある若き猫の革命
中岡 始
ファンタジー
舞台はキャットヨーク。金持ち猫たちは高級猫缶を楽しみ、庶民猫たちは安いカリカリを食べるしかない、不公平な社会。
そんな街で暮らす若き野良猫トム・キャットソンは、「政治は金持ち猫のもの」と諦める仲間たちをよそに、こう叫ぶ。
「オレたち庶民猫のための政治を作る!!」
しかし、待ち受けていたのは政府の汚い妨害。
「トムは共産主義者だ!」とフェイクニュースを流され、信用を落とされる。
「投票所が突然閉鎖!」庶民猫の投票を邪魔される。
「カリカリで票を買収!?」不正な選挙戦術が横行する。
それでもトムは仲間と共に立ち向かう。SNSを駆使し、不正を暴き、庶民猫たちの声を結集させる!
そして迎えた選挙当日──。
政府の圧力に負けず、庶民猫たちは立ち上がり、投票所へと向かう。
開票が進む中、劣勢だったトムの票が急上昇!
「勝つのか!? いや、まだわからない……!!」
最後に笑うのは、金持ち猫か? それとも、庶民猫か?
この選挙戦、最後まで見逃すな!!

婚約破棄?一体何のお話ですか?
リヴァルナ
ファンタジー
なんだかざまぁ(?)系が書きたかったので書いてみました。
エルバルド学園卒業記念パーティー。
それも終わりに近付いた頃、ある事件が起こる…
※エブリスタさんでも投稿しています

聖女は聞いてしまった
夕景あき
ファンタジー
「道具に心は不要だ」
父である国王に、そう言われて育った聖女。
彼女の周囲には、彼女を心を持つ人間として扱う人は、ほとんどいなくなっていた。
聖女自身も、自分の心の動きを無視して、聖女という治癒道具になりきり何も考えず、言われた事をただやり、ただ生きているだけの日々を過ごしていた。
そんな日々が10年過ぎた後、勇者と賢者と魔法使いと共に聖女は魔王討伐の旅に出ることになる。
旅の中で心をとり戻し、勇者に恋をする聖女。
しかし、勇者の本音を聞いてしまった聖女は絶望するのだった·····。
ネガティブ思考系聖女の恋愛ストーリー!
※ハッピーエンドなので、安心してお読みください!

一家処刑?!まっぴらごめんですわ!!~悪役令嬢(予定)の娘といじわる(予定)な継母と馬鹿(現在進行形)な夫
むぎてん
ファンタジー
夫が隠し子のチェルシーを引き取った日。「お花畑のチェルシー」という前世で読んだ小説の中に転生していると気付いた妻マーサ。 この物語、主人公のチェルシーは悪役令嬢だ。 最後は華麗な「ざまあ」の末に一家全員の処刑で幕を閉じるバッドエンド‥‥‥なんて、まっぴら御免ですわ!絶対に阻止して幸せになって見せましょう!! 悪役令嬢(予定)の娘と、意地悪(予定)な継母と、馬鹿(現在進行形)な夫。3人の登場人物がそれぞれの愛の形、家族の形を確認し幸せになるお話です。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。

冷遇妻に家を売り払われていた男の裁判
七辻ゆゆ
ファンタジー
婚姻後すぐに妻を放置した男が二年ぶりに帰ると、家はなくなっていた。
「では開廷いたします」
家には10億の価値があったと主張し、妻に離縁と損害賠償を求める男。妻の口からは二年の事実が語られていく。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる