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趣味と出逢い

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何気ない日常の中で人は楽しみが時として普段以上に必要になる時がある。今日がたまたま私にとってはその日だった。

「じぃーう!一緒に帰ろ!」

「ごめん、今日は無理」

放課後のチャイムが校内に鳴り響く中、奏からの誘いを私は一蹴した。自分でも淡々と素早く言ってしまったことに少し罪悪感を覚えたが…
どうしても今日は一人がいいのだ。

「今日、予定あった?」

おずおずと言った様子で聞いてくる奏に申し訳なさと動きたいのに話さなければいけない。という奏に対する理不尽な怒りが生まれかけた。

「予定というか、今日は一人がいい。
寄りたいところがあるの。予定、ではなくて
個人的に行きたいところ」

「わかった。引き止めてごめんね。
また、明日」

「次は一緒に帰るから。
その時は奏の行きたいところに行こう?
今日はごめんね」

「いいの!必ずしも一緒に帰る約束はしてないんだから…。」

「また、明日。」と奏に言い残して私は教室を出た。校舎を出て、駅のある大通りではなく細い一本道を通り奥まった道の先に私の今日、行きたかった、来たかった場所が存在する。
わざわざ細い一本道から行かなくてもいいのだが、人通りの少ない道をあえて歩きながら行くのが好きなのだ。何かに没頭する前にさっきまでの出来事を思考から離すかのように、クリアな状態で過ごしたいのだ。一本道を抜けて角を曲がった先にある目的地、「楽明堂」
ここは、大きな本屋なのだ。
新刊から古本まで数多くの書籍が置いてあり、
買うだけではなく見ることでも多幸感に満たされる不思議な場所だ。木製の大きな扉を開けると同時に鈴の音が鳴り「ああ、ここに来たんだ。」と毎度のことながら深く息を吸いながら
お目当ての作家さんコーナーへと足を進める。

「あった!やっぱり、こだわりが凄い…。」

私のお目当ての作家さん、それは「天音凌」。
性別は公表されておらず、個人が特定できるような要素は本人希望とのことで出版社から秘匿にされているのだ。ジャンルに拘り、概念がなく、書きたい時に書きたいものを書く。それが天音様の一貫した考え方で私は新刊が発売されるたび、これから出会うであろう物語に想いを馳せているのだった。
そして、特設売場が作られるほどに従業員さんの中に熱狂的なファンがいるらしく本の説明や
ミステリーものであれば「拝読者様だけ読んでください!」と書かれた自分が思った考察と「これから読む方におすすめ三選!」など、布教具合が凄いのである。多分。いや確実に仲良くなれると思う。ただ、一つだけこの売場での
難点があるとすれば、稀に。なのだが…新刊の位置だけ目立つためとはいえ高いのだ!

「ふんっ!あと、数センチで届くのにぃ!」

悪戦苦闘しながらも背伸びをして届いた新刊。
しかし、背伸びをしていて気が緩んだ反動なのか思うように足に力が入らず体勢を崩しかけた時に倒れれるのではなく、誰かに身体を支えられていた。

「大丈夫?」

「えっ…。あっ、すみません。
ありがとうございます」

突然の出来事で自分でも状況がわからないまま
助けてもらったことだけはわかったので、顔を見ずに謝罪とお礼は伝えた。改めて正面に身体を向けると身長180センチくらいの黒髪短髪の
好青年といった風貌?の男性だった。

「足、捻ってない?大丈夫?」

「全然大丈夫です。
届いたことに安心して気が緩んでしまったみたいです。助けていただきありがとうございます」

「気にしなくていいよ。
それにしても、今回も担当の人気合い入ってるよね。毎回、売場の魅せ方が綺麗だから本を手に取る前にPOPとか読んじゃうんだよね。」

「わかります!天音様のことが好きなんだな、って、読んでいて見ていても楽しいですもん」

わかる。中々同志に出会えないから初対面の人にも関わらずつい本音を言ってしまった。

「ッ、すみません!
初対面なのに…。中々気の合う方に会うこともなかったので年上の人なのに」

「別に気にしなくてもいいよ?
もし。また会うことがあったらお互いに感想とか言い合えたらいいね。
俺は立花颯斗。神楽大学に通ってるから時々こここにも来るんだ。君は?」

「香坂慈雨です。
ご覧の通り?東雲高校に通ってます。」

問われた質問に名乗るか悩んだが、相手から先に名乗られている以上名乗らないわけにはいかないか。という気持ちと助けられたこともあってか立花さんに嫌な感じがなかったのだ。

「香坂さん…名前教えてくれてありがとう。
新刊の本、帰ったら読む?」

「はい、もちろんです!
購入してすぐにその日のうちに全部じゃなくても読みたいですから」

「えっと…立花さんは?」

「俺は新刊と…もう少し別の作家さんを見てから気になるのであればその人のも購入して…
内容によっては天音さんよりも別の作家さんの本を先に読むかもしれない。」

なるほど。確かにそれはそれで良いな。と思いながらその方法は別の日に取るとして今日は天音様の新刊だけを購入することに決めていたため再度立花さんにお礼を伝えて私はレジへと向かった。購入して横目で売場を帰り際に見た際に立花さんの姿はなかった。
口約束で、いつまた会えるかもわからない人。

今日出逢えたことに意味があるような不思議な感覚だったのを覚えている。
それは人なのか本なのか。

この時の私はまだ知らない。
動き始めた自分だけの物語があることに。
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