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序章 転生

3 審判

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「転生というのがどういう意味かはよく分かりましたが、それならばこのような場を用意せずともそのまま別の世界に生まれ変わらせて頂けばよいのではないでしょうか? 来世では前世の記憶は失われるでしょうし、審判にはどのような意味があるのですか?」
「流石は教育者として人々を救って来られた方ですね。疑問をお感じになっている点について、今から説明させて頂きます」

 審判という場の存在意義を尋ねた行長に、ソフィアは笑顔で説明を始めた。

「ユキナガさんがお気づきになったように前世においてこれといった善行を成し遂げていなかった人には審判の場は用意されず、半ば自動的に異なる世界へと転生することになります。その一方で、ユキナガさんのように前世において善行を重ねてきた人は転生の際に利益を享受することができます。具体的に言えば、ユキナガさんが希望する条件を満たした上で転生することができるのです」
「希望する、条件……」

 ランプの魔人が望みを叶えてくれる童話は前世において幼少時に読んだことがあったが、女神が話したことはその童話を彷彿ほうふつとさせる内容だった。

「その世界のことわりでは実現できない条件や明らかに道徳的に問題のある条件は不可能ですが、そういった例外を除いては基本的に何でも叶えることができます。お金持ちの家に生まれたい、運動能力や知能が高い動物に生まれたいといった条件を希望される方が多いのですがユキナガさんはどのような条件をご希望されますか?」
「それでは、来世でも私に教育者としての生涯を与えてください」

 ほがらかに尋ねた女神に、行長は一切の迷いなく即答した。


「流石はユキナガさんですね。その条件なら簡単に叶えることができますが、一つ問題があります。詳しくは話せないのですがユキナガさんが転生する異世界は魔術のことわりに支配される世界で、科学という概念がない上に教育制度も未発達です。科学界で言えば第二次世界大戦終結後すぐの日本国と同等かそれ以下の教育制度しかありません。この世界にも教育者は存在しますが、ユキナガさんが科学界で行われていたような教育を行うことは難しいかと……」
「そうなのですね……」

 行長は教育者の中でも大量の受験生が在籍する塾や予備校の経営者あるいは最高顧問という立場だったから、大規模な塾や予備校が存在しない異世界では前世と同じように教育に携わることは不可能だろう。

 女神の話によると異世界にも小中高校や大学に相当する教育機関は存在するらしいが、一般に「学校の先生」と呼ばれる小中高の教員として働いたことのない行長にはそのような立場での教育を十分に行えるとも思えない。

 立ったまましばらく考え込んだ行長は、あるアイディアを思いついた。


「ソフィアさん、一つお聞きしたいのですが私に不老不死の身体を与えて頂くことはできませんか? その世界には今は科学界ほどの教育制度がないかも知れませんが、不老不死の身体を手に入れてその世界の教育制度が発達するまで生きれば何とかなるのではないでしょうか」
「不老不死、ですか? 申し訳ありません、私たちでもその世界のことわりに反する能力を与えることはできないのです」
「やはりそうですよね。こちらこそ無理なお願いをしてすみません」

 申し訳なさそうに答えたソフィアに行長は恐縮して頭を下げた。

 するとソフィアはそのまま黙り込み、しばらくすると何かをひらめいた様子で口を開いた。


「ユキナガさん、不老不死という願いを叶えることは不可能ですが別の形でその世界に生き続けることは可能ですよ。以前にも同じような願いを口にされた方がいて、その方法で事実上の不老不死を叶えたことがあります」
「本当ですか? その方法とはどのようなものなのでしょうか?」

 喜んで尋ねた行長に、ソフィアは事実上の不老不死を実現するための方法について説明した。


 行長が転生する異世界では、転生者は成人した状態で現れることになっている。

 行長の場合は20代前半の男性の状態で転生し、通常であればその世界で死亡するまで人生を送ってその後は最後の審判を受けるか、それが不可能な場合は審判によりまた別の異世界に転生することになる。

 これに対して行長の場合は特例的に最後の審判および別の世界への転生を回避し、死亡した場合は同じ世界に再び最初の状態で転生することができる。

 つまり行長は異世界で死亡する度に20代前半の男性という最初の状態で再び生まれ変わる、すなわち存在がリセットされることになる。


「同じ人間が別の時代に再び現れるのはその世界のことわりを逸脱していますからユキナガさんが亡くなって再度生まれ変わった場合は歴史が操作され、前世でのユキナガさんの行為は別の人が行ったことになります。科学界の歴史で言えば、歴史への介入により明智光秀が本能寺の変で織田信長を暗殺しなかったとしても別の武将が信長を倒したことになって、結局は同じ歴史になるようなものです」
「分かりやすい例えですね。私は自分の名前を歴史に残したくて教育者をやってきた訳ではありませんから、別の人の功績になってもその世界の教育制度を発達させられるなら満足です」

 ソフィアは科学界の歴史をそらんじているように振る舞っているが実際には持っている冊子を必死でめくりながら先ほどの明智光秀の例えを説明しており、新米女神だけあって仕事には不慣れなようだった。


「それでは早速転生を開始してもよろしいでしょうか?」
「ええ、ぜひお願いします」

 女神の質問に頷きつつ答えると、行長の足元に魔法陣のようなものが現れた。

「次に私とお会いするのはあなたが異世界で亡くなった時になりますが、ユキナガさんなら心配ないでしょう。現地の時間で何十年先になるか分かりませんけど、異世界でのご活躍をお祈りしています」
「ありがとうございます。冥府の神々のご期待に沿えるよう、来世でも私は教育者としての生涯を全うしたいと思います」

 行長が深々と頭を下げると、ソフィアは満面の笑みを浮かべて右腕を天にかかげた。

 魔法陣からまばゆい光が溢れ、行長の存在は異世界へと飛ばされていった。
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