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第3話 社会の歯車
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それからさらに10年後。48歳になった私は市役所市民部の部長にまで昇進していた。
この10年間で世界を覆うキャンセルカルチャーはさらに先鋭化し、過去に国連の常任理事国であった国々は過去の侵略戦争や国内での人権弾圧を理由に理事国から排除され、現在では西洋列強の旧植民地を中心とした新興国が常任理事国を務めていた。
大物コメディアンが平成末期のバラエティ番組で「デブ」「ハゲ」といった差別用語で肥満者や薄毛者を罵倒していたことを理由にマスメディアから排除された事件をきっかけとして、キャンセルカルチャーは日本国内でも過激さを増していった。
現在ではかつてVTuberなどと呼ばれた仮想人格がテレビタレントの大半を占めるようになり、数少ない生身の人間のタレントはキャンセルカルチャーの影響を受けにくい10代から20代の若者たちばかりだった。
「あなた、うちの子は大学に合格したわ! 総合型選抜であんなにいい大学に入れるなんて、よく頑張った証拠ね」
「ああ、俺も安心したよ。素行優良に育ててきたかいがあった」
大昔はAO入試と呼ばれた総合型選抜は現在でも大学入試定員の半分近くを占めていたが、学校推薦型選抜は既に姿を消していた。
学校推薦型選抜で入学した大学生が過去に問題を起こしていたことが判明すると推薦した高校も入学させた大学も責任を問われるのが一般的になり、迷惑を嫌った全国各地の高校が推薦自体を敬遠するようになったのがその理由だった。
昼休みにかかってきた妻からの通話を切ると、私は部長室の座椅子に深くもたれかかった。
いつからか違和感を感じるようになった社会と、その歯車として働く自分自身を見つめ直し、そういえば高林は今頃どうしているのだろうとふと思った。
その時、部長室のドアがノックされ、私は座椅子から立ち上がった。
ドアを開けて入ってきたのは私の部下に当たる人権擁護課の課長で、彼は重苦しい表情のまま口を開いた。
「部長、恩人であるあなたには大変申し上げにくいことなのですが……」
「どうしたんだ、役所で何かあったのか」
私が心配しながら尋ねると、課長は小型の電子記録装置を机の上に置いた。
「これは一体?」
「部長のご子息が、幼少時にインターネット上に書かれていた文章の記録です。今はなき匿名掲示板と呼ばれる媒体です」
課長は手に持っていた薄型のタブレット端末の画面にそのデータを表示させ、そこには幼い頃の息子が書き込んだ様々な文章が映っていた。
>いくら家が貧乏でも、親がいなくても、人間努力すれば立派な大人になれるんだ。ニートとか引きこもりをやっている奴は怠け者なだけだ。
>こんな所で有名人を誹謗中傷している暇があったら、現実世界で努力したらどうなんだ。
その匿名掲示板ではキャンセルカルチャーの思想に取りつかれた人々が有名人の過去を暴こうと得体の知れない情報を持ち寄っており、息子は義憤にかられて彼らを注意したようだった。
子供だけあって言葉遣いや社会への認識には問題があったが、私と妻の人生を踏まえたその書き込みに、私の両目からほろりと涙がこぼれた。
「部長のご子息は、匿名掲示板に『貧乏』『ニート』『引きこもり』といった差別用語を繰り返し書き込んでおられました。この事実は進学先の大学に報告する必要がありますし、部長の進退にも影響せざるを得ません」
「そうだな……ああ、分かった。私はどのような処罰でも受けるし、息子にも相応の報いを受けさせよう。今日は言いにくいことを言いにきてくれて、本当にありがとう」
課長は涙目で礼をすると部長室を出ていき、私は自分が閑職に回される日もそう遠くないだろうと思った。
この10年間で世界を覆うキャンセルカルチャーはさらに先鋭化し、過去に国連の常任理事国であった国々は過去の侵略戦争や国内での人権弾圧を理由に理事国から排除され、現在では西洋列強の旧植民地を中心とした新興国が常任理事国を務めていた。
大物コメディアンが平成末期のバラエティ番組で「デブ」「ハゲ」といった差別用語で肥満者や薄毛者を罵倒していたことを理由にマスメディアから排除された事件をきっかけとして、キャンセルカルチャーは日本国内でも過激さを増していった。
現在ではかつてVTuberなどと呼ばれた仮想人格がテレビタレントの大半を占めるようになり、数少ない生身の人間のタレントはキャンセルカルチャーの影響を受けにくい10代から20代の若者たちばかりだった。
「あなた、うちの子は大学に合格したわ! 総合型選抜であんなにいい大学に入れるなんて、よく頑張った証拠ね」
「ああ、俺も安心したよ。素行優良に育ててきたかいがあった」
大昔はAO入試と呼ばれた総合型選抜は現在でも大学入試定員の半分近くを占めていたが、学校推薦型選抜は既に姿を消していた。
学校推薦型選抜で入学した大学生が過去に問題を起こしていたことが判明すると推薦した高校も入学させた大学も責任を問われるのが一般的になり、迷惑を嫌った全国各地の高校が推薦自体を敬遠するようになったのがその理由だった。
昼休みにかかってきた妻からの通話を切ると、私は部長室の座椅子に深くもたれかかった。
いつからか違和感を感じるようになった社会と、その歯車として働く自分自身を見つめ直し、そういえば高林は今頃どうしているのだろうとふと思った。
その時、部長室のドアがノックされ、私は座椅子から立ち上がった。
ドアを開けて入ってきたのは私の部下に当たる人権擁護課の課長で、彼は重苦しい表情のまま口を開いた。
「部長、恩人であるあなたには大変申し上げにくいことなのですが……」
「どうしたんだ、役所で何かあったのか」
私が心配しながら尋ねると、課長は小型の電子記録装置を机の上に置いた。
「これは一体?」
「部長のご子息が、幼少時にインターネット上に書かれていた文章の記録です。今はなき匿名掲示板と呼ばれる媒体です」
課長は手に持っていた薄型のタブレット端末の画面にそのデータを表示させ、そこには幼い頃の息子が書き込んだ様々な文章が映っていた。
>いくら家が貧乏でも、親がいなくても、人間努力すれば立派な大人になれるんだ。ニートとか引きこもりをやっている奴は怠け者なだけだ。
>こんな所で有名人を誹謗中傷している暇があったら、現実世界で努力したらどうなんだ。
その匿名掲示板ではキャンセルカルチャーの思想に取りつかれた人々が有名人の過去を暴こうと得体の知れない情報を持ち寄っており、息子は義憤にかられて彼らを注意したようだった。
子供だけあって言葉遣いや社会への認識には問題があったが、私と妻の人生を踏まえたその書き込みに、私の両目からほろりと涙がこぼれた。
「部長のご子息は、匿名掲示板に『貧乏』『ニート』『引きこもり』といった差別用語を繰り返し書き込んでおられました。この事実は進学先の大学に報告する必要がありますし、部長の進退にも影響せざるを得ません」
「そうだな……ああ、分かった。私はどのような処罰でも受けるし、息子にも相応の報いを受けさせよう。今日は言いにくいことを言いにきてくれて、本当にありがとう」
課長は涙目で礼をすると部長室を出ていき、私は自分が閑職に回される日もそう遠くないだろうと思った。
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