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メディカルスクール! 過年組

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「Wikipediaによると過年度生というのは下級学校を卒業後、1年度以上過ぎてから新入学しようとする志願者のことで……おい君たち、聞いているのか」
「え、あ、ハイ、どうぞ続けてください」

主務から受けた叱責に、庶務担当の時頭じあたま芳雄よしおはワイヤレスイヤホンを外さず答えた。

「何それ、『向こうずね蹴られ組』のニューシングル?」
「そうそう、今クールやってるアニメの……」
「だから聞いてないじゃないか!!」
「ひいっ」

 短気な主務に怒鳴りつけられ、書記の治承伸じしょうしん岳斗がくとは悲鳴を上げた。

「まあいいだろう、今回のテーマとはいえその程度の知識は僕たちにとっては常識だ。さっさと進めてくれ」
「仕方ないな。主将命令には逆らえん」

 主将である多田磯ただいそつうに制止され、奄々えんえん太郎たろうは主務としてやむなく矛を収めた。

 ここは近畿地方にある私立逢坂おうさか医科大学の新聞部。今は老朽化著しい文化部棟の一室を利用した定例ミーティングの最中だった。

「それで、今回のテーマでは具体的に何を扱うの?」

 部室のソファに寝転んで漫画雑誌を読みつつ、渉外係の神立こうりつ芦樹あしきがそう尋ねた。

「ここの所、我ら過年組のアイデンティティを毀損するような事件が次々に発覚している。こういった社会情勢を黙って見過ごすのは新聞部としても面白くないだろう」
「なるほどねー」

 漫画雑誌の読者投稿欄に目を移しつつ芦樹は太郎に返事をした。


 新聞部の創立メンバーである5人の男子学生は同学年であり、現在3回生である。

 彼ら5人が過年組という通称で呼ばれている理由はひとえに彼ら自身がかつての過年度生、すなわち浪人経験者であるという事実による。


 主将、多田磯通、年数換算では5浪。近隣総合大学の工学部を卒業後、再受験で入学。

 主務、奄々太郎、4浪。様々に予備校を変えつつ執念の受験生活で正規合格。

 渉外係、神立芦樹、3浪。予備校の寮生活を真面目にこなしつつ周囲の数倍の努力で補欠入学。

 書記、治承伸岳斗、2浪。自称進学校の教育を受けて予備校に通わず2年間の宅浪で合格。

 庶務担当、時頭芳雄、1浪。逢坂医大には現役時B判定。1年間の浪人で順当に合格。

 年齢こそ1歳ずつ違えどそれぞれ個性的なキャラクターを持った5人は新聞部運営を通じて友情を育み、独特の雰囲気を形成している。


「ただ、実際に起きている過年度生への差別を批判するに当たっては過年度生ではない立場からの視点も必要になるだろう。協力者を探さないとな」

 通が主将の立場から意見を述べた所で新聞部室の扉が開く音がした。


「先輩、お疲れ様でーす」

 長めの髪を束ねた少し背の高い女子部員が入室してきた。

 彼女は小田澤おださわ比瑪ひめといって新聞部唯一の女子部員にして唯一の2回生だった。

「よう、比瑪ちゃん」

 芳雄はすぐに挨拶を返したが他の部員は会釈するだけだった。オタサーの姫といっても周囲が慣れてしまえばそこまでチヤホヤされることもない。

「小田澤君がこんな早くから顔を出すとは珍しいな。何かあったのか」

 何か事情を察して太郎がそう聞いた。

「実はですね、私の後輩が新聞部の先輩方に相談したいことがあるらしくて」
「へえ。今は来ているのかい」

 面白そうな事情を察して岳斗が尋ねた。

「ええ。部屋の外にいます。ちょっと、星良ちゃん」

 比瑪がドアの後ろを向いて呼ぶと、小柄な女子生徒がおずおずと入室してきた。

「こ、こんにちは……」

 星良と呼ばれた女子生徒は薄汚れた部室を見回しつつ挨拶した。一般にオタサーの姫はあまり実務をやらない傾向にある。

「可愛い子じゃん。こんな部活にどうして?」

 自他共に認める美人好きの芳雄の質問に、星良は比瑪の仲介を受けつつここに来た理由を説明した。


「なるほど、これは次号の題材になりそうだな」

 星良の話を一通り聞いて、通は納得した様子でそう言った。

「ちょっと先輩、星良ちゃんは悩みを聞いて欲しかっただけでむしろ記事にしちゃいけない案件でしょ?」
「ええ……」

 比瑪が呆れた顔で指摘したので星良も頷いて肯定した。

「ああ、申し訳ない。ナイーブな話題だったね」
「全くだ。新聞部の名誉にも関わるんだから気を付けてくれ」

 太郎にいさめられ、通は苦笑いをして頭を下げた。


 比瑪が連れてきた1回生の有島ゆうとう星良せいらが抱えている悩みとは以下のようなことだった。

 星良は近隣の名門女子高校の出身で小学生の頃から高い学力を維持し、高校生の頃の全国模試では偏差値65以上を常に叩き出していた。

 母方の祖父が医師であることもあり、両親は成績のよい星良には首都圏の最難関大学ではなく家から通える大学の医学部医学科の受験を勧めた。

 進学実績を伸ばしたい高校からの激励も背中を押し、星良は現役で逢坂医大に合格。そのまま入学して現在に至る。


「あたし最近、どうして医学部に入っちゃったんだろうって毎晩悩むんです」
「よくある悩みだな……」

 涙目でそう訴える星良の言葉を耳にして、通は既視感を覚えつつ呟いた。

 星良は祖父が医師であったとはいえ、医学部受験を考えるまで医師の仕事についてはほとんど知らなかった。高得点を取りやすいという理由から大学入試において理科は物理と化学を、社会科は日本史を選択していた。

 医師の仕事に関しては面接・小論文対策で得た付け焼き刃の知識しかなく、生物学に関する知識は中学生レベルで止まっている星良にとって医学部の授業は苦痛でしかないというのだ。

「だけどさ、医学に大して興味がなかった人も生物やってなかった人もうちの大学には一杯いるでしょ? 星良ちゃんもそのうち慣れるんじゃないの?」

 自らの経験と知識から芳雄は不思議そうに尋ねた。

「それが……」

 星良は悲しい表情で自分が置かれている状況について話した。

 大学生活の悩みを医師である祖父に話した所、祖父は星良の悩みは私立医大の教育レベルの低さが原因だと断言し、星良に国公立大学医学部医学科の再受験を促しているというのだ。


「そういう生徒は例年いるが、有島君としてはどう思うんだ? 再受験したいと思うのか?」

 太郎が直球で尋ねると星良は首を振って否定した。

「医学部の生活は大変だけど、他に興味のある学問もないんです。他の医大に入り直しても根本的な解決にはならないのに、おじいちゃんは怒って聞かなくて……」
「まあ、その年代の人だと私立医大は寄付金で入れると思ってるからね」

 しくしくと泣く星良を岳斗は世代間格差を考慮しつつ慰めた。

「大学を辞めるにせよ辞めないにせよ、星良さんにはもっと考える時間が必要だよ。とりあえずお祖父さんを説得しないと」

 芦樹の発言に通は頷き、

「よし、次号のテーマが決まったぞ。星良君のことは直接記事にせずにお祖父さんを説得できる内容にしよう」

 と言って席を立った。

「通先輩がやる気になったからひとまずどうにかなりそうね。星良ちゃん、今日は私のおごりでパフェでも食べにいきましょ。少しは相談に乗るわよ」
「ありがとうございます! 過年組の先輩、今日は話を聞いてくれて嬉しかったです」

 星良は感謝の言葉を述べ、比瑪と共に部室を去っていった。

「ちょうどいいタイミングで来てくれて助かったよ。早速記事の制作に入ろう」
「分かった。締め切りは1週間後だ。各自、今から指定するテーマに沿って取材してくれ」

 通の決定を受けた太郎が取材テーマを割り振って新聞制作が始まった。



「星良はまだ私立医大などに通っておるのか。お前からも旧帝大の医学部を受け直すように言わないか」
「そう言われても、あの子が自分で決めることですから」
「何だと! 親として情けないとは思わんのか!!」

 星良の自宅で祖父と母親がいつものように口論をしている。父親は週刊誌を読むふりをして不干渉を決め込んでいる。

「ところで、星良が読んで欲しいものがあるそうですよ」
「そんなもの……大学新聞? 懐かしいな、わしも学生時代には新聞部員として大学の腐敗と闘ったものだ」

 私立医大として見下しつつも、星良の祖父は逢坂医大新聞を手に取って読み始めた。

「さて、どんな記事が……?」

 祖父は新聞を読み込み始めた。



 <国公立大学「地域枠」の闇> 文責・時頭芳雄

 大学受験を語る際に「国公立大学への合格は私立大学への合格より難しい」と安易に考える向きがあるが、偏差値の如何によらず医学部医学科に関してはそうとも言えない事情があるようだ。

 近年の医師の偏在を受け、地方国公立大学では入学定員の少なからぬ割合が「地域枠」に設定されている。「地域枠」の多くを占める地方出身者枠はその大学のある地方の現役生に限定して受験を許可している場合が多く、結果として倍率は低くならざるを得ない。地域医療への貢献を志す意思は尊いものだが、合格に必要な学力という点では全国から数千人以上の受験生が殺到する有名私立医大に軍配が上がることは言うまでもなかろう。


 <「大学全入時代」に縁のない世界> 文責・治承伸岳斗

 少子化に伴って大学を減らす政策を取らずむしろその逆を行った日本政府の無策により、現在では選ばなければ必ず大学に進学できる「大学全入時代」が到来している。ここ数年では大規模私立大学の定員遵守の厳格化に伴ってその風潮にも陰りが見えているが、中でも医学部受験という世界はそれに無縁である。

 国公立大学医学部の後期日程の廃止が続き前期日程の定員も地域枠に振り分けられつつある今、私立医大を併願できない受験生の現役合格は難しくなっている。これにより浪人生の割合も増加し、医学部への現役合格が難しい状態は今後も続くことだろう。また、現役で医学部に入学できたとしても安易に他の医学部を再受験して受かるとは思わないことだ。


 <多浪・再受験のコストと人生設計> 文責・神立芦樹

 医学部受験での多浪は珍しいことではないが、本人の希望でなければ受かっている併願校を蹴ってまで上位校を目指すことにはリスクが伴う。高度な研究をしたい、地域医療に一切興味がないといった受験生は都会の難関医大を目指すべきだが、地域医療も可能な臨床医になるつもりであれば受かりそうな医大に現役で入学して順当に医師を目指すのも理にかなっている。

 一年浪人すれば医師としての収入も一年分減り、他の医学部を再受験するなどすれば「在学年数分の医学部の学費と期待収入+その後の浪人年数分の期待収入」が犠牲になることになり総額が数千万円を超える場合も多い。人生設計にはコストの考慮も必要であり、決して馬鹿にできたものではない。


 <医学生の多様性喪失が招く危機> 文責・奄々太郎

 近年では医学部医学科でも現役生限定の推薦入試を設ける大学が多くなり、入試において浪人生や女子学生の得点を秘密裏に減点していた一部の医大が大きな批判を受けたのは周知の通りである。その一方で医学界には真摯に反省する姿勢が見られず、今後は推薦入試枠の定員増加や面接・小論文の得点の操作といった合法的な手段で受験生を差別し続けることが考えられる。

 救急や地域医療など過酷な医療の現場がある以上は現役生男子を大学が求めるのも無理はないとする意見もある。とは言ってもすべての医学生が過酷な業種を目指す訳ではないし、研究を専門とする医師に入学時の若さは重要なものではないからやはり浅はかな考えだろう。

 入試における浪人生や女子学生の排除がもたらす真の問題は、医学生から多様性が失われてしまうことである。周囲を見渡せば現役生男子ばかりの大学生活では、自分と同じような人生を送ってきた人間ばかりと付き合うことになる。医学部医学科という1学年が100人ほどしかいない狭いコミュニティではその環境はそのまま医学生の世間知らずを加速させることになる。

 それぞれの学生に主体的な学びが求められるのが大学であり、将来的に様々な立場の人間と付き合っていく必要のある医師を養成する医学部であるからこそ入学者には男女問わず様々な年齢の学生が存在しているべきである。医学生こそ多様性のある環境に身を置くべきなのだ。


 <己の人生は己で切り開け> 文責・多田磯通

 この記事を読んでいるあなたは現在の自分の生活に満足しているだろうか。時には自分の生活には不満しかないと思うこともあるだろうが、それをすなわち環境のせいであると考えるのは早計に過ぎる。

 今は馴染めない環境であっても、しばらくそこで過ごしているうちに上手い生き方を見つけられることはある。大学生であれば中堅大学でもトップ層であれば満足した毎日を送れるだろうが、難関大学で落ちこぼれることの苦しみもまた想像を絶するかも知れない。

 医師免許の取得には医学部医学科への入学が必須であるように目標の実現のために何らかの勝負の土俵に上がらねばならない場合もあるが、本当に大切なのは勝負の土俵に上がってからだ。土俵の優劣を考えるよりは、まず土俵に上がってから人生設計を考える方が建設的だろう。

 自分の人生を切り開いていけるのは、他ならぬ自分自身しかいないのだから。



「どうですか、その新聞は。まあお父様は私立医大の文化部なんて……」
「わしも言いすぎたようだ」
「え?」

 星良の祖父は新聞を持ったまま居間を出ていった。

「何があったのかしら?」

 不思議そうに言う妻に対し、黙っていた夫は、

「お義父さんの自信だって、受験生の頃の学力に裏付けられている訳ではないだろう」

 と、週刊誌から目を離さずに呟いた。



「いい知らせだ。小田澤君から聞いたが例の1回生は大学に残るそうだ」
「よし、これで今回の仕事は成功だな」

 太郎からの知らせに通は新聞部室の椅子に座って笑みを浮かべた。

「やりましたね通さん、俺たち過年度生の価値が認められたってことですね」
「いや、そういう訳ではないぞ」

 喜ぶ芳雄に対し、通はその言葉を否定した。

「どういうことです?」

 芳雄と同じ感想を抱いていたらしい芦樹が聞いた。

「今回は現役生優遇や医学部からの再受験を批判する文脈で記事を作ったがそれは星良君を助けるためのことで、必ずしもその主張が正しいとは限らない。現役生優遇にもそれなりの正当性はあるだろうし、ある大学が自分に合っているかなど入学してみないと分からんさ」
「まあ、確かに……」

 岳斗が考え込むように呟いた。

「彼女の態度を見ていて大体分かったが、本当は大学を辞める気などなかったのだろう。ただ、理論武装が十分にできていなかったから祖父の言うことに反論できなかったに過ぎない」

 太郎が冷たくそう言い放つと、通は誰に向けるともなく、

「自分の人生なんて、結局は自分で決めるしかないんだ。他者の意見に左右されるべきではないし、簡単に左右されるほど人間は受動的ではないと僕は思うよ」

 と言うと、満足そうな顔でノートパソコンを起動した。


 過年組はそれぞれの哲学を持って生きている。

 その哲学が彼らの人生を豊かにするかどうかは、彼ら自身が確かめていくことだ。


 (完)
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