気分は基礎医学

輪島ライ

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2019年11月 生化学発展コース

208 気分は大学祭

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「白神君、これはいい話だな……」

 隣を見るとマレー先輩は演劇に感動しており、客席にも大学生や外部のお客さんの姿が多かった。

「大学祭でやるにはあまりテーマが良くないかと思いましたけど、演劇部の皆さんの熱演もあって意外と面白かったですね。すごく嬉しいです」
「白神君にはやっぱり脚本の才能があるよ。『風雲』にも何か小説を書いてみてくれたら嬉しい」
「ありがとうございます。何とか時間見つけて書いてみますね」
「よろしく頼む……おっと、来てくれたな」

 そこまで話すとマレー先輩は何かあったのか後方に振り向き、僕もそちらに顔を向けた。


「久しぶり、白神君。物部美波です」
「あ、美波さん。こちらこそお久しぶりです」

 柔らかな物腰でぺこりと頭を下げたのはマレー先輩の元婚約者にして現在は奥さんになった物部美波さん(旧姓:宇都宮美波さん)であり、マレー先輩が普通に接していることからすると今日は飛び入りで来た訳ではないのだろう。

 美波さんは現在妊娠4か月のはずだがお腹はまだそれほど目立たず、若干ゆったりとした服を着ている以外はトランジスタグラマーな美人歯学生のままだった。


「先輩、今日は美波さんとどこか回られるんですか?」
「そうだな、実を言うと展示場に部誌を置いて演劇を見届けた時点で俺の仕事は終わってるから、ちょっと出店で買い物をしたら美波と一緒に帰るつもりなんだ。片づけは三原君と佐伯さえき君が代わりにやってくれるらしい」
「主将なんだし最後まで残ったらって言ったんだけど、私を一人で帰らせるのは心配なんだって。まれ君も過保護よね」

 初めて出会った頃の美波さんならマレー先輩は自分を連れて帰ってくれて当然と主張していたはずで、彼女が母親となったことで精神的に落ち着いたという事実はその言葉にも表れていた。

「という訳で俺たちはこの辺でおさらばするからどうぞ大学祭を楽しんでくれ。白神君も来年からは忙しくて来られないかも知れないし、今のうちにエンジョイしとくといいぞ」
「分かりました。色々見て回ってみます」

 そこまで話すと先輩は美波さんを連れて出店に買い物をしに行き、美波さんも笑顔で手を振ってくれた。

 後で知った所によると若くて美しすぎる奥さんを連れて出店を回るマレー先輩の姿は1回生の間で有名となり、同じ部活の後輩である佐伯君は同級生から質問攻めに遭って苦労したらしい。


 マレー先輩と同様に僕自身も現在は文芸研究会にしか入っていないのでこれから特にやることがなく、とりあえず壬生川さんの様子を見に行くことにした。

 壬生川さんは現在女子バスケットボール部の出店でペットボトルの飲み物を販売しているはずで、事前にPDFファイルで配られていた地図によると場所はグラウンドの隅の方らしかった。

 お茶やジュースのペットボトルが保管されているプラスチック製の巨大な氷桶こおりおけを目印にして出店に近づくと、僕は秋服のワンピースに身を包んでいる壬生川さんに声をかけた。


「お疲れー、いい感じに売れてる?」
「あっ、恵理先輩の彼氏! えーと…………白神先輩! お久しぶりです~」

 真っ先に反応したのは医学部1回生の女子バスケ部員にして7月のオープンキャンパス以来の再会となる滝藤たきとうさんで、傍にいた先輩に耳打ちされてようやく僕の名前を思い出したようだった。

「あら、来たのね」

 僕に気づいた壬生川さんは無感動にそう呟くと氷桶からキンキンに冷えたオレンジジュースのペットボトルを取り出し、

「冷たい?」
「にぎゃっ!?」

 右手でそれを勢いよく僕の左頬に押し付け、僕はあまりの冷たさに悲鳴を上げた。


「よく冷えてるみたいね、安心したわ」
「ちょ、ちょっと、いきなり何を」
「あ、それ100円だから」
「買わせるの!?」
「男のほっぺたにくっ付けたペットボトルなんてお客さんに売れる訳ないでしょ」
「あ、はい……」
「恵理先輩、ナイスですー!」

 強引とかそういうレベルではないやり取りでオレンジジュースのペットボトルを買わされた僕を見て、周囲の女子バスケ部員たちは歓声を上げていた。


「それで、何しに来たの?」
「何しにというか、元気でやってるかなと思って。お昼ご飯はまだ?」

 ペットボトル片手に何気なく尋ねると壬生川さんは無言で頷いた。

「あら、それなら一緒に何か食べてきたらどう?」
「でも、当番が……」
「私も滝ちゃんもいるし問題ないわよ。白神君、ちょっと恵理ちゃん貸すからお昼ご飯一緒に行ってあげて」
「あ、ありがとうございます」

 上級生の女子部員(後で聞いた所では金森さんというらしい)がさりげなく気を利かせてくれて、僕は壬生川さんと一緒に出店で昼ご飯を食べられることになった。


「じゃあ、行こうか……」
「1時間だけだからね。私はあんたほど暇じゃないの」

 壬生川さんは僕から顔を背けてそう言い、あからさまな照れ隠しを女子バスケ部員たちは微笑ましく見守っていた。
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