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2019年8月 病理学基本コース
138 塾長先生からの電話
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2019年8月11日、日曜日。時刻は昼過ぎの15時頃。
2回生の夏休みに突入した生島化奈は陸上部の練習を終えて自宅への帰路に就いていた。
「ええーっ、白神君、恵理ちゃんとカラオケ行くからってカナちゃんのこと置いてっちゃったの!?」
「いや別に二人でどこか行く予定やった訳ちゃうし、カラオケ行ったって聞いたんも後からやで?」
「それはそうだけど……」
普段ならワイヤレスイヤホンでスマホの音楽データを聴きながら帰るのだが、今日は同級生でサッカー部マネージャーの山形有紗に出くわしてしまい例によって恋愛トークに発展していた。
山形は3歳年上の同級生だが面倒見のよい性格で医学部2回生の間でも顔の広い人物だったが、恋愛に関する話題になるとヒートアップしがちなのが玉に瑕だった。
ちなみに彼女は静岡県出身なので当然下宿生だが、今日は1人で梅田に買い物に行ってそのまま夕食を食べて帰るつもりらしい。
「正直な所を聞くけど、カナちゃんは白神君を恵理ちゃんに取られて悔しくないの?」
「白神君のこと好きやったんは事実やけど白神君は別にうちに興味ないみたいやし、あんな美人の壬生川さんには勝てへんわ。壬生川さんは実際ええ子やし悔しいとは思わへんよ」
6月に火祭に一緒に行ってからは塔也と2人きりで過ごす機会は一度もなく、研究医養成コースの研修で忙しい彼のスケジュールを抜きにしても塔也が化奈のことをただの女友達としか見ていないのは明らかだった。
彼が壬生川恵理のことを具体的にどう思っているのかは分からないが、女性として非常にスペックの高い壬生川が塔也に積極的にアプローチしてそれに対して彼が満更でもないと分かった時点で化奈は初恋を諦めざるを得なかった。
「そうなのね。白神君と何かトラブルがあって疎遠になったんじゃないならカナちゃんの判断は間違ってないと思う。カナちゃんはかわいいし真面目だし気立てもいいから、絶対にもっといい人が見つかるわよ。私が保証する」
「ありがと。山形さんは褒めるん上手やね」
自分を勇気づけてくれた山形に、化奈は微笑を浮かべて答えた。
積極的に他人に関わっていく山形の性格は時に暑苦しく思うこともあるが、彼女は単に野次馬根性で動いている訳ではなくその姿勢も面倒見のよさの表れなのだろう。
先ほどから梅田行きの電車内で会話を続けているが、首都圏と異なり大阪では空いている電車内で喋ることはマナー違反とみなされない。
「ところで白神君って最近、3回生の山井先輩といつも2人きりで過ごしてるって噂があるのよね」
「……それほんま?」
山形のもう一つの欠点は噂好きなことで、本人に悪意はないようだが人間関係に波乱を巻き起こしがちだった。
「あ、今月は白神君病理学教室で研修受ける言うてたわ。ヤミ子先輩は病理学教室の研究医生やからそれで一緒なんちゃうかな」
4月には生化学教室の基本コース研修で自分と2人きりだった訳なので、単にその延長と考えれば何もおかしくはない。
「でも2人きりでいるのを見た人の話では白神君すっごくデレデレしてたんだって。結局誰が好きなのかしらね?」
「…………」
塔也が自分ではなく壬生川恵理を選んだのはまだ許容できるが、それでいて3回生の山井理子に好意を寄せているというのは流石に許しがたいと思った。
脳内にふつふつと怒りが湧いてきた瞬間、化奈はポケットに入れているスマホに着信が入っていることに気づいた。
山形に一言伝えて会話を中断し、ひとまず相手だけ確認しようとスマホの画面を見るとそこには見知らぬ固定電話の番号が表示されていた。
電車内なので後で折り返すと伝えるため化奈は小声で電話に出た。
「はい、何ですか?」
『失礼致します、北辰精鋭予備校天王寺校塾長の真崎と申します。塾生の生島珠樹君のことでお伝えしたいことがあるのですが、生島化奈さんのお電話で間違いないでしょうか』
真崎と名乗った男性はビジネスライクだが丁寧な口調でそう話し、大学受験生の従弟である珠樹に何かあったらしいと化奈は理解した。
「そうです。電車内なんですけど緊急の用件ですか?」
『申し訳ありませんが急ぎお伝えしたいことがあります。折り返しお電話を頂くか、こちらの校舎まで直接来て頂けませんでしょうか』
「分かりました。天王寺に向かっている所なのでそちらまでお伺いします」
真崎塾長は恐縮した様子で頼み事を伝え、化奈はこのまま珠樹のいる塾まで向かうことにした。
珠樹が5月から通い始めたという塾の場所は知らないが、天王寺校ということなら実家からそう遠くはないだろう。幸い今の時代はインターネットで簡単に建物の場所を調べられる。
「カナちゃん、今の誰? 天王寺に何かあるの?」
周囲への迷惑に配慮して挨拶は軽く済ませて電話を切ると、やはりと言うべきか山形が食いついてきた。
「えっとな、従弟が北辰精鋭予備校っていう塾に通ってんねんけどそこの塾長さんが今すぐ来て欲しいんやって。用件は分からへんけど……」
「いとこ? カナちゃんって高校生のいとこがいるの? 男の子?」
「せやで。ちょうど今年大学受験やねん」
「へー、そうなんだ。写真ある?」
電話の用件について聞かれるかと思いきや山形の興味は珠樹の方に向いているようだった。
「いや、あるけど……」
「お願い、見せて! カナちゃんの従弟ならイケメンなんじゃない?」
「は、はあ……」
特に拒む理由もないので化奈はスマホの写真フォルダを開いた。
山形に見えないようにフォルダ内を探すとそこには4月の一件で塔也に無理を言って撮らせて貰ったツーショットの写真が紛れ込んでおり、化奈は不意打ちで心をえぐられた。
それはそれとして1年以上前に一族の集まりで撮った写真の中にちょうど珠樹とのツーショットがあったので、化奈はそれを山形に示した。
「これ、高2の時の従弟」
「えーっ、やっぱりイケメンじゃない! 流石はカナちゃんの従弟ね。あの、もし今から会うんなら聞いて欲しいことがあるんだけど……」
「なになに?」
接点がほぼ皆無の山形が珠樹に何を聞きたいのかは分からないが、とりあえず耳を傾ける。
「えっとね、ちょっと年上のお姉さんって従弟君的にOKかどうか……」
「あ、もうすぐ梅田やわ。ごめん、降りたらちょっと急ぐねん」
山形の男漁りを華麗にスルーした化奈は電車を降りると早歩きで地下鉄の乗り換え口へと向かった。
2回生の夏休みに突入した生島化奈は陸上部の練習を終えて自宅への帰路に就いていた。
「ええーっ、白神君、恵理ちゃんとカラオケ行くからってカナちゃんのこと置いてっちゃったの!?」
「いや別に二人でどこか行く予定やった訳ちゃうし、カラオケ行ったって聞いたんも後からやで?」
「それはそうだけど……」
普段ならワイヤレスイヤホンでスマホの音楽データを聴きながら帰るのだが、今日は同級生でサッカー部マネージャーの山形有紗に出くわしてしまい例によって恋愛トークに発展していた。
山形は3歳年上の同級生だが面倒見のよい性格で医学部2回生の間でも顔の広い人物だったが、恋愛に関する話題になるとヒートアップしがちなのが玉に瑕だった。
ちなみに彼女は静岡県出身なので当然下宿生だが、今日は1人で梅田に買い物に行ってそのまま夕食を食べて帰るつもりらしい。
「正直な所を聞くけど、カナちゃんは白神君を恵理ちゃんに取られて悔しくないの?」
「白神君のこと好きやったんは事実やけど白神君は別にうちに興味ないみたいやし、あんな美人の壬生川さんには勝てへんわ。壬生川さんは実際ええ子やし悔しいとは思わへんよ」
6月に火祭に一緒に行ってからは塔也と2人きりで過ごす機会は一度もなく、研究医養成コースの研修で忙しい彼のスケジュールを抜きにしても塔也が化奈のことをただの女友達としか見ていないのは明らかだった。
彼が壬生川恵理のことを具体的にどう思っているのかは分からないが、女性として非常にスペックの高い壬生川が塔也に積極的にアプローチしてそれに対して彼が満更でもないと分かった時点で化奈は初恋を諦めざるを得なかった。
「そうなのね。白神君と何かトラブルがあって疎遠になったんじゃないならカナちゃんの判断は間違ってないと思う。カナちゃんはかわいいし真面目だし気立てもいいから、絶対にもっといい人が見つかるわよ。私が保証する」
「ありがと。山形さんは褒めるん上手やね」
自分を勇気づけてくれた山形に、化奈は微笑を浮かべて答えた。
積極的に他人に関わっていく山形の性格は時に暑苦しく思うこともあるが、彼女は単に野次馬根性で動いている訳ではなくその姿勢も面倒見のよさの表れなのだろう。
先ほどから梅田行きの電車内で会話を続けているが、首都圏と異なり大阪では空いている電車内で喋ることはマナー違反とみなされない。
「ところで白神君って最近、3回生の山井先輩といつも2人きりで過ごしてるって噂があるのよね」
「……それほんま?」
山形のもう一つの欠点は噂好きなことで、本人に悪意はないようだが人間関係に波乱を巻き起こしがちだった。
「あ、今月は白神君病理学教室で研修受ける言うてたわ。ヤミ子先輩は病理学教室の研究医生やからそれで一緒なんちゃうかな」
4月には生化学教室の基本コース研修で自分と2人きりだった訳なので、単にその延長と考えれば何もおかしくはない。
「でも2人きりでいるのを見た人の話では白神君すっごくデレデレしてたんだって。結局誰が好きなのかしらね?」
「…………」
塔也が自分ではなく壬生川恵理を選んだのはまだ許容できるが、それでいて3回生の山井理子に好意を寄せているというのは流石に許しがたいと思った。
脳内にふつふつと怒りが湧いてきた瞬間、化奈はポケットに入れているスマホに着信が入っていることに気づいた。
山形に一言伝えて会話を中断し、ひとまず相手だけ確認しようとスマホの画面を見るとそこには見知らぬ固定電話の番号が表示されていた。
電車内なので後で折り返すと伝えるため化奈は小声で電話に出た。
「はい、何ですか?」
『失礼致します、北辰精鋭予備校天王寺校塾長の真崎と申します。塾生の生島珠樹君のことでお伝えしたいことがあるのですが、生島化奈さんのお電話で間違いないでしょうか』
真崎と名乗った男性はビジネスライクだが丁寧な口調でそう話し、大学受験生の従弟である珠樹に何かあったらしいと化奈は理解した。
「そうです。電車内なんですけど緊急の用件ですか?」
『申し訳ありませんが急ぎお伝えしたいことがあります。折り返しお電話を頂くか、こちらの校舎まで直接来て頂けませんでしょうか』
「分かりました。天王寺に向かっている所なのでそちらまでお伺いします」
真崎塾長は恐縮した様子で頼み事を伝え、化奈はこのまま珠樹のいる塾まで向かうことにした。
珠樹が5月から通い始めたという塾の場所は知らないが、天王寺校ということなら実家からそう遠くはないだろう。幸い今の時代はインターネットで簡単に建物の場所を調べられる。
「カナちゃん、今の誰? 天王寺に何かあるの?」
周囲への迷惑に配慮して挨拶は軽く済ませて電話を切ると、やはりと言うべきか山形が食いついてきた。
「えっとな、従弟が北辰精鋭予備校っていう塾に通ってんねんけどそこの塾長さんが今すぐ来て欲しいんやって。用件は分からへんけど……」
「いとこ? カナちゃんって高校生のいとこがいるの? 男の子?」
「せやで。ちょうど今年大学受験やねん」
「へー、そうなんだ。写真ある?」
電話の用件について聞かれるかと思いきや山形の興味は珠樹の方に向いているようだった。
「いや、あるけど……」
「お願い、見せて! カナちゃんの従弟ならイケメンなんじゃない?」
「は、はあ……」
特に拒む理由もないので化奈はスマホの写真フォルダを開いた。
山形に見えないようにフォルダ内を探すとそこには4月の一件で塔也に無理を言って撮らせて貰ったツーショットの写真が紛れ込んでおり、化奈は不意打ちで心をえぐられた。
それはそれとして1年以上前に一族の集まりで撮った写真の中にちょうど珠樹とのツーショットがあったので、化奈はそれを山形に示した。
「これ、高2の時の従弟」
「えーっ、やっぱりイケメンじゃない! 流石はカナちゃんの従弟ね。あの、もし今から会うんなら聞いて欲しいことがあるんだけど……」
「なになに?」
接点がほぼ皆無の山形が珠樹に何を聞きたいのかは分からないが、とりあえず耳を傾ける。
「えっとね、ちょっと年上のお姉さんって従弟君的にOKかどうか……」
「あ、もうすぐ梅田やわ。ごめん、降りたらちょっと急ぐねん」
山形の男漁りを華麗にスルーした化奈は電車を降りると早歩きで地下鉄の乗り換え口へと向かった。
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