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2019年6月 薬理学基本コース
81 こんな愚鈍な男でも
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塔也と恵理がジャッカル皆月2号店を訪れていた頃、薬師寺龍之介は6コマ目の講義が終わると第三講堂を抜け出して阪急皆月市駅前に向かっていた。
畿内医科大学の医学部3回生の授業は朝8時30分から夕方16時15分までの8コマ構成となっていて、この日の午後は7コマ目まで血液の講義が入っていたが時間の都合からやむなく7コマ目は欠席せざるを得なかった。
先週金曜の昼に中高の同期である天草英樹に偶然出会った際、龍之介は彼に恋人ができたと知って強いショックを受けたが学生研究を指導している後輩の白神塔也から励まされて立ち直っていた。
その英樹から昨晩いきなりメッセージアプリの着信があり「明日か明後日までにどうにか会いたい」と伝えられた時は驚いた。
龍之介としても今週は白神の指導で忙しく来月初頭には消化器と血液と産婦人科の試験があるので気軽に会える状況ではなかったが、しばらくメッセージをやり取りした印象では英樹には何かただならぬ事情があるようだった。
阪急皆月市駅から歩いて数分ほどの沿線沿いには全国的に有名なファミレスのチェーン店があり、畿内医大の学生はもちろん皆月中高の生徒にもよく利用されている。
龍之介は小食なので安いランチセットのある昼食以外ではほとんど利用したことがなく、それも食事を目的とせず入店するのは初めてだった。
「来てくれたか、ヤッ君。急に呼び出して本当にごめん」
横断歩道を渡ってファミレスの軒先が見える所まで歩くと、龍之介を今日ここに呼び出した人物である英樹が声をかけてきた。
「全然いいよ。ヒデ君が急に呼び出すんだからよっぽどの事情だろうし」
「ああ、実際大変なことになってる。……とりあえず入ろうか」
明らかに表情の暗い英樹に促され、龍之介はファミレスへと足を踏み入れた。
大人2名と伝えて奥の方のテーブルに案内されると龍之介は愛用しているカーキ色のリュックサックを下ろして座席に置いた。
4人掛けの席で英樹と向かい合うと、一応何か注文しようということでお互いシェアできるフライドポテトとグリーンサラダをタッチパネルからオーダーした。
こういう時のお決まりで英樹が無料の水を2人分注いでくると、龍之介は緊張しながらコップの水を飲んだ。
何かを言いだそうとして言い出せない様子の英樹に龍之介は話を切り出した。
「お疲れ様。この前はかわいい彼女さんと一緒で楽しそうだったけど、あれから何かあったの?」
「うん……その、麻美ちゃんのことなんだけど」
この前聞いた限りでは英樹の恋人は「はなやまあさみ」という名前だったので、まさしくその彼女に関するトラブルなのだろう。
「どうしたの? まさか付き合い始めたばかりなのに浮気されてたとか? それともヒデ君が何かしたの?」
英樹の恋人というだけで龍之介にとっては忌々しい存在だったので言葉の端々に毒を込めて軽口を叩くと、
「どちらとも言えない。まず本題に入るけど、俺に金を貸して欲しい」
気になる表現の後に英樹は驚くべき言葉を口にした。
「えっ?」
「10万円貸してくれたら助かるけど、無理なら3万円でも1万円でもいい。とにかく友達や知り合いから金を借りて100万円集めないといけないんだ」
英樹は鬼気迫る表情で、龍之介は彼にただならぬ事態が起きたことを悟った。
「頼む! 何万円でも絶対に返すから、できれば明日までに貸して欲しいんだ」
そう言って頭を机に叩きつけんばかりの勢いで下げた英樹に龍之介は若干狼狽しつつ答える。
「ちょっと待ってヒデ君。大変なのは分かるけどボクだってお金が必要な理由も聞かずに何万円も貸せないよ。絶対に他の人に話したりしないから、まずは落ち着いて事情を話してくれない?」
「……分かった。ヤッ君なら絶対に信頼できるから説明させて貰う」
はっとした表情でそう言うと、英樹は100万円もの大金をかき集めている理由を説明し始めた。
英樹は将棋サークルの先輩の誘いで1回生の後半から学生ボランティアサークルに入会し、そこで同学年で文学部生の華山麻美と知り合った。
奈良県の女子校出身で大人しい性格をしている華山と英樹は次第に親しくなり先月からは正式に交際を始めるようになったが、それから1か月と少しが経ったこの前の日曜日に英樹は思いがけない事態に遭遇した。
メッセージアプリの華山とのトークルームに突然「安堂仁」と名乗る男からのメッセージが届き、そこには驚くべき内容が記されていた。
華山は1回生の頃から安堂と交際しており、本人は英樹に交際を強要された上でホテルに連れ込まれて強姦されたと話しているというのだ。
安堂は来週までに自分と直に会い慰謝料として200万円を現金で支払えばこの件は揉み消すが、支払いを拒否した場合は英樹が華山を強姦したことを大学と警察に通報すると通告してきた。
英樹は確かに今月の初頭にサークルの飲み会の帰りに華山とラブホテルに行ったが、性交渉は同意の上で行っており安堂の存在はそのメッセージを受け取るまで一切知らなかった。
英樹は華山と会って話をしたいと訴えたが安堂によると華山は英樹に強姦されたことで心的外傷を負って家を出られないという。
この事件はいわゆる美人局と呼ばれる類のものだが華山が英樹に強姦されたと大学や警察に訴えてもそれを否定する証拠はなく(肯定する証拠もない)、英樹は直面しているトラブルを要求に従うことで解決しようとしていた。
安堂は大阪府内のホストクラブで働いており知人にはいわゆる半グレと呼ばれる人物も多いと暗に伝えてきたため、英樹は要求を断ったり警察に通報したりして自身や家族に危害を加えられることも恐れているという。
「バイト代とか貯金を全部集めてどうにか100万円は工面できた。後は友達や知り合いから借りてもう100万円集めれば、今の状況を乗り切れるんだ」
「そうなんだ……」
英樹から一連の流れを聞かされた龍之介は、
やはりこいつはバカだ、と思った。
本当に強姦していないのならば何も恐れず自分から警察に恐喝を受けたと通報すればいいし、既に彼氏がいるのに黙って交際していた時点で華山の行為は明らかな美人局だ。
大学や警察に連絡されるのを恐れている割には友人や知人から金を借りて評判を地に落とすリスクを考慮していないし、要求通り200万円を渡した所でそれからも恐喝を受けないとは限らない。
中学や高校の時から英樹はこういう愚鈍な男だったし、だからこそ図体が大きいのに周囲から延々いじめを受けていたのだ。
こいつには絶対に金を貸せないし、そもそも実家住まいの龍之介には自由に動かせる金は少ない。
こんなバカを信用するほど自分は甘い人間ではない。
そこまで考えた上で、龍之介は言った。
「分かった。ヒデ君を助けるためだし、10万円なんてケチなことは言わない。そうだ、ボクも貯金を集めれば50万円はあるからそれをまとめて貸すよ」
「そうなのか!? ヤッ君、本当にありがとう!」
ああ、そうだ。
「ただ、一人で50万円も貸す訳だからヒデ君に任せるんじゃなくてボクが直接その安堂って奴に会って渡そうと思う。ヒデ君は残りの150万円を渡せばいいから」
「えっ、でもそれじゃヤッ君が危ない目に……」
こいつが、こんな。
「ヒデ君、ボクが喧嘩に強いの忘れたの? そもそも相手の要求を受け入れるんだし危ない目になんて遭わないよ。だから今から安堂につながる連絡先を教えて」
「確かにそうだな。分かった、スマホで送る」
「よろしく!」
こんな愚鈍な男でも、自分は英樹を愛しているのだ。
それから実質的に安堂との連絡手段と化している華山の連絡先を入手し、配膳されたフライドポテトとグリーンサラダを適当につまむと龍之介は大学に用事があると言って先にファミレスを出た。
大金を貸して貰えると聞いて無邪気に喜んでいた英樹の表情を思い出しつつ、龍之介は彼の不祥事を実力で解決する手段を考え始めていた。
畿内医科大学の医学部3回生の授業は朝8時30分から夕方16時15分までの8コマ構成となっていて、この日の午後は7コマ目まで血液の講義が入っていたが時間の都合からやむなく7コマ目は欠席せざるを得なかった。
先週金曜の昼に中高の同期である天草英樹に偶然出会った際、龍之介は彼に恋人ができたと知って強いショックを受けたが学生研究を指導している後輩の白神塔也から励まされて立ち直っていた。
その英樹から昨晩いきなりメッセージアプリの着信があり「明日か明後日までにどうにか会いたい」と伝えられた時は驚いた。
龍之介としても今週は白神の指導で忙しく来月初頭には消化器と血液と産婦人科の試験があるので気軽に会える状況ではなかったが、しばらくメッセージをやり取りした印象では英樹には何かただならぬ事情があるようだった。
阪急皆月市駅から歩いて数分ほどの沿線沿いには全国的に有名なファミレスのチェーン店があり、畿内医大の学生はもちろん皆月中高の生徒にもよく利用されている。
龍之介は小食なので安いランチセットのある昼食以外ではほとんど利用したことがなく、それも食事を目的とせず入店するのは初めてだった。
「来てくれたか、ヤッ君。急に呼び出して本当にごめん」
横断歩道を渡ってファミレスの軒先が見える所まで歩くと、龍之介を今日ここに呼び出した人物である英樹が声をかけてきた。
「全然いいよ。ヒデ君が急に呼び出すんだからよっぽどの事情だろうし」
「ああ、実際大変なことになってる。……とりあえず入ろうか」
明らかに表情の暗い英樹に促され、龍之介はファミレスへと足を踏み入れた。
大人2名と伝えて奥の方のテーブルに案内されると龍之介は愛用しているカーキ色のリュックサックを下ろして座席に置いた。
4人掛けの席で英樹と向かい合うと、一応何か注文しようということでお互いシェアできるフライドポテトとグリーンサラダをタッチパネルからオーダーした。
こういう時のお決まりで英樹が無料の水を2人分注いでくると、龍之介は緊張しながらコップの水を飲んだ。
何かを言いだそうとして言い出せない様子の英樹に龍之介は話を切り出した。
「お疲れ様。この前はかわいい彼女さんと一緒で楽しそうだったけど、あれから何かあったの?」
「うん……その、麻美ちゃんのことなんだけど」
この前聞いた限りでは英樹の恋人は「はなやまあさみ」という名前だったので、まさしくその彼女に関するトラブルなのだろう。
「どうしたの? まさか付き合い始めたばかりなのに浮気されてたとか? それともヒデ君が何かしたの?」
英樹の恋人というだけで龍之介にとっては忌々しい存在だったので言葉の端々に毒を込めて軽口を叩くと、
「どちらとも言えない。まず本題に入るけど、俺に金を貸して欲しい」
気になる表現の後に英樹は驚くべき言葉を口にした。
「えっ?」
「10万円貸してくれたら助かるけど、無理なら3万円でも1万円でもいい。とにかく友達や知り合いから金を借りて100万円集めないといけないんだ」
英樹は鬼気迫る表情で、龍之介は彼にただならぬ事態が起きたことを悟った。
「頼む! 何万円でも絶対に返すから、できれば明日までに貸して欲しいんだ」
そう言って頭を机に叩きつけんばかりの勢いで下げた英樹に龍之介は若干狼狽しつつ答える。
「ちょっと待ってヒデ君。大変なのは分かるけどボクだってお金が必要な理由も聞かずに何万円も貸せないよ。絶対に他の人に話したりしないから、まずは落ち着いて事情を話してくれない?」
「……分かった。ヤッ君なら絶対に信頼できるから説明させて貰う」
はっとした表情でそう言うと、英樹は100万円もの大金をかき集めている理由を説明し始めた。
英樹は将棋サークルの先輩の誘いで1回生の後半から学生ボランティアサークルに入会し、そこで同学年で文学部生の華山麻美と知り合った。
奈良県の女子校出身で大人しい性格をしている華山と英樹は次第に親しくなり先月からは正式に交際を始めるようになったが、それから1か月と少しが経ったこの前の日曜日に英樹は思いがけない事態に遭遇した。
メッセージアプリの華山とのトークルームに突然「安堂仁」と名乗る男からのメッセージが届き、そこには驚くべき内容が記されていた。
華山は1回生の頃から安堂と交際しており、本人は英樹に交際を強要された上でホテルに連れ込まれて強姦されたと話しているというのだ。
安堂は来週までに自分と直に会い慰謝料として200万円を現金で支払えばこの件は揉み消すが、支払いを拒否した場合は英樹が華山を強姦したことを大学と警察に通報すると通告してきた。
英樹は確かに今月の初頭にサークルの飲み会の帰りに華山とラブホテルに行ったが、性交渉は同意の上で行っており安堂の存在はそのメッセージを受け取るまで一切知らなかった。
英樹は華山と会って話をしたいと訴えたが安堂によると華山は英樹に強姦されたことで心的外傷を負って家を出られないという。
この事件はいわゆる美人局と呼ばれる類のものだが華山が英樹に強姦されたと大学や警察に訴えてもそれを否定する証拠はなく(肯定する証拠もない)、英樹は直面しているトラブルを要求に従うことで解決しようとしていた。
安堂は大阪府内のホストクラブで働いており知人にはいわゆる半グレと呼ばれる人物も多いと暗に伝えてきたため、英樹は要求を断ったり警察に通報したりして自身や家族に危害を加えられることも恐れているという。
「バイト代とか貯金を全部集めてどうにか100万円は工面できた。後は友達や知り合いから借りてもう100万円集めれば、今の状況を乗り切れるんだ」
「そうなんだ……」
英樹から一連の流れを聞かされた龍之介は、
やはりこいつはバカだ、と思った。
本当に強姦していないのならば何も恐れず自分から警察に恐喝を受けたと通報すればいいし、既に彼氏がいるのに黙って交際していた時点で華山の行為は明らかな美人局だ。
大学や警察に連絡されるのを恐れている割には友人や知人から金を借りて評判を地に落とすリスクを考慮していないし、要求通り200万円を渡した所でそれからも恐喝を受けないとは限らない。
中学や高校の時から英樹はこういう愚鈍な男だったし、だからこそ図体が大きいのに周囲から延々いじめを受けていたのだ。
こいつには絶対に金を貸せないし、そもそも実家住まいの龍之介には自由に動かせる金は少ない。
こんなバカを信用するほど自分は甘い人間ではない。
そこまで考えた上で、龍之介は言った。
「分かった。ヒデ君を助けるためだし、10万円なんてケチなことは言わない。そうだ、ボクも貯金を集めれば50万円はあるからそれをまとめて貸すよ」
「そうなのか!? ヤッ君、本当にありがとう!」
ああ、そうだ。
「ただ、一人で50万円も貸す訳だからヒデ君に任せるんじゃなくてボクが直接その安堂って奴に会って渡そうと思う。ヒデ君は残りの150万円を渡せばいいから」
「えっ、でもそれじゃヤッ君が危ない目に……」
こいつが、こんな。
「ヒデ君、ボクが喧嘩に強いの忘れたの? そもそも相手の要求を受け入れるんだし危ない目になんて遭わないよ。だから今から安堂につながる連絡先を教えて」
「確かにそうだな。分かった、スマホで送る」
「よろしく!」
こんな愚鈍な男でも、自分は英樹を愛しているのだ。
それから実質的に安堂との連絡手段と化している華山の連絡先を入手し、配膳されたフライドポテトとグリーンサラダを適当につまむと龍之介は大学に用事があると言って先にファミレスを出た。
大金を貸して貰えると聞いて無邪気に喜んでいた英樹の表情を思い出しつつ、龍之介は彼の不祥事を実力で解決する手段を考え始めていた。
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