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2019年4月 生化学基本コース
32 気分は偽装カップル
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相手が男友達でも女の子でも、一般に同級生の実家と言えば一軒家か広めのマンションを想像する。
現在僕が訪問している生島化奈さんの実家はと言うと……
「もっかい確認するで。白神君のことはうちの両親には伝えてあるけど珠樹と叔父さんには絶対に秘密やから、ここにいる間はずっと彼氏のふりしてな」
「う、うん……」
「秘書さんおらんからお茶も出されへんけど、この後すぐに食事会やからそこで美味しいもん食べてな。しばらくの辛抱やで」
普段はカジュアルな服装のカナやんが今は高級そうな水色のワンピースに身を包んで巨大なソファに腰かけている。
茶髪のセミロングヘアもヘアゴムで括らず自然なままにしていて、心なしかいつもよりずっと綺麗に見える。
僕はその隣に座って、普段のままの格好で来てしまったことを後悔していた。
2019年4月14日、日曜日。時刻は昼の12時頃。
株式会社ホリデーパッチンの本社ビルは大阪府大阪市の天王寺区にあり、11時に阪急梅田駅で落ち合った僕らは地下鉄を乗り継いでここまでやって来た。
梅田駅での待ち合わせではすぐ近くにカナやんがいることに全く気付かず、相手から声をかけてくれなければ慌てていただろう。
それほどお嬢様らしく美しいスタイルのカナやんと一緒に延々歩いてきた訳だがその際の会話はノンストップの作戦会議であり、僕らの間に甘い空気などというものは存在しなかった。
僕は今日という日が一刻も早く終わってくれることを願っていた。
現在は本社ビル1階のホールで株式会社ホリデーパッチンの臨時株主総会が開催されており、代表取締役社長でありカナやんのお父さんである生島大化氏は妻と秘書を伴って議長として出席している。
1時間ほど前から始まっていた株主総会もそろそろ終わる頃で、僕らはその後に行われる親族を集めての食事会に出席することになっていた。
待機場所として指定されたのはビルの最上階にある社長室で、勝手に触ったら怒られそうな社長のデスクやテレビドラマで会社のお偉いさんが密談をするのに使っていそうな一対の巨大なソファがそれらしい雰囲気を醸し出していた。
ここに来るまでも来てからも緊張していたからか軽く息を吐いて巨大なソファにもたれていたカナやんに、僕は何気なく質問した。
「今更だけど株主総会の後に親戚一同で食事会をやるのは定番なの?」
「うちの会社は親族経営で、おとんが社長でおかんと叔父さんは理事な。おとんが始めた会社やから経営者はその3人だけやねんけど、株主総会からの流れで食事会やったら結局は親戚が集まってまうねん」
「なるほど……」
僕の身内には会社経営者は一人もいないのでイメージしにくいが親族経営の大企業には会社経営と自営業の中間的な雰囲気があるらしい。
そこまで話した所で、社長室のドアが軽く3回ノックされた。
「すみません、広崎です」
ドアの向こうから落ち着いた女性の声が聞こえ、カナやんは用件を理解してかどうぞー、と返事をした。
ガチャリとドアが開くと部屋の中に3人の大人が入ってきた。
「おー、よく来てくれたな。化奈のフィアンセいうのは自分かいな」
一人は50代ぐらいに見える中年男性で、おそらくカナやんのお父さんの生島大化氏。
「あんた、初対面の男の子なんやさかいもうちょい丁寧にせんかいな」
そう言いつつ表情は明らかに面白がっているのは大化氏と同い年ぐらいの中年女性で、カナやんのお母さんの生島奈々美さんと思われる。
「お疲れ様です。家族水入らずということで私はここで失礼させて頂きます」
生島夫妻に付き添って入室したがすぐに挨拶して出て行った妙齢の女性は社長秘書を務める広崎円香さんだろう。この辺りの人名はここに来る途中でカナやんに教わっていた。
「お疲れー。今日は塔也君も忙しいのに来てくれてんで」
カナやんはさっさと立ち上がって両親をねぎらっていたので僕も慌ててソファから立ち上がる。
「お疲れ様です。それとはじめまして、僕は化奈さんとお付き合いさせて頂いている白神塔也です。化奈さんとは大学の同級生です」
少し早口でそう言うと僕は表情の作り方が分からないまま頭を下げた。
「いやいや、うちの娘と付き合える男は大したもんやで。確かに奈々美に似て絶世の美女やけど何ちゅうても昔から気が強うてな」
「嫌やわ、それ褒めてくれてますのん」
「そら同い年の奈々美の方が可愛かったわ。あ、娘の彼氏の前で言うことでもないわな。はははは」
僕らの存在を忘れて夫婦漫才のように盛り上がっているご両親を見て、僕はうちの両親もこれぐらい愛し合っていてくれれば……と思った。
「ところで珠樹とおじちゃんはいつ来るん? 株主総会にはおじちゃんも出てたんとちゃうの?」
役員が3人とも株主総会に出ていれば少なくとも叔父さんはここに来ていてもおかしくないので、カナやんが聞いたことは僕も気になっていた。
「大宝は立ちっぱなしで疲れた言うて珠樹君と合流して先にレストランに行っとる。15時まで予約してあるさかい今からゆっくり行けば十分や」
「せやせや。娘の未来の夫と喋れるなんて母親として最高の幸せやで」
笑顔で「娘の彼氏」を歓迎するご両親に、僕も今回の事情の複雑さを感じ取った。
「あはは、恐縮です。僕も今日は演技に付き合んぐぐぐ」
言い終わる前にカナやんから後ろ手で首の皮膚をつねられ、とりあえず今日は下手な動きを控えようと決意した。
社長室からエレベーターで地下駐車場まで降りると僕はカナやんの一家と共に大型車に乗り込んだ。
合計で8人は乗車できそうな大型車にはあらかじめ初老の運転手さんがスタンバイしており、僕らがシートベルトを着けたことを確認すると車はすぐに走り出した。
本社ビルからレストランまでは割と近かったらしく、僕がご両親に大学生活について質問攻めにされている間に数分ほどで車は停まった。
4人揃って車を降りると運転手さんは僕らに挨拶をしてそのまま車を再度走らせていった。おそらく帰り際にまた来てくれるのだろう。
「着いた着いた。大宝はもう来とるんかいな」
広々としたレストランの駐車場でお父さんは周囲を見渡していた。
ログハウスのような外観のレストランの玄関口から手を振っている巨漢を見つけて、僕らはそのままレストランに向けて歩いた。
「お疲れさんです。運動不足がたたりまして、先に来さして貰いましたわ」
明るく笑いながらそう言ったのはカナやんの叔父さんである生島大宝さん。
中肉中背の兄と異なり大宝さんは相当な大柄で、おそらく体重100kgはあるのではないかと思った。
そして、その横に立っていたのは。
「あの、えーと、こんにちは。僕は生島珠樹です。カナちゃんの従弟で……昔から仲良くさせて貰ってます」
今回の問題の発端であるところの、カナやんの従弟だった。
珠樹君と名乗った少年はカナやんによると現在高校3年生。
高校では剣道部に所属しているらしく、体型は全体的にスマートな印象でルックスもいわゆるイケメンに分類される男子だった。
通っているのは男子校らしいが共学なら彼女の一人や二人いてもおかしくない感じの高校生だ。
ここで僕が黙っているのは流石に不自然なので、何とか挨拶を試みる。
「ああ、君が珠樹君だね。僕は化奈さんとお付き合いさせて貰ってる同級生の白神塔也です。未来のお義兄さんになるのかな? あはは……」
珠樹君は僕の冗談を聞き、引きつった笑みを浮かべて硬直していた。
早速地雷を踏んだかも知れない。
「塔也君は愛媛県出身で、めっちゃ優しい男の子やで。うちより2つ年上やけどそれだけ包容力があって頼りになるねん」
カナやんは早口でそう言うと無理やりな感じで僕と(熱々なカップルがやりそうな感じで)腕を組んだ。
「へ、へー。そうなんだ。カナちゃんにそんな人ができるなんて意外だな……」
「うちが陸上部で練習してる時もよその部活やのにわざわざ応援に来てくれたりするねんで。友達もおちょくってきて恥ずかしいぐらいやわ。なっ!」
カナやんはそう言いつつ左腕で僕の右腕を締め上げたので、僕も冷や汗をかきながら「なっ!」と同意の意思を示した。
微妙に事実が歪曲されている。
「ふーん。まあ、カナちゃんを大事にしてくれてるみたいで良かったよ……」
珠樹君が必死で怒りを抑えていることが同じ剣道経験者としての勘で何となく分かってしまった。
何というかさっきからカナやんはあえて地雷を踏んでいるらしい。
「おーい、君らも早く来てや」
「あっ、すみません」
色々やっている間にご両親と大宝さんはレストランの扉を開きにかかっており、僕は右腕にすがりつくカナやんと沸騰寸前の珠樹君を伴って入り口へと歩いた。
「今日は皆に色々話してあげような、塔也君」
「そ、そうだね。化奈さん……」
珠樹君はもはや僕らの方に目もくれず、さっさとレストランに入ってしまった。
予想通り修羅場になっているが、僕はここから無事に帰れるのだろうか。
現在僕が訪問している生島化奈さんの実家はと言うと……
「もっかい確認するで。白神君のことはうちの両親には伝えてあるけど珠樹と叔父さんには絶対に秘密やから、ここにいる間はずっと彼氏のふりしてな」
「う、うん……」
「秘書さんおらんからお茶も出されへんけど、この後すぐに食事会やからそこで美味しいもん食べてな。しばらくの辛抱やで」
普段はカジュアルな服装のカナやんが今は高級そうな水色のワンピースに身を包んで巨大なソファに腰かけている。
茶髪のセミロングヘアもヘアゴムで括らず自然なままにしていて、心なしかいつもよりずっと綺麗に見える。
僕はその隣に座って、普段のままの格好で来てしまったことを後悔していた。
2019年4月14日、日曜日。時刻は昼の12時頃。
株式会社ホリデーパッチンの本社ビルは大阪府大阪市の天王寺区にあり、11時に阪急梅田駅で落ち合った僕らは地下鉄を乗り継いでここまでやって来た。
梅田駅での待ち合わせではすぐ近くにカナやんがいることに全く気付かず、相手から声をかけてくれなければ慌てていただろう。
それほどお嬢様らしく美しいスタイルのカナやんと一緒に延々歩いてきた訳だがその際の会話はノンストップの作戦会議であり、僕らの間に甘い空気などというものは存在しなかった。
僕は今日という日が一刻も早く終わってくれることを願っていた。
現在は本社ビル1階のホールで株式会社ホリデーパッチンの臨時株主総会が開催されており、代表取締役社長でありカナやんのお父さんである生島大化氏は妻と秘書を伴って議長として出席している。
1時間ほど前から始まっていた株主総会もそろそろ終わる頃で、僕らはその後に行われる親族を集めての食事会に出席することになっていた。
待機場所として指定されたのはビルの最上階にある社長室で、勝手に触ったら怒られそうな社長のデスクやテレビドラマで会社のお偉いさんが密談をするのに使っていそうな一対の巨大なソファがそれらしい雰囲気を醸し出していた。
ここに来るまでも来てからも緊張していたからか軽く息を吐いて巨大なソファにもたれていたカナやんに、僕は何気なく質問した。
「今更だけど株主総会の後に親戚一同で食事会をやるのは定番なの?」
「うちの会社は親族経営で、おとんが社長でおかんと叔父さんは理事な。おとんが始めた会社やから経営者はその3人だけやねんけど、株主総会からの流れで食事会やったら結局は親戚が集まってまうねん」
「なるほど……」
僕の身内には会社経営者は一人もいないのでイメージしにくいが親族経営の大企業には会社経営と自営業の中間的な雰囲気があるらしい。
そこまで話した所で、社長室のドアが軽く3回ノックされた。
「すみません、広崎です」
ドアの向こうから落ち着いた女性の声が聞こえ、カナやんは用件を理解してかどうぞー、と返事をした。
ガチャリとドアが開くと部屋の中に3人の大人が入ってきた。
「おー、よく来てくれたな。化奈のフィアンセいうのは自分かいな」
一人は50代ぐらいに見える中年男性で、おそらくカナやんのお父さんの生島大化氏。
「あんた、初対面の男の子なんやさかいもうちょい丁寧にせんかいな」
そう言いつつ表情は明らかに面白がっているのは大化氏と同い年ぐらいの中年女性で、カナやんのお母さんの生島奈々美さんと思われる。
「お疲れ様です。家族水入らずということで私はここで失礼させて頂きます」
生島夫妻に付き添って入室したがすぐに挨拶して出て行った妙齢の女性は社長秘書を務める広崎円香さんだろう。この辺りの人名はここに来る途中でカナやんに教わっていた。
「お疲れー。今日は塔也君も忙しいのに来てくれてんで」
カナやんはさっさと立ち上がって両親をねぎらっていたので僕も慌ててソファから立ち上がる。
「お疲れ様です。それとはじめまして、僕は化奈さんとお付き合いさせて頂いている白神塔也です。化奈さんとは大学の同級生です」
少し早口でそう言うと僕は表情の作り方が分からないまま頭を下げた。
「いやいや、うちの娘と付き合える男は大したもんやで。確かに奈々美に似て絶世の美女やけど何ちゅうても昔から気が強うてな」
「嫌やわ、それ褒めてくれてますのん」
「そら同い年の奈々美の方が可愛かったわ。あ、娘の彼氏の前で言うことでもないわな。はははは」
僕らの存在を忘れて夫婦漫才のように盛り上がっているご両親を見て、僕はうちの両親もこれぐらい愛し合っていてくれれば……と思った。
「ところで珠樹とおじちゃんはいつ来るん? 株主総会にはおじちゃんも出てたんとちゃうの?」
役員が3人とも株主総会に出ていれば少なくとも叔父さんはここに来ていてもおかしくないので、カナやんが聞いたことは僕も気になっていた。
「大宝は立ちっぱなしで疲れた言うて珠樹君と合流して先にレストランに行っとる。15時まで予約してあるさかい今からゆっくり行けば十分や」
「せやせや。娘の未来の夫と喋れるなんて母親として最高の幸せやで」
笑顔で「娘の彼氏」を歓迎するご両親に、僕も今回の事情の複雑さを感じ取った。
「あはは、恐縮です。僕も今日は演技に付き合んぐぐぐ」
言い終わる前にカナやんから後ろ手で首の皮膚をつねられ、とりあえず今日は下手な動きを控えようと決意した。
社長室からエレベーターで地下駐車場まで降りると僕はカナやんの一家と共に大型車に乗り込んだ。
合計で8人は乗車できそうな大型車にはあらかじめ初老の運転手さんがスタンバイしており、僕らがシートベルトを着けたことを確認すると車はすぐに走り出した。
本社ビルからレストランまでは割と近かったらしく、僕がご両親に大学生活について質問攻めにされている間に数分ほどで車は停まった。
4人揃って車を降りると運転手さんは僕らに挨拶をしてそのまま車を再度走らせていった。おそらく帰り際にまた来てくれるのだろう。
「着いた着いた。大宝はもう来とるんかいな」
広々としたレストランの駐車場でお父さんは周囲を見渡していた。
ログハウスのような外観のレストランの玄関口から手を振っている巨漢を見つけて、僕らはそのままレストランに向けて歩いた。
「お疲れさんです。運動不足がたたりまして、先に来さして貰いましたわ」
明るく笑いながらそう言ったのはカナやんの叔父さんである生島大宝さん。
中肉中背の兄と異なり大宝さんは相当な大柄で、おそらく体重100kgはあるのではないかと思った。
そして、その横に立っていたのは。
「あの、えーと、こんにちは。僕は生島珠樹です。カナちゃんの従弟で……昔から仲良くさせて貰ってます」
今回の問題の発端であるところの、カナやんの従弟だった。
珠樹君と名乗った少年はカナやんによると現在高校3年生。
高校では剣道部に所属しているらしく、体型は全体的にスマートな印象でルックスもいわゆるイケメンに分類される男子だった。
通っているのは男子校らしいが共学なら彼女の一人や二人いてもおかしくない感じの高校生だ。
ここで僕が黙っているのは流石に不自然なので、何とか挨拶を試みる。
「ああ、君が珠樹君だね。僕は化奈さんとお付き合いさせて貰ってる同級生の白神塔也です。未来のお義兄さんになるのかな? あはは……」
珠樹君は僕の冗談を聞き、引きつった笑みを浮かべて硬直していた。
早速地雷を踏んだかも知れない。
「塔也君は愛媛県出身で、めっちゃ優しい男の子やで。うちより2つ年上やけどそれだけ包容力があって頼りになるねん」
カナやんは早口でそう言うと無理やりな感じで僕と(熱々なカップルがやりそうな感じで)腕を組んだ。
「へ、へー。そうなんだ。カナちゃんにそんな人ができるなんて意外だな……」
「うちが陸上部で練習してる時もよその部活やのにわざわざ応援に来てくれたりするねんで。友達もおちょくってきて恥ずかしいぐらいやわ。なっ!」
カナやんはそう言いつつ左腕で僕の右腕を締め上げたので、僕も冷や汗をかきながら「なっ!」と同意の意思を示した。
微妙に事実が歪曲されている。
「ふーん。まあ、カナちゃんを大事にしてくれてるみたいで良かったよ……」
珠樹君が必死で怒りを抑えていることが同じ剣道経験者としての勘で何となく分かってしまった。
何というかさっきからカナやんはあえて地雷を踏んでいるらしい。
「おーい、君らも早く来てや」
「あっ、すみません」
色々やっている間にご両親と大宝さんはレストランの扉を開きにかかっており、僕は右腕にすがりつくカナやんと沸騰寸前の珠樹君を伴って入り口へと歩いた。
「今日は皆に色々話してあげような、塔也君」
「そ、そうだね。化奈さん……」
珠樹君はもはや僕らの方に目もくれず、さっさとレストランに入ってしまった。
予想通り修羅場になっているが、僕はここから無事に帰れるのだろうか。
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