二杯目の紅茶を飲んでくれるひと

秋月真鳥

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25.あの日の答えを

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 母親は世界的女優の逆島愛、父親はドラマと映画で活躍する俳優のたちばな伊月いつき。母親似の華のある美貌と両親に似た演技力に加えて、幼いころから習っている声楽にピアノにダンスにバレエに日舞という大量のお稽古ごと。それで完成したのが逆島恋という恐ろしい俳優だ。

「ということは、馨さんは橘馨さんなんですか?」
「そうだよ。僕の本名は橘馨。二文字の名前で、漢字がごついからあまり好きじゃないんだけど、雅親さんが口にするといい名前に聞こえるね」

 逆島恋が芸名だというのは知っていたが、雅親は恋のフルネームまでは知らなかった。

「父の伊月っていうのも芸名で、本名はゆたか。僕と同じで二文字の名前で、漢字がごついから変えたらしい」
「なるほど」

 恋の両親のことを調べている雅親に、電話をしていた天音がこちらに振り向く。

「アポ取りました。お二人と今夜お会いできるそうです」
「姉さん、私が自分でやったのに」
「こういうことはきっちりとしておかないと。まさくんを信頼してないわけじゃないけど、逆島さんの方は……」
「僕に信用がないのは分かってる。演技のことしか考えてこなかったからね。でも、僕の両親なんだけど」
「ご挨拶をさせていただくのは私たちの方なんだから、こちらからお願いするのが筋というものでしょう」

 家族での顔合わせとなると気になるのは充希のことだった。
 充希にも今回のことは伝えておきたかったし、できれば顔合わせの場に同席してほしい。

「姉さん、みっくんのことなんですけど……」
「まさくんはそう言うと思って、ちゃんと連絡してある」
「みっくんも来るんですか?」
「理由を話したら、まずぜひ逆島恋サンにご挨拶したいと言っているわ」
「僕に!? どうしよう、雅親さん、反対されたら」
「私は大人ですし、馨さんも大人でしょう」
「それはそうだけど、雅親さんは傷付かない?」

 反対されて傷付くものなのか。
 確かに充希は雅親の大事な弟ではあった。弟といえども雅親と充希は人格も違うし、年齢も違う。

「そもそも、友達から付き合うのに何を反対するんですか?」
「それはそうだけど、養子縁組とか、パートナー制度とか、公正証書とか考える割りに、そこは譲らないんだね」
「いずれは、ということですし、私と付き合うということは、私が持っているものは全部もらってくれないと困るという意味で養子縁組や、パートナー制度や、公正証書を考えただけです」
「待って! 雅親さん、僕より先に死ぬつもり?」
「年齢的には順当にいけば私の方が先でしょうね」
「死ぬまで、一緒にいてくれるってこと?」
「そういうことに、なりますかね」

 恋の顔がみるみる赤くなっていく気がする。大きな黒い目が潤んで、雅親を抱き締めようとするのを、雅親はそっと肩を押して遠慮した。姉の目の前で抱き締められるわけにはいかなかったし、今度は胸は触らなかったのでセクハラでもないということにする。

 充希の反応は早かった。
 三時過ぎには雅親のマンションに駆け込んできていた。

「雅親、そいつと結婚するんだって!?」
「『そいつ』とか言わない。結婚はしません。日本で同性婚はまだ認められていませんよ。恋人になるのを前提に友達からお付き合いするだけです」
「逆島恋サン、雅親のこと本気なのか? 雅親、逆島恋サンの演技に流されてるだけじゃないのか?」

 演技を恋がしただろうか。
 充希に言われて雅親は考えてみる。
 あれが演技だったならかなりの大根役者だ。とてもオーディションで雅親が原作の舞台の仕事など引き受けられなかっただろう。

「馨さんは、演技ができなかったんです」
「馨さん? 誰?」
「逆島恋さんの本名です。馨さんは、私の前では一切演技ができなかったんです。だからそれだけ必死だったんだろうなと思って信じました」
「演技できなかった? どういうこと?」

 不思議そうに眼を瞬かせる充希に、恋が「それはいいでしょう。告白なんてプライベートなこと聞かないで」と両手で顔を覆っている。

「姉さんが、結婚するくらい真剣らしいから、相手のご両親にご挨拶に行くって言ってた。それで、大学の入学式で来たスーツ着て来たんだよ」

 反対するようなことを言う割りには、充希はきっちりとスーツを着てきていた。
 恋のスキャンダルが発覚しておよそ二か月。季節は秋になっていた。
 スーツ姿ではまだ少し暑さが残っていて、充希はジャケットを脱ぎたそうにしている。

「そうでした。私も着替えないと」
「僕も着替えた方がいいよね。どうしよう。一度自分の部屋に戻るよ。すぐに帰ってくるから待ってて」
「雅親の手を握るな!」

 ぎゅっと手を握って目を見て言われると、雅親は恋が改めて顔がいいことに気付く。ずっと綺麗な顔だとは思っていたが、長い睫毛とか、通った鼻筋とか、厚めの唇とか、整った眉とか、計算しつくされたかのように美しい。

 作家としてデビューした当初、書いた作品が舞台化されて、逆島愛が主演を努めたことがあった。愛は年齢よりもずっと若く見えて、二十代の騙された主人公役を見事に演じきった。
 あのときに逆島愛のことは強く印象に残っていた。

「みっくん、お兄ちゃんはもうすぐ三十一歳の大人なんですよ?」
「分かってるけどぉ」
「誰と恋愛をしようと、誰と結婚をしようと自由なんです。同性の場合は同性婚が認められていないので、結婚に相当する養子縁組やパートナー制度、公正証書作成などになりますが」
「友達って言うけど、その先まできっちり考えてるんじゃないか」
「考えますよ。ひと様の大事な息子さんとお付き合いをするんですからね。それくらいの誠意は見せます」

 恋愛的な問題というよりも、養子縁組やパートナー制度、公正証書まで考えるのは、雅親としては当然の大人としての責任のようなものだった。それが結婚という形に周囲からは見えているのは少し不本意だが、雅親なりの誠意は示したいと思っている。

「雅親は、それで幸せなのか?」
「幸せになるかは分かりません。幸せになるには馨さんとお互いに努力する必要があるでしょうね。何より、幸せになれるからお付き合いをするんじゃなくて、相手に気持ちがあるからお付き合いをするものだとお兄ちゃんは思っていますよ」
「気持ちがあるから……好きだってことか?」
「まぁ、そんな感じです」

 まだはっきりとそれも言い切れないのに、話は先に進みすぎているような気がするが、恋との関係の公表を望んだのは雅親だし、恋との関係にしっかりとした形を作っておきたいと考えたのも雅親だ。
 不満顔の充希の髪を撫でると、嫌がられてしまう。充希ももう二十歳なのだから、雅親に触られたくないこともあるだろう。

「雅親が取られた気分になってる」
「元々、お兄ちゃんはみっくんのものではなかったんですよ」
「雅親のそういうところ、知ってたけど、ちょっと酷い」
「人間は誰も誰かのものではありません。例えお兄ちゃんが馨さんと養子縁組をしても、パートナー制度を使っても、公正証書を作成して遺産分割のことを決めても、馨さんのものになるわけではありません。お兄ちゃんは一生みっくんのお兄ちゃんだし、笠井雅親という一人の人間です」

 寄りかかるつもりも、寄りかからせるつもりもない。
 ただ隣りに立って一緒に歩いても構わないと思ったのだ。
 それが恋愛感情と違うと言われるならばそうなのかもしれないが、ずっと一人で人生を歩いて行くつもりだった雅親にとっては大きな変化だった。

「雅親のためなら、俺は誰とでも会うし、誰にでも挨拶する。逆島恋サンの両親にでも」
「ありがとうございます。心強いですよ」

 充希でさえこれだけ拒否反応を示したのに、恋の両親は雅親を紹介されて戸惑わないだろうか。息子の付き合っている相手が声明ではっきり否定したのに、その後、告白を受けて雅親になっているということに拒否感がある可能性も考えられる。何よりも、古い考えの相手だったら同性同士というのが許されないかもしれない。

「雅親さん、お待たせ! 超特急で帰って来たよ」
「お帰りなさい。って言うのも変ですね。ここは馨さんの部屋でもないのに」
「雅親さんと一緒に暮らしたい。それで、ゆっくりでいいから、僕に慣れてほしい」
「一緒に暮らしたい……あなた、この部屋を出る前もそう言っていましたね」

 ――何でもできるようになったら、ここを出て行かなくてもいい?

 あのときの恋はまだ家事を覚え始めたばかりで、雅親を頼っていた。

――私と暮らすわけにはいかないでしょう。
――どうして? 家賃も食費も水光熱費も払うよ? 家事もちゃんと分担する。ルールを作ればいいんでしょ?

 ルールを作ろうと言ったのは、恋を受け入れたときの雅親だった。そのときにはルールなど受け入れられなかった恋が自分からそれを作ろうと提案した。

 その後でシェアハウスの話をしたが、恋がシェアハウスをしたいと思っているのではないということは雅親にも薄々分かっていた。
 恋はあくまでもこの部屋で雅親と一緒に暮らしたいと言っていたのだ。

――まさくんは、僕と暮らすのは嫌?

 あのとき、雅親は恋に答えを出さなかった。
 恋の問いかけは答えを得ないまま、宙に浮いて今に至っている。
 あれから恋と雅親の関係は変わった。

「嫌ではないです。あなたと暮らすのは嫌ではない」

 あの日の問いかけの答えを、雅親は今恋に伝えていた。
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