後宮小説家、佐野伝達

秋月真鳥

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第一部

21.バシレオスとシャムス様の話

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 三つの小説について、翌日にバシレオスに相談すると、バシレオスが私に問いかける。

「その物語、取材は必要ないのですか?」

 取材して実際の人物をモデルとして書くのは止めたのだから、基本的に取材は必要ない。そうなるとシャムス様とは会えなくなってしまうことに私は気付いていた。
 私は月の帝国に連れて来られてすぐに後宮に入ったので、市井のことは全く知らない。月の帝国のひとたちが城下町でどのような暮らしをしているのか知らないのだ。

「バシレオス、私に教えてくれるか?」
「シャムス様の方がよろしいのではないですか?」
「シャムス様にも聞きたいことはある。来られたときに聞いてみるつもりだ」

 シャムス様には貴族の暮らしを聞いてみるつもりではあった。
 バシレオスは蜜の国の出身なので、蜜の国の暮らしを聞いてみる。

「蜜の国では人々はどのように暮らしている?」
「漠然とした問いかけなので、どのように答えればいいのか。葡萄園の世話をしたり、穀物を育てたりして暮らしております。男性は病にかかりやすいので、女性が働きに出かけて、男性は家の仕事をしております」

 日の国でも男性はほとんど外に出させてもらえなかった。出してもらえたとしても城の庭くらいだ。それは蜜の国でも変わらないようだった。

「バシレオスの身分はどうだったのだ?」
「私は平民の家に生まれました。髪の色が金色で美しかったので、貴族がそれを見て、私を養子にして後宮に送り入れることを考えたのです」

 後宮に送り入れるために教育されて来たバシレオスだったが、予想外に体が大きくなってしまった。これでは皇帝陛下に選ばれないかもしれないと一度は後宮送りを思いとどまったようだが、自分の息子を差し出すように言われた貴族は迷いなくバシレオスを後宮に送った。

「辺境の異民族との間の戦いが熾烈になって来ていて、月の帝国の助けが必要だったのです。私は月の帝国に媚を売るために後宮に送られました」
「なるほど。つらい立場だったのだな」

 話を聞きながら、私は一つ目の小説の軌道修正を始めた。反乱軍に捕らえられたのではなく、異民族に捕らえられた男性にしよう。その男性が助けに来た月の帝国の男騎士に惚れる。
 男騎士は月の帝国に帰れば婚約者と結婚することが決まっていて、家同士の結婚を断ることはできず、別れに異民族に捕らえられた男性に抱かれる。

「この展開は皇帝陛下、お好きそうではないか?」
「いいと思います。敢えて、男騎士が抱かれることで皇帝陛下の萌えがわき上がりそうです」

 私の修正した小説の構成をバシレオスが紙に纏めてくれる。
 二本目の小説はシャムス様の助けが必要だった。
 シャムス様がちょうど来ていたので部屋に呼ぶと、バシレオスが席を外そうとしている。

「バシレオスもいてくれ。物語の構成を書き留めて欲しいのだ」
「それならば、失礼いたします」

 全く失礼ではないのだが、頭を下げるバシレオスに、私はシャムス様にお茶を入れて話し始めた。

「大浴場での身分違いの恋の話を書こうと思うのですが、平民はそんなに頻繁に大浴場に行けるものですか?」
「大浴場の入浴料もそれなりにかかるからな。頻繁には行けないかもしれない」
「貴族は頻繁に大浴場に通っていてもおかしくないですか?」
「貴族も男性が外出するのはあまり好ましくないとされている。頻繁には行けないのではないだろうか」

 これでは物語が成り立たない。
 私はもう一度小説の構成を考え直してみる。頻繁に行けないのであれば、日にちを決めて行けばいいのだ。

「月の帝国では暦はどのようになっていますか?」
「新月を毎月の第一日として、三十日の月と、二十九日の月を交互に設けている」

 いわゆる太陰暦を使っているわけだ。
 日の国も太陰暦を使っていて、年の最後に閏月が入るのだが、月の帝国には閏月がなかったようだ。

「この暦では季節と暦が離れて行ってしまうと気付かれた今の皇帝陛下が、年末に一つ月を多くした。皇帝陛下は誠に聡明な方なのだ」

 皇帝陛下はそのことに気付いて、閏月を入れたようだ。
 こういうことが分かるのも、私に前世の記憶があるからで、今世の記憶だけでは私は何も分からなかったであろう。

 今世の私は本も碌に読まなかったような子どもだったのだ。
 縫物や料理や掃除などの家事ができれば、どこに嫁いでも問題はない。そういって母は私に本も読ませなかった。かろうじて読み書きができるのは、文を書く風習があったからだった。

「伝達殿の日の国ではどのような暮らしをしておられたか?」
「私は、縫物をしたり、厨房で料理を習ったり、掃除をしたり、良夫になることばかり教えられておりました」
「それで、伝達殿の入れる茶はうまいのだな」
「そうですか?」

 褒められて嬉しくはなるが、私が小説を書けるようになった理由を私はシャムス様にお伝えすることができなかった。前世の記憶が蘇ったなどということを告げて、信じてもらえるとは思えなかったのだ。

「私の母はふみという名前で、同じ意味だということで、伝達と名付けられました」
「伝達とは珍しい名前だと思っていた。そのような理由だったのだな」

 シャムス様と話すと楽しくて話題が反れてしまう。
 私は軌道修正に努めた。

「新月の日が月の第一日ということは、新月の日に二人が会う約束をしていたことにすればどうだろう?」
「月が見えぬ曇りや雨の日はどうしますか?」
「暦があればいいのでは?」

 軽く答えてしまった私に、バシレオスが首を傾げ、シャムス様が困ったように眉を下げる。

「暦があったとしても、平民のほとんどが読めぬのだよ」
「そうなのですね!?」

 そうだった。
 私は日の国で藩主の息子として大事に育てられていて、暦も読むことができたが、月の帝国での平民は全てがそうではない。そうなると、やはり月を目安にするしかない。

「曇りや雨の日には、二人は会えない。そうだ、タイトルは『晴れの新月の日を待って』にしよう」

 会えないということも、会ったときの喜びのスパイスになるのではないか。私は素早く物語を軌道修正していた。
 乾いた大地では雨の日の方が少ないのだから、ほとんどの場合は晴れで新月が見える。大事な駆け落ちの日に雨が降って、最終的に駆け落ちができないまま、次の新月に大浴場で会って抱き締め合って不運を嘆く二人のシーンで終わっても構わない。

「伝達殿はもう三つの物語を考えてしまったのか?」
「まだ構想段階です。貴族の暮らしも教えて欲しいのですが」

 私が言えば、シャムス様は「そうだった」と思い出して、私に赤い縦長のドライフルーツの入った袋を渡してくれた。

「デーツを乾燥させたものだ。伝達殿は食べたことがないだろうと思って持ってきた」
「ありがとうございます。デーツとは?」
「ナツメヤシの実のことだ。私はこれが大好きなのだ」

 渡されたデーツをお茶と一緒に齧ってみると、干し柿のような濃厚な甘みが口に広がる。ねっとりとしてとても美味しい。

「これは美味しいですね」
「物語を作るのは大変な仕事だろう。これは栄養価が高く、美容にもいいのだ。これを食べて頑張ってくれ」

 嬉しい差し入れに私はデーツのたくさん入った袋をぎゅっと胸に抱きしめた。

「貴族の女性は基本的に若い時期は騎士団に入る。平民の女性も徴兵制で兵士の訓練を受ける。月の帝国がいつ攻め込まれてもいいようにしているのだ」
「男性はどうですか?」
「男性は家の中で守られている。出生率が低く数が少ないし、病でも死にやすいからな。男性は守らねばならぬ対象だ」

 月の帝国の徴兵制は知らなかったが、男性の扱いは日の国と変わらないようだ。

「男性は男性の医者にしか診せてはならないという法律があった時期もあったが、今の皇帝陛下は、命を守るためにはそんなことはしていられないと、法律を変えてくださった」

 男性の医者自体が少ないのだから、男性が男性の医者にしか診てもらえなくなれば、ますます男性の死者は増える。その法律の変更にも着手した皇帝陛下は賢帝と呼ばれるだけはある。

「騎士を経験してから、月の帝国の女性は当主になる。それゆえに戦いの悲惨さや非生産性を知っていて、できれば外交で戦争をせずにおさめたいと思っているものが多いな」

 そのおかげで月の帝国は今平和なのだとシャムス様は話してくれた。
 三つ目のロミオとジュリエットを模した小説もそれで構想が固まって来た。
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