後宮小説家、佐野伝達

秋月真鳥

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第一部

1.佐野伝達、前世を思い出す

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 私、佐野さの伝達でんたつは、月の帝国と呼ばれる大陸のほとんどを支配し、近隣の島国までその支配を進めている帝国の属国の一つ、日の国に生まれた。
 日の国ではたちばな家という家が国を治めていて、佐野家はその橘家に仕える藩主の一人だった。姉のみおが家を継ぐことは決まっていて、私は年頃になれば違う藩に嫁がされるはずだったのだが、それに待ったがかかったのは、月の帝国に嫁いでいた橘家の千里せんり様が皇帝陛下との間にめでたくお子を作られて、それだけではなく、皇帝陛下は千里様を寵愛して、二人目のお子も間もなくできて、仲睦まじいということだった。

 それならば、千里様の後ろ盾を得て、私は月の帝国に嫁いだ方がいいのではないかと当時の当主であった母上が考えていたときに、皇帝陛下の後宮で血生臭い事件が起きた。

 皇帝陛下が千里様を正室として、千里様のみを寵愛するので、他に控える側室やもっと身分の低い妾達が、騒ぎ出したのだ。その結果として、身分の低い妾が一人、自分の未来を悲観してという名目で自殺未遂をした。

 命は助かったようだが、その妾は家に戻されて、後宮内は荒れた。

 月の帝国から海を隔てた日の国にまで噂が流れ込んでくるくらいの荒れようだったのだ。

 自殺未遂は千里様を妬んだ側室が無理やりにやらせたことだとか、千里様の企みだとか、嫌な噂ほどよく広まる。
 第二子を妊娠していた皇帝陛下は事態を重く見て、千里様に被害が及ばぬように厳重な警備を敷くと共に、他の側室や妾達の様子を伺うために千里様以外の側室や妾の元にも通うようになった。

 そうなると立場がなくなるのは千里様だ。
 これまでは千里様の元にしか皇帝陛下は通っていなかったので、第一子の皇太子殿下も、第二子の皇帝陛下のお腹にいる殿下も、間違いなく千里様のお子と言えた。
 複数の男性の元に皇帝陛下が通うようになれば、どの胤で皇帝陛下が孕んだのかは分からなくなる可能性がある。

 それくらいならば、同郷のものを後宮に入れて、皇帝陛下の心を取り戻そうと千里様は考えた。

 つまり、私が後宮に入るのは、佐野家の君主である橘家からの命令であったのだ。

 千里様が嫁いでから既に十年の年月が経っている。
 千里様は皇帝陛下が十五歳のときに初めての夫として後宮に入り、気に入られて正室に選ばれた。それ以後十年間、仲睦まじく皇帝陛下は千里様の部屋にだけ渡って来て、夜を過ごしている。
 違う妾の元に行った皇帝陛下のお心が取り戻せないのならば、自分で用意した同郷の部下の妾を紹介するのは、後宮では当たり前のことだった。

 月の帝国に向かうために私は初めて城を出て、港町から船に乗った。

 この世界では男性の出生率が低い。その上、男性は体が弱いことが多く、成人するまで生きていられるものは僅かだ。
 それゆえに、この世界では女性が働き手となり、藩主や国王陛下、皇帝陛下、武士や騎士や兵士となって、男性は家の中で守られている立場なのだ。
 男性を集めた花街や、男性を売り買いするために捕らえようとする賊の存在もある。
 家の中で安全に守られているのが男性の幸せなのだ。

 船に揺られて、見事に船酔いをしてしまった私は、食事が喉を通らず、吐いてばかりで身の回りの世話をしてくれる女性たちに迷惑をかけていた。
 皇帝陛下の元へ輿入れするのだから、私は着飾らせられていたが、どうにも居心地が悪い。

 それもそのはず、私は千里様の事情で他家に嫁ぐのを止められていた間に、二十歳を超えて、後宮に入るような若い男性とは言えなくなってしまっていたのだ。
 家柄的に私しかいないので仕方なく後宮に向かってはいるが、私を皇帝陛下が気に入るとは思わなかった。

 不安と吐き気で体調は悪いし、冬の海は寒い。
 船の中で毛布に包まって震えていると、護衛の兵士が船上で騒ぎ出した。
 何事かと周囲を見れば、兵士たちが私に袋を被せて隠そうとしている。

「なんなのだ? 何が起こっている?」
「海賊です! 日の国より後宮に男性が送られるという情報が漏れていたようです」

 海賊に捕らわれれば、私は高値で高貴な男性として売られて、女性に種を蒔く仕事につかされる。それは後宮でも同じだったが、私は日の国の主君の息子、橘千里様に仕えなければいけないのだ。
 絶対に盗賊たちに触れられるわけにはいかない。

 盗賊たちは全員女性で、私を見付ければ犯そうとしてくるだろう。
 そんな目に遭った後では、例え助かったとしても後宮にも入れない。

「男がいるのだろう? 出せ? 出せば、命だけは助けてやる!」

 癖のある髪を一つに括り、曲刀を持った女性が兵士を切り倒している。
 他の女性の海賊たちも入り込んできて、あっという間に私は囲まれてしまう。

「後宮に入るのならば、整った顔立ちかと思えば、この程度か」
「私は嫌いじゃないね」
「それじゃ、お前から味見していくか?」

 曲刀を突き付けられて、私は必死に女性の間をすり抜けて船の甲板に出た。
 砲撃が聞こえた気がしたのだ。

「海賊ども、さっさと散れ! 船ごと沈めてくれるぞ!」

 もう一隻船が近付いてきていて、砲弾で海賊船を沈めつつある。
 慌てた海賊たちは自分の船に戻っているが、私のことを忘れてはいなかった。

「来い!」

 乱暴に着物の襟を掴まれて海賊船に連れ去られそうになって私は暴れる。
 逃げられそうになった瞬間、足元がなくなった。
 船に飛び移る海賊の手から逃れてしまった私は、冷たい冬の海に落下した。

 濡れた着物は重く、浮かび上がれない。
 水が鼻からも口からも入って来て息ができない。

 息ができない。

 こんな状況が前にもあった……?

 意識が遠くなる中で、私は前世を思い出していた。


 この世界に生まれ変わる前、私は現代の事務職のサラリーマンだった。
 副業として小説家をやっていたが、小説家だけで食べて行けるはずもなく、サラリーマンは続けていた。

「兼業作家で行きましょうね。絶対に会社は辞めないでくださいね。小説界隈、最近、厳しいんですからね」

 書いた小説が編集さんの目に留まって、小説家になれたとしても現実は厳しかった。
 それでも、好きな小説を書くために頑張っていたのだが、三十歳になる直前、私は大雨で増水した道を歩いていて、足を滑らせて側溝に流されてそのまま記憶がない。
 多分私はそこで死んだのだ。

 前世では仕事と小説家を両立させることに必死で、恋愛も中学校や高校のときに憧れた相手がいたが告白もできず、誰とも結ばれることのないままに私の命は終わった。

 童貞のまま三十歳を迎えたら魔法使いになれると言われていたが、その三十歳を目前に私は死んだのだった。


 目を開けると、柔らかくて丸いものがあった。
 温かいので私はそれに縋り付いて、ふにふにと揉む。
 表層は柔らかいが芯のあるそれを揉んでいると、声がかけられた。

「気が付かれたか?」
「へ?」

 気が付けばそこは寝台の上のようで、裸の女性が私を抱き締めてくれている。

「冷えた体を温めるのは、これが一番だからな。気にすることはない、私は皇帝陛下の乳姉妹。皇帝陛下の寵を受けるかもしれない、千里様の国より来られた妾殿を迎えに来た」
「ふぁー!?」

 どうやら私が夢中になって揉んでいたのは彼女の乳だった。
 性的な経験のない私にとってはあまりにも刺激が強くて、毛布で体を隠すと、その女性は裸のまま堂々と寝台から降りて、服を着る。
 服に入っている月の紋章から、月の帝国の騎士だと分かる。

「佐野伝達殿だな? 私はシャムス。これから佐野伝達殿を後宮までお連れする。身支度は一人でできるか? 誰かひとを呼ぼうか?」

 裸の背中を見て、鍛え上げられた体に私は見惚れてしまっていた。
 この世界では男女の体格差はほぼない。むしろ男性の方が華奢で小柄であったりする。

「シャムス様、一人で身支度はできます故、外してくださりませんか?」

 さすがに裸を見られるのは恥ずかしいと申し出ればシャムス様は「心得た。男性に対して失礼であったな」と頷いて部屋の外に出てくれた。
 廊下でシャムス様が待っていてくれる気配を感じながら、私は乾かされた着物を着て、袴も身に着ける。
 後宮に入るときには、月の帝国の服に着替えさせられるのだろうが、行くまでは日の国の正装でなければならない。

「シャムス様、用意ができました」
「佐野伝達殿、この国では男性は髪を晒してはならぬのだ。これを使うといい」

 豪奢な金色の髪とよく日に焼けた褐色の肌のシャムス様には、黒髪に黒い目だがなまっちろい肌の私など、なよなよしく見えるのだろう。

 いや、逆だ。
 なよなよしいのがこの世界では男性のよさなのだ。

 前世を思い出して私は価値観の違いに戸惑っていた。
 シャムス様から布を受け取って、ぎこちなく頭に巻くと、シャムス様が手を伸ばしてくれる。たこのある鍛え上げられた手だ。
 その手でシャムス様は私の髪に巻く布を正してくれた。

「これでよいだろう。それでは、行こう」

 こうして、シャムス様に連れられて、十数日の陸路の旅ののち、私は後宮入りした。
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