世界最強の魔術師の恋 ~最強のはずなのに弟子が怖いんですけど~

秋月真鳥

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 イオがカマルを連れ帰ってからセイジがずっと気になっていたのは、カマル自身の優しさと気高さと美しさでもあったが、豊かな胸の間に下がるアメジストのペンデュラムだった。カマルからは魔力は感じられないが、アメジストのペンデュラムからはとても強い力を感じるのだ。
 朝食は厚切りのベーコンでベーコンエッグと、取っておきのナッツがたくさん入ったパンをフライパンで外側がカリッとなるまでバターで焼いたものと、白菜のミルクスープとミルクティー。出来立てをはふはふと食べるカマルと、綺麗な動作なのになくなるスピードが明らかにおかしいイオと、カマルに合わせて量は違うがゆっくり食べるセイジで食べ終わってから、少し冷めたミルクティーを飲みながら話してみた。

「カマルさんの胸に下げてるアメジスト、特別なものなのかな?」
「それなのです! 神聖な力を感じたので、イオはカマルさんが聖女だと確信したのです!」

 胸を張ってイオが言っているが、相変わらずカマルの言葉を聞く気はないようだ。言うだけ言って「お昼ご飯のおかずをとってくるのです! カマルさん、期待していてくださいね!」と靴を履いてさっさと出かけてしまった。
 清潔に部屋で過ごせるように、この小屋は土足厳禁で入口で靴を脱ぐようにイオにもセイジは教え込んでいた。

「これは、亡き母の形見です。これに興味がありますか? 私が持っているものはこれくらいしかありませんから、差し上げますよ」

 長い艶やかな髪を掻き上げてネックレスを外そうとするカマルを止めようとして、ちらりと見えたうなじにセイジは胸の高鳴りを覚える。女遊びをしてきたし、女性に慣れていないわけではないのだが、カマルはなぜかセイジの心をざわつかせた。

「大事なものなんだろう、カマルさんが持っているといい。カマルさんの着てたドレスを売った金で衣服代以上にはなったからな」
「金……?」
「そう、こういう金貨や銀貨や銅貨なんだが」

 懐から財布を出してセイジが見せてみると、カマルは興味深そうに丸い硬貨を見つめていた。三十年間世間と隔絶されていたカマルにとっては、全く手にしたことも見たこともなかったものだろう。

「これを街で品物と変えるんだ。物々交換だと困るからな」
「宝石なら、見たことがあります」
「宝石?」
「魔王が私のペンデュラムを取り上げて、こんなみすぼらしいものは外して、美しい宝石を付けるといいと言って……」

 母親の形見であるアメジストのペンデュラムのネックレスはカマルにとってとても大事なものだった。魔王にどんな豪華なネックレスやイヤリングやブレスレットを与えられたとしても、カマルにとってアメジストのペンデュラムの代わりになるはずがない。

「必死に取り縋って、返してもらいました」

 生まれてすぐに死んだので覚えているはずがないが、カマルの母親は聖なる水源を探し当てる聖女だったらしい。噂だけはセイジも聞いていた。
 たくさんの冒険者や騎士が聖女を助けに向かったが、全員が惨たらしい姿で見つかったという。聖女を取り返しに来るものは、首と四肢を切り落とされて、魔王城の柵に突き刺され、カラスの餌にされるのだ。
 そんなことが続いていたので、前魔王は退治されたが、聖女は戻って来ることなく、次の魔王がすぐに立った。

「聖女様の形見か。そんな大事なものを俺に渡そうとしてよかったのか?」
「イオ様とセイジ様には恩があります。私が持っているものはこれだけですから」

 魔王には渡さなかった母親の形見のアメジストのペンデュラムのネックレスを、カマルはセイジに渡そうとした。それだけでもカマルの心の美しさが分かるようで、セイジは密やかに感動していた。

「見せてもらってもいいか?」
「はい、どうぞ」

 首から外したアメジストのペンデュラムをカマルがセイジに預ける。手に取らせてもらえるだけで、どれだけカマルがセイジを信頼しているかが分かるようで、セイジはそれだけで心が満たされるのが分かる。
 手にしたアメジストのペンデュラムには強い神聖な力が宿っていた。

「すごいな……」
「私も、使えます」
「え? カマルさん、これを使えるのか?」
「はい」

 頷いたカマルは、魔王がカマルにアメジストのペンデュラムを使わせて、聖なる水源を探し当てたところで、それを枯渇させてしまおうと企んでいたことを話す。カマルはそれに加担することを拒み、魔王の怒りをかって数日閉じ込められた。

「最悪の環境だったのに、カマルさんは本当に心が美しくて……」

 姿も心も美しい。
 カマルは美しい。
 そんな言葉がセイジの口をついて出ようとしたとき。

「師匠、イノシシを倒しましたよ! 今日はボタン鍋です!」

 血泡を吹いたイノシシを高く掲げたイオが勢いよく玄関のドアを開けたのだった。


 イノシシを一匹狩って来られても、正直セイジは困る。
 解体するのに時間がかかるし、肉は取れすぎてしまうし、毛皮は処理できないので街で売ってくるしかない。
 血抜きをされたイノシシを解体していくのは簡単ではない。革を剥ぎ、内臓の処理をして、骨は外して煮込みに使う。臭みが強いので香辛料も大量に使う。
 仕留めた獲物は血抜きまではしておくようにイオに教育していたが、それ以上のことを面倒くさがってイオはしたがらない。まだ12歳の少年なので仕方がないのだが、ナイフを持って解体していく作業にセイジは腕で額の汗を拭った。
 イノシシの肉はキッチンペーパーで包み、血抜きをしながら氷室で二、三日熟成させた方が美味しくなる。食い気しかないイオは今日食べる気でいるが、その辺もきっちりと教えたはずなのに、やはり聞いていない。
 魔術で氷室にしている野外の倉庫に肉を小分けにして入れてから、解体の様子を見ていたカマルを促して小屋に戻る。

「私、世間知らずで、何もお手伝いできなくてすみません」
「これから覚えればいいし、肉はできれば肉屋で仕入れたいし」

 こんな作業覚えなくていいとカマルには言うのだが、初めて生き物の解体を見たカマルは意欲的だった。

「私も命をいただいているのだということがよく分かりました。次回はちゃんと覚えるので教えてください」
「次回なぁ……」

 今回はイノシシだったから良かったものの、イオはそれ以上の獲物を捕まえて来ることが多々ある。ブラックベアやコカトリスやワイバーンを捕まえて来たときには、とてもカマルでは処理できないだろう。こういう仕事はセイジに任せていいのだということも、カマルには教えなければいけない。

「働いてきたらお腹が空きました」
「何か作りましょうか」
「魔王に作っていたものを作ってください」

 すっかりとカマルのお菓子を気に入ったイオは、解体の間は何も知らないと小屋の中に入ってしまって、作業を見ることもなかった。カマルがキッチンに立って小麦粉と卵と砂糖とバターで生地を作って、オーブンで焼き上げる。
 部屋中にバターの香りが充満して、イオだけでなく重労働を強いられたセイジもお腹が空いてきたことに気付いた。
 焼き上がったのはパウンドケーキで、それにセイジがミルクティーを淹れる。まだ冷めきっていないパウンドケーキを切ってもらって食べるイオの表情は明るく輝いている。
 六歳のときからイオを見ているが、セイジはイオを年相応の子どもと思ったことがなかった。お菓子を上げようという考え自体がセイジにはなかったのだ。

「イオはカマルさんが大好きです。ずっと一緒に暮らして欲しいです」

 ずっと一緒に。
 無邪気なイオの言葉にセイジは気付く。
 魔王がいる限りカマルは他の場所では平穏に暮らせない。魔王を打ち倒すまではカマルはセイジとイオと一緒に暮らさなければいけない。
 その後はどうなるのだろう。
 イオがもう一度魔王退治に出かけるとなれば、もうイオは魔王を仕留め損ねたりしない。次こそはしっかりと止めを刺して来るだろう。魔王城も崩壊させて、魔族自体をバラバラにさせるかもしれない。
 溢れ出た魔族が人々に迷惑をかけるようになったら、カマルは半分が魔族なので身の置き場がないかもしれないが、それでもこの小屋を出てセイジとイオの元を離れる可能性がある。
 無邪気なイオの願いに困ったように笑って答えを出さないカマルに、セイジはまだかける言葉が見付かっていなかった。
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