潔癖王子の唯一無二

秋月真鳥

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不憫大臣編

手の中の雛

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 初めて見たときに、弱っていてすぐに死んでしまいそうだと思った。
 オメガのフェロモンに当てられて吐くなど、アルファとしては弱い部類に入るのだろう。代々大臣に任命される大貴族の子息で、こんなに弱々しくて、貴族社会の中で生き延びられるのか心配になった。
 マティアスはヴァルネリにとって、幼い頃に拾って育てた小鳥の雛のような存在だった。
 ヴァルネリには自分が他人と触れ合うことが苦手で、不潔なものに触ることに普通のひと以上に抵抗があることには気付いていた。他人が触ったものはできれば口にしたくないし、素肌で他人に触れたくない。
 そんなヴァルネリを心配した両親が、幼い頃に世話をさせたのが、小鳥の雛だった。季節でこの国を訪れる鳥が、巣から雛を落としていたので、それをさし餌をして、糞も片付けて、飛べるようになるまで育てたのだ。飛べるようになるとその鳥は群と共に飛び去っていったが、ヴァルネリにとってその鳥が特別な存在になったのには変わりなかった。
 時間を超えて、種族を変えて、あの鳥が帰ってきたような気分で、ヴァルネリはマティアスに触れるのは不思議と平気だった。
 他人に触れられるのは抵抗があるし、他人の作ったものをあまり口にしたくない。そのことを告げれば相手を傷付けてしまうのは理解できたから、ヴァルネリは自分のことは出来る限り自分でできるようになった。難解な衣装も全て自分で脱ぎ着できるし、髪も自分で纏められる。厨房にお邪魔して自分の分の料理を作り始めたのは12歳のときからで、潔癖気味のヴァルネリを知っていた両親は、社会勉強になるからという理由で、それを不問にした。
 亡くなった前国王の妹の子どもとして、王子や王女とは従兄として友好があったが、自分より一回り小柄だが、オメガにしては筋骨隆々とした王子は、顔立ちだけでなく性質も似ているようで、ヴァルネリよりも酷い潔癖症と聞いたときには同情もした。
 ヴァルネリには触れられる相手がいる。
 夜会のたびにマティアスは周囲を警戒して緊張していたが、ヴァルネリを見つけるとパッと明るい笑顔になる。明るい茶色の髪と目の愛嬌のある可愛い顔立ちのマティアス。周囲の女性が秋波を送っているのも気付かずに、真っすぐにヴァルネリの元へやってくるのが可愛い。

「ヴァルネリさん、この前はありがとうございました」
「困ったときはお互い様だよ」
「あんなにスマートにカッコよく助けてもらって……ヴァルネリさん、素敵です」

 惚れられているというのも分かっていたし、ヴァルネリの方もマティアスに好意を持っていた。抵抗なく触れられる、吐いたものまで処理できる彼は、ヴァルネリの運命かもしれない。
 18歳の誕生日を迎えるとすぐにプロポーズしにきてくれたのも嬉しかった。

「俺と結婚してください! あなたの全てが好きです!」
「財産目当てでプロポーズされたことはあるけど、本気は初めて。僕で良ければ喜んで」

 差し出された花束は真っ赤な薔薇で、情熱的なそれを受け取って返事をすると、泣きながら抱き付かれた。抱き上げると背丈の割りに彼が軽いことが分かる。小鳥のようだとまた思ってしまう。

「マティアスくんはオメガのフェロモンが苦手だって言うけど、僕もフェロモン出るよ?」
「ヴァルネリさんはいつもいい香りするし、きっと平気」

 幸せな未来を予想していたら、それは裏切られてしまった。
 この国では国王は結婚していなければいけないという決まりがあって、亡き国王の後で、王子が結婚するまで妃が女王として立ち、王子の成人を待って結婚を促していたのだが、マティアスはその結婚担当の大臣に選ばれてしまったのだ。
 従弟の王子の性格を知っているだけに、ヴァルネリはこれから先のマティアスの苦労が見えてしまった。結婚担当の大臣でアルファなのだから、当然、マティアスも王子の相手候補に入っている。オメガの王子は高圧的で、マティアスがやっていけるとは思えなかった。
 貴族社会で生きていけるとも思えないほど弱いアルファなのに、ヴァルネリに求婚するためだけに努力して釣り合うように頑張ってきた姿は尊敬に値するし、素直にかっこいいと思う。けれど、従弟のせいで結婚できないのも困る。
 国王が結婚していなければいけないのならば、先に結婚して仕舞えば、ヴァルネリが国王として担ぎ出されることがないわけではない。そういう求婚をヴァルネリは今までに断ってきた経験があった。
 マティアスが壊れない程度に支えつつ、王子を結婚させなければ、マティアスとヴァルネリの結婚は平和には成立しないだろう。
 いつまでも待つと告げたヴァルネリにも打算はあった。

「あまり僕の可愛い婚約者を虐めないでくれるかな?」
「ヴァルネリ、あんなひ弱なのが好きなのか?」
「彼は僕の運命なの。あまり虐めると、僕もものすごく嫌だけど、ハグするよ?」

 他人に触れられるのを嫌がって手袋が外せない王子にとっては、ハグなどされたらシャワーに駆け込みかねない事案だった。王子ほど酷くはないが潔癖気味だからこそ、王子の嫌がることは一番よく分かる。

「ぜ、善処する……」

 善処しても、マティアスは日に日に窶れていくようで、いざとなったら連れて逃げることも考えていたが、毎晩夕食を届けると嬉しそうに食べるのが、雛にさし餌をしていたときのようで、可愛くてたまらない。

「もうちょっと、頑張ってみます」

 誰にも後ろ指刺されずにヴァルネリと結婚するために、マティアスは頑張っている。それならばヴァルネリも頑張らなければいけない。
 結婚した後に連れて行く領地を手配して、王宮での経理の仕事をしつつ、マティアスが困ったときにはいつでも駆け付けられるようにしておく。
 六年経って、王子の誕生日のガーデンパーティーに、ヴァルネリも参加させられていた。途中から雨が降って、王子が行方不明になって戻ってきた後で、伴侶を見つけたと宣言したらしい。
 慌ただしく動き出すマティアスに、事態が良い方向に転ぶことを願ってはいたのだが、伴侶を得た王子は王位継承権を放棄して、次の王女に王位継承権が移り、その結婚相手を探せと言われて、マティアスは耐え切れず、庭に逃げ出してしまった。
 追い掛けて近寄ると、茂みにしゃがみ込んで真っ青な顔で泣いている。
 抱き上げると、驚いた顔でヴァルネリを見た。
 この雛を自分のものにしてしまおう。
 育てた小鳥の雛は自然に返さなければいけなかったけれど、今度はもうどこにも行かせない。この腕の中に閉じ込めてしまおう。
 大事に大事に守って、真綿で包むようにして、甘い幸福な夢の中に連れて行こう。
 ヴァルネリの心はもう決まっていた。

「女王陛下の御前から逃げ出したんだって? 大丈夫なの?」
「大丈夫じゃない! もう、全然、大丈夫じゃない! もう嫌だ! なんで、俺ばっかり、ヴァルネリさんと結婚もできずに……」
「約束、覚えてる?」
「や、くそく?」

 涙と洟でぐしゃぐしゃのマティアスの耳元に口を寄せて、甘く囁くと、びくりとマティアスの体が震えた。

「どうしても嫌になったら」
「ヴァルネリさんが嫌になったんじゃない! 別れないでください」
「そっちじゃなくて」
「そっちじゃない?」

 一緒に逃げ出そうと約束したことを思い出させようとしたのに、逆効果で更に泣かせてしまった。もう泣かなくていいとハンカチでマティアスの顔を拭く。

「僕、王子様ほどじゃないけど、若干潔癖気味で、他人に触るのに抵抗があったんだ」
「ヴァルネリさんが?」
「だから、王子様の気持ちは分かるっていうか、ちょっと同情していて、決心するのが遅くなっちゃったんだけど」
「別れないで!」
「別れないよ。二人でここから逃げて、結婚しよう」
「ふぁ!?」

 マティアスを抱き上げたままで、ヴァルネリは女王と王女の御前に戻ってきた。国の重鎮の中でもヴァルネリは自分が経理担当として高い地位にあると自覚している。血統的にも王家の血を引く、王位継承権に近い身だ。

「僕が王位継承者として担ぎ出されるのはご遠慮願いたかったので、王子様の結婚までは待っていましたが、叔母様、王女殿下、いい加減に僕の恋人を僕に返してください」
「ヴァルネリ、もしかして、大臣と?」
「彼は僕が分け与えられる領地に連れて帰って、結婚式を挙げます。王子様の世話で、彼の身体はぼろぼろです。静かな療養地で二人で過ごします」

 文句は言わせないと圧力をかけると、女王も王女も白旗を上げた。
 腕の中の雛を可愛がるように、この運命を一生放す気はない。
 ヴァルネリは運命を手に入れた。
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