千早さんと滝川さん

秋月真鳥

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本編

5.滝川さんのステップアップ

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 滝川さんの鶏さんが光って飛んだ。

「鶏は飛ばないものですよね」
『それじゃ、鶏じゃないのかなぁ』
「鶏冠も垂れ下がったアレもあるんですよ。あぁ、物書きなのに名称が浮かばない!」
肉髯にくぜん?』
「そう、それ!」
『やっぱり鶏なのかなぁ』
「光って飛んでますけど……」

 喜びの舞いでも待っているのか、滝川さんの部屋中を飛んでいる雰囲気の鶏さんは、時々タブレット端末の画面に映る。
 鶏は飛ばないものである。光ったりもしない。

 何かがおかしいと考えていると、滝川さんが口を開いた。

『千早さんだけに言いますね。絶対に他言しないでくださいね』
「は、はい」

 僅かに喜色を浮かべた滝川さんの表情に私は姿勢を正す。
 正式にはまだ発表してはいけないのだけれどと言いながらも、滝川さんは重大なことを私に話してくれた。

『公募に出してた、ミステリー小説、受賞したんですよ!』
「え!? 本当ですか!?」
『まだ出版社からメールが来た段階で、誰にも話しちゃいけないんだけど、千早さんは口が硬いし、同士だから』
「おめでとうございます!」

 鶏さんの歓喜の舞いの理由が分かった。
 これは滝川さんのランクアップを示していたのだ。

「ちょっと離席します。滝川さんに貰ったハーブティー淹れてきます。乾杯しないと!」
『私も千早さんにもらった紅茶、淹れてきます』

 ハーブティーは煎茶ベースのもののようで、普段淹れている紅茶とは全く違った。
 説明のメモには八十度くらいで淹れるように書いてある。

 紅茶用に沸騰させたお湯を一度他の器に移して冷まして、茶葉を入れてハーブティーを淹れる。カモミールの香りがしてきた。

「カモミールって安眠させるやつじゃなかったっけ。滝川さん、私が不眠症気味だっていうの、覚えててくれたんだ」

 ほっこりと胸が暖かくなる。
 滝川さんはやはり私にとってはとても大事な親友だ。

 保温保冷のタンブラーにハーブティーを注いでタブレット端末の前に戻ると、鶏さんの胸を張った鳩胸がどんっと映っていた。鶏なのに鳩とはおかしいが、そうとしか言いようがないのだ。

 椅子に座って鶏さんの鳩胸を見ていると、滝川さんも戻ってきたようだ。

『この紅茶、お砂糖を入れなくても甘い香りがしますね』
「そうなんですよ。私はお砂糖なしでミルクだけで紅茶を飲むから」
『千早さんのハーブティーはどうでしたか?』
「すごくリラックスする香りです」

 アルコールを飲まない私と滝川さんはハーブティーと紅茶で乾杯をした。
 滝川さんがミステリー作家になるなんて信じられないけれど、ものすごくおめでたい。

「バレンタインチョコレートがお祝いになりましたね」
『素敵なお祝いです。ありがとうございます』
「私もありがとうございます」

 お互いに言い合ってから、私はバレンタインデーについて考えていた。
 私にとってバレンタインデーは興味のないイベントだった。クリスマスは家族と祝うことができるが、バレンタインデーは好きな相手にチョコレートを渡して告白したり、日ごろの感謝を述べたりするイベントである。

 私は、誰かに恋をしたことがない。
 恋愛というものが、私には縁遠いものだった。

 それは私がモテなかったからとか、そういう理由ではなくて、私が恋愛感情というものを持っていなかったからなのだ。

 アセクシャル、もしくは、エイセクシャル。
 私はそう呼ばれるタイプの人間だった。

 他人に恋愛感情を持つこともなければ、性的な欲望も持つことはない。

 恋愛物語を楽しめないわけではないし、恋愛小説も書くのだが、私自身としては、恋愛というのは絵空事だけで十分で現実に存在しなくていいものだったのだ。

 一年くらい前だろうか、滝川さんが私に告白した。

『私、アセクシャルのアロマンティックなんですよ。知ってるかどうか分からないけど』

 アロマンティックとは、誰にも恋愛感情を持たないし、性的な欲望も持つことのないタイプのひとを示す。

「私もです」
『え!? 千早さんも!?』

 その頃ネット上で他のひとに執着されて、告白のような作品を書かれて疲弊していた私は、滝川さんに相談していた。
 滝川さんは私を安心させるために、自分は恋愛感情のない人間だと教えてくれた。

 滝川さんも私と同じだった。

 ずっと友達の恋愛話を聞かされても、全然共感できないし、困るだけだった私にとって、滝川さんの告白はとても大きなものだった。
 今後何があろうとも滝川さんは私に異常な執着を見せて来ることはないし、恋愛話を聞かされることもない。

 恋愛話を聞かされるのは構わないのだが、私は恋愛感情がないのでアドバイスができなくて申し訳なくなってしまう。
 そんな思いもしなくていいのだ。

「滝川さん……こんなところでも握手できたなんて」
『私も驚いています』

 私と滝川さんは、あの日、同士になった。
 恋愛をしなければいけないという世間の風潮から、私たち二人の間だけでは解放されたのだ。

「滝川さん、このチョコレート、宝石みたいにきらきらしてるんですけど!?」
『そういうの、お好きでしょう? 千早さん、お茶が好きだから、お茶のジュレが入っているチョコレートにしたんですよ』

 チョコレートの箱を開けた私は、四角いチョコレートの中にきらきらと光るジュレが入っているのに目を輝かせていた。説明の紙を開くと、紅茶や煎茶、緑茶のジュレが入っていることが分かる。

「こんな綺麗なの食べられないじゃないですかー!」
『食べてくださいよ、賞味期限があるんだから』
「滝川さんはそういうところドライなんだからー!」

 携帯電話を取り出して写真で保存して、私は抹茶のジュレの入っているチョコレートを手に取った。
 カモミールの香りの煎茶を一口飲んで口を漱いでから、チョコレートを齧る。ジュレが柔らかく歯で噛み千切れるのと、外側のチョコレートがパリッと割れる感触の違いが面白い。

 もぐもぐと咀嚼すればチョコレートと抹茶の味が混ざってとても美味しかった。

「滝川さん、ものすごく美味しいです」
『千早さんのルビーチョコも美味しいです』

 パレットのように板状のチョコレートの上にナッツを乗せたルビーチョコを、滝川さんは割って食べている。

「滝川さん、ミックスナッツお好きって聞いたから、ナッツが乗ってるのを選んだんです」
『ナッツと甘酸っぱいチョコレートのハーモニー。いくらでも食べられちゃう』

 お互いに好みを知っているから、バレンタインチョコレート交換会は大成功に終わった。
 食べ終わって手を洗うと、私はタロットカードを混ぜ始める。

 タロットカードにはスプレッドという並べ方があって、その並びで占いをするのだとタロットカードの本に書いてあった。

「このタロットカード、オラクルカードも入ってるって書いてあったんですけど、オラクルカードって何か分かります?」
『よく分からないけど、検索してみるわ』

 こういうとき、滝川さんはとても頼りになる。
 検索した結果を滝川さんはアプリのチャットに送ってくれた。

 オラクルカードのオラクルとは信託のことのようだ。
 タロットカードとは違って、付属している小冊子についている意味がカードごとにあるようだった。

「小冊子……」

 読めないからと外しておいた小冊子を手に取ると、そこにはびっしりと英語が書かれている。語学が堪能なわけではない私は、その意味をすぐには読むことができない。

「とにかく、タロットカードとは違う意味も持つ特別なカードなんですね」
『英語で読めないから、心に直接語り掛けて来るのでは?』
「そうかもしれません」

 私は話しながらタロットカードを混ぜていた。
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