死に戻ったわたくしは、あのひとからお義兄様を奪ってみせます!

秋月真鳥

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本編

1.お義兄様の死

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 お義兄様が殺された。
 お義兄様は急に、血を吐いて倒れ、酷い吐血と下血の後に命を失った。
 目の前が真っ暗になるような絶望にわたくしは襲われていた。
 健康で頑強なお義兄様が急にこんなことになるなんて、毒でも盛られたかとしか思えなかった。

 始まりは一か月前のお義兄様の学園の卒業パーティー。わたくしたち貴族は十二歳から全寮制の学園に入学して、十八歳までの六年間を過ごす。十八歳になったお義兄様は背も高く、成績も学年首席で剣術の授業でも一位を保っていた。
 完璧で美しく長身で格好いいお義兄様を、義妹のわたくしは誇りに思っていた。
 そんなお義兄様に対して、婚約者のクラリス嬢はずっと打ち解けることはなかった。お義兄様は婚約者なので学園を卒業したら当然結婚するものだと思っていたのに、クラリス嬢は他の相手に心移りしていたのだ。

 そのことには聡いお義兄様は気付いていた。
 気付いていて、何度もクラリス嬢に公爵家同士の結婚は国の一大事業だから、改めるようにと注意を促していたのをわたくしは知っている。十二歳からクラリス嬢はお相手に出会って、その方に心奪われて行っていたという。
 特にお義兄様とクラリス嬢が学園の六年生になったときにわたくしも学園に入学していたし、クラリス嬢が成績優秀者である平民のジャンという青年と心を通わしているという噂も聞いていた。
 そんなだからお義兄様がクラリス嬢を愛せるはずがない。それでも、公爵家同士の婚約というものが貴族社会においてどれだけ大事か分かっているので、お義兄様はクラリス嬢の姿に呆れつつも、窘めてクラリス嬢が更生するように願っていたはずだ。

 卒業式のパーティーのときに、わたくしも出席していたのだが、お義兄様はクラリス嬢をダンスに誘ったのに、断られた。それだけではなくて、クラリス嬢は泣きながらお義兄様に言ったのだ。

「真実の愛を見つけたのです。それはマクシミリアン様、あなたではなかった。どうか、わたくしとは婚約破棄をしてください。わたくしは愛のない結婚には耐えられません」
「それで、あなたはあの男と結婚するつもりなのですか? そんなことが許されるとでも?」
「わたくしとジャン様は愛し合っているのです。ジャン様は平民かもしれませんが、わたくしのことを優しく大事にしてくださいます。あなたとは親の決めた婚約者。愛など最初からなかったのです」

 ダンスを断っただけでなくお義兄様に婚約破棄を言い渡したクラリス嬢に、お義兄様は無表情のままだった。その表情がどこか冷たく感じるのはわたくしだけではないはずだ。
 冷たくても仕方がない。お義兄様は六年間婚約者に裏切られ続けて、心を凍り付かせてきたのだ。

「公爵家同士の婚約というものを軽く見られたものだ。貴族社会で生きるということがあなたには理解できなかったようです。アルシェ公爵家令嬢、あなたがそのつもりなら、真実の愛というものがどのようなものかこれからしっかりと示すことですね」

 そう言って踵を返したお義兄様はもうクラリス嬢のことは見ていなかった。

 それから我が家、バルテルミー公爵家の後継者であるお義兄様は全ての権力を使ってクラリス嬢とジャンを社交界から追放した。クラリス嬢は両親からも見捨てられてジャンと駆け落ちしたらしい。
 クラリス嬢のその後は知れないが、お義兄様はバルテルミー家の威厳を保つためにしっかりと後処理をした。

 それがこの一か月のできごと。
 全てが終わったころに、お義兄様は急に倒れて、酷い吐血と下血の後に亡くなってしまった。
 クラリス嬢のお兄様がわたくしのお義兄様を憎んで、毒を盛ったのだという噂が流れたが、アルシェ公爵家は沈黙を貫いていた。

 お義兄様の亡骸は棺に納められて、葬儀が行われることになった。

「お義兄様、どうして死んでしまったの……。誰がこんなことを……」

 泣き崩れるわたくしの肩をお義母様が抱き締めてくれるが、わたくしの心は千々に乱れていた。
 冷静で表情もあまり動かなくて体も非常に大きくて、怖いと誤解されがちだったが、お義兄様はとても優しい方だった。
 生まれてすぐに両親を事故で失い、バルテルミー家に引き取られてきた義妹のわたくしにもとてもよくしてくれて、クラリス嬢のこともお義兄様なりに気にかけていた。
 それなのに、お義兄様は殺されてしまった。

「お義兄様! お義兄様を殺したアルシェ家を絶対に許さない!」
「アデライド!?」
「アルシェ家の人間はお義兄様を殺したことを地獄の底で後悔させてやるわ! いざ、皆殺し!」

 勇んで駆け出したわたくしを追って来るものはおらず、わたくしはお義母様と共にいた部屋から駆け出し廊下を走る。すぐにでもアルシェ家の関与を突き止めて、断罪したい思いでいっぱいだった。
 階段を駆け下りようとしたとき、わたくしは浮遊感に包まれる。

 あ、足踏み外した。

 体勢を立て直さなくてはと思ったときにはもう遅かった。
 わたくしは階段の一番上から転げ落ちていた。

――アデライド、わたしの可愛いアデリー。こんな可愛い子はどこにもいないよ。

 小さいころ、わたくしが自分がもらわれてきた子だと知ってショックを受けたときに、お義兄様はわたくしを膝の上に抱き上げてわたくしに囁いた。

――お母様はわたしを産んでから、もう子どもを産むのは諦めるように言われていたんだよ。お母様はとてもつらそうだった。そんなときに小さなアデリー、君がこの家に来てくれたんだ。
――わたくしは、すてられたこじゃなかったの?
――違うよ。わたしたち一家が待ち望んだ、大事な大事な子どもだったんだよ。

 表情は見慣れているわたくしでないと微笑んでいると分かりにくかったが、それでもお義兄様の声はとても優しくわたくしに響いた。わたくしはお義兄様の膝に抱かれてぽろぽろと涙を流していた。

――アデリー……アデライド……。

 誰かがわたくしの名前を呼んでいる。
 目を開けてみると、わたくしはどこも体は痛くなかった。階段から落ちたのだからどこか怪我をしていると思っていたのに。
 わたくしを覗き込んでいるのはお義兄様の美しい翡翠色の目。でも、このお義兄様、なんだかちょっとおかしい。

「お義兄様?」
「アデライド、目を覚ました? 泣いて眠ってしまって可哀そうに思って、そばを離れられなかったよ」

 お義兄様が小さい。
 とはいえ成人女性以上の身長はあるのだが、お義兄様は小さなころから成長が早くて、背がとても高かった。このころは十歳くらいだろうか。

「あの、わたくし……何が起きたのか……」
「屋敷のメイドがアデライドのことを酷く言ったのを覚えていない?」
「わたくしのことを……?」

 それはわたくしが五歳のころのことではなかっただろうか。
 メイドを驚かそうと空き部屋に隠れていたら、部屋の掃除に来たメイドが、噂話に興じていた。

「お嬢様は公爵令嬢のおつもりだけど、どこからもらわれてきたか分からない捨てられた子なのでは?」
「旦那様も奥様も坊ちゃまも本当の子どものように接しているけれど、出自の分からないもらわれっ子ですものね」

 その言葉でわたくしは五歳のときに自分がバルテルミー家の本当の子どもではなかったことを知った。ショックのあまりその場から動けずに、メイドがいなくなるまでじっとしていたわたくしは、他のメイドやお義兄様に探されていた。
 探し出してくれたお義兄様にわたくしは泣きながら問いかけた。

「わたくしはおにいさまのほんとうのいもうとじゃないの? すてられた、もらわれっこなの?」

 それに対してお義兄様は優しく教えてくれたのだった。

 ということは、今のわたくしは五歳でお義兄様は十歳だということ!?
 お義兄様は殺されていないし、クラリス嬢はジャンとまだ出会っていないということ!?

 神様ありがとう! お義兄様は生きている! わたくし、お義兄様を幸せにします!

 脳内でお義兄様と抱き締め合ってぐるぐると回りつつ、神に祈って、わたくしは冷静に経験した過去を振り返る。

 クラリス嬢がお義兄様を婚約破棄しなければお義兄様が殺されるようなことはなかったのだから、婚約破棄が起きないようにすればいいということなのかしら。
 でも、よく考えてみて、アデライド。クラリス嬢はお義兄様を見捨ててジャンに心移りしたような女性よ。お義兄様と結婚しても絶対にいつか浮気するに決まっている。そんなのお義兄様は幸せじゃない。

 お義兄様を幸せにするためには。
 わたくしがお義兄様と結婚すればいいんじゃない?
 そのためにわたくしが過去に戻れたというのならば、この上ない幸運だ。
 こうなる前からわたくしはお義兄様が大好きだったけれど、婚約者がいたので諦めていた。それが全部やり直せるのだ、ラッキーとしか言いようがない。

「アデライド、ショックのあまり混乱しているのかな」
「お義兄様、わたくし、お義兄様が慰めてくださったからもう元気です。ご心配をおかけしました」
「アデリー、喋り方が急に大人びた気がするけど」

 そうだった。
 わたくしは十三歳のアデライド・バルテルミーのつもりでいるけれど、今は五歳なのだ。敬語など使わずにもっと無邪気にお義兄様に話しかけなければいけない。

「お義兄様、泣いたから顔もぐちゃぐちゃだし、髪も服も整えたいの。メイドを呼んでもいいかしら?」
「それならわたしは部屋の外で待っているよ。安心して、アデリー、君に妙なことを言ったメイドはお父様とお母様に報告して、きちんと処分してもらうからね」
「はい、お義兄様」

 お義兄様が部屋から出て行ってから、わたくしはメイドと一緒に洗面所に向かう。鏡の中に写るわたくしはふわふわの金色の髪に大きな琥珀色の目の五歳の少女だった。手も小さくて、背も低くて、洗面所を使うために踏み台が準備されている。
 顔を洗って、水滴を拭くと、メイドがわたくしの髪をブラシで梳いてくれる。ふわふわの髪をハーフアップに結い直して、涙と洟で汚れた服も着替えて廊下に出ると、お義兄様は扉のすぐ外で待っていてくれた。

「もうすぐ夕食の時間だよ。一緒に食堂に行こう」

 手を差し出してくれるお義兄様に、わたくしは小さな手を伸ばして大きな手を握った。
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