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番外編 『クリスティアンと女史』

2.相棒の名はジェーン

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 倒れた身なりのいい女性のそばに、金になるものが落ちていたら拾いそうな連中は、この界隈には大勢いる。クリスティアンが雇っている子どもたち含めて。
 ここに診療所を構えている医者の彼女も、それくらいのことは察しているのだろうが、座り込んで泣き出してしまった若い貴族の女性にかける言葉がないようだ。

「売られた娘さんを助け出した後で、君はどうする?」
「どうするって……なにを?」
「子どもを売るような家だよ、戻ってきてもまた売らないとは限らないだろう」
「そ、それは、そうだけど……今回のことは、乳母が再婚した相手が、勝手にしたのよ。乳母はその男とは別れると言ってるわ!」
「別れて、乳母は一人で娘さんを育てて生きていけるのかなぁ? 結局は、娘さんは身体を売る職業についてしまうかもしれないよね」

 なんてことを言うのだと言葉も出ない若い貴族の女性に、医者が溜息を吐いてその肩を抱く。

「この彼は厳しいことを言っているようだけど、現実とはその通りだよ。最終的に、その日食べていくお金が無くなって、自らここに来る子たちを、私は何人も見てきた」
「でも……大事な妹のような子なの……」
「泣いて何もかもが解決するなら、世の中こんなに荒れなかったんだけど……まぁ、国が荒れてるのを嘆いてる知り合いもいるし、ちょっとだけ、助言をしてあげようかな」

 くるりとクリスティアンが向き直ったのは、医者の女性の方で、彼女は琥珀に似た薄い色の目でクリスティアンを見つめ返す。その真っすぐな視線に、クリスティアンは笑顔になった。

「僕は知らないことが多い。世間知らずで無知だ。僕はあなたに色々と教えて欲しいことがあるけれど、教えていたら、きっとあなたは診療所を切り盛りできなくなる」
「そうなるでしょうね」
「そんなときに、手伝ってくれる働き者の子が一人いたら、凄く楽なんじゃないかな。それに、あなたも女性で、月のものが来ることがあるんでしょう? そういう日は休みたいかもしれない。休むためには、人手がいる」
「……もしかして、うちの乳母の娘を?」
「もう一人ひとを雇うお金なんてないよ。薬代に検査費に治療費、誰でも潤沢に払えるわけじゃないんだから」

 希望が見えて表情を明るくした貴族の女性に、医者の女性が現実を突きつけて来る。もう一押しだと、クリスティアンは言葉を続けた。

「授業料を僕があなたに支払う、あなたはそれでその子を養う。将来医者にして、一緒に働くのもいいんじゃないかな?」
「あなた、相当の曲者ね」

 苦笑して、参ったと両手を掲げた医者の彼女に、クリスティアンは手を差し出した。右手を差し出すのは、武器を持っていないという証明で、友好の証だ。

「僕はクリスティアン、あなたは?」
「ジェーンよ」

 握手をしてから、クリスティアンは貴族の女性に診察室で休んでいるように告げて、ジェーンと共に外に出た。わらわらと集まって来る子どもの中から、煤けた少女を見つけ出して呼び寄せた。

「あのおんなのひと、だいじょうぶだった?」
「とても苦しそうだから、助けてあげないといけない。あのひとが倒れていた場所で、なにか見なかった?」
「なにかって?」
「屈んでいるひと、驚いているひと、喜んでいるひと……」
「そういえば、こえがきこえた。『ほうせきやに、もっていこう』みたいな?」
「よし、よく覚えていたね。とてもいい子だ。これでお風呂に入って、美味しいものでも買いなさい」

 いつも渡している小銭の銅貨ではなく、ぴかぴかの銀貨を渡すと、少女が飛び上がって喜ぶ。それを見ていた子どもたちが、ざわめいた。

「あっちのほうせきやだよ!」
「ぼうしをかぶったひげのおとこだ!」
「ふくろを、すてたんだ。これ、きれいだからひろっておいた」

 次々と集まって来る情報に、ジェーンはすぐにクリスティアンが煙突掃除の少女に銀貨を分かりやすく渡した意味が理解できたようだった。他の子にも、いつもより多めに小銭を渡していく。

「倒れた女性を助ける善意の第三者がいるとすれば、倒れた女性からバッグを奪う悪意の第三者もいるってことだよ」
「女性の月のものの話なんて、普通の男のひとは聞きたがらないものだから、不思議なひとだと思ったけれど、あなた、本当に変なひとね」
「それは誉め言葉と受け取っておくよ」

 ジェーンと並んで歩きながら、子どもがごみ箱から拾ったというリボン刺繍のされた布のバッグを手に、クリスティアンは宝石店に入った。そこには、帽子をかぶって髭を生やした、薄汚れた男が、店主と何事か揉めているようだった。

「盗品かもしれないものは、売れないから、買い取れないよ」
「盗品じゃない。もらったんだ」
「それにしたって、高値は付けられない。もしも、持ち主に訴えられたら、店が潰れてしまうからね」
「そのときには、全品返さなければいけないし、売れてしまったものは全額弁償しなければいけないよねぇ。おやおや、このブローチ、社交パーティーで出会った女性が付けていたのと似ているなぁ」

 素早く割り込んで、テーブルの上に広げられていたブローチを手に取ったクリスティアンに、髭面の男が青ざめる。

「これは、俺のだ!」
「じゃあ、見てみようか。ここに、そのブローチの持ち主のお嬢さんのバッグがある。こういう高価なものには、魔術がかかっていることが多くてね、持ち主と紐づけがされているんだよ、ほら」

 摘まんだブローチから細い光の糸が出て、それがテーブルの上に置いてある宝石箱を通って、バッグまで繋がっている。バッグからも細い光の糸が出ていて、それは店の外に伸びていた。

「この光を辿ったら、どうなるだろう。その先にいる人物は、君にこれをあげたと言うだろうか?」
「うわぁぁぁ!? 警備兵だけは、呼ばないでくれ! 許してくれ! 拾ったんだ! 返すから! 頼む!」

 床の上に崩れ落ちた髭面の男と、買い取る約束をしなくて良かったと胸を撫で下ろす店主の前で、クリスティアンはさっさとテーブルの上の宝石類を全部宝石箱に収めて、バッグの中に入れてしまった。
 店を出て道を歩き出してから、ジェーンがぽつりと呟く。

「随分な役者なのね」
「あなたは魔術師だからバレバレか」

 下級貴族の出であろうあの若い女性の持ってきた宝石に、魔術のかかっているものなど一つもなかった。それを分かっていながら、クリスティアンが編んだのは、お得意の結界の魔術だった。
 細い魔術の糸を編み込んで緻密な結界を作る、その糸の一本を操作して、ブローチと宝石箱とバッグ、それに店の外まで繋がるように、それらしく見せただけなのだ。

「ここから先は、僕じゃ無理なんだけど、あなたはそれが分かってついてきてくれたんでしょう?」
「そういうのも、お見通しなのね」

 売られて来た娘が処女かどうかによって、性病の検査もしなければいけないし、処女ならば初物を喜ぶ相手に高く売れるので、最初に連れて来られる場所は診療所だろうとクリスティアンは考えていた。
 こういう仕事がなくなることがダリアやローズ、女王たちの願いなのだろうが、それでも、身体を売る職業に身を落とす娘がいる限りは、診療所も存在しなければ、環境が劣悪になるだけだ。

「きっと、母は疎まれていたの。身売りをする女性たちに肩入れをする医者だと」

 馬車に轢かれても、馬車の持ち主を警備兵が真面目に捜査しなかったのも、国が荒れていたせいもあったが、身売りをする女を診る卑しい医者だと蔑まれていたからだろう。

「あなたの仕事は、立派だと思う」
「ありがとう……ここよ」

 連れて来られた妓館は、昼間なのでまだ開いていなかった。扉を叩いて大きな声で呼ぶ。

「こんな時間から、お盛んだね」
「一人、買い上げたい子がいてね。初物で、飛び切り若いのが、いるんだろう?」
「あの子かい? お高いよ?」
「これで、身請けさせてくれ」

 クリスティアンが見せたのは、あらかじめ半分ほどに中身を減らしておいた宝石箱だった。宝石の輝きに妓館の管理人の際どいドレスを着た女の目が光る。

「初物を身請けするんだから、もっといただかないと」
「うーん、これで、ぎりぎりかな?」
「もうちょっと」

 難しい表情で、一つ一つとクリスティアンが宝石をポケットから出して足していくが、管理人の欲に限りはない。途中でクリスティアンはピタリと手を止めた。
 ジェーンの肩に手を置いて、宝石箱を管理人の手から取り上げて踵を返そうとする。

「これ以上は出せない……別の店にも入ったんだろう、ジェーンさん? 僕好みの、非常に若い初物が」
「そうねぇ、あっちの店にも……」

 打ち合わせもしていないのに合わせてくれるジェーンに、慌てたのは管理人だった。

「女史、余計なこと言わないでおくれ! さっさと連れて行って!」

 押し出されて店から追い出される形になったのは、まだ十代前半の少女だった。涙目で震える彼女に、乳母をしている姉のような貴族の女性からの助けだと告げれば泣き出してしまう。

「あなた、医者になる気はある?」
「学校に、行かせてもらえるの?」
「そこのお兄さんが行かせてくれるって言ってるわよ」
「あー……これで、どう?」

 ポケットの中からざらざらと出て来るのは、貴族の女性が持ってきた宝石箱に入っていた装飾品だった。まだ三分の一ほど残っているそれを、ジェーンはしっかりと受け取った。
 娘の無事を確認して、貴族の娘は帰っていく。

「乳母に会いに来てね?」
「お嬢様、ありがとう……」

 これから先、乳母の待遇が良くなるとも限らないし、自分の装飾品を全て出し切った貴族の女性がケチな両親から怒られないとも限らない。それでも、一人の少女が身売りをする前に助け出せて、その生活費と学費をクリスティアンがジェーンへの授業料として支払うことだけは確かだった。

「月一、休日に来るよ」
「そうね、テンロウ領の後継者様はお忙しいでしょうからね」
「ジェーンさん、あなた、気付いてたの!?」

 母の話や、乳児期に毒を盛られた話、そして、極めつけは名前で、ジェーンはクリスティアンの身分に気付いていた。
 聡明で、自分の知らないことを知っている年上の女性。
 クリスティアンが彼女にのめり込んでいくのも、時間の問題だった。
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