つぐちゃんと真珠さん

秋月真鳥

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25.二人、手を繋いで

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 指輪が出来上がったという連絡が宝飾店から入った。
 その知らせを直に伝えたくて真珠の職場である役所に行った月神は、デスクに真珠の姿がないのを見て、首を傾げた。
 時刻はお昼休憩のころで、真珠はデスクでお弁当を食べているはずだ。
 もしかするともう食べ終わってお手洗いにでも行ったのだろうかと廊下を歩いていると、ものすごく嫌な感じがして月神は廊下で立ち止まった。そこから先に進んではいけないような気がする。
 同時に胸の中に不安と嫌な予感も浮かんでいた。

 この先に真珠がいそうな気がするのだ。

 悪寒に耐えながら歩いて行けば、真珠が美しい大人の女性に首筋を晒しているのが見えた。今にも噛み付かれそうになっている真珠を、普段の月神ならば助けなければいけないと思ったはずだ。
 しかし、嫌な感じが胸に渦巻いていて、月神はその場から逃げ出してしまった。
 きっちりと整えた髪を振り乱して、真珠が月神を追って駆けて来る。月神も舞台で何時間も走りっぱなし、歌いっぱなしのことがあるので、体力はある。
 役所の入口から出たところで、月神は真珠に抱き込まれていた。

 ぽすぽすと真珠の胸を叩いても、鍛え上げられた真珠の腕からは逃れられない。
 こんなことは言いたくないのに、胸の中がどろどろと暗く渦巻いて、月神はそれを吐き出してしまう。

「やっぱり、大人の女性の方がいいんですか?」
「月神さん、誤解です! 二人きりになってしまったのは私の油断でした。でも、私は月神さん以外を愛するわけがありません」
「首筋から、血を、あげていたじゃないですか……ふぇ……」

 泣き出してしまった月神に、真珠は誠実に説明をしてくれた。二人きりになってしまったのはいけなかったが、やましいことは何もない。真珠は肌を許すのは月神だけだと言われて、月神も落ち着いてくる。

 そもそも、あの場所の異様な空気が月神をおかしくさせていたのだ。
 話を聞けば、それは結界だったというではないか。

「彼女は獣人なのです。獣人の中には縄張りという結界を使えるものがいます。縄張りの中では、その獣人は精神的に優位になれるというのも研究で分かっています」
「縄張りのせいで、僕は真珠を疑ってしまったんですね……。ごめんなさい」
「いえ、仕方がないことです。上司に報告して、セクハラの事案として処分してもらいます」

 そこまでされたら月神も安心だった。
 涙を拭けば跪いて月神の手に額を当てていた真珠が、指先にキスをしてくれる。
 その後は真珠の職場の端で仕事が終わるのを待たせてもらって、帰りに指輪を取りに行って、夕食を用意して待っていてくれたアウラに指輪に魔法をかけてもらった。

「ただいま……」
「お父さん、早かったですね」
「アウラさんと結婚して、生活を見直した」

 元々旭が仕事に追われていたのは叶の入院と治療のお金を稼ぐためだった。真珠も三歳から舞台に立ってお金を稼いでいた。少しでも叶に長生きしてほしくて頑張って来たが、それも中学二年のときに叶の死で終わってしまった。
 仕事漬けだった旭がそれを緩めなかったのは、叶の死を受け入れられなかったからに違いない。
 アウラと結婚したことによって、旭は叶の死を受け入れて、新しい未来に向けて歩き出そうとしているのだろう。

「お父さん、お母さんとのこと、話してよ。アウラさんとの出会いも」
「叶さんとは、コンサートで会った」
「お父さんのピアノのコンサート?」
「一番前の席で、隣りの席は空いていて、泣いていた」

 伴侶である吸血鬼を失ったすぐの頃だったのだろう。一緒にコンサートに行く予定でチケットを取っていたのかもしれない。
 泣いている叶が忘れられずに、旭は叶を探した。実家の近所に住んでいた叶を見つけ出して話を聞けば、妊娠していて、伴侶の吸血鬼は死んで、自分の寿命もほとんど残っていないという。

「結婚して、その子を私と叶さんの子どもとして育てようと言った」

 そんな都合のいいことはできないと最初は叶も抵抗していたが、妊娠後期になるにつれて体調も悪くなってきて、叶は旭に頼ることに決めたと旭は途切れ途切れにぽつりぽつりと話してくれた。

「私は叶さんと本当の夫婦ではなかった」
「お父さん、それって……」
「叶さんは体調が悪くて、私とそういう関係になることはなかった」

 ぽつりと零れた旭の言葉に、アウラが顔を真っ赤にしている。

「それじゃ、旭さん、僕とが初めてだったんですか!?」

 静かに頷く旭に、碧の目に涙を浮かべているアウラ。
 父親の性事情を知ってしまって恥ずかしいような気もするが、旭とアウラが幸せならばそれでいいと月神は思っていた。

「僕は旭さんと月神さんが参加した遺跡の仕掛けのことで、旭さんに話を聞きたくてお宅に伺ったら、その……あまりにも荒れていて……」

 月神が真珠の怪我があって住み込みでお世話をしに行っていたので、旭は自分のことが何一つできずに部屋はものすごい惨状だったのだろう。アウラが濁しているが、月神にはそれが目に見えるようだった。

「片付けていたら、旭さんの首筋から甘い香りがして、理性を失って噛み付いてしまったんです」
「僕も、吸血鬼として覚醒したときには、真珠の首筋から甘い香りがして、我慢できずに噛み付きました」
「運命のひとだとそうなりますよね!」
「そうなりますよ!」

 アウラも月神と同じような状況で自分の運命のひとを知ったようだ。意気投合していると、旭がボソッと言う。

「まずいって……」
「ものすごく甘くて美味しかったんですけど、後味が苦みやえぐみがあって」
「それも同じです! 真珠、その頃不摂生してたから!」
「運命かどうか疑いましたよ。でも、健康的な生活をしてもらったら血は甘美になりました」

 旭の血も最初は苦みやえぐみがあったようだ。それも月神が真珠の血を始めて飲んだときと同じで、意気投合してしまう。
 アウラが抱かれているのか、旭が抱かれているのか分からないが、どちらにせよ、二人は運命で幸せだということが月神には嬉しかった。

 夕食を食べ終わると、アウラが作ってくれたので、月神と真珠が後片付けをした。アウラと旭はその間にお風呂に入って部屋に戻っていた。
 月神が食器を洗って、真珠が拭いて食器棚に片付けてくれる。二人ですれば後片付けもすぐ終わる。

 明日のお弁当用に仕込みをしていると、真珠が手伝いながら月神に問いかける。

「新婚旅行、海に行きませんか?」
「僕が海に行きたいってどうして分かったんですか!?」

 物心ついたときから叶は入院していて、たまに自宅に帰ることはあったが、旅行などできる家庭ではなかった。小学校や中学校の修学旅行は、叶がいつ急変するか分からなかったので、自分で行かないことを決めた。高校の修学旅行は、舞台が入っていて行けなかった。
 舞台のために遠征に行くことはあっても、月神は旅行というものに行ったことがなかったのだ。

「僕、旅行に行ったことがないんです」
「私も旅行に行くことはなかったですね。出張はありましたが、仕事でしたから、旅行とは違いますし」
「真珠もですか?」

 問いかけると、真珠が悪戯っぽく笑う。

「私は男性と抱き合ったのは月神さんが初めてですし、口でご奉仕したのも月神さんが初めてです。女性を抱いたことはありますが、避妊具を付けずに抱いたのは月神さんが初めてで、キスも必要ないからしなかったから、月神さんが初めてなんですよ。首筋からの吸血も初めてですし」

 たくさんの初めてを私は月神さんに捧げているのです。

 耳元で甘く囁かれて月神は胸が沸き立つような喜びに包まれる。
 真珠の方が大人で、月神ばかりが初めてを真珠に捧げているのかと思ったが、そんなことはなかった。真珠もたくさんの初めてを月神に捧げてくれていた。

「初めての旅行も、二人で行きましょう」
「海で焼くわけにはいかないんですが、浜辺を歩きたいです」

 舞台にも立つし、コンサートもするので肌を焼けない月神だが、浜辺を歩くくらいはいいだろう。波打ち際を裸足で歩いて、海に触れたい。

「手を繋いで歩きましょうね」

 手を繋いでずっと一緒に歩いていけたらどれだけ幸せだろう。
 真珠の言葉に月神はこくりと頷いた。

「温泉のあるお宿にしましょう。海には入れなくても、温泉には入れるでしょう?」
「大浴場は嫌です……。大浴場って、男性がたくさんお風呂に入るんでしょう? 真珠の裸を誰にも見せたくない……」
「私も月神さんの裸を見せたくないですよ。部屋に露天風呂が付いているお宿があるんです」
「それなら、二人きりですね!」

 部屋に露天風呂が付いている宿ならば、真珠の裸も月神の裸も他人に見られることはない。
 月神は真珠との新婚旅行を楽しみにしていた。
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