つぐちゃんと真珠さん

秋月真鳥

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8.安増の暴挙

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 月神に告白された。
 怪我をした真珠を心配して月神は泊まり込みで世話をしてくれると言った。
 それだけでなく、遺跡で汚れた体を流したかった真珠を手伝ってくれて髪を洗ってくれた。
 誰かにこんな風に触れられたことはない。
 真珠も三十六歳の健康な男性だから、女性との経験がないわけではない。女性を抱くときには自分の家まで入れなかったし、行きずりで一晩だけというパターンが多かった。何よりも真珠の中に踏み込まれたくない一線があったから、女性とは距離を取りながらしか付き合えなかった。

 月神と真珠の間にそんな一線はない。
 オムツをしていた時期から月神を知っているのだ、真珠にとって月神は、旭が言うように天使のような清らかな存在だった。
 我が儘を言うことがなくて、少しお喋りは遅かったが、歌を歌うとものすごく上手で、三歳のときから舞台に立っていた月神。喋るのが苦手で舞台の台詞には苦心していたようだが、真珠と喋るときには一生懸命「あのね」「えっとね」「うんとね」と繰り返してたくさんお喋りをしてくれた。
 可愛くて可愛くて仕方がない月神。
 そんな月神の運命の相手が自分で、月神が恋愛感情を持って好きだと言ってくれている。

 家族からは顧みられず、他の相手とも深い関係になることはできず、一生誰かの特別になることはないのだと諦めていた真珠に、毎日お弁当を作って、真っすぐに真珠を見詰めて来た月神。
 告白をされて真珠の胸に欲がわいた。

 月神の運命の相手が現れたら笑顔で送り出してあげよう。月神が幸せになれるように願おう。
 そう思っていたのに、月神は真珠を選ぶと言っているし、月神の運命の相手は真珠だと言って来る。

 月神を自分のものにしてもいいのではないか。

 胸に生まれた欲望が、自然と行動に出ていた。
 月神の唇を奪ってしまってから、真珠はこれが自分にとって初めての口付けだということに気付いた。
 一晩の相手でしかなかった女性たちとはキスをした覚えがない。キスをしたいとも思わなかった。
 それなのに、月神が間近で真珠の髪を乾かしてくれていて、華奢な細い指が真珠の髪を梳いて、あどけなさの残る丸い頬の愛らしい顔がすぐそばにあったら、その艶やかな小さな唇を奪いたいと思ってしまった。

 行動に移してから、真珠は一瞬だけ後悔した。
 真珠はまだ月神に返事をしていない。
 中途半端なままに月神に触れてしまった。

「き、きききき、キス!?」
「ごめんなさい、つい、つぐちゃんが可愛くて」
「可愛くてって……真珠さん、僕のこと、好意的に見てくださってるってことですよね? これは期待していいんですよね?」

 縋るように言って来る月神に真珠は念を入れて確認したかった。

「つぐちゃん、本当にあたしでいいの?」
「真珠さんがいいんです!」

 月神は知らないだろう。
 真珠の中にこんなにもどろどろとした独占欲が渦巻いていることを。月神を自分だけのものにしたい。誰にも触れられないように閉じ込めてしまいたい。月神が他の誰も見ないように、他の誰にも見られないようにしてしまいたい。

 親子ほどの年の差があるというのは分かっている。
 それでも月神は真珠を選んだ。運命の相手だとも言った。

「あさちゃんに報告しないとね。あたしがつぐちゃんの運命の相手だなんて、ショックかもしれないけれど」
「本当のことなんだからお父さんにも何も言わせません! 僕にとっては真珠さんが唯一のひとです」
「婚姻届けを取って来るわ。ちゃんとしたいの」
「僕も真珠さんとのことはちゃんとしておきたいです」

 決意をした真珠に月神も頷いてくれた。
 夕飯に月神はチキンのマスタード焼きとミネストローネとサラダを作ってくれた。
 ナイフとフォークが上手く使えない真珠のために、月神がチキンのマスタード焼きを切ってくれて、口に運んでくれる。

「真珠さん、あーん」
「つぐちゃん、そこまでしなくても」
「僕がしたいんです」

 面倒を見られるのもくすぐったいが悪くはない。
 月神に食べさせてもらいながら真珠は胸に広がる幸せな気分にひたっていた。

 傷病手当をもらって仕事は休みになっていたが、婚姻届けは役所に取りに行かなければいけない。月神に手伝ってもらって三つ揃いのスーツを着て、真珠はタクシーで役所まで行っていた。
 月神もついて来ていたが、何となく婚姻届けは一人で受け取りたかったので、月神には役所の入口で待っていてもらった。

「五百蔵課長、今日はお休みじゃなかったんですか?」
月見山やまなしさん、他の用事があって来たんです」
「遺跡調査で怪我をされたことは聞いています。お大事になさってください」

 銀色の狼の獣人である月見山は『遺跡管理課』の部下である。ふさふさの耳と尻尾がある筋骨隆々とした男性で、仕事が真面目なので真珠は信頼を置いていた。

「それって、婚姻届けじゃないですか。課長、結婚するんですか?」
「そのつもりです。結婚したら『遺跡管理課』の皆さんにも報告します」
「おめでとうございます」

 お祝いを言われて、結婚するのだと実感がわいて来て真珠も浮かれていたのかもしれない。
 役所の入口に戻ってきたら月神がいなかった。

「月神さん!?」

 急いでスマートフォンを出して月神の電話番号をタップすると、月神の声が聞こえてくる。

『降ろしてください! こんなの聞いてない!』
『一回ヤらせてくれたら、聞きたいことは全部話しますよ』
『お断りします! すぐに僕を降ろしてください!』
『天国を見せてあげますから』

 天国を見せる。

 その言葉には聞き覚えがあった。声にも聞き覚えがある。
 『遺跡管理課』の部下の安増が、バーで旭を口説いていたときに、天国を見せるという言葉を使っていた。話している声も安増のものだ。
 電波が悪く途切れがちになっている通話は、車の中だからだろう。
 月神が車で連れ去られてしまった。

「月神さん! 今どこですか!」
『真珠さ……』

 スマートフォンに向かって叫ぶと、通話が途切れてしまう。その後何度かけても繋がらなくなったので、安増にスマートフォンを取られてしまったのだろう。

「しんちゃん?」

 結婚の報告のために呼んでいた旭がバイクを停めて真珠の元にやってくる。真珠は旭に告げていた。

「ヘルメット、ありますか? バイクの後ろに乗せてください」
「何が?」
「月神さんが連れ去られました」

 幸い、小さい頃から月神は歌手としてデビューしていたので、何かあったときのために旭と真珠がすぐに助けに行けるようにスマートフォンに位置情報アプリを入れている。
 癒しの歌を歌えて、お人形のように愛らしい月神は、何度も小さい頃に攫われそうになったのだ。
 その名残で今も位置情報アプリは健在だった。

「安増の車の場所が分かります。私がナビをするので、そこに連れて行ってください」
「分かった」

 月神の危機と知って、旭はバイクからヘルメットを出して真珠に渡す。真珠はそれを被って旭のバイクの後ろに跨った。まだ動かしてはいけないと言われている左腕が痛んだが、そんなことはどうでもよかった。

 位置情報アプリで記された場所に向かうと、そこは駐車場から車で入るラブホテルだった。
 吸血鬼の力が覚醒しているとはいえ、安増も同じ吸血鬼である。
 月神が腕力で勝てるわけがない。
 『遺跡管理課』の一員として安増は戦闘訓練まで受けている。無理矢理ことに及ぼうとすれば、月神は無事ではないだろう。

「役所から来ました。『遺跡管理課』のものです。このホテルに私の婚約者が不同意で連れ込まれています」
「しんちゃん、警察を」
「警察を呼びますよ。すぐに部屋を教えなさい」

 ホテルに乗り込んで真珠が名刺を見せながら大声で言えば、管理者がすぐに出て来て真っ青な顔で鍵を渡す。

「あの車の客は、この部屋に入りました」

 鍵を受け取って、エレベーターで鍵に記された階まで上がっていく間ですら、もどかしくて真珠は気が狂いそうだった。
 月神が安増に何かされていたら。
 考えただけで全身の血が煮えたぎる。

 部屋の前に来て、真珠は大きく息を吸って告げた。

「安増、その方に何かしてみなさい。あなたを社会的に抹殺して差し上げます」

 鍵を開けると、ベッドの上に押し倒された月神と、月神に覆い被さる安増の姿があった。
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