龍王陛下は最強魔術師の王配を溺愛する

秋月真鳥

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一章 龍王は王配と出会う

16.侍従のネイサン

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 左腕の呪いは解除してもらったのだが、呪いのせいで一気に完全治癒まではできなかった。
 薄赤い新しい皮膚で傷口は塞がっているが、皮膚の下がまだ治癒していないのでずきずきと痛む。この程度の痛みは耐えられるのだが、手の平は貫通したときに骨が砕けたようで、拳を握ることができない。治癒の魔術を根気強くかけていけば三日ほどで完全に治るだろうが、ヨシュアは不便ではないとは言い切れなかった。

 左手に力が入らないので、両手で握る剣は扱えない。
 元々ヨシュアは右利きで、素早さを重視した片手剣の使い手なのだが、片手で剣を握るにしても、左手は魔術の術式を編み上げるために動かすことが必要になる。
 魔術師にとって手を動かせないというのは若干の不自由さがあった。

 魔術師としてだけではなくて、日常生活でも左手に力が入らないというのは困りものである。
 従者にして栗色の髪の乳兄弟、ネイサンの手を借りるしかなさそうだ。

 龍王がやたらとヨシュアの部屋に入り浸っているので、ヨシュアは衝立の向こうで着替えをしている。左手に力が入らなくて帯が結べないので、長衣を着た状態でネイサンを呼べば、すぐに来て帯を結んでくれる。

「我が主がわたくしに頼るなど、幼いころを思い出します」
「あのときはお前ではなく、お前の母に頼っていた」
「わたくしも主に精一杯お仕えしていましたよ」
「わたしの背中に虫を入れたのが、か?」
「我が主は動揺せずに裾から手を入れて虫を取ってしまいましたね」

 乳兄弟のネイサンは、幼いころから一緒で、ヨシュアが魔術騎士団に入っていたときもずっとついてきて世話を焼いてくれていた。
 喋り方は幼いころはもっと砕けていたのに、いつの間にか慇懃無礼ともいえる喋り方になっていた。

 ラバン王国にいたころにネイサンに結婚しないのかと聞いたことがあった。
 ネイサンは同じことをヨシュアに問い返した。

「我が主は結婚なさらないのですか?」
「おれは結婚する気はない。こういう話はしなくていい」
「ご自分がされて嫌な質問を、乳兄弟とはいえ、わたくしにするのは、よくないのではないでしょうか」

 生まれが数か月だけ早いネイサンにヨシュアは結局勝てないのだ。
 ヨシュアの母は乳母であるネイサンの母にヨシュアの養育を全て任せていたので、ヨシュアはネイサンと一緒に育った。
 ヨシュアにはっきりとものを言えるのはネイサンくらいのものだろう。

 ヨシュアはそれを許していたし、ネイサンもそれを許されていると自覚していた。

「我が主が龍王陛下を殴り飛ばしたときには肝が冷えました」
「嘘をつけ。いつかはやると思っていただろう」
「まさか」

 寝台に押し倒されて、口付けをされそうになってヨシュアは龍王を殴り飛ばして寝台から落としていた。部屋の外で控えていたネイサンはすぐに駆け込んできたが、寝台の上で身を起こそうとしているヨシュアと、寝台から肌着姿で殴り飛ばされて床に座り込んでいる龍王を見て、何が起きたかをすぐに察したに違いない。

「龍王陛下は主様に本気のご様子ですよ」
「この派手な顔に騙されているだけだろう。本当に忌々しい顔だ」

 整って美しいと評されるヨシュアの顔だが、ヨシュアにとっては嬉しいだけのものではない。下心を持ったものがこれまでに何人もヨシュアに近付いてきた。王弟ということもあったが、単純に美しいヨシュアと関係を持ちたいというものもいた。
 全てお断りしてきたが、それが派手な顔のせいだと思うとそれだけで顔の皮を剥ぎたくなる。

 王配として志龍王国で認められているのも、この綺麗な顔でにっこりと微笑んでいるからだと言われれば、忌々しいがそうなのかもしれないと思ってしまう。

 ラバン王国においては、美しさは強さの象徴だった。
 ラバン王国の魔術師はみな、妖精の血を引いている。妖精の血が強く出たものが魔力も強く、妖精のように美しいというのだから、その頂点であるヨシュアは生まれながらに美しい子どもだった。
 妖精の血を濃く継いでいる王族ということもあったが、兄であるマシューや姪たちよりもずっと魔力が強く、豪奢な金髪に鮮やかな青い目で、魔術の制御が完璧ではなかった幼いころには何度も攫われそうになった。
 あまりにも美しいので、魅了の魔術を使っているのではないかと疑われたこともある。

「少しは優しくして差し上げればいいのに。龍族の王族にとって二十五歳など、平民にしてみればまだ十五程度ではありませんか?」
「十五であろうと、二十五であろうと、王としての自覚がないというか……王には向かない性格というか」

 前龍王が早くに亡くなってしまって、たったの二十歳で龍王位を継がなければならなかったのは気の毒に思う。
 毒見をされて冷え切った食事を好まないのも、ひとの気配があるとゆっくり休めないのも、王族に向いていないのだと思うと同情はする。
 だからといって、体まで差し出して龍王を慰めるつもりはヨシュアには全くなかった。

 着替えを終えて衝立から出ると、龍王は宝石と刺繍で飾られた豪華な長衣を着て、椅子に座って待っていた。
 ヨシュアも椅子に座ると、朝餉が運ばれてくる。
 夏場も氷柱を立てて部屋を涼しくしているので、熱い粥が運ばれてきてもヨシュアも龍王も食欲が失せたりはしなかった。

 龍王の立てた氷柱は溶けることがないし、水滴が付くこともない。
 表面はしっとりと濡れて冷たいが、それ以上溶ける気配は見せなかった。

 ヨシュアの魔術で氷柱を作れば当然溶けるし、水たまりもできるのだが、龍王の作った氷柱は自然の理とは少し違うようだ。

 朝食後は龍王は宰相と四卿に呼ばれていた。
 四卿とは宰相を輩出する四つの家のことで、宰相の他に、龍王と共に政治を司る家である。
 四つの家の当主が宰相と共に龍王に会いに来ていた。

 龍王が執務室の椅子に座ると、ヨシュアの方を見る。

「どうか、あなたも座ってくれ」
「わたしは護衛ですので」
「今は王配としてわたしの隣りにいてほしい」

 そう願われれば座らないわけにはいかないので、ヨシュアが龍王の隣りに用意された椅子に座ると、宰相と四卿は深く頭を下げる。

「恐れながら、龍王陛下におきましては、青陵殿でお命を狙われたと聞いております」
「わたしがわざと結界を緩めさせた。わたしに呪いの矢が届かなければ、呪術師は民衆を人質に取ったかもしれない。どんな民もわたしにとっては大事な国民だ。わたしに向けられた矢を代わりにうけさせるわけにはいかない」
「龍王陛下は龍のお姿になり、呪いの矢を弾いたとも聞いております」
「最初はヨシュア殿と魔術騎士が弾いてくれていたが、狙いがわたしならば、自分で払える矢は払おうと思ったまでだ」
「それで、王配殿下がお怪我をなさったと?」
「それは、わたしが矢の本数を予測できなかったからだ。わたしの傷はわたしの責任だ」

 静かに詰問する宰相と四卿に、最後はヨシュア自身が答える。
 ヨシュアの傷に関しては、ヨシュアが油断していたせいでしかなかった。
 まさか呪術師が命を代償にしてまで最後の矢を放つとは思わなかったのだ。

「今回の事件は龍王陛下の威光を強めただけでしたが、龍王陛下は真剣に後継者のことをお考えになるときが来たのではないかと思うのです」

 そう述べたのは、四卿の中でも次の宰相を輩出するのではないかと言われている、フゥァン家の当主だった。龍族の血が強く出ているので、五十代だがまだ若々しく黒髪に白髪の一本もない。

「王女殿下に婚約者をと願うのは、国民の総意だと思われます」

 そう言って来るのは、四卿の中でも一番若いヂュ家の当主である。
 ヨシュアも結婚の際に挨拶を受けているのである程度は知っていた。

「龍王陛下、どうかお考え下さい」

 頭を下げたのは、四卿の一つ、ヤン家の当主。
 残された一人は、宰相と同じ、ガオ家の当主だった。

 こういう事態になれば誰もが龍王の後継を望むのはヨシュアにも理解できる。
 どこに龍王を狙った黒幕が潜んでいるのかは、まだ予測も付かなかった。
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