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愛してるは言えない台詞 〜つき〜

Paper Moon 1

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 ついてきてはいけない。
 そこで立っていなさい。
 そう言って、両親は祖父母の家の前に連月れんげつを置いていった。日差しが厳しくなり始めた、夏の始めのことだった。
 可愛がられた思い出もなく、叱られたり暴力を振るわれた記憶もない。ただ、自分に無関心な両親にわざわざついて行くよりも、そこに立っている方が良いような気がして、連月はその日、自分で両親に捨てられることを選んだ。
 3歳を目前にした連月が夜に暗くなるまで家の前で黙って立っていたのに、祖父母は驚いていたが、事情を察して連月を引き取ってくれた。能楽師だった祖父母の後を継ぐのが、育ててもらう代わりだとしか思わず、立った初舞台。
 舞台の明かりと暑さに、3歳になったばかりの連月は、持っていた扇子を落としてしまった。どうすればいいか分からずに視線を彷徨わせて見た客席で、褐色の肌に琥珀色の目の少年が、「頑張れ、大丈夫」とでも言うように拳を作って頷いてくれている。それで連月は大丈夫な気になって、残りの演技は着物の袖を扇子に見立てて演じ通した。
 あの日から、忘れられないひと。
 再会したのは雑誌に載っていた写真で、ファッションブランドADUMAのアクセサリーデザイナー『吾妻あづま路彦みちひこ』として、片側が35センチ以上のタッセルで、もう片方が真珠と雫型の赤い石という斬新な左右非対称のイヤリングの特集でだった。
 そのデザインに見惚れ、その褐色の肌と琥珀色の目に、あのときの少年が色気ある大人の男に成長したのだと思った。
 その頃にはまだ祖父母も健在で、能楽を中心に少しドラマに出るくらいのメディア露出だったから、マネージャーに相談してもADUMAの専属モデルはとても獲得できないと言われた。もっと大人の色気がなければ務まらない。
 色気を磨くのはどうすれば良いのか悩んで、連月は沢山の女性、特に女優と交遊を持った。とはいえ、お茶をするくらいだったが、スキャンダル誌はそれを好き勝手に書き立てる。その醜聞すら、連月には利用できる色気だった。
 誰も自分を童貞とは思わないだろう。
 本当に大事なことは、一番好きなひととしかしたくない。
 そのチャンスが巡ってきたのは、25歳のときだった。
 能楽師としても、役者としてもそれなりに有名になった連月に、ADUMAの方から専属モデルの話が来たのだ。デザイナーの路彦にも会えるかと期待して行ったが、自己紹介もしてくれず、路彦の態度は冷たかった。
 決して連月も背は低くないのだが、それよりも高い見上げるような長身に、シャツの上からでも分かる鍛え上げられた体付き。豊かな大胸筋も、丸い大殿筋も、隠されているからこそ、暴きたい衝動に駆られる。
 契約をする社長が路彦の姉だというのは知っていたから、連月は即受けたい気持ちを抑えて、路彦と話をさせてもらえる席を用意してもらった。
 その夜にお酒を過ごした路彦が前後不覚になっているのを、連月は家に連れ帰った。21歳のときに周囲の反対を押し切って引き取った冴もいるし、祖父母はもう亡くなっていない広い屋敷に、連月は誰も入れたことはない。大それたことをしてしまったと、大舞台よりも緊張していたが、ベッドに招くと路彦はふわふわと微笑んでいた。
 赤いプラスチックフレームのメガネで隠すようにしている、睫毛の濃い彫りの深い顔立ちも、鍛え上げられた身体つきも、滑らかなもっちりとした褐色の肌も、魅力しかない。

「なぁに、するんですか?」
「路彦さんを、俺のもんにしようと思うて」

 シャツを脱がせて行くと、路彦が擽ったいのか、クスクスと笑う。革のパンツに手をかけても、抵抗されないのをいいことに、連月は路彦を脱がせていく。

「じゃあ、立田さんも、俺のですか?」
「そうやで? 要らんゆうても、返品不可や」
「凄いものもらっちゃいますね」

 口付けても、路彦が嫌がる素振りは見せない。舌を絡めると、アルコールの匂いに混じって路彦の甘い匂いがした。

「俺のもんにしてもええやろ?」

 手近に滑りもなかったので、自分の先走りと白濁を路彦の奥に塗り込んで、連月は体を繋げた。初めてかと問えば、路彦が涙ながらに頷く。

「痛い? 路彦さん、泣かんで?」
「たつたさんっ……すきっ……すきぃっ」
「連さんって言うて?」

 咽び泣きながらも可愛く縋る路彦に、連月は止まることができなかった。
 たっぷりと注ぎ込んだ後に意識を飛ばしてしまった路彦を暖かな濡れタオルで拭き清めて、連月は抱き締めて眠る。初めてだったので、中に出したものを掻き出して処理するなどという知識はなかった。
 俳優としての前に、連月の本業は能楽師である。
 健やかに眠っている路彦を寝室に置いて、稽古用の舞台がある部屋で稽古をしなければいけないのはつらかったが、恋に浮かれて本業を疎かにするような男に、大人の路彦は惚れてくれないだろう。朝稽古をいつもより早く始めて、戻ってきたときには路彦は冴に朝ご飯を食べさせ終えていた。
 保育園になかなか馴染まず、連月の帰りが遅くなると夜間保育も頼んで夕食も保育園で食べさせてもらっているはずなのだが、冴は嫌がってほとんど食べないという。甘やかして家でも晩御飯を食べさせると癖になるし、保育園の夕食をますます食べなくなるかもしれないし、そもそも幼児が食事をするには遅い時間なのでそのままお風呂に入れて寝かせてしまうのだが、その分朝は早くにお腹が空いて目が覚めてしまうらしかった。
 毎朝恨みがましい目で、「おなかがすきました」と言われるのに、今日はご機嫌で路彦の膝の上で髪の毛を編まれている。可愛く編んでもらって、ご満悦の冴はすっかり路彦に懐いてしまったようだった。

「もう起きとったんか、さぁちゃん、路彦さん。ごめんな、仕事のある日は朝に稽古せな、間に合わへんから」

 言い訳しつつも、路彦は譲らないとばかりにドヤ顔で膝に居座る冴に悔しい思いはありつつ、初めて会った冴にすら優しくする路彦は聖母のようで、連月は心の中で拝んでいた。

「さえ、みちひこさんにごはんたべさせてもらいました」
「えぇ!? 路彦さんももう食べてもた?」
「いえ、俺はこれで失礼します」

 昨晩は可愛かったのに、大人の余裕なのかクールにかわす路彦に、連月は内心慌てる。縋るように長身の路彦を見上げれば、ふっと目元が色っぽく緩む。

「シャワー浴びてないやろ? 下着、新品の出すから、着替えて?」
「部屋に戻って着替えて行くので」
「路彦さん、道、分かるん?」

 自分で連れてきて置いて意地悪な物言いだが、ここで引き下がったら連月は二度と路彦を手に入れられないような錯覚に陥っていた。

「朝ごはんだけでも食べて行ってよ」
「すみません……」

 新婚さんみたいや、と浮かれて朝食を作る連月を、冴が白い目で見上げている。

「ししょー、みちひこさんとけっこんするんですか?」
「そのつもりやけど、あまり急いでもガツガツしとるみたいで格好悪いやろ? プロポーズはロマンチックにしたいし……路彦さん大人やから、どんなアプローチがええんやろ」
「たまごやきがこげますよ?」
「あぁー! 折角、料理上手をアピールするところやのにー!」

 キッチンの喧騒もなんのその。路彦がシャワーから戻ってくる頃には、ワカメと豆腐のシンプルな味噌汁と、卵焼きに焼き魚、ひじき煮、切り干し大根の煮物の純和風の朝食が出来上がっていた。
 家庭的な良い夫になることを路彦に分かってもらわなければいけない。

「さえももういっかい、たべます!」
「さぁちゃん、食べ過ぎはあかんで?」
「みちひこさんと、あさごはん、するのです!」

 言い張る冴のためにもちょっぴりだけの朝ごはんを準備すると、路彦の髪を拭いて、三人でいただきますをした。
 家族で食卓を囲むようで連月は嬉しくなる。

「俺、昨日のこと、ほとんど覚えてなくて……ご迷惑をおかけしました。何も、言いませんから」
「あ! さぁちゃんは、俺の隠し子やないよ! 遠縁の子が舞台の才能があったから引き取っただけで、俺は子どもやらおらん」
「はぁ……」
「ししょーのこどもなんて、いやです。みちひこさんがいいです」
「ななな、なに、言うてんねん! み、路彦さんは、ま、まだ、そんな……まだ、違うんや」

 もうすぐ結婚するにしても、まだ出会ったばかりで早すぎる。
 しかしこの時点で、連月は路彦と事実上は結婚した、くらいの気持ちで浮かれていたのだった。
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