上 下
26 / 64
偽りの運命 ~運命ならばと願わずにいられない~

運命ならばと願わずにいられない 4

しおりを挟む
 ラクランが23歳の夏、理人は13歳になっていた。ラクランと同じ年のジェイムズは23歳、ラクランの9歳年下の弟のエルドレッドは14歳だった。
 友人を家に招くとヘイミッシュとスコットに話すと、二人はあまり他人と深い付き合いをしたがらないラクランに友人がいたことに驚いていた。ジェイムズ・キャドバリーの名前を出せば、ヘイミッシュは論文のための取材で会ったことがあると答える。

「彼、感じ良かったものね」
「友達と過ごすのも大事なことだよ」

 両親に了承を取った後で、誤解のないようにと理人にも先に話はしておいた。

「論文を共同で書いている相手なの。理人さんのことも話してあるから、紹介しても良いかしら?」
「俺を……なんて?」
「婚約者、じゃ、ダメ?」

 躊躇いながらも問いかけると、理人の細い体が飛び上がった。ぴょんぴょんと跳びはねてから、ラクランに飛び付いてくる。

「めっちゃ嬉しい! ランさんの婚約者って、友達に紹介してもらえる! ちょお、エル、聞いてや!」
「お、落ち着いて、理人さん?」

 ものすごく喜んで、近くを通りがかったエルドレッドに報告しようとする理人に、ラクランは微笑ましさと恥ずかしさが半々で赤くなる。無邪気に喜んでくれる姿は嬉しいが、理人にとっては親友で双子のようなエルドレッドに報告されると、照れもする。

「運命か……兄さんが僕の年にはリヒトの面倒見てたんだよね。僕にはなさそうだなぁ」

 報告を受けながら呟くエルドレッドに、ラクランもその年頃には運命などないと頑なだったことを思い出す。これが運命ならば良いと考えるようになるなど、想像もしていなかった。
 ジェイムズが家を訪ねてきたのは、夏期休暇が始まってすぐだった。じっくりとヘイミッシュやスコットの話を聞けると楽しみにしているジェイムズは、数日間ハワード家に泊まる予定だった。
 友人同士のお泊りなど、この年までに経験しているのだろうが、ラクランにとってはジェイムズは初めての友人に近かった。

「初めまして。ヘイミッシュさんは初めましてじゃないですね。スコットさんはお話を伺いたいと思ってました。理人くんと、エルドレッドくん? よろしくね」

 ふわっとした茶色の巻き毛、人の良さそうなジェイムズに、珍しくエルドレッドが興味を示している。

「あなた、クロスワードパズルは得意?」
「そこそこにね。君は?」
「僕は早いよ」

 ヘイミッシュ似の青い瞳を煌めかせるエルドレッドと、ジェイムズはまずはクロスワードパズルをすることになった。

「エルが仲良しになっとる。ええひとなんやね」
「ジェイムズって、スコットランド語ではヘイミッシュで、同じ名前なのよ」
「そうなんか。ランさんもスコットランドのお名前なんか?」
「アタシは、確か、『湖』とかいう意味じゃなかったかしら」

 ハワード家はスコットランドの出ではないが、貴族として長く続いた家系なので、その中でスコットランドから嫁いできたものもいる。それがヘイミッシュやラクランの名付けに繋がっていた。

「ラクラン、君の弟君は賢いね。僕が負けてしまったよ。理人くんもクロスワードパズルやチェスがお得意?」
「俺はピアノが好きなんや」
「後で是非聞かせてほしいな」

 庭の広さに驚き、屋敷の大きさに驚いたジェイムズは、トランクを持って客間に入っていった。頬を紅潮させたエルドレッドが、ラクランの元に走ってくる。

「ラテン語のクロスワードパズルをしたんだけど、あのひと、相当頭が良いね」
「エルドレッドもお友達になったのね」
「興味深いと思ってる」

 最初は共同研究している相手が、ラクランと恋愛関係と周囲が騒ぎ立てる前に、理人やヘイミッシュやスコットに紹介しておいて、全く後ろめたくなく友人でしかないこと伝えようと思ったのだが、エルドレッドが意外にもジェイムズを気に入ったようだった。
 共同で論文を書くとなると、取材で同じ場所に出張することもあるので、穿った見方をしたがる輩はどれだけでもいる。まだ13歳の理人をラクランはそんなことで傷付けたいとは思わなかった。

「ランさんが信頼できるひととおってくれて安心するわ。変な奴が近付いて来ても、ジェイムズさんは追い払ってくれそうやわ」
「あら、アタシの方が強いわよ?」
「でも、ランさんは繊細で優しいから」

 好奇心旺盛なジェイムズが屋敷を見て回り、庭を見て回っている間、エルドレッドが案内役を務めて、ラクランと理人はお茶の用意をする。ヘイミッシュとスコットは仕事で夕飯までは帰ってこない。

「ランさんのお名前の『湖』っていうの、お目目の青いのにぴったりやし、ランさんの凪いだ穏やかで安定した性格にもぴったりやなぁ」

 紅茶の茶葉を蒸す間にぽつりと理人が呟いた言葉に、ラクランは嬉しくなって理人の手をそっと握った。
 お茶をして、夕食を食べて、気の良いジェイムズはすっかりとハワード家に馴染んでしまった。食後はヘイミッシュとスコットと犯罪論について話しながら、少しお酒を飲んで客間に戻っていく。

「お休みなさい、ジェイムズ。また明日」
「お休み、ラクラン、理人くん、エルドレッドくん。失礼します、ヘイミッシュさん、スコットさん」

 もう少しリビングでお酒を飲むというヘイミッシュとスコットを二人きりにするために、大人のラクランには早かったが部屋に戻ると、理人は既に眠そうに欠伸をしていた。今日のピアノの練習も宿題も終えて、お風呂にも入って、寝るだけの理人はラクランにハグをしてお休みなさいを言う。

「ランさんは気にせんで起きててええからな」
「ありがとう。お休みなさい、理人さん」

 額にキスをして、ベッドに入る理人を見守ってから、ラクランは机に付いて卓上ライトの灯りで論文に目を通していた。恐らくは客間でジェイムズも今日の話の内容をまとめているだろう。
 同じ屋敷内にいるのに可笑しい気もしながら、大学のためのマンションにいるときと同じようにメールで進捗を問えば、メールで返ってくる。
 ヘイミッシュとスコットと話せて素晴らしい成果があったこと、エロドレッドが非常に賢くて興味深いこと、理人が思っていた通りに素直で可愛いこと、論文は順調に進んでいること。尽きない話題の中に、「アメリカに研究で行くことはあっても移る気はなくなった」と書かれているのに、ラクランは目を止めた。
 彼の中で何が変わったのか分からないが、エルドレッドの青い目の煌めきが頭を過る。まだ憶測もできない範囲でしかないが、もしかするとと兄として、友人として考えてしまう。

「らんしゃん……」

 パソコンの電源を落としてベッドに行こうとしたときに、理人の泣き声が聞こえて、ラクランは慌てて理人のベッドに駆け寄った。赤茶色の目に大粒の涙を浮かべて、理人が洟を垂らしている。

「どこか悪いところでも……」
「どうしたらええんやろ……ごめんなしゃい……」

 両手でパジャマの裾を引っ張って隠している場所に心当たりがあって、ラクランは理人がかけていたタオルケットで理人をぐるぐる巻きにしてしまった。

「初めてなの?」
「う、うん……」
「平気よ。バスルームで流して、汚れた下着は下洗いして洗濯機に突っ込んでしまいなさい」

 軽々と姫抱きにしてバスルームまで連れて行って、全部終わるまでバスルームの前で見張りがわりに待っていると、さっぱりと着替えた理人が半泣きの顔で出てきた。新しいタオルケットを持って、またベッドまで運ぶ。

「ランさんの夢を、見てたんや……ランさんに、や、やらしいこと、考えてしもうて……ごめんなしゃい……」

 ずびずびと洟を啜る理人をベッドに座らせて、ラクランは落ち着こうと深呼吸をした。罪悪感で泣いてしまっている理人に、どう言えばラクランの気持ちを伝えられるのか、言葉がなかなか見つからない。

「嫌じゃ、ないのよ。アタシ、理人さんに想われてるの、嬉しいわ」

 やっと出た言葉に、理人が瞬きをして、その拍子に赤茶色の目から大粒の涙がぼろりと溢れた。

「そういう意味で、ランさんのこと、好きでもええ?」
「良いのだけれど……」

 スコットとヘイミッシュは抱きたい、抱かれたいを勘違いして思い込んでいて、すれ違った期間が長くてつらかったと聞く。体の大きなラクランには、不安もあった。

「理人さんは……その、どっち、なのかしら?」
「俺は、ランさんが相手やったらどっちでも天にも登るくらい嬉しいけど、けど、けどけどけど……正直なところ、ランさんのこと、だ、抱きたいねん」

 最後の方は震えて小声になってしまう理人も、不安で震えているが、その言葉にラクランはほっと息を吐いた。腕を伸ばして抱き締めると、理人が濡れた瞳でラクランを見上げてくる。

「良かった……アタシ、抱かれたい方みたいなのよ。まだ、したことないから、分からないのだけれど」
「ほんまか! 良かった! ランさん、大好きや」

 まだ理人の年齢も低いし、実際の行為に及ぶことはできないが、求めるところも合致した。
 結婚できる年まで後3年。
 理人が大学に入って一緒に暮らすまで後5年。
 ラクランは、穏やかな幸福の中にいた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

霧のはし 虹のたもとで

萩尾雅縁
BL
大学受験に失敗した比良坂晃(ひらさかあきら)は、心機一転イギリスの大学へと留学する。 古ぼけた学生寮に嫌気のさした晃は、掲示板のメモからシェアハウスのルームメイトに応募するが……。 ひょんなことから始まった、晃・アルビー・マリーの共同生活。 美貌のアルビーに憧れる晃は、生活に無頓着な彼らに振り回されながらも奮闘する。 一つ屋根の下、徐々に明らかになる彼らの事情。 そして晃の真の目的は? 英国の四季を通じて織り成される、日常系心の旅路。

ある夏、迷い込んできた子猫を守り通したら恋人どうしになりました~マイ・ビューティフル・カフェーテラス~

松本尚生
BL
ひと晩の寝床を求めて街をさ迷う二十歳の良平は危うくて、素直で純情だった。初恋を引きずっていた貴広はそんな良平に出会い―― 祖父の喫茶店を継ぐため、それまで勤めた会社を辞め札幌にやってきた貴広は、8月のある夜追われていた良平を助ける。毎夜の寝床を探して街を歩いているのだと言う良平は、とても危うくて、痛々しいように貴広には見える。ひと晩店に泊めてやった良平は、朝にはいなくなっていた。 良平に出会ってから、「あいつ」を思い出すことが増えた。好きだったのに、一線を踏みこえることができず失ったかつての恋。再び街へ繰りだした貴広は、いつもの店でまた良平と出くわしてしまい。 お楽しみいただければ幸いです。 表紙画像は、青丸さまの、 「青丸素材館」 http://aomarujp.blog.fc2.com/ からいただきました。

ポケットのなかの空

三尾
BL
【ある朝、突然、目が見えなくなっていたらどうするだろう?】 大手電機メーカーに勤めるエンジニアの響野(ひびの)は、ある日、原因不明の失明状態で目を覚ました。 取るものも取りあえず向かった病院で、彼は中学時代に同級生だった水元(みずもと)と再会する。 十一年前、響野や友人たちに何も告げることなく転校していった水元は、複雑な家庭の事情を抱えていた。 目の不自由な響野を見かねてサポートを申し出てくれた水元とすごすうちに、友情だけではない感情を抱く響野だが、勇気を出して想いを伝えても「その感情は一時的なもの」と否定されてしまい……? 重い過去を持つ一途な攻め × 不幸に抗(あらが)う男前な受けのお話。 *-‥-‥-‥-‥-‥-‥-‥-* ・性描写のある回には「※」マークが付きます。 ・水元視点の番外編もあり。 *-‥-‥-‥-‥-‥-‥-‥-* ※番外編はこちら 『光の部屋、花の下で。』https://www.alphapolis.co.jp/novel/728386436/614893182

バラのおうち

氷魚(ひお)
BL
イギリスの片田舎で暮らすノアは、身寄りもなく、一人でバラを育てながら生活していた。 偶然訪れた都会の画廊で、一枚の人物画に目を奪われる。 それは、幼い頃にノアを育ててくれた青年の肖像画だった。 両親を亡くした後、二人の青年に育てられた幼いノア。 美男子だけど怒ると怖いオリヴァーに、よく面倒を見てくれた優しいクリス。 大好きな二人だけど、彼らには秘密があって――? 『愛してくれなくても、愛してる』 すれ違う二人の切ない恋。 三人で過ごした、ひと時の懐かしい日々の物語。

【第1部完結】佐藤は汐見と〜7年越しの片想い拗らせリーマンラブ〜

有島
BL
◆社会人+ドシリアス+ヒューマンドラマなアラサー社会人同士のリアル現代ドラマ風BL(MensLove)  甘いハーフのような顔で社内1のナンバーワン営業の美形、佐藤甘冶(さとうかんじ/31)と、純国産和風塩顔の開発部に所属する汐見潮(しおみうしお/33)は同じ会社の異なる部署に在籍している。  ある時をきっかけに【佐藤=砂糖】と【汐見=塩】のコンビ名を頂き、仲の良い同僚として、親友として交流しているが、社内一の独身美形モテ男・佐藤は汐見に長く片想いをしていた。  しかし、その汐見が一昨年、結婚してしまう。  佐藤は断ち切れない想いを胸に秘めたまま、ただの同僚として汐見と一緒にいられる道を選んだが、その矢先、汐見の妻に絡んだとある事件が起きて…… ※諸々は『表紙+注意書き』をご覧ください<(_ _)>

目が覚めたら、カノジョの兄に迫られていた件

水野七緒
BL
ワケあってクラスメイトの女子と交際中の青野 行春(あおの ゆきはる)。そんな彼が、ある日あわや貞操の危機に。彼を襲ったのは星井夏樹(ほしい なつき)──まさかの、交際中のカノジョの「お兄さん」。だが、どうも様子がおかしくて── ※「目が覚めたら、妹の彼氏とつきあうことになっていた件」の続編(サイドストーリー)です。 ※前作を読まなくてもわかるように執筆するつもりですが、前作も読んでいただけると有り難いです。 ※エンドは1種類の予定ですが、2種類になるかもしれません。

【完結】遍く、歪んだ花たちに。

古都まとい
BL
職場の部下 和泉周(いずみしゅう)は、はっきり言って根暗でオタクっぽい。目にかかる長い前髪に、覇気のない視線を隠す黒縁眼鏡。仕事ぶりは可もなく不可もなく。そう、凡人の中の凡人である。 和泉の直属の上司である村谷(むらや)はある日、ひょんなことから繁華街のホストクラブへと連れて行かれてしまう。そこで出会ったNo.1ホスト天音(あまね)には、どこか和泉の面影があって――。 「先輩、僕のこと何も知っちゃいないくせに」 No.1ホスト部下×堅物上司の現代BL。

放課後教室

Kokonuca.
BL
ある放課後の教室で彼に起こった凶事からすべて始まる

処理中です...