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運命を決めるのは自分
小さな恋人 2
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3歳になった海直は、まだまだ発育不良で体が小さく、黒いお目目だけがくりくりと大きくて、女の子とよく間違われていた。女の子と言われるたびに、本人は不本意なようで「ちんちん、ありゅ!」と自己主張をするのも、クラレンスには可愛い要素でしかない。
『ノルマ』はガリア地方のドルイド教の巫女とローマ帝国の地方総督との恋と不実、女性同士の友情を描いたオペラだ。それを現代風に解釈して、ダンスの演目にしたものに、今回クラレンスは出演する。
美しき巫女の長をクラレンスが、若き巫女をダンス界の妖精と言われるリュシアン・ボンフィスが、その二人と不実の愛を結ぶローマ帝国の地方総督をヴァンニ・ヴェルタッツォが演じる。全て男性だけの舞台で、表現するというのも、演出者の考えだった。
幼い海直は、クラレンス演じる巫女の長が、ヴァンニ演じる異教徒の地方総督との間に産んだ息子という役割だった。
元がオペラの演目を、歌を他の歌手に別撮りしてもらって、ダンスだけで表現する。それは画期的な試みなのだろうが、演じる方にとってはハードなものだった。
「ダンスのついでに尻に触ろうとしないでもらいたいものだ」
「くえあのおちり、めっ!」
汗だくで休憩に入ると、素早くヴァンニから離れるクラレンスに、海直がヴァンニを威嚇しながらタオルを渡す。汗を拭くクラレンスのお尻を守るように、海直はぺったりとくっ付いていた。
「クラレンスさんはヴァンニさんと仲が良いんですね」
大柄なヴァンニがいるので、実のところ長身でかなり体つきもしっかりしているクラレンスも女性役ができるのだが、声をかけてきたリュシアンは、14歳という年齢もあるが、本当に少女と見紛うばかりにほっそりとして美しい顔立ちをしていた。さすがはダンス界の妖精と言われるだけはある。
「あっちが勝手に絡んでくるだけだよ。同じダンス教室に小さな頃から通ってるだけだ」
「クラレンスさんは、ヴァンニさんのことは全然?」
「私には海直がいるからね」
「みぃ、くえあの!」
見せつけるように海直を抱き上げて、そのふくふくと丸い頬に口付けると、リュシアンが羨ましそうに目を細める。
「海直ちゃんが運命の相手だと、一目で分かったんですか?」
運命の相手と出会うと直感で分かるとか、電撃が走るとか、人それぞれ反応があるようだが、海直に関してクラレンスが一目で気になったのは間違いない。けれど、それが運命かは分からず、それでも構わないとクラレンスは海直を運命の相手だと自分で決めた。
「誰かが海直を奪いに来ても、絶対に渡す気はないよ」
どうして海直だったのか。値札をそっと添えられた椅子に座らされて、必死に涙を堪えていた菫色のドレスの幼児。歯を食いしばって、必死に泣かないように我慢する姿が、クラレンスの胸を突いた。
稀少な目を持って生まれたがために、両親から売られて競売にかけられた海直。その目を狙う輩から、海直を守ってやりたいと思ったのだ。それができる力が、アスター家の当主の自分にあって、海直は庇護を必要としていた。
お互いに求め合って出会ったのだから、共にいることになんの不自然もない。
そのことを話せば、リュシアンは透き通った緑の瞳でヴァンニを見つけていた。
抱き上げると自然に胸に手を置いてふにふにと揉んで、そこに顔を埋めようとする海直を、クラレンスは止める。
「汗をかいているから、臭うかもしれないよ」
シャワーを浴びてからと言おうとしたら、ふらふらと海直の首が揺れた。こてんと額がクラレンスの胸にくっ付いて、瞼が重く閉じてくる。
「オムツに履き替えよう」
早朝から練習をしていた海直はもう眠さが限界で、お手洗いで着替えさせるとクラレンスに抱っこされたまま眠ってしまった。子役に無理をさせないために、稽古場の端にはシッターがいてくれるし、ベビーベッドも用意されているのだが、そこに海直を降ろすと「くえあ……」と呟いて泣き出してしまう。
「海直、私はすぐ近くにいるからね」
額にキスをして、手を握っていると、その指をちゅうちゅうと吸って海直は眠りに落ちた。ベビーベットのそばでクラレンスは昼食のサンドイッチを食べる。普段ならば海直もこの時間に昼食を食べるのだが、今日は体力がもたずに眠ってしまった。起きたときにはお腹がペコペコだろうと、心配になったせいか、クラレンスは自分が食べたサンドイッチの味もよく分からなかった。
午後からも稽古は続いて、起き出した海直が空腹と寂しさで泣いたところで休憩に入った。
「くえあ! くえあ!」
必死にクラレンスに縋ってくる海直は、怖い夢を見たのか泣き顔で、寝惚けているようだった。ぺろりとシャツを捲って、顔を突っ込まれて、胸に吸い付く海直に、クラレンスはぞくぞくと体に甘い感覚が走って、妙な声を上げてしまう。
「んぁっ、ダメだよ、海直」
家で二人きりのときならばともかく、今はいけないと口を離させると、ぴゃあぴゃあと海直が大きなお口を開けて泣いた。そのお口にサンドイッチを詰め込むと、洟を啜りながらもぐもぐと咀嚼して飲み込む。
「おなか、ちーた」
「お腹が空いていたんだろう」
食べ始めると落ち着いてきた海直は、お腹いっぱいサンドイッチを食べて、ミルクを飲んで、お手洗いに行って着替えて、出番の準備をする。
自分以外の若い巫女とも関係を持っていた総督に、激しく怒りを露わにする踊りの後で、クラレンスは海直を抱き締めてこの子を殺して自分も命を断とうかと苦悩する様子を表現する。そのときに母親役のクラレンスを正気に帰らせるのが、別撮りの海直の歌声と踊りだった。原作では寝顔でということだったが、演出家は海直が歌えることを知っていたので、こういう演出になった。
愛らしくクラレンスの手を取って踊り出す海直。
なぜこの愛しい子を殺せようかと、母親は心を入れ替える。
最終的にクラレンスの役どころは、子どもたちを若い巫女のリュシアンに託して、自らが異教徒と結ばれるという背徳を犯していたと罪を告白し、総督のヴァンニと共に死を選ぶ、というラストだった。
出来上がった舞台が、『ヴァンニに激怒するクラレンスの迫力と雄々しさ』とか、『愛しい婚約者と踊るクラレンスの色気』とか、『ヴァンニに恋するリュシアンの可憐さ』とか、ファンがSNSに書くのに、クラレンスは爆笑してしまった。
「なぁに?」
何が書いてあるのと問う海直に、クラレンスが小さな体を抱き寄せて膝の上に乗せて説明する。
「私と海直がとてもお似合いだって書いてあるよ。みんな分かっているね」
「くえあとみぃ、おにあい」
白い頬を林檎のように染めて照れ照れと言う海直はとても可愛い。
「にーさま、ぶたいのうえで、ヴァンニをほんとうにころすかとおもったわ」
「それはそういう演出だったからだよ」
裏切られた怒りのダンスに、尻を触られそうになった恨みを込めたことは、誰にも言っていないはずだが、表現者としてのクラレンスは優秀で、やはり分かってしまうものらしい。
シッターと公演の本番を見にきたアンジェラは、終始真顔だったという。
「これで、世界中に海直が私の婚約者だって知れたね」
下手な雑誌に書き立てられるよりも、堂々と海直の名前と姿が知られた方が良い。その方が海直に何かあったときに、目撃者を募りやすいし、有名人にはなかなか手が出せないものだから。
マニアに取っては垂涎だが、クラレンスにとっては可愛いだけの黒いお目目を持つ海直。
そのお披露目公演は、大成功に終わった。
『ノルマ』はガリア地方のドルイド教の巫女とローマ帝国の地方総督との恋と不実、女性同士の友情を描いたオペラだ。それを現代風に解釈して、ダンスの演目にしたものに、今回クラレンスは出演する。
美しき巫女の長をクラレンスが、若き巫女をダンス界の妖精と言われるリュシアン・ボンフィスが、その二人と不実の愛を結ぶローマ帝国の地方総督をヴァンニ・ヴェルタッツォが演じる。全て男性だけの舞台で、表現するというのも、演出者の考えだった。
幼い海直は、クラレンス演じる巫女の長が、ヴァンニ演じる異教徒の地方総督との間に産んだ息子という役割だった。
元がオペラの演目を、歌を他の歌手に別撮りしてもらって、ダンスだけで表現する。それは画期的な試みなのだろうが、演じる方にとってはハードなものだった。
「ダンスのついでに尻に触ろうとしないでもらいたいものだ」
「くえあのおちり、めっ!」
汗だくで休憩に入ると、素早くヴァンニから離れるクラレンスに、海直がヴァンニを威嚇しながらタオルを渡す。汗を拭くクラレンスのお尻を守るように、海直はぺったりとくっ付いていた。
「クラレンスさんはヴァンニさんと仲が良いんですね」
大柄なヴァンニがいるので、実のところ長身でかなり体つきもしっかりしているクラレンスも女性役ができるのだが、声をかけてきたリュシアンは、14歳という年齢もあるが、本当に少女と見紛うばかりにほっそりとして美しい顔立ちをしていた。さすがはダンス界の妖精と言われるだけはある。
「あっちが勝手に絡んでくるだけだよ。同じダンス教室に小さな頃から通ってるだけだ」
「クラレンスさんは、ヴァンニさんのことは全然?」
「私には海直がいるからね」
「みぃ、くえあの!」
見せつけるように海直を抱き上げて、そのふくふくと丸い頬に口付けると、リュシアンが羨ましそうに目を細める。
「海直ちゃんが運命の相手だと、一目で分かったんですか?」
運命の相手と出会うと直感で分かるとか、電撃が走るとか、人それぞれ反応があるようだが、海直に関してクラレンスが一目で気になったのは間違いない。けれど、それが運命かは分からず、それでも構わないとクラレンスは海直を運命の相手だと自分で決めた。
「誰かが海直を奪いに来ても、絶対に渡す気はないよ」
どうして海直だったのか。値札をそっと添えられた椅子に座らされて、必死に涙を堪えていた菫色のドレスの幼児。歯を食いしばって、必死に泣かないように我慢する姿が、クラレンスの胸を突いた。
稀少な目を持って生まれたがために、両親から売られて競売にかけられた海直。その目を狙う輩から、海直を守ってやりたいと思ったのだ。それができる力が、アスター家の当主の自分にあって、海直は庇護を必要としていた。
お互いに求め合って出会ったのだから、共にいることになんの不自然もない。
そのことを話せば、リュシアンは透き通った緑の瞳でヴァンニを見つけていた。
抱き上げると自然に胸に手を置いてふにふにと揉んで、そこに顔を埋めようとする海直を、クラレンスは止める。
「汗をかいているから、臭うかもしれないよ」
シャワーを浴びてからと言おうとしたら、ふらふらと海直の首が揺れた。こてんと額がクラレンスの胸にくっ付いて、瞼が重く閉じてくる。
「オムツに履き替えよう」
早朝から練習をしていた海直はもう眠さが限界で、お手洗いで着替えさせるとクラレンスに抱っこされたまま眠ってしまった。子役に無理をさせないために、稽古場の端にはシッターがいてくれるし、ベビーベッドも用意されているのだが、そこに海直を降ろすと「くえあ……」と呟いて泣き出してしまう。
「海直、私はすぐ近くにいるからね」
額にキスをして、手を握っていると、その指をちゅうちゅうと吸って海直は眠りに落ちた。ベビーベットのそばでクラレンスは昼食のサンドイッチを食べる。普段ならば海直もこの時間に昼食を食べるのだが、今日は体力がもたずに眠ってしまった。起きたときにはお腹がペコペコだろうと、心配になったせいか、クラレンスは自分が食べたサンドイッチの味もよく分からなかった。
午後からも稽古は続いて、起き出した海直が空腹と寂しさで泣いたところで休憩に入った。
「くえあ! くえあ!」
必死にクラレンスに縋ってくる海直は、怖い夢を見たのか泣き顔で、寝惚けているようだった。ぺろりとシャツを捲って、顔を突っ込まれて、胸に吸い付く海直に、クラレンスはぞくぞくと体に甘い感覚が走って、妙な声を上げてしまう。
「んぁっ、ダメだよ、海直」
家で二人きりのときならばともかく、今はいけないと口を離させると、ぴゃあぴゃあと海直が大きなお口を開けて泣いた。そのお口にサンドイッチを詰め込むと、洟を啜りながらもぐもぐと咀嚼して飲み込む。
「おなか、ちーた」
「お腹が空いていたんだろう」
食べ始めると落ち着いてきた海直は、お腹いっぱいサンドイッチを食べて、ミルクを飲んで、お手洗いに行って着替えて、出番の準備をする。
自分以外の若い巫女とも関係を持っていた総督に、激しく怒りを露わにする踊りの後で、クラレンスは海直を抱き締めてこの子を殺して自分も命を断とうかと苦悩する様子を表現する。そのときに母親役のクラレンスを正気に帰らせるのが、別撮りの海直の歌声と踊りだった。原作では寝顔でということだったが、演出家は海直が歌えることを知っていたので、こういう演出になった。
愛らしくクラレンスの手を取って踊り出す海直。
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出来上がった舞台が、『ヴァンニに激怒するクラレンスの迫力と雄々しさ』とか、『愛しい婚約者と踊るクラレンスの色気』とか、『ヴァンニに恋するリュシアンの可憐さ』とか、ファンがSNSに書くのに、クラレンスは爆笑してしまった。
「なぁに?」
何が書いてあるのと問う海直に、クラレンスが小さな体を抱き寄せて膝の上に乗せて説明する。
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「くえあとみぃ、おにあい」
白い頬を林檎のように染めて照れ照れと言う海直はとても可愛い。
「にーさま、ぶたいのうえで、ヴァンニをほんとうにころすかとおもったわ」
「それはそういう演出だったからだよ」
裏切られた怒りのダンスに、尻を触られそうになった恨みを込めたことは、誰にも言っていないはずだが、表現者としてのクラレンスは優秀で、やはり分かってしまうものらしい。
シッターと公演の本番を見にきたアンジェラは、終始真顔だったという。
「これで、世界中に海直が私の婚約者だって知れたね」
下手な雑誌に書き立てられるよりも、堂々と海直の名前と姿が知られた方が良い。その方が海直に何かあったときに、目撃者を募りやすいし、有名人にはなかなか手が出せないものだから。
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